特集 英国王のスピーチ~脚本家と主演男優

 吃音がこれまでになく大きく取り上げられた映画「英国王のスピーチ」。脚本家と主演男優のインタビュー記事を紹介します。特に、脚本家のデービッド・サイドラーは、自身もどもる人で、その自分の経験が、映画の中で生きています。「スタタリング・ナウ」2011.5.23 NO.201 より紹介します。まず初めに、脚本家へのインタビューです。

特集 英国王のスピーチ
~脚本家と主演男優~ 1

 日本では、2011年2月26日に公開されてから、ロングランの上映を続けている、アカデミー賞の主要部門を独占した映画「英国王のスピーチ」。
 今回は、脚本家であり、吃音のデービッド・サイドラーと、主演男優のコリン・ファースのインタビューを紹介します。とても興味深い内容になっています。
 吃音が世界的な広がりをみせて、これほどまでに大きく取り上げられ、人々の話題にのぼったことは、かつてなかったことでした。「国際吃音年」とも言えそうです。映画を観ての感想をたくさんの方々が送って下さいました。様々な思いでこの映画を観られたことが、感想文から読み取れます。
 日本吃音臨床研究会としても、もう少し特集を組んでみたいと思っています。

  「英国王のスピーチ」誕生の秘話
            脚本家、デービッド・サイドラー

インタビュアー(I):オスカー候補発表の前夜です。「英国王のスピーチ」の脚本家、デービッド・サイドラーさんにお聞きします。「英国王のスピーチ」はとても興味深いストーリーです。多くの人がこのエピソードを知っていたにもかかわらず、これまでほとんど語られてこなかった話をなぜ、映画化しようと思われたのですか? その裏話を聞かせて下さい。

サイドラー(S):まず、この脚本を書くに至った背景には、私が3歳から16歳頃までひどくどもっていたことがあります。幼い私にとってジョージ6世はヒーローでした。両親は私にこう言いました。
「王様の演説を聞いてごらん。おまえよりもずっとひどかったんだよ。今でもどもっているけれど、こうやって自由主義の国々を結集するために開戦のスピーチをしているんだ。立派な演説だ」。
幼い私にも、彼が国王として演説していることは分かりました。敵味方関係なく、世界中の人が彼の一言一句に耳を傾けていたのです。とても勇気ある行為です。たくさんの希望をもらいました。

I:脚本を書くにあたり、数々の資料に目を通された中でなにか驚くような発見はありましたか?映画では、国王との友情が描かれていますが、特に王室の周辺の人たちが見聞きしたことで、驚くようなこととかありましたか?

S:難しい質問ですね。なぜなら、ジョージ6世の吃音のことはあまり知られていなかったからです。秘密にされていました。もちろんイギリスの大衆は国王の吃音について知っていました。しかし誰もそのことを話さなかったし書かなかった。
王室ができるだけ隠そうとしたのも当然のことです。当時は、アメリカ大統領がポリオでやせ細った足を覆い、人前に見せることなどなかった時代です。弱点と見られていたからです。吃音は「言語障害」と呼ばれていて、「障害者」とみなされました。英国王が障害者というわけにはいきません。ですからできるだけ隠されていたのです。

I:ローグとジョージ6世のやりとりについては、残っている記録を脚本に書き起こすというだけでなく、国王との友情については、あなたが一部分創作されたそうですが、それはどのようなきっかけでしたか?

S:密室での二人の会話は記録に残っていませんし、証人もいませんから少ない情報をもとに想像を働かせました。私はローグがフロイトを読んでいたと証明できませんが、彼の治療法がカウンセリングであったことは確信しています。実際、その裏付けを意外な人物から得ることができました。
私には、かつての私のようにどもっていた叔父がいます。私はこの脚本の執筆中、ロンドンのセント・ジョンズ・ウッドにある叔父のアパートの一室を仕事部屋として借りていました。叔父も脚本に興味を持って読んでいたので、映画についてすっかり詳しくなっていました。撮影が始まる少し前、叔父がいろいろと思い出したのか、これまで話さなかったことを話し始めました。
「あの男、オーストラリア人で、名前はローグだったよな。わしは子どものころに何年も彼のところに通っていたことがある。親父がジョージ6世のスピーチセラピストのところに行かせようとしてな。でもまったくの無駄だったよ。ナンセンスもいいとこだ。あの男はオーストラリアのまやかし者だったんだ。何の専門的な知識も持たず、自分の両親や子どもの頃の話ばかりして、わしにも同じことを話させただけだ」。
そういうわけで、ローグのセラピーはカウンセリングだということは分かっていました。治療法のことも分かったし、クライエントであるジョージ6世がどんな人物であったかについては、膨大な数の本に書かれていて読み切れないぐらいです。そういうわけで、事実を基にした推測、ということになります。

