『吃』よ、誉あれ~『吃音者宣言 言友会運動十年』(たいまつ社 1976年)~
昨日の続きです。僕は、鳥羽さんのこの文章を読むと、涙が出てきます。許しておくれ。ゆえもなく虐げ、嘲けつづけたおれを、許しておくれ。お前がおれであり、おれがお前だったことが、たったそれだけのことが、このおれにはわからなかった。おれの「吃」と、お前のおれを許しておくれ。こう、自分の吃音に許しを乞う場面は、僕自身と重なり、胸が熱くなります。(「スタタリング・ナウ」2011.8.23 NO.204)
『吃』よ、誉あれ
鳥羽稔(1933年生)
吃音克服体験談ということですが、私自身、どもりを治しえたわけではありません。今日もなお、「吃」を引っ提げたままでいる現役ドモリストでございます。それでは一体、私にとってどもりを克服するということは何であったのか、とにかく、私の中で生き続ける「吃」の遍歴のあらましを、ありのままに、みずからが納得できるまで、語り切ってみたく思います。
私の幼少時を振りかえると、子供たちから「ニワトリ」と呼ばれ、事あるごとに、あざ笑われていた覚えばかりがあります。顔面をひきつらせ、打ちこぼしてしまう私の連発音が、鶏の鳴き声に似ていたのでしょう。その「ニワトリ」が小学校上級生になり中学へ行く頃には、誰からとでもなく「きちがいドモ安」と陰口され、友人も少ないままでいました。私の耳に「ドモリ」という単語が触れたとたん、私は忌わしい狂犬となって、その者へ襲いかかっていたからです。
疎開先での中学校1年のとき、戦争が終わりました。翌年、私はひとり身で田舎を逃れ、空襲による焼け跡だらけな街へ戻っております。級友らの、とどまりもない軽やかな音声の氾濫の中で、重い「ひき吃」である自分を、教室の片隅にこごめさせているより、爆撃で半ば壊れた倉庫街の壁にもたれ、卒倒しそうになる飢えをこらえて風を見ている方が、私には、この上ない安穏でございました。この理由を知らない廃墟こそ、どもりな私の住むべきすみかなのだと思ったものです。そこでは、言葉などいらず、けだもののように生きておればよかったからです。が、年ごとに、私の廃墟は失われ、世の中が物質的に栄えはじめて、どもらない言葉が、生活上必要条件となってまいります。私が、まともな職に就けようわけがございません。町工場の職工、飯場住まいの土方、キャバレーの仕込み雑役夫、などなど低所得のふちを堂どうめぐりする間に、あたりは神武景気だと言って囃し立て、ビルが建ち国産車が増産され、ファッションショーは満員となります。いつからか、私は、川瀬にあがった切株のような疎外感の中に、自分を閉じこめてしまったようです。どもる自分が憎く、醜く、やり場のない日々が続きます。飲めなかった酒を知り、泥酔の中でみずからの「吃」をごまかし、酔いざめて白けかえったみずからの上に「吃」をつのらせ、「嘲けた」と言っては傷害沙汰を起こしてしまい、自分への蔑視と虐待は雪ダルマ式にふくれ、やまることを知りません。とどのつまり、ホールのフロアに倒れ、血を吐きます。結核療養のため、3年余にわたる社会からの強制隔離を余儀なくされます。鉄の寝台にのけぞり、どもる自分を呪い毒することしか知らなかった男の犬死にを予感して、私はようやく、その恥ずかしさに震えるのです。
「吃」よ、おれの中の「吃」よ、許しておくれ。ゆえもなく虐たげ、嘲けつづけたおれを、許しておくれ、お前がおれであり、おれがお前だったことが、たったそれだけのことが、このおれにはわからなかった。おれの「吃」と、お前のおれを許しておくれ。
病熱の中で私は、自分の中の「吃」を抱きしめ、「吃」に許しを乞いました。「吃」を認め、「吃」を負うて生きつくすことが、正真正銘な自分のあるべき姿であったと、おくればせながら悟るのです。暗く、たまらなく暗かった私の四囲が、不思議な明るみに照らされ、瞭然と見えてくるのを感じます。なんのことはない。この世の大方の約束ごとは、どもらない、「吃」というものについて全く無知な人たちが、寄って集(たか)って仕組んだものばかりではないか。どもり人間がそのような現代の、社会機構の中に追従していこうと、思うこと自体が無理であったのだ。世間さまの前でおのれのどもりを隠そうとするかぎり、どもらない人たちの口から吐かれる音声を真似ようとするかぎり、そのために「吃」を嫌い、「吃」否定による劣等意識を持ちつづけるかぎり、吃人間のうちがわからは、何ものも生まれようはずはなかったのだ。みずからの「吃」を認め、それをうしろ楯にしてこそ、自分は、世間の吃らない人たちに向かって、対等でありうる。そのように考えついたとき、私の中で重たく澱み、私をさいなんだ屈辱感がにわか、或る底知れない勇気に変化していくのを、私は覚えました。同時に、「吃」を笠にしていじけた自己蔑視の蓑を剥ぎとったひとりの人間が、その内面的な成長において、いかに、幼稚で浅はかなまま放棄されていたかを、まざまざとかえりみ、私はあらためて、みずからのためへの恥辱に顔を赤らめるのです。「吃」のない社会が抱えひきずっている苦悩が読めず、「吃」のない人たちの歌が解せないで、何が対等でありえよう。私は、独学をはじめます。「自己点検」という文字を知るようになります。巷間の吃音矯正所へ通うお金も暇もなかった私ですが、いつからか、くだけ散らかす連発音に身を曲げ震える自分を、あわてず見守り、喘ぎの残る事後の「吃」を、抱きくるむように、そっと受けとめていく自分が、除々に育っていきます。
