どもって声が出ないときの対処法 2
昨日のつづきです。このとき、どもって声が出ないときの具体的な対処法として、いくつか演習を行っています。話だけに終わらず、その場で、具体的に演習する臨機応変さが、大阪吃音教室の柔軟さです。ことばや声に苦労した分、僕たちは、「声の教養」を磨きたいものです。
また、ありがとう念仏も、よく覚えています。たくさんの声が響き合って、厳かな雰囲気になりました。
では、「スタタリング・ナウ」2009.12.22 NO.184 より紹介します。○印は、参加者の発言です。
どもって声が出ないときの対処法 2
大阪吃音教室 2009.11.6 担当 伊藤伸二
声の教養
○電話のときは、「あっ、すいません」をつけるが、それでもだめなら、普段の自分の声よりもちょっと低めの声で言うと、なんとか出る。
伊藤 これもすごくいい。僕たちは、どもりで悩んできたんだから、声の専門家になろう。声の要素として、声の高い・低いのほかには?
○大きい・小さい
○かたい・やわらかい。音色ともいうか。
○アクセント。
○速い・遅い。
○強い・弱い。高い低い
○間
演習1 いろいろな声を出す
伊藤 自分は、高い声が言いやすいか、低くした方がいいか。大きい声が言いやすいか、ひそひそ声の方がいいのか。言いやすいを工夫してみよう。では、実験してみよう。
とびきり高い声で、「私はあなたが好き」を言ってみよう。次にとびきり低い声で言ってみよう。
大きな声、ひそひそ声、速く、遅くなど、いろんな言い方で言ってみる。
以前、すごく大きな声を出してしゃべる人が参加した。気分が悪くなるくらい大きい。彼に「君は、声が大きいと言われたことがあるか」と聞くと、「はい、あります。大きいと言われます」と自慢をする。「声が大き過ぎると言われたことはないか」と聞くと、「ない」と、不思議そうに言う。
声が大きければいいと思っているようだけど、小さいグループでは小さい声で、これくらいの人数ならこれくらいの声で、1000人くらいいるのなら、1000人に聞こえるくらいの声で、と、その場に応じた声を出すために、声の小さい人は、大きな声が出せるようにしておくといい。普段から大きい声を出しておかないと、なかなかできない。少しずつ練習してもらいたい。
大きい、小さい、早い、遅いなど、どっちが言いやすいかは人によって違う。これまでの吃音矯正所は一律に「みーなーさーん」とやらされた。早く言った方がいいという人もいる。
それと、間を僕たちは上手に活かしたい。「わたしはあなたが好き」の何を強調したいかで、間が変わる。この間を、自分でしゃべりやすいものにするといい。僕たちはどもるかどもらないかに注意を払ってきたので、間をあまり使ってこなかった気がする。表現には、間がものすごく大事です。僕は落語が好きで、よくホールに行くけれど、落語の命は間です。昔、間の名人と言われたのが、徳川夢声。ゆっくりでは、革新知事のシンボルだった東京都知事・美濃部亮吉さん。とてもゆっくり、「みんしゅしゅぎというものは」言われると、すごく説得力があった。べらべらと早口では、世の中が変わるなあという感じがしない。
人から教えられた、「ゆっくり話す」ではなくて、一音一音、母音をつけて言うことから、自然に身につくゆっくりさ、個性として身につけた「ゆっくりさ」をもっていい。最近日本人はとても早口になり、アナウンサーもドラマも漫才も早い。その早さに対抗して、もっと、自分なりのゆっくりさを身につけよう。
できるだけバラエティに富んだ声、その場に応じた声の大きさを自由に使えるのがいい。それと、音質、音色。なにかキャラクターでもいいから、物まねできる人、ある?