I:コリン・ファースの演技は見事でした。彼が演じたジョージ6世の知られざる苦悩や憂いはあなたが思い描いた通りのものでしたか? あなたが伝えようとしたことを演じていましたか?

S:まさにその通りです。私はとてもラッキーでした。ジョージ6世をコリンが演じることに決まったとき、こう思いました。「コリンは素晴らしい俳優だが、ジョージ6世にはちっとも似ていない」。
 でもリハーサルが始まるとすぐに気持ちが変わりました。「これはすばらしい」。コリンは完全に役をものにしました。彼は自らジョージ6世を創り上げたのです。似ている似ていないはもはや関係ありません。コリンはジョージ6世そのものでした。彼の名演技に値する賞を期待しています。

I:既に話題の的ですね。ジョージ6世の妃を演じた、ヘレナ・ボナム・カーター。私には物語における彼女の役どころがよく見えなかったのですが、いつも国王のそばにいて支えていましたね。

S:極めて重要な役どころです。物語の中心であるジョージ6世とローグに比べると明らかに画面に映る時間は短いのですが、彼女の存在には大きな意味があります。ジョージ6世はイギリスとヨーロッパのありとあらゆるスピーチセラピストに診てもらったのですが、すべて失敗に終わりました。
彼は打ちひしがれ、「もうおしまいだ。一生どもりながら生きていかねばならない」と言います。
妃は気丈な女性で、夫をとても愛していました。彼が沈黙を破らなければならない時がいつか来ると思っていたようです。そしてついにローグにたどり着いたのです。治療セッションは大抵、国王とローグの二人きりでしたが、彼女が入ることもよくありました。特に呼吸法だとか横隔膜を鍛えるトレーニングなど技術的なセッションの場合は、彼女も入って一緒にやっていました。
その後、国王がスピーチをする際にも、ローグや時には首相のウィンストン・チャーチルとも密に連携を取りながら夫を助けました。チャーチルはジョージ6世のほとんどのスピーチ原稿を書いたのですが、妃がその原稿に目を通して「このことばを変えて下さい。夫はこの言い回しが苦手なんです」などと指示しました。
彼女はつねにジョージ6世のそばにいました。著名な歴史家は彼女のことを「溶接されたマシュマロのようだ」と評しています(笑)。

I:言語聴覚士、ライオネル・ローグを演じた、ジェフリー・ラッシュの演技はどうでしたか?

S:ローグがオーストラリア人であったことは非常に重要です。イギリス人には出来ないことでしょうね。イギリス人にとって、王様との間の壁を取り払うことなど考えられないと思います。その点オーストラリア人は、アメリカ人に気質が似ているところがあります。称号や形式にさほどこだわりません。あのような忌憚のないアプローチが必要だったわけです。
 ジェフリー自身のことを言いますと、私がこの脚本を書き始めたとき、真っ先に頭に浮かんだのが彼でした。執筆をしている間、私のイメージの中でローグを演じているのはいつもジェフリーでした。ですから私にとっては夢のキャストですね。
 彼は私が知る限り、最も努力を惜しまない俳優です。他のオーストラリア人に似て、パーティー好きなんです。ですが実に勤勉で、とても聡明です。
 ジェフリーとコリンの結束はとても強く、ふたりはチームとなり、スタジオの隅で何かと頭をひねったり、議論したり、リハーサルの度に手直しをしたり、互いを磨き合っていました。
 そして彼らは信じられないほどに寛容なのです。通常、スターはクローズアップを撮り終えるとトレーラーや楽屋に戻ります。そして下っ端の役者が演じるシーンに後ろ姿で登場する際は、代役が演じるのです。でもこの二人は違います。そんなシーンでも自ら出演し、ただ台詞を言うだけでなく全力で演じるのです。
 実はメアリー王女を演じているのは私の娘なんです。娘はメアリー王女によく似ているのです。台詞はなかったのですが、ジョージ5世が亡くなるシーンなどに登場しています。クローズアップの撮影で、ふと顔を上げると娘はびっくりしました。娘が演技しやすいようにとコリンがカメラの後ろで相手をしてくれていたからです。実に気配りのできる人です。

I:ジェフリーの演技について、これは是非見てほしいという場面はありますか?

