言語聴覚士にできる支援の一考察~就職面接

 「スタタリング・ナウ」2010.1.23 NO.185 を紹介しています。日本コミュニケーション学会での久保田功さんの発表を聞いて、ぜひ、「スタタリング・ナウ」で紹介したいとお願いして、書いていただいたものです。久保田さんのような言語聴覚士さんが増えてくれたらと、心底思います。丁寧に話を聞き、ひとりひとりに合った提案をし、長いスパンで見守る、ありがたい存在だと思いました。久保田さん、長いおつきあいに感謝します。

就職面接で対照的な行動をとった吃音の2事例~言語聴覚士にできる支援の一考察~
                 近畿大学医学部附属病院・久保田功(くぼた・いさお)

 私は近畿大学医学部附属病院で言語聴覚士(ST)をしている久保田功(くぼた・いさお)と申します。早いものでこの仕事についてもう25年目になります。大学病院の言語治療室でことばの遅れや発音の問題を持つ子どもたち、脳卒中の後遺症などでことばが不自由になった方々、難聴の人々、そしてどもる方たちの相談や訓練にあたっています。
 昨年の5月、日本コミュニケーション障害学会という学会で「就職面接で対照的な行動をとった吃音の2事例~STにできる支援の一考察~」と題する発表を行いました。じつはこの学会に伊藤伸二さんが、学会のシンポジウム「グループの力」のシンポジストとして参加しておられ、私の発表を聞いていてくださったのです。そして発表のあと、「今の発表の内容をスタタリング・ナウに書いて」というありがたくもちょっと怖い依頼を受けました。迷いましたが、私にとってたいへん光栄なことですので、紙面を拝借して、拙い臨床の記録を綴りなおしてみることにしました。しばらくの間、おつきあいください。

※これは、学会で発表した原稿をもとに、構成はあまり変えず、内容を一部追加して、読みやすく、わかりやすいものにするべく書きあらためました。ご承知おきください。

はじめに

 最近になって、どういうわけか私の言語治療室に、吃音をもつ10代後半から20代にかけての青年期の方が多く来談されるようになりました。来談のきっかけは、「学校で発表がうまくできない」「職場の部署が変わって電話を取ることが増え、しんどくなった」といったものもありますが、就職活動、なかでも面接試験に不安を覚えてという訴えが多いのです。
 吃音を持つ人の青年期において就職活動がいかに大きな障壁と感じられているか、臨床の現場であらためて思い知らされています。
 さて、ここに私が最近、就職をキーワードとして関わった2人の吃音青年を紹介します。就職面接で彼らのとった対照的な行動がなにに由来し、そこに私は言語聴覚士というコミュニケーション障害の専門家としてどう関わっていけたのかについて考察を巡らせてみました。

2人の吃音青年

 1人目の青年をA君と呼びます。A君は最初に来談した時21歳でした。理科系大学の3年生で、機械メーカーへの就職を希望していました。吃音は子どものころからあったそうです。小学生まで比較的穏やかにどもっていたようですが、中学生になって教師の一人にかなり厳しい対応をされ、それ以降吃音にまっわる辛い体験が増えていきました。中学時代の一時期、病院の言語室に通った経験を持っていました。そこでは腹式呼吸の練習などをしたそうですが、効果についての記憶はあいまいです。
 来談した時の発話の様子は目立つブロック症状が随伴動作とともに頻発し、発話開始に余分な力が加わって音が歪んだり、余計な音が加わったりして、言おうとしたことがその通りに伝わらないこともありました。一旦ブロック症状が出ると、数秒~数十秒その状態から抜けられなくなり、会話が滞ってしまうことも再々でした。単純に吃音の症状だけを評価すれば「重度」ということになるかもしれません。しかし、発話を回避することはなく、時間はかかっても「言いたいこと、言うべきことは言う」といった姿勢を持っていましたし、語る内容からは、どもることを含め、自分を冷静に観察し、表現することのできる青年だと感じることができました(もっとエピソードを紹介したいのですが、この稿では個人が特定できる情報を極力伏せることにしました)。
 2人目の青年をB君と呼びます。B君は来談を開始した時25歳でした。みなさんもきっとご存じの有名私立大学の文科系学部を卒業し、就職浪人中でした。公務員試験にチャレンジすること既に3度。その時4度目の挑戦をしているところでした。やはり、吃音は子どものころからあったということです。
 小学校3年生の時にことばの教室の先生に相談したことがあったそうですが(親御さんの回想)、「心配ない」ということで1回きりの関わりだったようです。最初の面談ではやや自信なさそうに小さな声でぼそぼそしゃべるという印象でした。症状はブロックが中心で、ときに口を開けた状態で頭が激しく動くなどの目立つ随伴症状もありましたが、頻度はさほど多くなく、会話が停滞することはほとんどありませんでした。彼も発話を避けるようなことはありませんでしたが、語る内容から、A君に比べ、自分の吃音に対する観察や表現が不十分だなあ、という印象は否めませんでした。吃音にまつわる体験などをあれこれ尋ねてみたのですが、吃音について人と語り合った経験がほとんどなく、4度目の試験挑戦を控え、専門家に相談したいと決心してはじめて「吃音で悩んでいる」ことを両親にうち明けています。

