子どもへの信頼

 NPO法人全国ことばを育む会の元理事長の加藤碩さんとのおつきあいも、長くなりました。ときどき、「スタタリング・ナウ」の感想を、几帳面な文字で綴って送ってくださいます。
 「スタタリング・ナウ」2011.9.20 NO.205 は、そんな加藤さん親子の特集です。加藤さんは、お子さんである恵さんが2歳のとき「この子の耳は聞こえていませんよ」と、医者から宣告を受けます。そこからの歩みを綴ってくださいました。吃音と難聴、その似ているところと違うところ、子ども観、障害観、教育観、加藤さんと、それらを語り合ったあの夜の時間は、僕にとってとても豊かな時間でした。
「スタタリング・ナウ」2011.9.20 NO.205 の巻頭言から紹介します。

  子どもへの信頼
                     日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「親はなけれど子は育つ」は、井原西鶴の浮世草子「世間胸算用」に出てくるが、それに対して、「あれはウソだ、親がいても子は育つんだ」と言ったのは、堕落論で有名な作家・坂口安吾だ。
 西鶴は、自分が育てなければとあせらなくても、親がいなくても子どもはちゃんと育つものだよと、江戸時代の長屋のような、地域の共同体を信頼した。安吾の言う「親がいても」は、立派な親でなく、子どもの足を引っ張るような親であっても、親の悪い影響をものともせずに、子どもは育つのだということらしい。
 いずれにせよ、子どもには本来育つ力が備わっているとする、子どもへの信頼のメッセージとして受け止めることができるだろう。
 子どもが吃音だと気づいた時、子どもが将来どのような課題と向き合わなければならないか、親として何ができるか不安をもつ。毎日かかってくる私の電話相談「吃音ホットライン」では、そのような親の思いが伝わってくる。3歳に満たない子どもでも、「治りますか」と質問し、治らなければ、小学校に行っていじめられないか、に始まり、将来仕事に就けるか、結婚はできるかまで心配している。幼児吃音の場合、自然に消失することもあるが、消えずに治らない可能性もあることを伝えると、「子どもがかわいそう」と、ふともらす親が少なくない。
 そんな時、「子どもがかわいそう」だとは決して思わないでほしいと、私は言う。子どもは親が考えているほど、そんなに弱い存在ではない。脆弱性があるわけではない。親が手伝っても、手伝わなくても子どもは、その子なりに育っていく。
 3歳頃からどもり始めた私が、学童期・思春期、吃音に深刻に悩んでいた時、両親は何もしてくれなかった。自分自身が吃音に深く悩んだ父親、その夫と生活をしてきた母親が、私の吃音の悩みに気づかないはずはない。しかし、本人が相談してこない限り、どう生きるかは息子自身の課題だと考えたのだろうか。勉強しろとも、友達をつくれとも、何も言わなかった。当時はとてもつらかったが、それは、両親が、「この子はなんとかなるだろう」と私を信じていてくれたのだろうと、今は思う。
 一昨年の夏、山口県で行われた親の会主催の吃音親子キャンプは、豪雨の影響で予定の会場が使えなくなり、ことばの教室の設置校が会場となった。「学校の怪談」を楽しみ、校舎の中庭にむしろをひいてのバーベキューは趣があって楽しかった。その席で私は親の会の加藤碩さんとずっと話し込んだ。難聴の娘さんのことを楽しそうに話す加藤さんに、私はふと、私の父親をだぶらせていた。
 父親とは、どもる子どもをもった親の気持ちについて聞く機会はなかったが、父親は、どもる息子について誰かに尋ねられたら、加藤さんのように話すのではないかと、その時感じた。
 子ども観、教育観、障がい観など、話せば話すほどに共通することがうれしくて、加藤さんに子育ての体験を書いていただきたいとお願いした。
 子どもや生徒、クライエントが、親や教師、カウンセラーをまず信頼することが、子育て、教育、カウンセリングに不可欠だとよく言われる。しかし、反対に親や教師が「子どもは成長し、変わるものだと信頼する」大切さを言う人は多くない。
 かわいそうだからと、両親から、サリバンが言う「野生動物」のように育てられたヘレンケラーを、サリバンは「この子は必ず、言語を獲得し、人間として成長する」と信頼した。教師が先に生徒を信頼したことで、サリバンの教育はあの奇跡を生んだのだ。私はこの例を出して、ソーシャルワーク演習を担当している大学や、言語聴覚士の専門学校の、将来対人援助の職に就く学生に、目の前の相手を信頼することの大切さを話している。
 信用と信頼は違う。銀行が融資するのは担保物件という条件(根拠)を信用するからだが、信頼には根拠がない。成績がいいからでも、体力的に優れているからでもなく、加藤さんも、私の親も、根拠なく自分の子どもを信頼した。
 加藤さん親子の子どもへの信頼はすがすがしい。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/05/22

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