レッスンを通して学んだもの

 2009年9月、竹内敏晴さんが亡くなりました。吃音親子サマーキャンプの大切な柱のひとつ、表現活動としての演劇は、竹内さんの全面的な協力で成り立っていました。その後を継いでくれたのが、現在、東京学芸大学教職大学院准教授の渡辺貴裕さん。吃音とは全く関係のない渡辺さんは、学生の頃から現在までずっと、吃音親子サマーキャンプのスタッフとしてかかわってくれています。その渡辺さんの、『演劇と教育』~追悼竹内敏晴さんを悼む に書かれた文章を紹介します。(「スタタリング・ナウ」2010.11.28 NO.195 より)

レッスンを通して学んだもの
  『演劇と教育』~追悼竹内敏晴さんを悼む 竹内さんと『演劇と教育』~2010 NO.621
                      渡辺貴裕 岐阜経済大学(当時) 

 昨年6月にレッスンを受けたのが最後になってしまった。まだまだレッスンを受けられると勝手に思い込んでいた自分の甘さが悔やまれてならない。
 私が竹内さんに初めて出会ったのは、1999年2月、大阪での定例レッスンの旗揚げとなる講演会においてだった。それから私はレッスンに通い出した。定例レッスン、「仮面」「クラウン」「砂浜の出会い」の合宿レッスン……。
 それらのレッスンの場で、私は、今までに味わったことがない感覚を経験することになった。例えば「話しかけのレッスン」。「こっちへ来て」と自分に向かって言われていても、声が自分のところにやってこない。周りで見ていると声の軌跡がよく見える。自分が呼びかけてみてもやはり声は届かない。誰がやってもうまくいかないんじゃないかと思っていたら、竹内さんに「こっちへ来て」と呼びかけられ、思わず身体が動いてしまう……。人に話しかけたり話しかけられたりなんて毎日していることである。しかし、そこにこうした次元の出来事が存在するなど思いもよらなかった。不思議な感覚だった。
 竹内さんとの出会いがなければ、私は今のような、演劇的活勤や国語教育を研究テーマにする教育方法学研究者にもなっていない。レッスンに足繁く通っていた当時、私はまだ研究の方向性が定まらない教育学研究科の大学院生だった。レッスンを自分の研究に活かすつもりもなかった。ただレッスンが楽しいから通っていた。研究はそれとは別に、戦前の児童文化論の歴史研究をしていた。
 大学院の4年目の中頃から、私は教育現場とのかかわりを持ち出した。研究室で共同研究を行っていた小学校の国語の授業に週に何度も通うようになり、また、他の学校の授業も見に行くようになった。そのなかで私は、「もったいない」ということをたびたび感じた。先生も子どもたちも、「国語の授業ではこうしなければならない」という縛りを暗黙の内に抱えている。読点で一拍、句点で二拍の間を空けてみんなで声を揃えて読むのが良い音読、「話型」を守って発言させれば良い話し合い……。もっと自由にできるのに、そうすればもっと子どもたちも先生も楽しめてかつ充実した学びになるだろうに。そうしたもどかしさは、竹内さんのレッスンを通して耕した身体があったからこそ感じるものであった。そして、そこで掻き立てられた問題意識がその後の私の研究者としての歩みを方向付けることになった。
 竹内さんから学んだことはあまりに大きく、今の私にはそれをまとめられそうにない。また、私は教育学や教育実践について学んでいくなかで、竹内さんが教育分野に及ぼした影響の大きさも知ることになるが、その全体像を描き出すだけの力も今の私にはない。
 ただ、一つ感じることがある。それは、レッスンや著作他を通してこれだけ大きな影響を多くの人に与えていながら、おそらく竹内さん自身には、何かを教えてやろうという意図はまるでなかっただろうということだ。ヒトが人間としてどんな可能性をもっているのか。またその可能性をどうやって(竹内さんの言葉を借りれば)「劈いて(ひらいて)」いくことができるのか。それをレッスンという場を用いて追求していかれた。レッスンのはじめに竹内さんは、先日のどこそこのレッスンでこういう出来事があってこういうことまで見えてきた、今日はさらにその先に進んでみたい、といったことをよくおっしゃっていた。レッスンの中身も変化していった。私たちは、竹内さんのそうした追求に同行させてもらい、それぞれで何かをつかんでいったということなのだろう。
 そんな竹内さんから最後に一度だけ直接的な「誘い」を受けた。昨年6月に行われた、吃音親子サマーキャンプの事前合宿でのレッスン。竹内さんは私に、膀胱がんが見っかったこと、手術は受けずに最後までレッスンを続けるつもりであることを明かされ、おっしゃった。「僕から学んでおきたいことがあったら今のうちに学んでおいてください」。まだ一見元気そうに見える竹内さんからの言葉に、私は戸惑うしかなかった。3か月経たないうちに計報を聞くことになるとは思ってもみなかった。もっと学んでおきたかったと願ってももう手遅れになってしまった。竹内さんの言葉に応えることができなかったお詫びとして、また、それまでに学んできたことの恩返しとして、私もまた自分なりの追求を続けていきたいと思っている。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/04/13

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