A君の就職活動と言語聴覚士としての関わり

 さて、A君の就職活動です。彼は私のもとを訪れる前から既に自分なりの準備と活動を始めていました。自分はどもるので、しゃべることが仕事の中心になるような職種ではなく、製品の開発をするような仕事に就きたいと考えていました。実際に勤めてみれば、どのような仕事でも周囲や顧客とのコミュニケーションは不可欠なものですが、彼の出発点はそこだったようです。
 彼は自発的にインターネットや大学の学生課から情報を収集し、機会があれば説明会に参加し、希望に適う会社があれば自分から積極的に出向いて行きました。私はそんな姿に感心しつつも、ことばの不自由な方を対象にした音声発生補助装置などを作っている福祉機器メーカーを勧めました。「言語障害に関わる福祉機器メーカーなら、ことばのことで辛い思いをした経験や感性を活かせるのでは」などとアドバイスしたり、偶然その時持っていた企業の説明会の情報を教えたりしました。
 でも、そんな援助は1回きりで、実際のところはA君の吃音にまつわる体験や思い、そして職業に就くために彼が立てた戦略などについてフムフムと耳を傾けて、感心したり、同意したり、逆に質問したりして、ときに笑い、ときに憤りながら話しているという関わりが中心だったように思います。
 言語聴覚士らしいことも少しはしています。彼の最初の訴えは「就職面接を控えて不安だ。少しでも楽にしゃべれる方法があったら教えてほしい」というものでした。効果があるかどうかはやってみないとわからないがという但し書き付で軟起声発声の練習を提案しました。
 軟起声発声は「あいうえお」の母音発声をする際に、まず軽く息を吐きながら徐々に喉を閉めていき、緩やかに発声を始めるというテクニックです。無理な発声で喉を痛めた音声障害の患者さんによく行う訓練なのですが、ア行音で強くブロックが出る吃音の方に何度か試したことがあります。彼は数回練習した後、「普通の精神状態でちゃんと準備ができれば使えそうだけれど、いったんどもって頭が真っ白になったら役に立たないでしょうね」と冷静に受け止めていたようです。
 A君はその後も積極的に活動し、いくっかの就職面接をこなしていきます。その中には露骨に「君はことばで不自由してはるんで」と言われて落とされた会社もあったそうです。でも、来談の開始から数ヶ月後、とうとう「内定をもらった」という嬉しい報告をしてくれました。彼の報告によると、その会社ではグループ面接があり、その際冒頭に自ら進んで書記役に立候補したのだそうです。この積極性が担当者の印象に残り、好感を持ってもらえたのではないかと本人が回想していました。
 まさに「できることは積極的に引き受ける」という彼の戦略があたったのです。その後の個人面接では案の定かなりどもったようですが、無事に合格し、内定をもらったということでした。
 これで当初の目標はクリアできたのですが、彼との面談はここで終わりませんでした。「就職するまで定期的に診てほしい」との申し出があり、結局その後約1年にわたって面談は続きました。以降、大学での卒業研究や発表にまつわる不安や困りごと、初対面の人たちと会わねばならない内定式や入社式、研修などなど、面談の話題には事欠きませんでした。こうして彼はいくつものハードルを越えていき、現在はその会社で、やはり悩みつつも仕事に従事しています。