○牛の鳴き声。(大爆笑)
○クレヨンしんちゃんのまね。
伊藤 いいねえ。クレヨンしんちゃんのしゃべり方をすると、どもらないという子どもがいた。これは、ひとつの注意転換だね。いつもクレヨンしんちゃんではだめだけど、緊急避難のときに使うのはあっていい。僕は、森進一や、田中角栄のまねもできる。また、裏声を使うのもいい。
三重大学の弓場徹教授は、音痴を治すために裏声を出す練習をさせている。僕は音痴ではないけれど、吃音に参考になると思って、朝日カルチャーセンターの講座を受けた。吃音が治るとは思わないが、緊急避難として使える。これは、誰でも練習すればできるようになる。
○そんな裏声なんて使うぐらいなら、どもる方がよほどいい。
伊藤 そうだね。どんなにどもってでも、突破して言うか、裏声でしのぐかは、その人の選択だ。
あと、緊急避難の対策として、歯をやわらかく噛んで、口をあけないでしゃべるのも一つの方法。英語なら何を言っているか分からないだろうが、日本語の場合は、発音が不明瞭になるけれど、聞き取れる。一発勝負のときに使える。
これらは、何かに注意を転換するということで、注意転換法と言われるものだ。吃音の治療に使われてきた。これまで、吃音治療として工夫された方法は、治療・改善には役に立たないが、どうしても言わなくてはいけない、言いたいことで、声が出ないときの、緊急避難の方法としては使える。使うか使わないかは、その人の選択だけれど、いくらでも手があるということを知っておくと、ちょっと安心、楽になる。
母音をつける
○「た」の場合、TとAに分けて、Aに意識を置きながら「た」を言うと、Yさんが言っていたが、その方法は使える。
伊藤 これも基本です。吃音親子サマーキャンプの劇の時、「次の日」の「つ」が出ない子に「つ」は言わなくてもいい。「ういおい」と母音だけを言っていけばいいとしばらく練習してから、「っう・・」と子音をちょっとつけて、むしろ母音を言うつもりでと言って練習したら、劇の上演の時に見事にナレーションをやりとげた。本人も、お父さんもお母さんも、みんなびっくりした。
日本語の特徴は、「ん」以外の子音には全て母音がついていること。英語は子音を強調する言語で、日本語は母音が命の言語。アメリカの統合的アプローチでは、随意吃音を使ったり「やわらく、そっと、軽く」言うことを訓練する。日本語でどもる僕たちは、こういう方法は使わなくても、母音を出せばいい。母音が出ていれば、文脈の中で話は通じる。日本語は、母音が大事だということは頭に入れておいてほしい。それと、一音一音が同じ長さ。一音一拍。これを心がけることは、どもらない工夫ではなくて、日本語をしゃべるという意味。
ゆっくり
伊藤 吃音を治すと言いながら、方法はひとつ。ゆっくりしゃべるしかない。DAF、メトロノームの器具を使って、ゆっくりしゃべれということ。ゆっくりしゃべれと言われてもできないし、吃音が治るわけでもない。治す治さないではなくて、母音をつけて一音一音丁寧に話していくという習慣をつけてほしい。すると、結果として、自分なりのゆっくりさを身につけることになるのではないか。
○リズムはどうでしょう。
伊藤 みんなで考えると出てくるね。
1965年の9月、講談師の田辺一鶴さんが、「講談でどもりを治そう」と講談教室を開いた。僕は毎週、田辺一鶴さんや有名な神田山陽さんなどの講談師から講談を教えてもらった。田辺一鶴さんは、小学校のときの吃音の矯正会で、一番重い吃音だったそうだ。リズムのあるものを、何か習得すると役に立つ。修羅場という戦記物は、早く、ぐいぐい言うが、母音を一音一音押していないと何を言っているか分からない。僕はこの講談で、竹内さんの言う、一音一拍、母音をつけるということを身につけたのだと思う。
落語、講談、謡曲、歌、なんでもいいから、日常の生活の中で「声」を出すことを取り入れたい。好きな小説を一日に10分でも15分でも声を出して読む、歌舞伎の台詞を言うのもいい。父親が歌舞伎が好きで、僕の頭の中には、歌舞伎の台詞がありました。「知らざあ、言ってきかせやしょう」など、いろんな場面の台詞を覚えている。
谷川俊太郎さんの詩、とくにことばあそびに関係した詩などを、声の教養として、声を出して読む。論語や社説やコラムを声を出して読むことを習慣づければ、いろんな意味で役に立つと思います。何か生活の中でしていることはありますか?
