「学習・どもりカルタ」制作にかかわって

 昨日は、「学習・どもりカルタ」がどのような経緯で作られたのか、「学習・どもりカルタ」にはどのような意義が込められたのか、巻頭言でお伝えしました。今日は、僕たちとともに「学習・どもりカルタ」の制作に関わった人たちの思いを紹介します。
 「スタタリング・ナウ」2010.9.26 NO.193 に掲載されているものです。具体的な子どもたちとの取り組みが書かれています。

どもる子どもとの共同作業~「学習・どもりカルタ」の取り組み~
                      千葉市立あやめ台小学校 渡邉美穂

かるた取り組みのきっかけ
 私は、ことばの教室で「どもりカルタ」に取り組んでいる。どもる子どもとの学習内容は、いろいろあるが、私が大事にしている「自分のことば」の表現活動の一つとして「どもりカルタ」の取り組みを始めた。きっかけは、『どもる君へいま伝えたいこと』(解放出版社)に載っていた大阪吃音教室のどもる人の「どもりカルタ」を、子どもたちに紹介したことだった。子どもたちは、大人がカルタで遊んでいること、そして、読み札に、「僕もそうそう」と共感するものがあったようだ。
 初めに5年生のA君が作り始めたが、A君の作品をことばの教室内に掲示すると、「ぼくもやってみたい」と、他の子どもたちがそれをまねするといった感じから、カルタづくりの輪が広がった。
 また、「吃音ワークブック」に取り組んでいた私たちの中で、同時に「どもりカルタ」を製作するプロジェクトが立ち上がった。全国の応募の中から「どもりカルタ」を作るという情報を伝えたことが、子どもたちの意欲を強めた。採用されると、自分の作品や名前が全国的に発売されるカルタに載るかもしれないという、わくわくした気持ちが子どもたちの中にあった。他に「採用されたら、ぼく儲かる?」などの発想もあり、いろいろな思いをもちながら取り組みが始まった。

カルタの取り組みの実際
 私の教室では、1年生から5年生という年令に幅もあり、吃音の知識を知らない子ばかりの中で、それぞれの思いを少しずつ高め合ってきた。
 カルタの内容は「どもること」「音読」「発表」だと、はじめに子どもに説明した。五十音のどこから始めてもいいが、「あ」から始めた子が多かった。私が「あ」のつくことば(挨拶・握手・あきらめる・あくびなど)をたくさん黒板に書き出した。一緒に考えることもあったが、語いを集めることがねらいではないので、私の方で書いたことばが多かった。そのことばから、子どもがピンとくるものを選んだ。どうしてこれを選んだのか、どんなエピソードや思いがあるか、などの話し合いをして、その思いをカルタの読み札の五七五のリズムに合わせて作った。
 こんなふうに一つずつ作っていくと、一回の学習で1・2こぐらいしかできない。けれども、大切なのは、急いでたくさん作ることではなく、子どもの話したいことや表現したいことについて話し合ったり、考えたりすることだ。無理に吃音について「話させよう」としなくても子どもの話したいことの中に吃音の話題がたくさん出てくる。
 「担当者だから」「教師として」と考えるとうまくいかないことが多いと感じる。私の場合は「へえ~」「知らなかった」「すごいね」ということばで子どもの思いに驚いたり、「私だったら」と大人としての意見を話したりしている。

子どもの作ったカルタ
☆「みんなには 今聞いてほしいことがある」
 B君は、あまりどもることを気にしていないようだったが、どもりそうになると話すことをやめてしまっていたようだ。どもっていても、今話したいことを最後まで話すようにしたいと言っていた。

☆「聞きたいな 私の音読 どうだった?」
 Cさんは、音読ではあまりどもらないので、いつも音読は得意だと言っている。しかし、いざ音読をするとドキドキして、みんなはどう思っているのかと心配になることがあるそうだ。

☆「ロボットみたいな話し方、ぼくは絶対つかわない」
 どもりの治療法があるかの話の後、A君は、ものすごくゆっくり話したり、一本調子で感情のない話し方をしたりするのは嫌だと言っていた。

