「英国王のスピーチ」感想特集 2
昨日の続き、「英国王のスピーチ」の感想特集です。「スタタリング・ナウ」2011.6.22 NO.202 より紹介します。今日で最後です。
キーワードは「友達」
川崎益彦(大阪スタタリングプロジェクト)
映画の冒頭、博覧会閉会式の場面。主人公のヨーク公が階段を上がっていく。階段を登りきったところにはマイクロフォンがあり、その向こうには大勢の観客がいる。まるで死刑台の階段を上がっていくようだ。そのような状況で、ヨーク公は話し始めた。最初はなんとか声が出たが、すぐに詰まって一言も言えなくなった。なんとかことばを絞り出しても、また詰まって言えない。どもってことばにならない声が、会場に何度も繰り返しこだまする。どれほど辛かっただろう。
映画を見て30年前の僕自身の体験を思い出した。会社の朝礼で大勢の前に立った時のことだ。何とか話し出したが、標語の最初のことばが言えなかった。無理に声を出そうとしても一言も出ず、声にならない。結局標語を一言も読まず、すごすご引き下がった辛い経験だ。「どもって声が出なかったのではなく、どもりたくなかったから言わなかったのでは?」と言われればそれまでだが、とにかく何かを言おうとしても、全然声が出なかったのは事実だ。今でも名前のように言い換えのできないことばを人前で言うのは苦手だ。しかし自由に話すのなら、大勢の前でも平気である。それが、映画のこの場面を見て、久しぶりに人前で話すことがとても怖くなった。
父のジョージ6世がどもるヨーク公にマイクの前で話す練習をさせる場面があった。ヨーク公は父に従って懸命に話そうとするが、どもりが簡単に話せるわけがない。一所懸命に言おうとマイクの前で悪戦苦闘している時、ジョージ5世は「ヨーロッパの半分はヒトラーが、残り半分はスターリンが抑えるだろう」と息子に警告するが、どもりに苦しむヨーク公にとっては、そんなこと知ったことではないだろう。ヨーロッパの将来も一大事だが、自分のどもりの方がもっと問題だ。
”I have a Voice!” 映画の中で僕の一番好きな場面である。ジョージ5世が死に、兄が王位を継いだが「王冠を賭けた恋」の末、王位を弟のヨーク公に譲る。そしてヨーク公は不本意だが王位に就き、ジョージ6世になる。その戴冠式の練習の場面で、ヨーク公専属のスピーチセラピストであるライオネルが王の椅子に勝手に座った時、言い争いになった。ジョージ6世が「自分の言うことを聞け」と怒鳴る。ライオネルは「なぜ聞かなければならない?王になりたくない者のことばを聞くのに、どうして自分の時間を無駄にしないといけないんだ」と言い返す。その時ジョージ6世が先ほどのことばを言った”course,I Have A Voice!”の字幕は「王たる声がある」と訳されているが、予告編では「伝えるべきことがある」と訳されていた。僕は後者の訳の方がいいと思う)。それに対して堂々と王の椅子に座っているライオネルは敬意を籠めて次のように答えた。”Yes,You Do!”(そのとおりです)。
若いころからジョージ6世は癇癪持ちで、自分がイライラするとそのイライラを周囲にぶちまけてきた。王家という家柄に生まれ、堅苦しく自由が利かない環境で育ったのだろうが、反面わがままだったのだろう。それで彼は自分の思い通りにならないと、あからさまに自分個人の怒りを露わにしていた。映画でも周囲を怒鳴るところが何か所もあったが、戴冠式の練習場面での怒りは、個人としての怒りを超えていた。人前でまともに話すことさえできず、自分勝手な兄のせいでしかたなくなった王。ライオネルは見事に、王位に向き合うことを避けてきたジョージ6世の心の治療をした。あのライオネルに怒鳴ったことをきっかけに、ジョージ6世は本物の王になったのだろう。