○出勤の車の中でお経を唱えてますよ。
伊藤 お経なんて最高。声を出すことを普段の生活の中に取り入れたい。やっぱり基本になるのは、歌だと思う。僕も歌ではどもらないから、海や山で大声で歌っていた。これも僕のことばの基礎を作ってくれたと思う。竹内敏晴さんも、寮歌をがなりたてるように、歌って、それが今のことばの基礎になったと言っていた。ぜひ、もうちょっと声を大きくすることをやってみよう。大きくも小さくもできる「声の教養」を身につけていこう。
僕は、吃音で悩んでいたとき、早口で、声もすごく小さかった。でも、東京正生学院に行って、もうどもりは治らないとあきらめたとき、どもってもいいから、「声を大きくしよう」と思った。
そこで、大学では詩吟部に入って、大きな声をがなり立てていた。それが、僕の今の声の基礎を作っていると思う。どもるとかどもらないを超えて、声の鍛錬をしたい。アナウンサーも毎日練習をしている。吃音に困り、悩んでいるなら、日頃何もしないのは、怠けていると言える。大きな声を出す場があまりないけれど、車の中ならやれる。
ほかに、自分がどもりそうだというときに、工夫をしているということはありますか。
○私の場合もお経。
○劇の台詞。
○外郎売り
伊藤 昔は、「外郎売り」を覚えた。歌舞伎役者の基礎練習で、これらをすれば、リズムがついていく。せっかくことばで悩んできたのだから、声の教養を身につけたいなあと思う。
○小学校で「まどみちを」さんの詩を、子どもたちと読んでいます。
伊藤 ぜひ、本屋さんの詩のコーナーに行って、自分の好きな詩をみつけて下さい。
演習2 大きな声で言う、歌う
伊藤 みんな、自分がどこまで大きな声が出せるか知らないのではないのではないか。最初に、できるだけ大きい声で、自分の名前を言ってみよう。名前が言いにくかったら、「おーい」でもいい。(ひとりひとり大きな声を出す)
ちょっと立って、からだを楽にして。「春」の歌を歌ってみよう。では、一人ずつ、1小節ずつ、歌ってみよう。(「春」を歌う)
演習3 ありがとう念仏
伊藤 僕は、断食道場で、10日間の断食をしたとき、毎日般若心経をみんなで唱えた。
では、目を閉じて下さい。声を出す姿勢になって、楽にして下さい。無理に感謝しなくてもいいが、何か感謝できることが浮かべば、そのことを思い浮かべながら、「あーりーがーとーおー」と念仏を言うように、言って下さい。息の長さはそれぞれのペースでいいです。
○なんかすごい共鳴して、びっくりした。
○すっきりした。
伊藤 普段の生活の中で、「ありがとう念仏」を取り入れてみて下さい。宗派に関係がありません。
今、NHK教育テレビで、「法然を語る」という番組に出ている、比較宗教学者の町田宋鳳さんが提唱しています。法然は、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」と、一日に何万回唱えたそうです。観念的なことではなく、「声を出して唱える」ことで、その声が想像力になり、生きる力になります。これが、「ことばの力」です。
これまで、いろいろと皆さんの工夫を整理してきたが、他にまだありますか?
