一鶴さん、ありがとう

 今、講談がブームだと聞きます。僕たちが知っているのは、一昔前の、ヒゲの講談師、田辺一鶴さんでした。
 田辺一鶴さんが「どもり講談教室」を開かなかったら、あの時代に、どもる人のセルフヘルプグループ言友会は誕生しなかったかもしれません。事実、吃音矯正所は、全国にあり、たくさんのどもる人が集まりながら、その人たちが、会をつくり、大きく発展させようとするエネルギーはなかったようです。謡曲を趣味とする会や10程度の親睦会はありましたが、社会に大きく羽ばたく気概のある会としては育たなかったのです。
 田辺一鶴、丹野裕文、伊藤伸二の一癖も二癖もある、ある意味変わった3人が出会ったことが、言友会の設立につながったのです。
 一鶴さんは、2009年12月22日にお亡くなりになりました。「スタタリング・ナウ」2010.1.23 NO.185 では、田辺一鶴さんを特集しています。まず、巻頭言からです。

一鶴さん、ありがとう
                  日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 旗はうねうね川風にひらめき渡る、時は元暦元年正月の二十日、春立つ日陰の習いとて細谷川の氷も解け、水かさまさるといえども減ずる事のあるべからず、

 木曾義仲と源義経の宇治川の合戦記、「宇治川の先陣争い」の講談の修羅場。一音一音をぐいぐい押していく勢いのあるリズムは、今でも私のからだの中に生き続けている。
 40年以上も前に覚えたものが、いまだに忘れることなく口をついて出てくるところをみると、当時はかなり一所懸命打ち込んだのだと思う。
 私の話しことばは、子どもの頃からずっと父親に教えられていた「謡曲」と、一鶴さんから教えられた「講談」が基本にあるようだ。
 昨年末の12月22日、講談の先生、田辺一鶴さんが、80歳でお亡くなりになった。時々、当時の事を思い出して、久しぶりにお会いしたいなあとずっと思っていたので、20年以上もお会いしなかったことが残念でならない。
 1965年9月30日、「講談のリズムでどもりを治そう」の記事が報知新聞に大きく掲載された。一鶴さんが、講談のリズムを身につけることで、吃音が治ったと紹介されていたために、大勢のどもる人が集まっていた。
 もし、一鶴さんが、この「吃音講談教室」を開いて下さらなかったら、田辺一鶴、丹野裕文、伊藤伸二の3人が出会うことはなかった。そして、どもる人のセルフヘルプグループ言友会が誕生し、発展していくことはなかっただろう。
 一鶴さんとの運命的な出会いを、今まだ、現役でセルフヘルプグループの活動を続けている私は、とてもありがたいと思っている。
 講談には、平家物語などの軍記をそのまま実況放送のように伝え、ぐいぐいと勢いよく読んでいく「修羅場」と、人情話の「世話物」がある。「修羅場」は、どんなに早く、一気に読んでも、一音一音母音を押しながら読むために、聞き手には、日本語のリズムと美しさとともに、戦場が再現されているような臨場感がある。民間吃音矯正所の「ゆっくり言う」発音練習とは、正反対のスピード感のある語りは、とても魅力だった。
 矯正所では、「ゆっくり」話せずに、劣等生だった私は、水を得た魚のように、講談に打ち込んだ。
 当時NHKの人気番組「お笑い三人組」で人気があり、後に国会議員になった一龍斎貞鳳さん、講談の大御所の神田山陽さんなどから、直接講談の指導を受ける贅沢な時間が、うれしくてたまらなかった。講談の文章も全部覚え、扇子をたたいて、修羅場を演じた。
 どもりを治すために講談の世界に入った一鶴さんは、様々な苦労の末に、講談界では欠かせない人になった。一時は、「ヒゲの一鶴」を知らない人がいないくらい、華々しく活躍した。しかし、決して、吃音を治すために講談の世界に入った初心を忘れることはなかった。どもる人への限りない愛情を注いだ人だった。
 1993年には、「吃音を治してしんぜよう」と、「講談復興」と「吃音矯正」を目的として、「講談大学」を設立した。どもる人のためにという思いを、生涯持ち続けた。「治してあげよう」と言いながら、一鶴さんの吃音が実際には治ったわけではない。
 記憶は確かではないが、20年くらい前だろうか、大阪難波の歌舞伎座に出演されていたとき、楽屋を尋ねたことがある。
 「タ行や力行が言えなかったのが言えるようになったら、今度は別の音が言えないんだ。その時は、扇子の代わりに手で舞台をたたくと、なんとか声が出る。吃音の随伴症状を、お客さんは、どもるからだとは思わないで、一鶴の独特の話し方だと喜んでくれる。吃音の随伴症状を商売にしているのは僕くらいだね」
と笑っていた。「講談」ではどもることはなかったが、吃音が治ることはなかった。仕事としての「謡曲」ではどもらず、普殺はよくどもっていた父親とだぶって、一鶴さんをとても身近に感じていた。
 言友会創立のきっかけを作り、また、私のことばに「講談」を注入してもらった。ありがとうございました。ご冥福お祈りします。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/03/07

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