最後の戦争スピーチの場面を、僕はまるで手術室に入っていくかのように感じた。でもジョージ6世の覚悟は決まっていた。マイクの向こう側にはライオネルがいて、「私に話しかけて」と言う。ジョージ6世が話し始めるのと同時に、BGMでベートーヴェン交響曲第7番第2楽章が静かに聞こえてきた。始まりはまるで葬送行進曲である。ライオネルはまるでオーケストラの指揮者のように、身振り手振りでジョージ6世を助ける。途中から曲がだんだんと明るく力強くなっていくにつれ、ライオネルは動かずにじっと聞いていた。ジョージ6世はライオネルの助けを借りず、一人でしっかりと国民に語りかけていた。
映画を見終わって考えてみた。ライオネルは一体何を教えたのだろう、何を治療したのだろう。顎を柔らかくしたり、腹筋を強くしたり、息を長くしたり、否定的なことばや卑狼なことばを話させて抵抗を取り除いたり、飛んだり跳ねたり転がったり揺れたりといった話す工夫やテクニックをいろいろ教えていた。確かにそれはことばが出てこない時のサバイバルに少しは役立ったようだ。しかし、僕はライオネルがそれでどもりの問題が解決するわけではないことを知っていたのではないかと思う。ライオネルは最初から、たとえ相手が王の息子であっても「対等」という立場を強調していた。最初は不本意だったジョージ6世も、途中からだんだんとライオネルのことを「友達」と感じていく。これは、ライオネルが専門家だから出来たのではない。そして、戦争スピーチが終わった時、ジョージ6世はライオネルをはっきり「友達」と呼んだ。そう、どもる人にとって、大切なのは、専門家・どもる人にかかわらず、自分の状況や苦悩をよく理解してくれた上で、時には厳しいことばで応援してくれる友達、仲間が最も大切なのだ。
僕にとってのライオネルは、まさに大阪吃音教室である。そこには自分の辛さ、苦しさを理解してくれる友達がいる。どもりながらでも日常の生活を誠実に暮らしている仲間がいる。僕だったら恐ろしくてとても出来ないと思う場面でも、逃げずに立ち向かっている仲間がいる。現在の僕は、そのような大勢のライオネルに囲まれている。
ここで、映画を見て僕が少々心配に感じたことがある。僕にとっては、必死にどもりをコントロールしながらでも王としての責務を果たしたジョージ6世に喝采を送りたいが、どもらない人や、どもりを何とか治したいと思っている人がこの映画を見たら、違った見方をするのではないだろうか。
例えば、ライオネルのような良いスピーチセラピストについて努力すればどもりは治る、あるいは、どもりを治すためにはいいセラピストにつかないとだめだ、という見方だ。また、相変わらずどもっている人は努力不足だ、と言う人もいるかもしれない。
この映画は昨年末から国際吃音連盟(ISA、International Stuttering Association)で大きな話題になり、未だに世界中の国々でこの映画について議論されている。ISAの目標、ゴールは”A World that understands Stuttering(吃音を理解する世界)”。
この映画は、世界中で吃音やどもる人についての理解を深める上で、とても役に立っている。
吃音への深い理解
西田逸夫(大阪スタタリングプロジェクト59歳)
映画を観にゆく前日、YouTubeで、ジョージ6世による第2次世界大戦の開戦スピーチを聞いた。ゆっくりとした口調。ところどころに入る独特の間が、スピーチに威厳を与えている。初めて聴くはずなのに、どこかで聴いたような感じがする。
しばらく聴いていて気づいた。我々の世代なら何度も聞かされた、昭和天皇の玉音放送、第2次世界大戦の「終戦の詔書」(しょうしょ)朗読に、通じるところがあるのだ。流暢ではない。力が溢れているわけではない。けれども人に耳を傾けさせ、訴えかける力を持っている、そんなスピーチ。声と話しぶりに親しみさえ感じて、翌日観る映画への期待が高まった。