究極の対処法
○どもってもいいやと思ったらいい。
伊藤 そうだね。結局は、それが一番。
「どもる時は、どもるにまかせる」ことなのかな。厳しいかもしれないが、「どもって、声が出ない」と言うが、本当はそうじゃない。どもりたくないから、声を出さないのです。僕も、「いいいいいいいいとう」と、ここまでどもれば言える。通信販売で注文するときに、「いいいいいとう」となる。住所と名前を言うのに、他の人なら7秒くらいで言えるけれど、僕は25秒かかる。でも、長い人生の中で、7秒でしゃべれなくても、1分かかってもしゃべれる方がいい。
どもってもいいと思えれば、声は出る。どもる声を自分で聞きたくない、そういうどもり方をしたくないと思うから、「い」が出るまで待つ。出るまで待つ時間を、どもっていないように相手は錯覚するが、ほんとはどもっている。「・・・いとう」と言うなら、「いいいいいとう」でも時間的には変わらない。
「どもってもいいと思う」ことは、いくつか緊急避難の対策を考えてきたけれど、上位にくる。
どもるということを覚悟することです。どもってはいけない場面は、おそらくほとんどない。どもってはいけない場面を、自分が自分で思い込んでいるだけです。
小学校の教師が、卒業式のときに、卒業生の名前が言えないのは、周りから見たら大変だと思うかもしれない。だけど、どもりながら卒業式で名前を言う教員はいっぱいいる。高校の校長先生がものすごくどもって挨拶をすると言っていた高校生がいた。
結婚式の仲人、入学や就職の面接など、どもってはいけない場面として僕たちは決めつけすぎている。どもっても税金をとられるわけじゃなし、ちょっと気分的に嫌だなあと思うくらいだ。そこをしのげば声が出ないときは、実はほとんどない。
「どもってもいいやと思ったら」という発言が今回の大阪吃音教室の最後をしめくくってくれました。緊急避難の対策はまだあるかもしれません。次回、もっともっと出るかもしれない。それを積み重ねていくのが、吃音教室の役割じゃないかなと思います。感想を聞きましょう。
参加者の感想
○いろいろ実践できそうなことがあったが、どもっても伝えるか、どもるしかないんだなと思う。
伊藤 今後、治療法が開発されたとしても、多くの人にゆきわたるには、20年30年とかかる。それまで、治療法がない時代に僕たちは生きている。となると、どもっても言いたいことを言って、サバイバルするしかない。どもってはいけない場面だと、自分で思い込む必要はない。
○自分なりの突破口を探せたらいいと思った。
伊藤 僕たちは、吃音に悩んでいるわりには努力をしない。治す努力はいらないけれども、声を豊かにする努力は惜しんではいけない。
全国吃音巡回相談会を高知市で開いたとき、毎日20分、あらゆる分野の違う本を声を出して読んで吃音を治したという社会教育館長が参加した。そして、みんなに朗読を薦めた。「それは違う」と僕は言った。毎日の朗読で、知らず知らずのうちに、幅広い教養が身について、社会教育館の仕事を充実させたことがよかったのであって、朗読だけで、吃音がいい方向にいったのではないのではないかと言ったら、納得していました。朗読の習慣をつけるのはいい。
念仏を唱えたくても、眠くなったらどうしたらいいかとの質問に、法然は、眠ければ寝たらいい、目が覚めたらまたやればいいと言った。ことばの鍛錬も、やれるときにやればいいので、毎日続けないといけないと思ったらしんどいよね。
どんな手を使ってもいい。僕たちはどもる、だから、何でもありの権利が僕たちにはあると考えたい。
○「ありがとう念仏」を言ったときに、普段いかに声を出していないかが分かった。
○どもってもいけない場所は、自分が考えているだけで、他人様はどう考えているのかと思った。
伊藤 最後の男の悩みは、結婚式の新郎の父親としての挨拶だと言った人がいる。新郎の父親としてどもって挨拶したらいけないというものすごいプレッシャーで悩む。本当は、感極まって「あああ」とどもった方がずっといい。アナウンサーでない限り、普段の生活の中でどもってはいけない場はないと思う。自分が考えているだけだと思う。
○母音を意識して言うということを教えてもらったけれど、母音が言えない。
伊藤 母音でどもる人、母音が苦手な人はどうするのかを僕も考えた。考えたことを竹内さんに話したら、そう考えたらいいと言っていただいた。たとえば、「あ」が言いにくいとする。「あ」には、子音の「あ」とその奥に母音の「あ」があると考える。奥にある大きな母音の「あ」を意識して、言うといい。