B君の就職活動と言語聴覚士としての関わり

 一方のB君は公務員試験にターゲットを絞り、筆記試験の勉強に余念がありませんでした。本人によるとこれまでほとんどの筆記試験は通過するけれど、ことごとく面接で失敗するとのことです。それも「自分がどもるから落ちる」と考えていました。来談当初の希望も「どもらずにしゃべる方法を教えてほしい」というものでした。でも「君の吃音は客観的にみて軽い部類に入る。今のままで十分やっていける」という判断を示しました。そして、「まず、面接を恐れずに受けるにはどうすればよいかを話し合おう」ということにしました。
 その話し合いの中で、公務員の面接試験にはそれに先だって書面で志望動機や自己アピールを提出する機会があるということを知りました。そこで、過去3年、B君はいったいどのようなことを書いてきたのか確かめてみようと思いました。本人に回顧して語ってもらったところによると、志望動機はいたって当たり障りのない平凡なことを、自己アピールに至っては「明るい」という程度の稚拙な内容だったのです。「書くことに不自由はないのに、なぜその程度のことしか書かなかったの」と問いただしたところ、なんとB君は「複雑なことを書くと、それについて面接で聞かれると思って…」と答えたのです。ここで、私は気付きました。彼が面接でこれまで結果を出せなかったのは、どもるからなのではなく、どもることを恐れて、きちんとできるはずの自己表現をしていなかったからなのです。
 それからB君と私は、その面接事前提出書類の中で、いかに効果的な自己アピールをするかということに取り組みました。まず、志望動機を自分の経歴や個性と結びつけて、できるだけユニークなものにすること、自己アピールの中では必ず吃音に触れ、どもることで得た経験をこの仕事にきっと活かせるという視点で作文するようアドバイスを行いました。B君自身が作文し、それをもとに来談の度、対話しながら添削・推敲していきました。そして数回かけて徐々に文案を仕上げていったのです。これは就職面接を少しでも有利に進めることを目的にした作業でしたが、この作業の中でB君は少なからず、自身の吃音とそれにまつわる体験に向き合ったと言えるでしょう。彼は最後になって「これまで自分は吃音で困る場面から逃げてきた」と内省していました。
 筆記試験の結果は今回も優れたもので、受験したものはすべて通過しました。そしていよいよ面接を迎えたのです。この時点であらためてこれまでの面接試験での様子について話してもらい、何が心配かを尋ねました。すると、どもることはもちろんですが、「視線をずっと合わせてしゃべらなければいけない」「身体を動かしてはいけない」などといったことを心配しているのです。おそらく、過去3年の彼の面接はガチガチの緊張状態に自らを追い込み、自分の良さをアピールするどころか、ふだん持っている力さえ発揮できなくなっていたのだろうなと想像せずにいられませんでした。そこであえて「吃音であることを隠さない」「うまくしゃべろうとしない」「視線は時々合わせればいい」「身体の動きは自然にまかせる」といったことをアドバイスしました。そうして面接に臨んだ彼はいくつかの面接のうち、ひとつに合格することができました。4年に渡るチャレンジがやっと実を結び、現在はその職に就いています。