S:ハイライトは戴冠式の前夜、ウェストミンスター大聖堂でのシーンです。
 カンタベリーの大司教が、ローグが医者ではないことを暴露した後にローグとジョージ6世が激しいやり取りをするところです。もちろんローグは自分が医者だと言ったことはありません。みんながそう思い込んでいただけです。しかし彼が医者ではなく、資格もなく、臨床の訓練も受けていないことが暴露されるのです。
 ローグは、西オーストラリア出身でシェークスピア狂の売れない役者でした。それをふまえた上でのジェフリーの演技が圧巻です。自分自身を完壁に弁護し、聖エドワードの椅子、王が冠を授かる玉座に座るシーンです。ジェフリーはローグのキャラクターを見事にとらえていると思います。

I:多くの人にとって英国王室は、庶民とはかけ離れた閉ざされた世界です。脚本を書くにあたり、王室とのやりとりはあったのでしょうか?

S:私がこの脚本を書こうと真剣に考え始めたのが1980年です。いろいろな文献にライオネル・ローグという名前がちょくちょく登場してきます。ちょうどレーダーに映る機影のようなものです。でもそれが何なのかはわかりませんでした。ただ何らかのストーリーがあるのだろうと。
 そこで、電話帳で見つけたロンドンの興信所に調査を依頼しました。探偵は、ローグの息子バレンタイン・ローグを探し当ててきました。映画を観た方は分かると思いますが、いつも本に鼻を突っ込んでいたあの少年です。
 彼は、ロンドンの、富裕層御用達の開業医が集まっていることで有名なハーレー通りで開業する高名な脳外科医でした。私が連絡をとったときは、すでに高齢で、現役を退いていました。私が手紙を書くと、彼はこう答えました。
 「あなたがロンドンに来てくれればお話ししますよ。父が国王の治療について記録したノートをすべて保管しています」。
 私はこれでいけるぞと思いました。ところが続きがありました。「ただ、皇太后(ジョージ6世の妻)の許可がなければ協力することはできません」。
 そこで私は皇太后に手紙を書きました。すると皇太后がおられるクラレンスハウスの朱印が押されたクリーム色の立派な手紙が届きました。
 「サイドラー殿、私が生きているうちはどうかおやめくださいませ。これらの思い出は今でも私にとってはあまりにつらいものなのです」。
 皇太后は、望まなかった王位継承が夫の死を早めたと感じており、非常に心を痛めていたのです。その時皇太后はすでに高齢でしたから、待つとしても、長くても3年だろうと思ったのですが、なんと25年後(笑)です。
 102歳の誕生日を迎える前に彼女はこの世を去りました。ですから、その手紙が王室との初めてのコンタクトでした。
 ところで、今の女王がこの映画を観たかどうか、それは分かりません。ずっと分からないでしょう。彼女はコマーシャルにでも出て「今年の王室映画はこれに決まりですね」などと言うタイプの人ではありませんから。
 ただ、この映画がバッキンガム宮殿で上映されたということは確かです。トム・フーパー監督がそこにいましたから間違いありません。侍従や秘書官、家庭教師など王室に仕える人たちのために上映されました。
 聞いたところによると、評判は上々だったそうです。私はそこにはいなかったのですが、チャールズ皇太子の秘書官は、「大した作品だ」と言ったそうです。かなり好評だったのではないでしょうか。その証拠に、私は、ロンドンのイースト・エンドにある中世の城塞で、処刑場として使われていたロンドン塔に幽閉されていませんからね(笑)。(つづく)

                   訳:進士和恵・宮地大始
                   原文:Derek Sante

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/5/07

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