☆「つみきみたいに ことばをくずして 組み立てる」
 Dさんは、どんなふうに話そうか、ことばを組み立てて工夫していることをこう表現した。

 どもりカルタの読み札を作りながら、子どもたちから、どもることについての思いや考えが次々と出てくる。子どもたちの話には本当に深い意味が含まれている。
 しかし「どもりカルタ」は、どもることについてのカルタだとわかっていても話題がそれることも多々ある。話したいことや、いろいろなことに興味があるということだろう。サッカーや野球、家族、学校などのことだ。「どもりカルタ」としては、当てはまらないこともあるが、その子の気持ちが表れていればいいと思った。同じ子でも学年が進めば別のカルタの読み札を作るだろう。その時の気持ちが表れていればいいと思っている。
 「どもりカルタ1の読み札がだいたいどの子も出来上がった頃、グループ学習の場でお互いに紹介してみようと子どもたちに提案した。
 私は、テーマを決めてそれに関係のあるものを自分の読み札の中から選んで紹介するという方法をとった。取り組みからかなりの月日がたっているが、自分の作った読み札の意味やエピソードを子どもたちは、ちゃんと覚えている。また、その時の気持ちと今の気持ちを比較して話してくれた子もいる。
 「勇気を出して音読」と作ったE君が「今は、勇気を出すなんて思わなくても音読できるよ」と言った。1年前のことを覚えていて、1年で気持ちの変化があったことも話してくれた。1年でこんなに変化するのなら、長い人生の中でどれだけ気持ちの変化があるのだろうと思う。その時々に、カルタの読み札を作り、今の自分の気持ちを表現しておくことは大事なことだと思った。また、気持ちの変化を楽しめる余裕がもてるといいなと思った。

学習・どもりカルタの完成
 今夏、2500編以上の応募作品から、44作品が選ばれ、どもる子どもの保護者が絵札を描き、包装も私たちが行った、手作りの「学習・どもりカルタ」が製品として完成した。
 私もこのカルタの製作にかかわったスタッフとして、発売までの道のりを一緒に歩んできた。はじめは、どもることへの思いをお互いに共感できたらいいと思っていた。しかし、集まってきた読み札をじっくり読んでいると、単に共感だけではなく、吃音について学んだり、生きることを考えさせられたりするものが多くなっていることに気づいた。こうなった背景には、カルタ製作スタッフの中にどもる人がいたことが大きかったと思う。
 私は、どもる子どもの気持ちに寄り添いたいと、いろいろな知識を学び実践してきた。書籍などで吃音の知識は得ても、ひとりひとりの子どもの吃音への思いは、その子に聞くしかない。子どもから学ぼうとする姿勢を忘れないようにしている。また、私には、「吃音を治したい・改善したい」とは考えず、「吃音と上手につき合う」ことに取り組む、大阪の成人のどもる人との日常的な交流がある。私がどもる子どもやその保護者とうまくつき合えるのも、どもる人と仲間になれたからだと思う。また、どもる人の体験集「吃音を生きる」(大阪スタタリングプロジェクト)を読んで多くの人の人生を知ることができたのも大きなことだ。
 子どもに何かをしてあげようという意識が高かった時は、きっと子どもと向き合えていなかったと思う。今、私は、自分のできることとできないことを見極め、私自身がそのことにしっかり向き合っていくことが、大事だと思えるようになった。
 「どもりカルタ」作りを通していろいろと学ばせてもらった。今度は、でき上がった製品の「学習・どもりカルタ」を使って子どもたちと話し合い活動やカルタ遊びを楽しみたいと思っている。

いつでも、誰でもできる
 「どもりカルタ」の実践を紹介すると、「通い始めたばかりの子」「まだ1年生」「吃音に向き合う気持ちがまだそこまで達していない」などと、子どもの側の問題と同時に、ご自身が吃音の学習経験が浅いから無理だと強調される。
 しかし、担当者がやろうと思えばいつでも、どの子とでもグループ学習や「どもりカルタ」作りをスタートすることができると私は思う。吃音学習をどうすすめればいいか、グループ学習をどうすればいいか困っていることばの教室の担当者にとっては、『学習・どもりカルタ』は最適の教材だと言える。「カルタ」という遊びの要素があるものは、子どもは取りかかりやすいし、一緒に遊ぶ中で、自然と吃音について知識も考え方も学んでいることになるからだ。その中から、今度は、教材の真似をする形で、子ども自身がオリジナルの「カルタ」をつくるようになれば、吃音についての話題がより深まっていくだろう。
 ことばの教室を担当しているみなさん、どもる子どもの保護者のみなさん。「どもりカルタ」作りを始めてみませんか。作りながら、子どもたちと楽しみましょう。そして、お互いの作品を紹介し合う仲間を増やしていきましょう!

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/04/05

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