○ありがとう念仏、気持ちよかった。
○毎朝、天声人語を読んだり、小説を読んだり、歌を歌ったりしながらやっていきたいと思います。
○高い声が出せないので、訓練します。
伊藤 教師のあなたの低い声は、子どもにとっては落ち着いていいと思う。女の人はかわいい高い声を出そうとするけれど、低い声のままでいいが、声域を広げるという意味でしてもいいね。
○声が出ないときは、どんな手を使っても声を出せばいい、とてもシンプルだと思った。
○声と頭脳は使えば使うほどいいんかなと思った。常に声を出していきたい。
○これからいろいろ実践したいと思った。
○大きな声を出してみて、気持ち良かった。
○宗教的なことは普段は避けがちだが、念仏は声を出して、空間全体が気持ち良かった。
○僕も母音が苦手なんだけど、「あ」の前に小さな「あ」をつけるというのは、使えそうだ。
○今の職場で働き始めて3か月になります。初めは、いつもそうだがとてもどもる。今、ずいぶん楽になったのは、どもってどもって話すことを経て、今、楽にしゃべれるようになったと思う。
伊藤 僕も21歳で吃音を治すことをあきらめて、その後、どもってどもってどもり倒してしていった。そうしないと、ことばというものは変わっていかないんじゃないかと思いますね。
○普段意外としゃべらないので、定年を前にして、もっとしゃべる癖をつけたいと思った。
○アナウンサーでさえ、発声練習をしているんだから、声が出ない僕らは、何かしなきゃと。
○僕は昔からゆっくりしゃべる方で、若いころ年寄りみたいとよく言われた。自分の中では、早くしゃべるとどもってしまうので、ゆっくりだと身ぶり、手振りもできる。子どもの頃は、どもりをマネされたけど、この頃は、身ぶりをマネされる。身ぶりをマネされるのは、全然嫌な気がしない。
伊藤 この世の中はどんどんスピードが速くなっている。話しことばにしても、アナウンサーが、1分間に読む量も増えているし、漫才師がすごく早口でテンポよくしゃべる。早口だと、頭の回転がいいような錯覚を起こして、みんな競って早口になっている。それは、大きな勘違いだ。
かしこい人間の証であるかのように、早くしゃべっている。スピードの時代に振り回されることはない。僕たちはちょっと立ち止まって、自分なりのゆっくりさを身につけたい。
世の中の早さに対抗して、ゆっくりさに自信をもちたい。ゆっくりしゃべってもらった方が、聞く相手はずっと楽だと思うよ。人に威圧感を与えないし、お互いがほんとに楽になる。
今は、スローフードの世の中ですから、スローな話にしてほしい。
○吃音教室に来た頃は、何を言われても、どもる時は、出ないものは出ないという感じだった。だけど、今振り返ってみると、今は、出ないということは絶対ないと思える。それは、伊藤さんがどもって講座をしているのを見て、どもったときは、ああいう出し方をしたらいいと勉強している気がする。なので、絶対出ないという恐怖はなくなった。どうにかしたら出ると考えている。伊藤さんのような、楽などもり方が、最近私の身についてきた。今、すごく安心しています。
伊藤 この大阪吃音教室の良さは、人のどもり方を見て、こういうどもり方がいいとマネすることでもあるかもしれない。いろんなどもり方の見本市会場のようなものだ。吃音親子サマーキャンプでも、ある高校生のしゃべり方に、中学生があこがれていた。その高校生は、難発で間ができる。その間がソフトな、思慮深い印象を与えたようで、中学生が、「あのどもり方がいい、考えもってしゃべっている」と言っていた。
僕たちは、どもってしゃべって、間を置こうとしなくても、自然に間ができてしまう。だったら、自覚的にその間を活用して、その間をリズムのようにしてしまおう。すると、そんなに思慮深くなくても、思慮深い、誠実なしゃべり方になるような気がする。連発型で、「とととと・・」となる人は、堂々とどもりながらしゃべっているように見える。これも、誠実に自分を表現しているように見える。難発型は思慮深さを、連発型は明るさや堂々としている態度につながる。それぞれに活かせる。僕たちは、治す、軽くするというのでなく、どもり方を磨きたい。
みんなで、考え出し合うと、いろんな発見がありました。整理もできました。(了)
大阪吃音教室 2009.11.6 「スタタリング・ナウ」2009.12.22 NO.184
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/03/06