「どもれ。どもってもよい。だが、この次には、ほんの少しでよいから、さっきよりは、うまく恰好よくどもってみろ。ほんの少しでよいからな」
どもらずに言葉を吐こう。どもりでない振りをしようという意識を捨てた私は、どもり方へのプロポーションを考えるようになります。吃っするきわにともなう身体のひきつれ、おどりのさまを、その時点での精神状態、体調などを思いあわせながら、みつめ、その姿へのアンデパンダンな終わりのない矯正が続けられます。自分の中での「吃」との限りない語り合いです。そこには、暗くみすぼらしいだけであった「吃」とののしり合いはもうありません。「吃」は終わりのないプレイヤーであり、私は、「吃」への終わりのない付添い人です。信じ合い、はげまし合うことしかありません。
このようにして私は、「言友会」なるドモリストの全国的な連絡協議会が発足、進展をなしえていることなど全く知らず、ひとり芝居じみたやり方で、今日までどもってまいりました。年かずも、40歳を幾つか回ってしまいました。家庭には、妻と2人の子供がおります。幸か不幸か、そのいずれもどもりません。外での私は、零細な底告美術業を経営しておりますが、5、6人の若い中修工たちは誰ひとりとしてどもりません。彼らは敏しょうに動き、暇さえあれば活達な舌廻りで饒舌を楽しんでおります。また、私には10数人の同人雑誌仲間がおります。その同人のほとんどは、巧妙な「語り人」です。私ひとりが、異形の生きもののようにどもるのです。けれど、私は今、みずからの「吃」に向って、かすかな波立ちもない安らいだ気持で対することができます。妻子よりも友人よりも、血のかかわりの濃ゆく感じられる私の「吃」ですが、それより何よりも吃っする「吃」の姿の、なんと変わりに変わってしまったことでしょう。「ニワトリ」と呼ばれたあのけたたましい連発音を、私の「吃」はいつからか、ほとんど漏らさなくなりました。難発の発作の中でふと、涎の流れる錯誤にとらわれ、あごに掌をあてる癖を、私の「吃」はいつからか取り払ってしまいました。どもりぎわに、目玉を中空へ向けてしまうことも、私の「吃」はいつからかやめてしまいました。押し殺し、にがく喘いではおりますが、私の「吃」は今、安らかに、鎮りかえった低音を奏でるばかりです。まどいは、問答は、もうございません。ある日、突然に、「吃」が私から立ち去ってしまうのではないかという不安さえ、この頃の私は覚えます。「吃」との訣別を、私は考えていないからです。今にいたって、「吃」とは、生涯における誇り高き伴侶以外の何者でもございません。
いろいろと、ひとりよがりな体験をしゃべってしまいましたが、開きかえってみますと、所詮、私ひとりの出来事でしかありません。徒労、挫折の多くありすぎたことが悔まれます。これからのわれわれ成人吃音者は、団結することによって、その正当な存在性を「吃」のない社会ヘアピールする必要があるのではないでしょうか。「吃」が理由で、結婚・就職に困難があるとすれば、それは、悲しいことです。「吃」のない社会の中に、吃音者への潜在的な蔑視感があるとすれば、それは許されないことです。吃音者みずからが、その人間形成において、厳しく点検されねばならないことはいうまでもありません。一人一人が、吃人間として自負できる人間に成長していくとき、はじめて、「吃」のない社会へ向って対等しえます。そのためには、「吃」のない社会に、どもりな自分がいる、という意識、吃っすることは不自然であり、醜くく、恥であるという意識を捨てねばなりません。そのような気持ちでどもりを治そうとすることは、結果的には、自己否定になり、みずからをさげすむことになるのではないでしょうか。治るものは、それで結構です。どうしても治らないひとびとは、その劣等意識を助長するだけに終わってしまいます。吃人間は、現代社会においては、おのずから対極的な立場に立たされているのではないでしょうか。そのことを自覚して、立っていくべきではないでしょうか。「吃」を知らない人の庭に咲く花を欲しがることより、吃人間としての花を咲かせることを思うべきではないでしょうか。どもりを治そうとすることより、どもりを基底にしたしあわせを考え、はげんでこそ、より人間らしく、今日的でありうるのではないでしょうか。そうするとき、「吃」ははじめて、醜悪さを失い、独自性を確立してまいります。「吃」は、「吃」自身の力で必ずより素晴らしいもの、より美しいものへ向かって変身していくでしょう。ついにそれはどもらない人たちの持てようはずもない、吃人間の心の楽器となって、霊妙な音調を奏でるでしょう。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/05/19
