僕と島根県との、深く長いつながりのルーツ
島根県の、保育勉強会を主宰する大坂武さんから講演の依頼があったのは2月。保育士や幼稚園教諭、小学校の通常学級の教師などから、どもる子どもとどう接したらいいか分からないという声を聞くので、就学前や低学年の子どもと接する担当者として大切なことを話してもらえないかということでした。ちょうど、僕の今年のテーマは「非認知能力」だったので、テーマとしてはぴったりです。喜んでお引き受けしました。
その後すぐに、島根県の聴覚言語障害教育研究会の春季研修会の一日研修会の講師依頼がありました。担当者の経験年数が3年未満の人が多くなったので、午前は基礎的なことを、午後は具体的な応用編を話してほしいということでした。これも、僕にとって、とてもうれしいことでした。こうして、島根県での講演会が2つ決まりました。これが、今年の「吃音の夏」の幕開けとなったのです。
準備の時間はたっぷりあったはずなのに、講演会ぎりぎりまで、パワーポイントのスライドを追加したり入れ替えたり、いつものように、バタバタして、前日の6月12日に島根入りをしました。いつもは車で、僕が運転をして行くのですが、今回は、飛行機を利用し、出雲空港に着きました。宍道湖に突っ込んでいくような錯覚を覚える出雲空港です。迎えに来ていただいた車で、松江市内のホテルへ向かい、ホテルの近くで、夕食を9人の方と共にしました。島根とのつながりは深く、長いので、どこかで出会った人ばかりでした。県の聴言教育の研修会でも、今年27回を迎える島根スタタリングフォーラムでも、たくさんの島根の通級指導(ことばの教室)担当者と出会ってきました。
そのルーツを、今回、貴重な資料をいただいて、共に確認することができました。
1998年10月、僕は、久里浜にある国立特別支援教育総合研究所に一日講師として出向しました。そのときの受講生の中に、今年の3月まで島根の聴言教育研究会の事務局長をしていた吾郷(当時は、黒崎)典子さんがいました。一日の講義を終え、大阪に戻る新幹線の時刻ぎりぎりまで、言語研究室の牧野泰美さんとともに恒例の居酒屋で打ち上げ会をするのですが、その打ち上げに、黒崎さんも参加していました。その頃、僕は、年末年始の2週間、島根県の玉造温泉にある厚生年金保養ホームで滞在するのが恒例でした。そのことを黒崎さんに伝え、「島根に行ったら連絡するよ」と言ったようです。黒崎さんから連絡先を教えてもらいました。そこで撮った写真の一枚が、これです。
そして、1998年12月22日頃でしょうか、僕は、黒崎さんに電話をしたようです。留守だったので、「今、玉造温泉に来ている」と留守電を入れたようでした。そして、せっかく島根に来ているのだからと、12月29日、伊藤伸二を囲む会in松江が実現したのです。年末だったという記憶はありましたが、29日だったとは。本当に年末でした。
松江市の内中原小学校での講演会には、年末にもかかわらず、35名が集まったと記録がありました。このように詳細が分かったのは、黒崎さんが、久里浜の研修生仲間や、島根の勤務先の職員向けに配っていた「しじみちゃん」という通信のおかげでした。
あれから、28年、僕と島根との長く、深いつながりは、今も続いているのです。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/06/18

