人それぞれの吃音人生~2010年度 第13回ことば文学賞~
2010年度の第13回ことば文学賞の作品を紹介します。(「スタタリング・ナウ」2010.12.20 NO.196 より)
2010年度 第13回ことば文学賞
どもる人のセルフヘルプグループである、NPO法人・大阪スタタリングプロジェクトが主催する〈ことば文学賞〉も、今年13回目を数えました。
大阪スタタリングプロジェクトの活動は、毎週金曜日のミーティング「大阪吃音教室」の開催、月刊のニュースレター「新生」の発行、どもる子どもを持つ親の相談会の開催、吃音親子サマーキャンプや吃音ショートコースの開催協力、などたくさんあります。その中の大阪吃音教室の定番の講座に、文章教室があります。自分の体験を綴ることの目的はいろいろあります。自分の体験を綴ることによって客観的に自分を見つめ直すことができ、また、後に続く人の何かヒントにしてもらえるかもしれないという他者貢献にもつながります。
今年も、9月の吃音ショートコースのときに、受賞発表がありました。作品を紹介します。
どもる力
鈴木永弘
私の人生を振り返ると、そこにはいつも吃音が深くかかわっていた。
小中学校を通して一番の悩みは「どもる」ことだった。授業での本読み、発表、学校行事と、どもらなければどんなに楽な学校生活だったろうか。そして高校に入学するとより一層その悩みを深めていった。毎日が「どもり」との葛藤で、そこから解放されるのであれば、その他の事はどうでも良いというような考えを抱いていたのだが、普段は自分を誤魔化して明るさを装っていた。
そんな辛い高校生活ではあったが、三年生になってから親友と呼べる友達が出来た。彼とは趣味や考え方が近く、話していて楽しかった。そして何よりもしゃべるリズムが妙に合っていて、話しやすかった。ところが二学期に入ってすぐ、体育祭の応援団に参加しなければならなくなった彼が、一人では参加したくないので、しきりに一緒に参加しようと私を誘ってきた。
私にとって大声を出さなければならない応援団に入るのは何としても避けたかったのだが、「どもるから一緒に参加したくない」と話すことが出来ずに曖昧な態度をとっていた。そして初練習の日、授業も終わりこれから練習が始まろうとしていた時のこと。午後の日差しがあふれる廊下に、これから一緒に練習に行こうと誘う友人と私の姿があった。
あの時の彼はかなり強引だった。それほど一人では練習に行きたくなかったのだろう。それなのに、どうしても一緒に行って欲しいと私の手を引っ張る彼を振り切り、私は一人放課後の廊下を走り去った。どもるかもしれない不安から解放されたい一心で、一緒に参加できない理由を説明出来ずに、逃げるように学校を後にした。あの時、チラッと振り返った瞬間目にした、廊下に差し込む光りに照らされた彼の寂しそうな姿を今も忘れられない。
「なんて自分勝手な人間なんだ」。
ずっと長い間、私は自分の吃音のことしか考えられない人生を送った。
それからも相変わらず「どもり」に悩む生活は続き、毎日が自分の事で精一杯だった。就職も出来るだけ話す事が少ない仕事を選び、目立たないように静かに生き延びたかった。しかし、こんな弱い自分だからこそ、日々の暮らしの中では他人に優しくなろうと思うようになった。そしてそれが生き延びる手段のような気がしていた。
そんな私にも付き合う人が出来た。そして彼女に対しても出来るだけ優しく寛容に接するように心がけた。関係は長く続き、平穏な日々が流れていた。彼女にだけは自分が「どもる」ことを話していたし、彼女もきちんと理解してくれていた。
ある日、車で彼女の家に向かっている途中、信号で停車していると背中にすごい衝撃を感じた。後ろから追突されたのだ。「どうしよう?!」この時のどうしよう?は事故のことでは無い。彼女の家に連絡をしなければならないことだ。電話を掛けると、案の定彼女の母親が出た。今まで何度も彼女の母親とは話をしていたが、事故で気が動転していた私は一言も声を発する事が出来ないまま、電話を切られてしまった。もう一度かけ直す勇気もなく、かなり遅刻して彼女を怒らせてしまった。彼女の怒りは遅刻したことよりも、連絡をしなかったことに対してだった。
