『吃』よ、誉あれ

 『吃』よ、誉あれ―このタイトルがつけられた鳥羽稔さんの文章は、何度読んでも色あせることなく、すさまじい迫力で、僕に迫ってきます。それは、今も同じです。この文章を読み返して、幾度となく涙を流しました。ひとりのどもる人の叫びにも似た思いがつまっているからでしょう。
 『吃音者宣言 言友会運動十年』をたいまつ社から出してから49年。僕の原点であるこの本に収録されている3人の体験記を紹介している「スタタリング・ナウ」2011.8.23 NO.204 を紹介します。今日は、巻頭言です。

  『吃』よ、誉あれ
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 私は最近、吃音の講演や講義の時、必ず一冊の本を持ち歩くようになった。これまで持ち歩くことはなく、話の中でも使わなかった本だ。それは、私の著書、『吃音者宣言―言友会運動十年』(たいまつ社 1976年)だ。
 なぜ、この本を持ち歩き、紹介するようになったのか。それは、この本が、長年の私の吃音の苦悩の体験と、その後吃音を治すことをあきらめて、吃音に向き合った10年の活動の整理から生まれた本だからだ。今、あの当時と比べて表現はやわらかになり、説明の仕方は変わってはきたが、基本にある考えは、1970年からまったく変わっていないことに改めて驚いている。
 「吃音を治そう、改善しようとするのではなく、どもる事実を認めて、他者と自分を大切にして、日常生活を丁寧に生きよう」
 一時的な思いつきではなく、40年以上一貫してこのことを主張し続けていることを伝えたかった。40年変わらないのは、私の成長が止まったわけではない。その後、様々な領域からいろんなことを学んだ。世界大会も開いた。世界のどもる人や吃音研究者・臨床家と交流し、議論する中でも、この主張は揺るぐことはなかった。そして、徐々に熟成してきたものだと、確信と誇りがもてた。
 ところが、日本の世界の、どもる当事者も吃音研究者・臨床家も、その多くがいまだに「吃音を治す、改善する、コントロールする」との前提を変えようとしない。私の提案が、一部ではとても受け入れられ、共感されるものの、吃音への対処の大きな流れになっていないことに、不思議な思いと、ある種の失望感に襲われることがある。そんなとき、この本を手にすると、勇気と自信がわいてくる。この本は、私のお守りなのだと、ごく最近それに気づいて、持ち歩くようになったのかもしれない。
 原因も解明できず、「ゆっくり」話すこと以外、治療法らしきもののない吃音。多くの人が治っていない事実に向き合えば、吃音への対処は、これしかないと私には思えるのだ。
 私が創立した言友会と袂をわかって、20年になる。私が今、活動を共にしているどもる人のセルフヘルプグループ、NPO法人・大阪スタタリングプロジェクトでは、この方針に立ち切ってさまざまな活動をしている。この大阪の仲間たちだけでなく、22年続く吃音親子サマーキャンプでもその成果は現れている。私と共通する考えや思いをもつ、ことばの教室の教員が担当する子どもたちの多くが、まぶしいほどに成長してきた。この成果をどのようにして伝えていけばいいか、今後の課題だといえるだろう。
 言友会の10年の活動の中で、どもる当事者の声を結集し、整理して生まれた『吃音者宣言』だが、この本は、今、精神医療、臨床心理などの領域で新しい流れとして注目されている、「当事者研究」の走りのようなものだといえるだろう。私の主張も、伊藤伸二の当事者研究の結果生まれたものだと言える。「吃音者宣言」の文言は、まさに私の吃音体験を整理したものなのだ。
 私がこのような考えに至り、主張を始める前から、私のように考え、生活を送ってきたどもる人はたくさんいたはずだ。しかし、その人たちの体験は、その人のものだけに終わり、後に続く人たちに提示されることはなかった。だから、「吃音を治す、改善する」がずっと主流であり続けたのだろう。
 言友会創立10年目に、私は「吃音者宣言」文を起草し、第10回全国大会で採択された。その解説書のようなものを書かないかと、当時毎日新聞社学芸部の記者、八木晃介(現在花園大学教授)さんが出版をすすめて下さった。はじめ、私は単独で書き始めたが、書き進める中で、このような考えは、何も私だけの独創ではなく、多くの先達がいることを知り、多くの人と一緒にこの本をつくりあげる形に変えた。そのことで、私のひとりよがりが避けられたと思う。
 今回、その『吃音者宣言』の中から3人の体験を紹介する。今、私たちが主張している提案そのものだ。この体験を読むと、私は元気が出るのだ。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/05/17

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