隠れ蓑と劣等コンプレックス

 岸見一郎さんの「スタタリング・ナウ」読者へのメッセージを紹介しました。
 アドラー心理学では、劣等性と劣等感、劣等コンプレックスを区別します。劣等性は客観的に何か劣っていることです。しかし、劣等性があっても劣等感をもつかどうかは人それぞれです。全く平気な人もいます。アドラー心理学は、劣等感ではなく、「劣等コンプレックス」を問題にします。ある劣等性に強い劣等感をもち、「仕事、人間関係、愛」の人生の課題から逃げることを、「劣等コンプレックス」と言います。課題から逃げる目的のために、劣等性を使うのだといいます。この考えは、とても厳しいものです。吃音の場合、吃音を言い訳にして、人生の課題から逃げることであり、僕は、それを吃音を「隠れ蓑」にしていると表現しています。1976年、『吃音者宣言―言友会運動十年』の本の中で「隠れ蓑」について書いています。
 「スタタリングナウ」2010.4.20 NO.188 に掲載している『吃音者宣言―言友会運動十年』のプロローグを紹介します。
 今、僕は、言友会とは関係がなくなり、また「吃音者」という表現も使いませんが、ここでは、原文のままを紹介します。

  プロローグ―吃音者宣言の目指すもの―
                       伊藤伸二
 どもりに悩み、不本意な生活を送ってきた私たち吃音者は、一気にその悩みを解消し、有意義な人生を送ることを夢見た。どもりを治したいと願った。その夢を、公的な相談機関がない中で、民間のどもり矯正所に託した。しかし、どもりは治ると宣伝するどもり矯正所で、私たちのどもりは治らなかった。そこで、私たちは長期にわたる努力ができる言友会をつくって、どもりを治そうとした。しかし、どもり矯正所が、どもりを治せなかったように、言友会10年の活動の中でも、どもりを治すことはできなかった。
 私たちは、どもりがr治っていないという」事実を直視する。一方、言友会の活動の中で、どもりつつも明るく生きる吃音者が育ったことを評価した。どもりを持ちながら、明るく生きる人が多くいる事実と、どもりが治っていない事実を前にしても、それでもなお、「どもりを治すことにこだわり続ける」のか、それとも、「どもりを持ったまま自分らしく生きることに確信を持つ」のかの選択を私たちは迫られた。
 私たちは後者の道を選んだ。治すことにとらわれ、治そうと努力すればする程悩みを深めた経験を持つ私たちは、治す努力を否定した。いつまでも、どもりにこだわり続け、そのことでエネルギーの大半を使ってしまい、人間として大切な日々の社会生活がおろそかになってしまうことを恐れたからである。
 どもりは隠そうと思えば隠し続けることができる。人間として当然すべき責務を放棄し、主張すべきことも発言ぜず、人生のあらゆる場面で消極的になっていれば、自分のどもりを隠し通すことはできる。どもりの苦しみから逃れるために、自分を殺し、相手に迷惑をかけても、「どもりだから仕方がない」と言い訳する甘えを私たちは持っていた。自分に甘え、社会に甘える姿勢が続き、逃げの人生を歩んだのだった。
 どもっているのはあくまで仮の姿であり、近い将来どもりが治れば、一気に本来の自分をとり戻し、楽しい生活を送ることができる。「どもりさえ治れば」とますますどもりの殼に閉じこもっていった。そのような生活の中では、都合の悪いことが起これば、それを全てどもりのせいにしてきた。あれ程自分を苦しめたどもりが、逃げの人生の中では、自分を守るための隠れ蓑の役割を果してしまったのである。
 隠れ蓑を捨て、逃げの人生から脱皮するため、逃げている自分、甘えている自分を自覚することから私たちは始めた。逃げている自分を自覚し、意識的に生活の中で逃げない選択を続けていると、これまでできないと思っていたことが、思ったよりできる自分に気づいた。今までの甘えた、逃げた自分の生活態度を変えることは苦しい。またどもることに対する不安や恐れは一朝一タに消えるものではない。不安を持ちながらも、頼りない自分を目覚しながらも、恥をかきつつ自分を出していくしかなかった。
 一方、私たちは、この吃音者の生き方を阻むものにも目を向けなければならない。それは、長いどもりの歴史の中で育まれてきた、一般社会のどもりに対する誤った通念である。「恥ずかしい」「不自由」「みっともない」「小心」「神経質」などのイメージが社会にあり、「どもりは努力すれば治る」という考えも根強い。私たち吃音者が、どもりを持ったまま明るく生きることを、それらが著しく阻害している。私たちは、どもりが治った後の人生を夢みるのではなく、どもりを持ったままいかに生きるかを考える一方、このどもりに対する社会通念を変えていくことに取り組まなければならないと考えた。
 言友会は、10周年を記念した全国大会で、社会にも、自らにも、どもりを持ったままの生き方を確立することを宣言した。この吃音者の生き方を通して、どもりに対する社会通念を変えていこうとしているのである。どもりが、どもりとしてそのまま認められる社会の実現こそ、私たちの願いなのである。
 その道は遠くとも、行かねばならない。
      『吃音者宣言―言友会十年の活動』(P12~P14)伊藤伸二 たいまつ社 1976年

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/03/21

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