治りませんように

 「治りませんように」とは、なんと衝撃的なことばでしょうか。でも、べてるの家で生活する人々にとっては、それは至極当然で、自分たちの生き方の基盤になっています。治らない・治りにくいものを治そうとすることは、今を否定することでしかありません。このままでいい、どもっている自分のままで生きていく、そう決めたとき、僕は、「どもりが治りませんように」と祈っているのです。
 「スタタリング・ナウ」2010.3.28 NO.187 より巻頭言を紹介します。

  治りませんように
                    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 一昨年、北海道浦河のべてるの家に見学研修に行った。べてるショップで本を買うと、「べてるな人」の直筆のしおりがもらえる。何冊か分のしおりを、くじ引きのようにして引いた。その中に「勝手に治すな、自分の病気」があった。
 七夕の短冊に「病気は宝、治りませんように」と川村敏明医師に書いてもらって喜んでいる人がいたという話も聞いた。
 私が、「どもりが治りますように」と七夕の短冊に書いたのは、二度や三度ではない。初詣のたびに、「治りますように」と必死にお願いした。御利益のありそうな線香の煙を、口のあたりにあて続けて、変な目で見られたこともあった。
 病気や障害を「治りませんように」という人など、一般的には考えられないことだろう。
 『治りませんように』(みすず書房)を、著者の斉藤道雄さんが送って下さった。
 2005年、TBSのドキュメンタリー番組「報道の魂」で私たちを紹介して下さった人だ。今は、TBS放送を退職し、日本唯一の「手話の学校」の校長をしておられる。「治す文化に対抗する」戦友として私を支えて下さるひとりでもある。この本は、私にとって、大きな大きな励ましになった。
 今、私は吃音についての新しい本を書いている。35年前に「吃音を治す努力の否定」を提起し、その延長上で、『吃音者宣言―言友会運動十年』(たいまつ社)を出版した時と同じくらいの激しさと気負いをもって書き進めている。書けば書くほどに、「吃音を治す」に批判的な文章になっていく。そして、執筆のため、たくさんの資料に再び目を通すたびに、「治す文化」の厚く大きな壁にめまいを覚える。
 新しいことを提言する改革者には、常に伴う孤独との闘いだろうか。法然が宗教・思想の革命児なら、織田信長は政治の革命児だ。信長は激しさばかりが目立つが、法然は、限りなく穏やかで優しい。女性に語りかける数々のことばは、慈愛に満ちている。しかし、内なる古い仏教に対決する情熱は、信長以上のものがある。旧勢力からの迫害は、死後、墓まで掘り返されたほどだった。
 べてるの家には、批判や抵抗があるかどうかは知らないが、独自の道を歩み続け、穏やかに、しっかりと「治す文化」に対抗していく。それができるのは、精神障害者の当事者研究を中心にした、当事者本人の体験を、丁寧にことばにし、本やビデオなどで、発信し続けているからだろう。
 そして、当事者の声に耳を傾け、共感する医師や研究者、専門職者が大勢いて、斉藤道雄さんのように、外部からべてるの家を紹介し続ける人がいるからだ。べてるの家に研修に行ったとき、たくさんの研究者、専門職者が見学研修に参加しているのが、とてもうらやましかった。
 「吃音を治す努力の否定」を提起して35年、吃音は何一つ変わっていないことに愕然とする。
これは、吃音が治ったという人、改善したという人がいるからだろう。はっきりと「治せないもの」と言い切れないところに、吃音の難しさがある。「ろう文化」や「治せない、治さない精神科医」と言うようには、胸を張れないのはそのためだ。
 しかし、圧倒的多数の人の吃音が治っていない現実の中で、治そうとする生き方をやめ、どもる事実を認めて、吃音と共に生きる私たちは、悩みの中から多くのことを学んできた。その体験を、綴り、発信し続けたいと、私たちは「ことば文学書」を制定し、自分を語ることを続けてきた。
 昨年、12回目の授賞式があった。
 今回の受賞作。吃音に翻弄され、劣等感にさいなまれ、もがき、生きてきた人間でなければ書けない心の叫びが、胸をうつ。吃音の悩みは、しっかりと悩めば、これから生きる道筋を、ほのかな明るさで照らしてくれるものだ。また、自分を見つめる感性が養われ、苦しんだが故に得る、本や人や出来事との出会いが、宝物にもなる。
 今回の受賞作品を読んで、明るく、楽しく生きる人生もいいのだろうが、悩む人生も決して悪くないと、私には思えるのだ。
 私は今、「どもりが治りませんように」と祈る。(2010.3.28 NO.187)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/03/15

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