ナラティヴへの新しい旅立ち
ナラティヴとは、「物語る、物語」のことですが、吃音に対する否定的なナラティヴから肯定的なものへと変えていく道筋が、僕の生きてきた歴史と重なります。幅広い分野から学んできたことが今、ひとつの道としてつながってきたような感覚があります。押しつけではなく、「こっちの道もあるよ」と、ひとつの提案として指し示していきたいと思います。
「スタタリング・ナウ」2012.1.22 NO.209 より、まず巻頭言を紹介します。
ナラティヴへの新しい旅立ち
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
仲間と共にではあっても、長い孤独な旅路だったような気がする。40年前、大げさに言えば、吃音の分野で、誰もまだ足を踏み入れたことのない道に踏み出したのだから、孤独は覚悟していたものの、手探りの寂しい旅路だった。
しかし、今やっと、一筋の道が見えてきた。吃音の分野ではあまり仲間がいなくても、他の分野では大勢の人がすでに歩み始めている、ひとつの確実な道だ。それが、ナラティヴ・アプローチ、当事者研究の道だ。
「吃音を治す・改善する」「吃音をコントロールする」との、100年以上吃音研究者・臨床家が吃音に悩む人に示す道筋に、異を唱え、「こっちの道もあるんだよ」と、私は歩み始めた。これまで、誰もが正しいと信じて疑わなかった、「吃音を治す努力」を否定し、「吃音と共に生きる」道を選び取った。
その時、日本の吃音研究者の何人かから、「日本の吃音の研究、臨床が欧米に比べ立ち後れたのは、伊藤が吃音は治らないと主張をしはじめたからだ」と、名指しで批判されもした。私は吃音研究者の中では、孤立したが、臨床では孤立しなかった。ことばの教室の教師や、どもる子どもの親で私の主張に共感して下さる人々は、決して少なくない。「治そう」と試みても、実際に治らない現実に向き合えば、当然「吃音を生きる」に行かざるを得ない。
ナラティヴの道に合流する、新しい旅立ちにあたって、ナラティヴ・アプローチも当事者研究もなかった時代。それらを全く知らないままに、私は当事者研究をしてきたことになる、これまでを整理しておきたい。
1 ひとり当事者研究の時代
小学2年生の秋から、21歳の夏までは、ひとり吃音に深く悩み、悪戦苦闘をしつつもひとり当事者研究を続けたことになる。
「自分で自分が大嫌いな人間を好きになってくれるはずがない。まず自分を好きになろう」
「弱さを自覚していれば、弱さを恥じることはない。弱さをもちつつ誠実に生きよう」
高校時代のこのような私の日記の記述は、吃音に深く悩みつつ内省を繰り返して生まれたものだ。
2 仲間との当事者研究
21歳の秋、吃音を治すことにあきらめがついたとき、私をがんじがらめにしていた縄が、ぱらぱらとほどけたのは、吃音に徹底的に悩み、ひとり当事者研究を続けていたからだ。その結果を同じように悩む仲間に語り合い、文章にしていった。35年前に私が起草した「吃音者宣言」は仲間との当事者研究を、ある程度多くの人に共通するものとして文章化したものだと言えるだろう。
3 他の領域の人々との当事者研究
1986年の第一回吃音問題研究世界大会以降は、世界の人々と、他の領域の人々との当事者研究だった。大阪吃音教室では、交流分析、森田療法、論理療法、サイコドラマ、ゲシュタルト療法、アサーショントレーニングなどを取り入れ、「吃音を生きる」取り組みを続けてきた。年に一度の吃音ショートコースと名づけた吃音ワークショプに講獅として来て下さった方々は、私たちの吃音への取り組みに共感し、支援をして下さった。吃音の世界以外には多くの仲間と支援者ができたが、吃音の分野では、依然少数派であり続けている。
私の考えに賛同もし、私がもっとも敬愛するアメリカの言語病理学者、チャールズ・ヴァン・ライパー博士は、吃音が治らないことを認めつつ、「吃音を受け入れるだけでは十分ではない。どもり方を学んで下さい」と、吃音コントロールを提案する。「どもる事実を認めて、日常生活を誠実に送れば、それで十分」だとする私とは、受け入れるという面では近いようで、かなりの開きがある。
長い年月の間に固定してしまった「吃音は、ない方がいい、治すべきだ」のドミナントストーリーに対して、「治らずとも、幸せに生きることができる」のオルタナティヴストーリーを、どもる子どもたちと共に語っていきたい。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/06/24