特集 英国王のスピーチ~脚本家と主演男優~ 2

 昨日の続きです。今日は、映画「英国王のスピーチ」でジョージ6世を演じた主演男優のコリン・ファースと、イギリス吃音協会の会長であるノバート・リックフェルトの対談を紹介します。(「スタタリング・ナウ」2011.5.23 NO.201 より)
 映画の話というより、吃音の話がいっぱいで、普通のインタビューとは異なり、一味違った対談になっています。

特集 英国王のスピーチ
~脚本家と主演男優~ 2

  コリン・ファース、吃音について語る
                      イギリス吃音協会会長
                      ノバート・リックフェルト

 「英国王のスピーチ」は、イギリスでは1月に一般公開されました。ジョージ6世を演じたコリン・ファースが、イギリス吃音協会会長のノバート・リックフェルトと、この映画について語っています。

ノバート・リックフェルト(以下NL):あの映画で、実に見事に吃音が表現されているのに感動しました。ブロックで声が出なくなる、私がまさにそうなのです。映画でブロックの場面になると自分のことのように緊張して正直とても疲れました。あんなに完壁にどもれるなんて驚きです。

コリン・ファース(以下CF):それはよく言われます。現実に吃音と格闘している人達がいるわけですから、出来る限り正確に演じなければいけないと思っていました。そしてたくさんの人が吃音のことで悩んでいるのを知って驚きました。「私もどもります」とか、「昔、どもっていました」とか、「兄弟がどもります」とか、「従兄が」とか…。

NL:イギリスだけでも75万人程います。でも見た目にも聞いても分かりません。あなたが私と道ですれ違っても、私がどもりだとは分かりません。私と話したとしても、おそらく気づかないでしょう。ですが、人と話すとき、私は目をそらします。目が合うと緊張してしまうのです。電話ではどもらないのですが、でも出来るだけ電話は使わないようにしています。それは体に染みついた行動パターンで、どもる人の思考回路です。

CF:不思議ですね。そのあたりのことはよく分からないので、ぜひ教えてください。ご存知の通り、この映画の脚本を書いたデービッド・サイドラーはどもる人ですが、普段はほとんどどもりません。でも吃音の話をし出すと、どもり始めます。そして奇妙な事に、私も吃音のことを話すと、ブロックやことばが出にくくなるということがあります。

NL:話し始めるときにことばにつまるというのは、どもらない人でも普通にあることですが、それとは違う非流暢性があります。精神分析が広まる前は、器質的に問題があるということで、舌を切る手術が行われたこともありました。しかしジョージ6世の時代はフロイトの考え方が主流だったので、親の育て方に原因があると思われていました。現在は、脳のスキャンによって、3、4歳のときに脳に何かが起こってどもり始めるということが分かっています。私は今このように流暢に話していますが、おそらく私の脳は今、どもらない人と同じように機能しているのだと思います。いったんどもり出すと、脳の別の部分が突然活性化するのです。このように、器質的な原因が根底にあることが分かっていて、神経系統の問題が発話を不安定にさせているのです。そのバランスはいとも簡単に崩れてしまいます。

CF:ということは、それを解明すれば吃音は克服できるということでしょうか?

NL:現時点では、この所見から出来ることは何もありません。だけども、不安症や神経症が原因でどもるのではないということは出来ます。「治すために何とかしなければ」といった単純なことではないのです。

CF:だとすると、あなたはローグがひそかに行っていた精神分析は間違っていたと思いますか?