映画は、スピーチの場面で始まる。主人公のヨーク公(後のジョージ6世)が、父王の名代として、大観衆を前にしてのマイク放送に臨む。大きなスタジアムの放送ブース。プロのアナウンサーが、入念に準備し、それでも話す直前には緊張する様子が描かれる。一方、ヨーク公は、スタジアムの通路を抜けて、大観衆の待つ場に姿を晒し、大きなマイクの前に立つ。ほとんど何の準備もなしに、それどころか大きな不安を抱えたままで。身につまされる場面だ。画面を正視したくない気持ちで、それでも眼は、画面に吸い寄せられる。この場面で私は、すっかり映画の物語の中に「入り込んで」しまった。最後の場面に、我に返るまで。時にはヨーク公の側に、時には言語療法家のライオネル・ローグの側に身を置きながら、映画の物語の世界に浸っていた。
物語はやがて、開戦スピーチの場面に移る。時間の許す限り練習して、スピーチ専用に設けられた防音室に入る。目の前にはマイクと、信頼できる間柄になったライオネルだけがいる。時間が来て、スピーチの朗読を始めると、ライオネルが身振り手振りいっぱいに、コーチしてくれる。読みづらい個所を次々と乗り越えるうち、自分のペースのようなものがつかめ、スピーチに専念できるようになって来る。ライオネルも身振りをやめ、じっと耳を傾けている。
私はふと、このスピーチは聴いたことがある、と感じた。声は紛れもなく、主演のコリン・ファースの声なのだが、ゆっくりとした口調も、区切りごとの間も、時折のためらうような息づかいも、前日に聴いた英国王ジョージ6世の開戦スピーチにそっくりだと気づいた。もちろん何度も何度も入念に、このスピーチの練習をしただろう。でも、映画の中のスピーチは、表面的に言葉や口調を真似するレベルを遙かに超え、スピーチするジョージ6世の思いの熱さ、揺れる心境を、見事に再現している、少なくとも再現しようとしていると、私に伝わって来た。
映画が終わってエンドロールを眺める私に、印象深い場面が次々によみがえって来た。思い出すどの場面でも、コリン・ファースが、どもりに悩む人に起こることを懸命に描き出していた。言葉づかいや口調はもちろん、表情も、しぐさも。
映画冒頭のスピーチでの、言葉が詰まって出て来ない焦り。初めてライオネルに出会った時、激高して思わず出る言葉は滑らかなのに、ちゃんと何かを伝えようとすると言葉が出て来なくなるもどかしさ。兄に抗議の熱弁を奮っていて、吃音を指摘されると途端に黙るしかなくなる悔しさ。
映画の最後のスピーチでも、ためらっているかのように聞こえるけれどもそれは、その言葉を口にするのをためらっているのではなく、どのタイミングで声を出すか、今この瞬間に出すのか、ほんの一瞬後に出すのかとためらっている、その微妙な差。スピーチを無事こなして安堵しつつも、これからもスピーチする機会があると思い出した時に、ほんの少し頭をよぎる不安。それらが、見事に再現されている。そして思った。吃音への深い理解なしに、出来ない演技だと。
考えれば、主演俳優が理解しているだけで、このような映画が実現するはずはない。脚本家も、監督も、映画に携わる主要な人々が吃音を深く理解してくれてこそ、この映画が出来たのだ。そのことに気付き、心を揺さぶられた。
私のような年配者はほかに見あたらず、ホールのカウンターでこの映画のパンフレットを購入したのは、私一人だった。吃音の物語を観に来た人は少ないように見えた。アカデミー賞受賞作だから、デートの話題作りに観に来た、そんな人が大半だと思えた。でも、吃音のことをこの日、この人たちに少しでも知って貰えたことも確かだった。この映画を観た人たちが、自分の障害や弱さと、人に隠すのではなく、克服するのでもないしかたで、つきあえるようになって欲しいと思った。
2度目に映画を観た時は、1度目よりは年齢層が上の、映画を観なれた様子の人たちが多かった。
2個所、前回観た時に、原語ではどんな言葉を使っているのか気になっていたところでは、耳を澄ませた。1個所は、ジョージ6世の王妃(現女王エリザベスのお母さん)が言った「素敵な吃音」というフレーズ。これは、”You stammer beautifully”だった。婚約前のヨーク公のことを思い出して、そう表現している。どもる仲間を、どんなに勇気づける言葉だろう。2個所目は、戦争開始スピーチが終わった後の、ライオネルとジョージ6世のやり取りだ。スピーチを無事終えて安堵した表情を見せるジョージ6世に、ライオネルがこう言う。「”W”で少しどもりましたね」「僕だということが分かるようにしておかないと」