考察1:2人の行動の違いをもたらしたもの

 面接場面で積極的に振る舞い、目立つことをいとわなかったA君、過去3年、どもることを恐れて、自分を表現できなかったB君。この2人の対照的な行動は何に由来するのでしょう。希望していた職種の違いで面接場面の雰囲気が異なっていたということがあるかもしれません。もって生まれた性格の違いが影響している可能性もあるでしょう。しかし、一番の違いは「それまでに吃音と向き合った経験があったか、なかったか」ではないかと思います。
 伊藤伸二さんも多くの青年吃音者の就職活動を応援してきた経験の中で「吃音としっかり向き合い、どもる事実を認める」ことが重要だと述べておられます(スタタリング・ナウNo.173)。私も彼ら2人をみて強くそう思いました。
 A君は中学生の頃からさまざまな機会に自らの吃音と対峙し、自分にある問題としてそれに取り組んできました。将来の職種を対人交渉があまり重要でない分野と定め、理科系大学に進むべく、高校時代その方向を目指して懸命に勉強したようです。新しいクラスやアルバイトではきまって最初のうち緊張も伴って「ガタガタになる」そうで、中にはバカしたり、奇妙な目で見たりする人もいるけれど、時間が経てば必ず仲良くなれるとのことでした。そこにいる人たちを鋭く観察し、いい人と思ったら自分から「どもるねん」と表明し、そういうところから徐々に慣れていくのだそうです。彼にとって(その時そう思っていたかどうかはわかりませんが)吃音は自分の個性の一部であり、周囲に隠さなければならないものではありませんでした。
 一方のB君は吃音に深く悩んだ経験こそあれ、それを白日の下に引き出し、人と語り合って客観視しようとしたり、自ら戦略を練って対人関係を構築しようとしたりする経験はありませんでした。どもるとどのように評価されるかということに漠然と怯え、自己を表現する機会さえ見逃してしまっていました。失敗に対しても洞察を誤り、本来できるはずの知的な判断ができないまま、落胆と不安のうちに数年を費やしていたと言えましょう。
 誰しも自分の弱点だと思うところには目を向けたくないでしょう。目を向けず、気付かぬふりで過ごせればその間はきっと楽に違いありません。でも、そうしているうちにその弱点は自分の中でどんどん大きくなり、どんどん怖くなっていくのではないでしょうか。そうなるとますます目を向けにくくなりますね。「複雑なことを書くとそれを聞かれる」「困る場面から逃げていた」と振り返ったB君の気持ちは今思うとよく分かります。
 一方、弱点と向き合って、じっと冷静に見つめることができれば、弱点は弱点ながらもさほどのことはないとわかり、それに対抗したり、それをカバーしたりする方策が見つかるかもしれません。もしそうならなくても必要以上の恐怖を感じることからは逃れられるでしょう。弱点に向き合うことは勇気とエネルギーがいりますが、その弱点を「お化け」にしないために、絶対必要なプロセスだと思います。A君はきっとたいへんな思いをして吃音と向き合ってきたのでしょう。でも、それは就職活動で彼の行動を適応的な方向に導いてくれました。B君はすでに「お化け」になっていた吃音に言語聴覚士の手助け(後述)を借りて立ち向かい、ようやくその正体を見ることができたのかもしれません。
 2人の歴史の分水嶺はどこにあったのでしょう。ひとつは小児期の体験と周囲の人々の対応にあったのではないかと思います。B君は本人の回想(かなり面談が進んでから)によると、小学校1年生の時意地悪な女の子にまねをされ、とてもいやだったけれど、どう対応していいのかがわからなかったそうです。また、小学3年生の時にせっかく専門家のもとを訪れながら継続的な援助を受けられませんでした。一方のA君は小学生の時はバカにされたり、いじめたりされたことはなかったと言い切っています。この時期の体験は、その後に「向き合う強さ」を持てるかどうかと無関係ではないと思います。もう一つのポイントは直面せざるを得ない事態があったかどうかでしょう。A君の吃音症状はB君に比べ、かなり顕著です。「吃音を隠す」という選択肢はとりにくかったと思います。「重かった」A君は吃音に向き合わざるを得ず、「軽かった」B君は吃音で困る場面から逃げることが可能だったのかもしれません。