NL:いいえ、それで私自身助けられましたから。ローグは気づいていなかったように思うのですが、吃音というのは、動かすことのできない事実なのです。成人のどもる人にとっては、吃音は体の一部になってしまっています。感情が発話のプロセスを不安定にしているのですが、それに対処することは可能です。

CF:それであなたはどもって声が出ないときでも、恐怖をあまり感じないのですね。

NL:そこがあの映画の素晴らしいところです。国王は吃音に向き合うことで、少しずつ楽になっていくのがとてもよくわかります。吃音が大きなストレスになると、脳はそれに対処できず、吃音モードに入ってしまいます。吃音のことをあまり気にせずにリラックスできれば、それがクッションとなり、余裕が生まれます。

CF:そうすれば対処できるということですか。

NL:その通りです。これこそがあの映画の私たちへの的確なメッセージです。

CF:それを聞いてほっとしました。というのも、英国王室がこの映画を見てどう思うかという質問をずっと受けていたので、実は不安に思っていたのです。今も親族がいらっしゃるので気を使います。それにローグの家族がどう思われるかも心配でした。ローグのお孫さんが昨晩プレミア試写会に来られていましたが、制作権のことも含めまったく問題はありませんでした。それよりも、これまで吃音を取り上げた映画のほとんどが、あざけりの対象やコメディーとしてしか吃音を扱っていなくて、正面からこの問題に取り組んでいないことはよくわかっていましたので、実際にどもる人達がこの映画をどう受け止めるかということが最大の気掛かりでした。

NL:真似るってことですね。

CF:その通りです。世間では真似をしてはならない苦しみや障害が数多くあります。吃音は俳優が真似てもいいようなものなのかどうか。

NL:今もそうなのですが、我々はそれと闘っています。吃音は重大な問題です。うつ的になったり、いじめられたり、いろいろなことがあります。

CF:私は滑稽だと思ったことなど一度もありません。そう考える私が真面目で徳が高いからとかそういうことではないのです。私がどもる人を演じたのはこれで三度目です。懸命に演じていると、体得するものが必ずあります。体の一部がその人物になり切るのです。その人が実際にしていることを出来るだけ演技っぼくならないように演じるのですが、必死に努力すると身体にも影響が現れます。この映画では、まるで二つの人生を生きているようでした。どもることを体で覚えながら、同時にどもらないよう必死に努力している人を演じなければならなかったのです。

NL:それはどもる人が毎日経験していることです。

CF:そうなんでしょうね、この状態で生きるなんて想像もできません。それと奇妙なことに、左手が動かなくなりました。きっとすごく緊張していたのでしょう。特に長いセリフの場面では、何かを封じ込めて、神経をすり減らしていたに違いありません。その麻痺のような状態は3、4日続きました。身体が闘っていたのです。
 その頃、記者発表やら、もう一つの映画のプロモーションやら、移動も多くありました。ブロックはなかったのですが、確かに何か話すことに違和感があって、流暢に話せなくなりました。デレク・ヤコービという俳優は、重度の吃音者を演じて有名になったのですが、「どもる人を演じていると、影響されて本当にどもってしまうことがある。でも仕事が終われば消えるから心配しなくていいよ」と話してくれました。

NL:あの映画では、見事に吃音が描かれているので、いろいろな人に映画のことを話すのですが、未だに鳥肌が立ちます。「クラッカー」という映画のように、狂気じみたサイコパスをドラマチックに描くために吃音を取り上げたりしている映画が多いのですが、「ごく普通にあること」として描いているのはこの映画が初めてです。
 確かに吃音は困った問題があったりするのですが、ちょっと変だとか、精神的に不安定だということではないのです。

CF:普段の生活が公的だという人は、それほどありません。パトリック・キャンベルという俳優は、みんなから愛され、話し上手で、どもる人達のモデルとして勇気づけていたと思います。彼は本当にどもっていたのですね?

NL:そうだと思います。

CFパバトリックはウイットに富んでいて、「何とかの~」などという烙印も押されていなかったようです。国王のジョージ6世が子どもの時に体験したことは、物覚えが悪いとか、スムーズに話せないためにウイットに欠けると周りに思われたりしていたのだと思います。私は彼について書かれた本を読みましたが、王室の一員を演じるというのは大変なことです。しかも国王クラスの人となると、一緒に行動するわけにいきませんからね。
 もし私が医者を演じるなら、病棟を医者と一緒に歩いたり出来ますが、国王や女王に一緒にうろうろする時間を割いてもらうことはあり得ないわけです。なので、間接的に情報を得なければなりません。兄のエドワード8世(デビッド)に関する伝記は数多くあります。魅力的でロマンチックな人物として描かれています。それに対して弟のジョージ6世は、内気で、退屈で、頭の鈍い弟と特徴づけられています。彼の書いたものや手紙を読むと、自分を馬鹿にしたり、皮肉っぽいところなどが見られ、映画にもたくさん出て来ます。
 ローグが「Wがまだどもっていましたね」と言ったのに対して、ジョージ6世が「でないと私だとわからないからね」と応える二人のやり取りは、ローグの日記から見つけました。是非とも、台詞に入れなければと思ったのです。日記を読んでいて、彼は吃音のせいで劣っているように誤解されていたのではないかと思いました。