これは、この時に実際にこの2人の間で交わされた会話らしい。多分、ジョージ6世は、気が緩んでこの言葉を思わず口にしたのだろう。そんな、思わず漏らした言葉に、本心が現れることはよくある。ジョージ6世があんなに治したいと望んでいた吃音が、ここでは自分自身を特徴付けるものになっている。すでに治す対象ではなく、克服の対象でもなく、隠すどころか「今ラジオで話したのは確かに私だ」と、自分の存在を明かすものになっている。
吃音は、相変わらず厄介なものに違いないが、この時にはもうジョージ6世にとって、自分の一部になってしまっている。館内では、開戦スピーチの場面、ジョージ6世が言葉に詰まりそうになって「ファック、ファック、」と声には出さず繰り返す個所で笑い声がおこるなど、私の周囲の観衆も、描かれた物語を楽しんでいる風だった。映画が終わって、劇場の明かりが灯る。拍手こそなかったが、映画を堪能したというような空気が漂っている。出口に近づいて行くと、若い女性が席に深々と腰を下ろしたまま、連れにつぶやいているのが聞こえた。「私、めっちゃ感動した。この映画」
吃音のことが、どれだけ伝わったかは分からない。それでも、どもりの問題に直面する人の姿が、他人の気持ちを動かす場に立ち会えた事は嬉しい。他人からはささいなことと思われるかも知れないような、自分の弱点に立ち向かう人の姿が。
誰かがこの映画を評して「小さな物語」だと言ったそうだ。「小さな物語」、ある意味でそう言えることは認めよう。そんな物語が大きな賞を獲得したのは、繊細で微妙な局面を描いたこの作品が、多くの人の共感を呼ぶことが出来たからだろう。今はやっと、そんな時代になった。そのことを素直に喜びたい。
当事者と援助者の関係への一考察~「英国王のスピーチ」によせて~
坂本英樹(向陽台高校教員)
ライオネルはセラピストとして自信に満ち、王族にとっては無礼な、ごく自然な、親しみやすさで、ヨーク公の前に現れる。「治療」という言葉が適切かどうかは別に、「治療」の前提として「対等」と「信頼」の関係を二人の間に求める。
ライオネルのセラピストとしてのあり方、哲学は、第一次世界大戦で生じた「戦争神経症」によって言葉を失った兵士たちに対する治療経験から学んだものである。この症状はベトナム戦争を経て現在では、PTSD=心的外傷後ストレス障害として理解され、阪神・淡路大震災を契機として広く知られるようになったものである。
ライオネルが出会ったのは、戦場における言語を絶した体験からストレスのあまり言葉を失い、その体験を身近な人々にさえ理解されずに、抑鬱的になり心と言葉を閉ざしてしまった兵士である。
災害から生還した人々をサバイバーと呼ぶが、彼らは災害体験以前と以後とでは、自分の人間性が変わってしまったと感じ、何事もなかったかのように日常生活を送る人々と自分とがもはや同じ世界に属しているとは思えなくなってしまう。この絶対の孤立感と人間不信、時、所を選ばずにまるで今現在の出来事であるかのように鮮明に甦ってくる災害時の恐怖に満ちた記憶とそれによる心への傷やさまざまな身体症状に悩まされる。それは第一次世界大戦のみならず、「ホロコースト」、「ヒロシマ」、「ナガサキ」等々の報告、証言からも明らかなことである。
サバイバーとの治療的関係を構築するなかで、ライオネルは彼らにはその体験を語る権利があること、自分にはその言葉を否定することなく誠実に受け止める用意があること、何よりも彼らの苦しみに寄り添う存在であることを伝えたであろう。
私はあなたの友人としてあなたの話が聴きたい、声が聞きたいのだ、あなたは安心して私にその体験を語っていいのだと。おそらくこのような関係のなかから、ライオネルは「対等」、「信頼」、「誠実」というような、セラピーの方法というよりもあり方を学んだのではないかと想像する。
