人生の課題

 僕たちは、吃音ショートコースという2泊3日の体験型のワークショップを開催してきました。
その分野の第一人者をゲストに迎え、話を聞くだけでなく、体験することによっての学びを深めてきました。
 2009年10月10~12日に開催した第15回吃音ショートコースは、「アドラー心理学」がテーマでした。講師は、岸見一郎さん。休憩時間も惜しむかのように、誠実に参加者と話をし、関わってくださった岸見さんの姿が印象に残っています。
 その後、『嫌われる勇気』が大ベストラーになって、「アドラー心理学」の大ブームが訪れることになるとは、岸見さんも私たちも、そのときには想像もできないことでした。
 そのときの吃音ショートコースを特集した「スタタリングナウ」2010.4.20 NO.188 を紹介します。まず、巻頭言からです。

  人生の課題
                  日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
 人は、変わりたいと思っていても切羽詰まらないと変わる決心がつかないものだと経験から思う。
 小学2年生から私は吃音に悩み始め、深く悩んではいたものの、まだ余裕があったようだ。音読や発表から逃げることも、クラスの役割から逃げることもできたのだから。
 吃音を隠し、話すことから逃げさえすれば、嫌な体験をせずに済む。自分の身を守るために私は、「逃げる」ことをライフスタイルにして、21歳の夏まで生きた。吃音に深く悩み苦しかったが、今から考えれば平穏な毎日だったろうと思う。
 吃音の苦悩から解放される一番確実な方法は、吃音が治ることだ。21歳の夏に吃音を治そうと訪れた吃音矯正所で必死に取り組んだが、私だけでなく、全ての人が治らなかった。
 私はこれまで、「どもりが治ってから~しよう」と人生の課題から全て逃げてきた。アドラー心理学の立場から言うと、吃音の悩みに逃げ、吃音を理由に、勉強に努力することや人間関係の葛藤から逃げてきた。生きることを怠けていたのだ。
 治らなかった現実を前に、これまでのように話すことから逃げ続けるのか、どもりながら話していくのかの選択を迫られた。家が貧しかったので、私は、大学の授業料を含め、東京での大学生活の一切を自分で工面しなければならなかった。話すことから逃げていた私の大学生活は、話さずに済む住み込みの新聞配達員からスタートしていた。

しかし、夏休み、吃音治療を受けるため、新聞配達店の寮を出て、吃音矯正所の寮に入った。30日間の治療期間を終えると、今度は吃音矯正所の寮を出なければならない。吃音が治らなくても、アルバイトをしなければ、東京での生活ができない。切羽詰まった状況の中で、私は自分を変えようとした。吃音から逃げない決心をして、新聞配達店に戻ることを止めた。そして、アルバイト生活を送るにあたって、ふたつのルールを決めた。
 どんなに苦しくても1か月は我慢することと、どんなに待遇が良く居心地がよくても1か月で辞めることだ。対人恐怖で新しい人との出会いが怖かったから、人に馴れていく意味で、このルールは私には必要だった。
 たくさんの種類のアルバイトをしたが、その中で、神田駅のガード下にあったキャバレーのボーイのアルバイトが一番辛かった。客の注文を調理場に通すとき、いつも「・・トトトトとりのカカ唐揚げ、ゴゴゴ五人前」となった。早く言えと怒鳴られ、殴られたこともあった。しかし、親切なホステスや支配人のおかげで、1か月なんとか耐えられた。この1か月の毎日は苦しくて、明日辞めよう、今日辞めようの連続だった。
 吃音を隠し、話すことから逃げ、人生の課題から逃げていた方が、はるかに楽だった。しかし、その生活では、生きている実感がもてなかった。この1か月は、辛かったが生きている実感がもてた。隠し、逃げる生活にはもう戻りたくない。
 アルバイトと同時にセルフヘルプグループのリーダーとしての活動も続け、私はアドラー心理学で言う、共同体感覚を身につけていった。
 この私の逃げの人生をそのまま文章にしたのが、言友会創立10年目に出した「吃音者宣言」だ。
 1976年、たいまつ社から出版された『吃音者宣言―言友会運動十年』を読み返してみると、吃音をとりまく状況が何も変わっていないと同時に、私の考え方も、40年前と全く変わっていないことに驚く。
 かなり前にアドラー心理学に出会ったとき、共同体感覚や劣等感などのキー概念が、私が苦悩の中から考えてきたことと、とても似ていると思った。特に、「人生の課題から逃げる」、劣等コンプレックスは、私の吃音人生そのものだ。
 昨秋の吃音ショートコースで、念願の「アドラー心理学」を仲間に紹介することができた。アドラー心理学はある意味厳しい心理学だ。しかし、私たちの仲間なら、共感し、受け止めてくれるだろうと信じていた。
 岸見一郎さんが、自分の人生を語りながら話して下さる「岸見・アドラー心理学」に私たちは聞き入り、大きく頷いたのだった。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/03/18

Follow me!