NL:吃音は能力を見えなくします。どもっていると知性が無いように思われてしまうことがあります。吃音というフィルターを通して人は見てしまうのです。

CF:20代の頃ですが、声が出にくくなったことがありました。声帯に傷があったようで、手術が必要でした。吃音ではなかったのですが、人と話をしていてもきちんと相手に聞こえなかったのです。ヴォイス・セラピストが「この症状を甘く見たらダメですよ」と言っていました。
 人は、目が見えないとか耳が聞こえないといったことは正しく理解しますが、きちんと話せることが当然と思われている中で、話せないということが、いかに心理的なダメージを与えるかが理解されていないように思います。私は話すのが好きですし、このように二人で話すのであれば問題はなかったのですが、三人以上人がいたり、音楽が鳴っていたら、私の声は届きませんでした。思うように会話に割って入ることも出来ず、言いたいことも表現できずにいました。私は完全にアイデンティティを失っていました。ですからどもる人の気持ちもわかるような気がします。

NL:オーストラリアで、就学前のどもる子どもを対象にある研究が行われました。子どもはみんなリュックを背負わされていて、どもる子どものリュックにはマイクが入っていました。休み時間にその子が他の子どもと交わすやりとりがすべて録画されました。例えばその子がどもった時に、他の子どもがほんの一瞬、目をそらしたとか、先生でさえ目をそらしたといったような、子どもがコミュニケーションを通してネガティブな反応を受けた回数を記録するのです。まさに、「君はうまく話せないね」「君はうまく話せないね」としずくが落ち続けるようにインプットされるのです。そして絶え間なく積み上げられていくのです。どうして国王があのように恐怖心で固まっていたのかよくわかります。

CF:子どもの左利きを直すのに手をたたいたりしますね。たたかれると人とコミュニケーションが取れなくなってしまうこともあるようですが。

NL:確かに。ただ、それがどもる原因ではないと研究者は言っています。

CF:それが主な原因だとは思いません。結果として起こる問題ですよね。

NL:脳に負荷がかかったということですね。

CF:国王の癇癪持ちはそういうわけだったのですね。本当にひどかったですね。それとあの長い沈黙ですが、永遠に続くかのように感じられたでしょうね。自分ではどうにも沈黙から抜け出られないのですから。

NL:その通りです。まるで脳に稲妻が走ったような感じです。後になってどうして抜け出られないのかと思うのですが、どうにも出来ません。映画を観ていて、その気持ちがとてもよく伝わってきました。

CF:そう、その沈黙の恐怖。俳優としての自分に置き換えて想像していました。とてもリアルで、地獄のような沈黙は本当によくわかりました。
 私が面白いと思ったいくつかの場面を詳しく見てみたのですが、あの言語訓練など、どれだけ大変かよくわかります。デービッド・サイドラーは、まるで水中でおぼれて窒息するような感じだと話していました。国王のスピーチの中で最悪の「間」がありましたね。これはセラピーを受けた後によく起こるようですが、国王はその「間」に直面して落ち込みます。ここが大事なところです。彼の真似がうまく出来たということよりも、感じ取ることが出来たということの方が大事でした。注意して見てみると、まず落胆している様子がわかります。そしてそれほど悪くないのではと期待するのですが、やがてそうではないとわかります。そして、沈黙を解いて、目を閉じて、気持ちを落ち着けなければと思うのです。そして、もう一度やってみるのですが、やはりうまくいきません。そしてその時に、これは永遠に沈黙が続くのだと思ってしまうのです。だけど、やがて、どもる人がみんなそうであるように、国王も長い沈黙から抜け出ます。彼が前に向かって行くのを見て、本当に勇敢だと思いました。本当の英雄です。