しかし、ライオネルのヨーク公との関わりは自らの哲学に忠実なものであっただろうか。どもりと向き合うためには自分自身と向き合わなければならないとして、ライオネルはヨーク公自身に対するパーソナルな問いを重ねていく。その過程でヨーク公の幼いころの満たされなかった思いや、英国社会の精神的リーダーというイメージを人々に抱かせる厳格な父王と自由闊達で陽気な兄に対してもつコンプレックスが明らかにされるのだが、実はライオネルも自らの人生に悩みや課題を抱える人であったのだ。
オーストラリアから宗主国に渡って来た彼は、シェイクスピア俳優として舞台に立つことをあきらめきれずに、セラピストをなりわいとしての日々を過ごしている。「リチャード3世」を演じることのできなかった彼のもとに未来の王候補がやってきた。セラピストとしての仕事を誠実にこなしつつも、ライオネルの心にふと暗い欲望がわいてしまう。自らの願望をクライエントであるヨーク公に重ね、「王になれ」とけしかけてしまうのだ。
ここに援助者の役割を担う人、一般に○○士や○○師と呼ばれる人々が陥りやすい罠がある。ヨーク公との関係がいったんは破綻した理由を、彼は自分の影におびえている、自らの役割を引き受ける勇気に欠けているとこぼすライオネルに、賢明な妻は「それはその人が願っているのではなく、あなたが願っていることなのでは?」と諭す。
ライオネルはこの言葉に促されて内省する。そして、ヨーク公を自らの満たされなかった願望の道具としようとしていたこと、ある種の支配欲をもって接していたことに気づく。彼は「投影」とでもよべる心の働きをもっていたのだ。その人自身の道を歩めるように援助するセラピストとしてのあり方を踏み越えてしまっていたのである。
ライオネルが悟ったのは、「対等性や当事者性のない専門性は、苦戦する人をさらに傷つけることになりかねない」だ。(『親、教師、言語聴覚士が使える、吃音ワークブック』解放出版社pl36)。
ヨーク公を傷つけ、そのことに傷ついた自分を発見した。この洞察が王族であるがゆえにある意味でより傷つきやすい側面をもつヨーク公への人間的共感を深いものにし、「対等」と「信頼」の治療関係をも深化させたのであろう。
この映画はヨーク公が吃音とどう向き合うかという物語であると同時に、ライオネルのセラピストとしての成熟の物語でもある。また、そうした二人を支える妻の、そして夫婦の物語なのである。身分の違う二組の夫婦がライオネルの居間で出会う和解と友情のシーンが、それを象徴している。
物語冒頭の演説に比べ、開戦スピーチでのジョージの息は深いものだった。伝えるべき言葉と、自らの声をもったがゆえである。ライオネルのセラピーの柱もこの点にあった。大阪吃音教室も同様であろう。「w」の発音を自分だとわかってもらえるためにわざとどもったとユーモアを発揮するジョージ。そのどもりとの付き合い方、サバイバルの仕方にはたくましささえ感じられる。これも大阪吃音教室の柱であろう。
演説後、人々の歓呼に応えるためにバルコニーに立つジョージ6世の、「あなたは勇敢な人だ」、「自分の道を生きている」とライオネルに言わしめた責任感に満ちた顔、激動の時代を耐えることを覚悟した成熟した大人の顔が、そのことを証明している。
昨年の秋からどもりを自覚し、悩み始めた小学6年の娘をもつ私は、親という当事者であり、援助者、支援者の役割をももつ。これから子どもから大人になりつつある彼女の課題にどのように本人とともに向き合っていくのか。彼女自身と私たち家族が紡ぐ物語は始まったばかりである。
私がどもらない人間でありながら、どもる当事者のセルフヘルプグループの例会である、大阪吃音教室に通い続けることは、その支えとなるだけでなく、私自身のあり方を問うことにもなるだろう。私も彼らのように成熟していきたいと思う。(了)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/05/12