吃音と向き合うこと

 「吃音と向き合う」「吃音をオープンに話題にしよう」、ことばは同じでも、その内容が違うことがよくあります。向き合ったり話題にしたりする相手である担当者や親が、吃音をどうとらえているかによって、吃音の何と向き合うのか、吃音の何をオープンに話題にするのか、が変わってくるからです。
 僕たちは、吃音氷山説でいう海面下にある、吃音の真の問題に向き合い、話題にすることを大切にしています。
 今日は、「スタタリング・ナウ」2011.1.23 NO.203 より、まず巻頭言を紹介します。明日からは、僕たちの仲間である宇都宮市のことば教室担当者の高木浩明さんの実践を紹介していきます。

  吃音と向き合うこと
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「子どもと吃音をオープンに話題にしよう」が、いつ頃から言われ始めたのだろうか。アメリカの「吃音をオープンに」の吃音臨床が日本に紹介され、日本のことばの教室に広がったのだろうか。
 21年前の、1990年、吃音親子サマーキャンプは、言語聴覚士のグループと実行委員会を作って始まったが、プログラムをめぐる意見の違いは大きかった。私たちは「話し合い」を中心におきたいと主張したが、言語聴覚士は、普段つらい思いをしている子どもに、ストレスになる話し合いよりも、楽しいキャンプにしたいと主張した。
 これは、臨床家と当事者の、思いと経験による違いのように当時の私には思えた。
 私たちが吃音の悩みから解放され、どもりながら生きていく道筋に立てたのは、楽しい経験ではなく、自分が悩んできた吃音について、自分のことばで語り、それを誠実に聞いてもらえたからだ。そして、自分を悩ませてきた吃音について学び、吃音は、正体不明のモンスターではなく、自分自身の力で取り組める課題だと知ったからだ。さらに、どもりながら、様々な仕事についている人たちと出会い、自分なりの人生が生きられるという、展望をもてたからだ。
 だから、「どもっていても大丈夫」と思えたのだった。他人からことばで教えられたものではない。
 自らの経験からも、セルフヘルプグループの活動の経験からも、「吃音と向き合う」ことの大切さを実感しているから、吃音親子サマーキャンプの中でも、当然のことのように、「吃音に向きあう、吃音について話し合う」ことを、プログラムの柱にしたかった。学童期・思春期の子どもにとっても、必要なことだと考えたからだ。その後、私たちの影響ではないが、ことばの教室においても、「吃音をオープンに話題にしよう」がずいぶん広がっていった。
 ところが、吃音に悩んだ、当事者の経験から「吃音と向き合う」ことを大切にする私たちと、アメリカ言語病理学の、吃音研究者や臨床家主導の、「吃音をオープンに話し合う」はずいぶんと違っていることを、カール・デルの『学齢期の吃音』(太揚社・1995年)で知った。私たちが、吃音のために自分のしたいこと、しなくてはいけないことから逃げるなどの、マイナスの影響を受けた吃音の問題に直面するのとは違って、どもり方に直面し、どもり方を変えることに終始していた。
 アメリカでスピーチセラピストとして働いた経験のある、広島大学の川合紀宗さんは日本特殊教育学会の自主シンポジウムでこう話した。
 「米国では、言語療法士が臨床において、吃音について話をすることはごく当然のことである。ヴァンライパーは、セラピーのそれぞれの段階で、子どもと吃音について話し合う。しかし、吃音といかにして向かい合うか、将来吃音と共に生きていく場合どうすれば吃音とうまく付き合っていけるか、更に、どもってもいいじゃないか、と吃音を肯定的に受容していく方向への話し合いはほとんど行われていない。言語療法士という役割が大きいためであろう。私は、吃症状の軽減・変容と吃音受容との両面へのアプローチが必要不可欠と考えている」
 私がみた数本のアメリカの吃音臨床のビデオでも、子どもがどもるのをセラピストが真似をして再現したり、随意吃音をして見せたりしながら、どもり方を教えるなど、どもることばかりに話題は終始していた。
 私たちが、吃音についての悩みや苦労していることの対策を考えたり、ジョンソンの言語関係図や、シーアンの吃音氷山説などをつかって、自分の吃音の問題を把握し、子どもが自分の力で吃音と向き合うことに同行するのとは、吃音との向き合い方が随分違う。
 吃音の治療・改善・吃音コントロールを目指す、アメリカ言語病理学と、治すことにこだわらず、吃音とつきあうことを目指すのとの違いだろう。
 高木浩明さんの実践、私たちの実践をアメリカに是非紹介したいと考えている。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/05/13

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