NL:映画ではそのことはとても強く伝わってきました。与えられた課題があったとして、私はやり遂げられないかもしれませんが、やるつもりです。私の義務です。

CF:国王自身が自分の勇敢さに気づいていないというのも感動的です。ローグが「バーティ、(国王をこの愛称で呼んでいた)、あなたは素晴らしい忍耐力をお持ちです。あなたほど勇敢な人はいませんよ」と言ったとき、バーティは自分を勇敢だなどと夢にも思っていなかったでしょう。彼にとってそれまでの経験は恐怖でしかなく、ましてや彼の発することばすべてに価値があるなどと夢にも思わなかったでしょう。

NL:後にチャーチルが国王の告別式で、「勇気ある人」とひと言添えて花輪を献げました。意を得たことばです。

CF:本当にそうです。国王の吃音が治っていなかったのは事実ですが。

NL:それは私たちにとってとても重要な点です。

CF:監督のトム・フーパーは、そのことに強くこだわりました。そうでなければ、ウソです。国民はバーティのスピーチを聞いて徐々に彼に好意を寄せるようになったのです。当時、魅惑の皇子デビッドだけでなく、偉大な雄弁家チャーチルや、メディアやラジオを使って大衆を洗脳したヒトラーやムッソリーニが肩を並べていた時代です。
 そこに、一言も話せない男が登場するのです。爆撃にあった人、防空壕に避難している人、病気に苦しんでいる人、悲嘆に暮れている人など、様々な苦境にある人たちにとって、仕事といえば単にラジオの前で演説するだけで、ベルベットのふかふかとしたソファに腰掛け、銀の食器に囲まれている人というのは、彼らにとってどういう意味があるでしょう。しかし、その国王が、とてつもない恐怖に立ち向かいながら、国民に語りかけているのです。人々は寛容と連帯を訴える国王の声を確かに聞いたのです。

NL:確かに聞いていました。私が話を聞いた人たちも言っていました。国王が懸命にことばを振り絞って演説しているのを聞いたことは、とても大きな意味があったと。

CF:そうです。国王は人々の苦しみと共にいたのです。これはまさに象徴的な出来事です。そしてこのこと自体、吃音とは関係がないのです。これは、仕事への強い野望を持ち続け、大量虐殺を引き起こすことになったヒトラーとは対極に位置し、仕事への野望を持たなかった国王の真実なのです。
 ところで、インタビューの応えになっていたでしようか。

NL:実にたくさんのお話を聞かせていただきました。

CF:とても楽しかったです。ありきたりのインタビューではなかったので嬉しいです。お互いに関わりのある内容ですから、このように深く分かりあうことが出来て、どれほど安堵したかことばにならないぐらいです。本当に嬉しいです。
 さっきもお話ししたように、かつて吃音を演じた時は、どもる真似以外の何ものでもありませんでした。まったく問題の本質に触れていませんでした。「雨の三日間」という今回と同じようなテーマを扱った演劇に出演したのですが、とても面白く、二部に分かれていて、三人がそれぞれの親について話すのです。私の役には妹がいました。滅多にしゃべらない自分の父親、まさに沈黙の人についてそれぞれが話します。そして、30年さかのぼってそれぞれの親を演じるのです。そこで初めて父親がどもっていたことに気づくのです。子どもの時はわからなかったのです。そしてもう一人の父親は、第1次世界大戦の退役軍人で、吃音は治らなかったけれども、精神的に癒されるというものでした。
「英国王のスピーチ」は、吃音のために持てる能力がいかに倭小化されるかを表した初めての映画だと思います。

NL:同感です。(了)
   (訳:進士和恵・川崎益彦 原文:イギリス吃音協会ホームページより)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/05/08

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