考察2:言語聴覚士はなにができたのか

 私はことばの問題を扱う専門職として何ができたのでしょう。2人の青年への支援について述べる前に、私の吃音臨床についてお話ししたいと思います。はじめにも言いましたように、最近急に高校生・青年期以降の吃音を持つ方との臨床の機会が増えました。よほどのこと(精神科の治療を受けている最中など)がない限り、お引き受けするようにしているのですが、あらためて何ができているのかと問われるとはなはだ心許ない状態です。具体的にはいろいろやるのですが、基本的スタンスは次のようなものです。①吃音は「治すべき」対象だと考えていない、②症状のみに焦点を当てることはせず、具体的にどういうことに困り、何に悩んでいるのかを探る、③言語聴覚士として、役に立てそうなことがあれば関わる。
 特に①については最初の面談のときに話します。言語治療室という看板を掲げた職場で働く専門職としてはいささか矛盾をはらんだ言い方です。でも、そこから始めるようにしています。ケースによっては「ゆっくり話す練習」や「軟らかく声を出す練習(軟起声)」などをすることもあります。しかし、それは「吃音を治す」ための練習ではなく、具体的に困っている場面に備え「役に立ちそうな技能を仕入れておく」という観点で取り組んでもらいます。話す技能だけではなく、気持ちの構えを変える試みや、周囲への実際の働きかけ(吃音であることを周囲にうまく伝える作戦、配慮を求める手紙など)を一緒に考えるようにしています。そういった作業を通し、最終的には「吃音を以前ほど気にしなくてすむようになった」と言ってもらうことを狙っています。非常におおざっぱですが、これが青年期以降の吃音に対する私の臨床の概略です。
 さて、A君との面談の中で私がしたことを振り返ってみます。「少しでも楽に話せる方法があるのならそれを探ってみたい」という希望に添って、軟起声発声の練習をしましたが、こういった試みはほんの一部で、先にも述べたとおり、あとは就職に関する話を聞いたり、日常生活上のできごとについて会話をしたりということが大部分でした。援助とか支援とか、ましてや指導などというものとはほど遠いかかわりだったようにも思えます。でも、A君は来談を必要と感じたのでしょう。当初の目的であった就職問題が解決した後も彼との面談は続きました。では、何がそうさせたのか、考えてみました。おそらく、就職内定に至るまでの段階で、吃音について自分と対等以上の知識を持っている専門家が自分の話を聞き、自分のやっていることや考え方を支持し、共感してくれたということに意味があったのではないでしょうか。自分の姿を一旦外に置き、それらを確認する作業が、就職活動という極めて重大で、緊張を伴うイベントを前にして必要だったのだと思います。そこから「これでいいんだ」という自信を得た彼は、さらに自分の活動や考えを是認し、ますます積極的な行動へと突き進むことができたのでしょう。
 こういう援助は言語聴覚士でなければできないわけではありません。長年吃音と連れ添い、いろいろな経験を積んできた先輩達によっても担えるものだと思います。いや実際、これまではほとんどそれに頼ってきた感があります。しかし、医療や保健、福祉の分野で言語・コミュニケーションの問題を扱う言語聴覚士が担って然るべき分野なのではないかと私は考えています。
 B君にはより具体的な援助が必要でした。まず、吃音についての基本的な知識を持ってもらうことからはじめました。「どもらずにしゃべる方法を教えてほしい」という希望には添えないことも納得してもらう必要がありました。その上で、就職面接にどう対応するかを一緒に考えていこう、という合意を形成し、その手段として軟起声の練習や論理療法的考え方、メンタルリハーサルなどの説明もしました。そして具体的な努力の方向を探る作業の中で、重要な気付きが双方にありました。どもることを恐れるあまり、書いて表現することさえ躊躇してしまうB君の心理に私は気付き、書いて表現すれば、うまくしゃべれなくても自分を知ってもらえるという理屈にB君は気付きました。このプロセスを経て、吃音を治す、吃音を隠す、という発想から、吃音をうまく表明し、むしろ吃音であることをアピールするという発想への転換ができたのだと考えています。こうして面接に備える具体的な活動が始まりましたが、慣れないことはなかなかうまくいきません。自分のアピール文など書いたことのないB君には非常な難業だったようです。しかし、考える手助けこそしましたが、私が文を書いてみせることはあえてせず、彼にことばを選んでもらいました。時間はかかりましたが、このアピール文作成を通して、遅まきながらも「吃音と向き合う」経験を彼に持ってもらえたのではないかと考えています。結果から遡って私のできた彼への支援の中で最も重要だったのは、この吃音との向き合いを促し、支えることができたことだと考えています。どもるということをもう一度見つめ直し、過度で不必要な恐れをなくすこと、自分にとってどういう意味を持っているかをあらためて考えること、こういった作業はおそらく彼一人では無理だっただろうと思います。考える材料を提示しつつ、常に彼が安定した気持ちで吃音に向き合う場面を維持することが必要だったのでしょう。これが、就職面接に向けてのアピール文の作成という作業で可能になったのではないかと考えています。
 さて、実際の面接試験を前にして、なおB君は様々な不安に襲われます。「面接宮の目を見ないといけない」「足を揺するクセがあるのでそれがでたら印象が悪くなる」などなどです。なるほど、一般の面接場面で言われそうなことですが、苦手だと思っていることについては全てが不安のネタになるようでした。吃音であることは既に事前のアピール文に書いてあるので、隠す必要がないこと、不安を持っても仕方がないのでもっとイージーに考えること、といったアドバイスをしました。そんなアドバイスが現場ではあまり役に立たないだろうことも推測していましたが、少なくとも不安を募らせて、面接の日まで余計な緊張にさいなまれるという事態からは逃れられるかなという期待がありました。結局、実際の面接ではいずれもかなりどもってしまい、結果としても不採用になったものの方が多かったのですが、面接を受けてその結果がまだ出ていないときの面談で、彼が「やるだけのことはやった」と言ってくれたことに彼の大きな変化を感じました。そして合格後、採用担当官に自分が吃音であることを前もって言えたこと、吃音を自分のアピールに使えたことを報告してくれたことで、私の援助が意味を持っていたと確信でき、うれしく思いました。私と関わることでB君が自分の吃音と向き合えたとしたら、就職面接の成否という一事にとどまらず、今後の彼の生き方にも及ぶ影響を与えられたのではないかと思うのです。
 言語聴覚士は言語・コミュニケーションに現れた非正常性(特異性、異常性)を正常なものに近づけていくのが仕事と捉えられがちです。医療の現場にいると特にそうです。発音の障害や発声の障害についてはこういうことが言えるでしょう。軽度の失語症やことばの発達の遅れに関してもそう捉えてさほど違和感はありません。しかし、重い失語症を負った方や自閉症の子ども達、重篤な聴覚障害の方々、進行性の疾患を持った人々にも私たちは支援をします。そこには今ある能力や特性を否定せず、より適応的に、その人らしく生きていくための支援を考え出す、別の視点が存在しています。吃音は治らないから、難しいからと尻込みをする言語聴覚士が多いことは残念ながら実態です。吃音を持つ人が抱えている問題に目を向け、それをどうすれば軽減できるかを考えて援助をすることは言語聴覚士にとって大切な仕事だと私は考えています。