でも、この時私がした言い訳は、公衆電話が近くになく、気が動転していた上に事故処理に手間取ってしまって、電話するより出来るだけ早く迎えに駆けつけたかったというものだった。
自分が「どもる」ことをきちんと理解してくれていた彼女にさえ、「電話したけれど、どもって繋がらなかった」と告げることが出来なかった。その時の私には大事な場面でどもった自分がみじめに感じられたが、それよりももう一度電話をかけ直さなかった自分を許せなかった。大切な要件を伝えるよりも「どもり」から逃げることを選んでしまった自分を。
私は人生において多くのものを吃音のために失ってきた。「どもる」ために我慢したこと、諦めたことは数知れずある。吃音さえなければもっと違った人生を送れたのではないか、多くのものを失わなくても済んだのではないか、と思うことも良くある。いや、あった。
しかし今は、「これが私の人生なのだから仕方ないな」と思っている。まだまだ、どもると落ち込むし、喪失感で胸がいっぱいになると苦しくなる。でも、全て吃音が原因だとは思っていない。吃音以外にもいろいろ原因がありそうだが、原因を追及して悩むより、どもれる力、失うことを恐れない力、そして他人と自分を認めることのできる優しさを身につけたい。
それが生きる力なのかなと思ったりする。気負いなく、ゆったりと力強く生きられたなら、自分の吃音を認めることが出来るんじゃないか。その時に私は吃音で良かったと心から宣言したい。
【選者コメント】
「私の人生を振り返ると、そこにはいつも吃音が深くかかわっていた」で始まるこの作品のタイトルが「どもる力」となっているのが、次の展開に興味をもたせる。
確かに、この作品で取り上げられた2つの象徴的なエピソードは、もの悲しく、作者の吃音との葛藤の様子が、吃音に悩んだ経験のある人には痛いように想像できるだろう。大切な親友の頼みを、理由も伝えず断ってしまった自分への後悔の気持ちを、今も作者は持ち続けている。振り返ったときの、光に照らされた友だちの寂しそうな姿の描写は、同時に、自分勝手な自分を影の中に浮かび上がらせる。また、どもることを理解してくれている彼女にさえ、遅刻の理由を伝えることができなかった。電話をかけ直さなかった自分、どもりから逃げることを選んでしまった自分を、作者は許すことができなかった。
一方で、このようなことを経験し、自分を見つめてきた弱い人間だから、日々の生活の中では他人に優しくなろうと思うようになったと作者は言う。実際、作者は大阪吃音教室の仲間にも、優しく、周りの人への気配り、面倒見がとてもいい。吃音のために失ってきたものは多いかもしれないけれど、吃音のために得てきた「どもる力」に思いが至ったことで、過去の出来事への後悔の念が和らいだことだろう。
最後の「気負いなく、ゆったりと力強く生きることができたら、自分の吃音を認めることができるんじゃないか。その時には吃音でよかったと心から宣言したい」との締めくくりに、作者の「どもる力」をみた。
【作者感想】
文章を書き出した当初は、吃音の体験を語るよりも、「どもる」ことに悩み、自分のことばかりを考えていた過去の経験から、読者にメッセージを送りたいと思っていました。「どもり」へのとらわれによる、自分の内側で考えを堂々巡りさせる習慣を、少しでも早い段階で外に向けての注意や行動に変えていってはどうだろうかというメッセージを。けれども、文章を書き進めていくうちに、自分自身が苦しくなっていることに気づきました。
「まだ、自分は人生に迷っているんだなあ」「これからも悩みながら生きていくんだろうな」と思いました。そして、そんな自分の気持ちを書くことにしました。迷いと悩みと少しのあきらめと、先に見える小さな未来と、ずっと自分に足りない気がしている「生きる力」。それらのことがどれだけ表現できたのかは分かりませんが、評価をいただき、うれしく思っています。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/04/16