さいごに

 B君の場合、青年期までに吃音と向き合う機会を得られなかったことが、結果として3年の就職浪人という辛い現実を招いたと言えるかもしれません。この頃、青年期以降の吃音者と面談することが多くなり、以前に増して、小児期の吃音臨床の重要性を痛感しています。言語聴覚士(でなくてもいいのですが)が小児期に本人や家族、周囲の人々と吃音に対する適切な認識を共有し、無理なく吃音に向き合うことを支えていくことができていれば、思春期以降のさまざまな問題(進学、就職、恋愛、結婚など)によりたくましく対処していけるのではないかと思います。
 でもまたまた残念ながら小児の吃音を対象にする言語聴覚士も非常に少ないのが現状です。小児も成人も吃音を担当する言語聴覚士が一人でも多くなることを心から願い、これからも声を大にして働きかけたいと思っています。

 以上が学会発表の要旨を書きあらためたものです(考察の部分はかなり付け足してしまいました)。
 日本コミュニケーション障害学会は言語聴覚士を主な構成員とする学会ですので、最後の部分は切実な思いで訴えました。ちなみにこの学会には昨年「吃音および流暢性障害研究分科会」が立ち上がりました。この先の展開に期待しています。
 また、私は今、大阪府言語聴覚士会という職能団体の会長という責務を担っています。吃音を対象にする言語聴覚士を増やすことは自分に与えられた使命だとも思っています。
 貴重な機会を与えてくださった伊藤伸二さんに心から感謝いたします。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/03/13

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