どもってはいけない場

 今日は3月3日、早いもので、今年も年度末の3月に入りました。2月末に大雪が降ったり、3月に入って夏日のところもあったり、また寒くなったり、この寒暖差が大きいのが、僕は苦手です。体調に気をつけながら、過ごしています。4月からの来年度の予定も少しずつ入ってきました。ありがたいことだと、準備をしています。
 さて、今日は、「スタタリング・ナウ」2009.12.22 NO.184 の巻頭言です。
 「どもってはいけない場」、吃音に悩み、とらわれていたときは、確かに「どもってはいけない場」があると思っていました。正確には「どもってはいけない場」ではなく、「どもりたくない場」だったのですが。今は、「どもってはいけない場」などないと、はっきり言えます。いつでもどこでもどもってもいいと思えたとき、どもる状態は全く変わらなくても、自分の目の前の世界が大きく変わります。自分自身の経験からも、出会った多くのどもる人やどもる子どもたちからも、そう思います。

  どもってはいけない場
                   日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「どもる人は、教師や医師になってはいけないと私は思うが、伊藤さんはどう思いますか」

 2009年12月12日、北九州市立障害福祉センターで開かれた「吃音相談・講演会」の夜の成人の部の時、それまで黙っていた一人の青年が質問した。同席していた母親によると、彼は日常生活で吃音がほとんど目立たない。母親は、吃音に悩んでいると最近聞かされて、びっくりして、この相談会に、親子で来たのだと言う。
 「この会を、吃音相談・講演会としたのは、相談したいこと、知りたいことを参加者から出してもらって、それを元にして講演するからです。相談や質問のある人は遠慮なくどうぞ」
 主催者である、北九州市立障害福祉センターの言語聴覚士・田中愛啓さんの挨拶をうけて、いくつかの相談や質問が出される。多くは、自分の吃音のことについて、どうしたらいいかの質問だが、あまり吃音が目立たない彼が、このような一般的な質問を出すことに興味を持った。これまで、彼が吃音をどう考えてきたのか、仕事の中で吃音とどう向き合ってきたのか、今後どんな仕事につきたいと考えているのか。
 こちらから「なぜそう思うのか?」と問い返していく時間がなかったので、私のまわりにいる、どもる教師や医師の体験や、どもる人がついている仕事などを紹介し、苦戦しながら、工夫しながら生きているかを話した。最後に、どもる人がついてはいけない仕事など、何一つないということも。
 大きく頷きながら聞いていた彼は、私の説明に納得したようで、反論や再質問はしなかった。そして、最後の感想を言う時、「よく分かりました。大丈夫です」と、明るい顔で言ってくれた。
 彼は、どもってはいけない仕事、どもってはいけない場面があると考えていたのだろう。そもそもどもってはいけない場面なんてあるのだろうか。ちょうど、大阪吃音教室で論議をしたばかりだ。
 どもる人にとって、どもるということは自明のはずで、どもって当たり前なのだ。それなのに、どもってはいけない場面があると思い込めば、とても生きづらい。どもる人が悩み、どもりを治したいと思うのは当然のことだ。どもってはいけない場があると思い込むと、自分をどんどん追い込んでいく。その、どもりたくない、どもってはいけないと考える場面を、どもってもいいやと、禁止リストから外していくことが、どもる人の生きやすさにつながる。
 どうすれば減らしていけるか。最初は勇気がいることだろうが、どもってはいけないと思っている場面でどんどんどもるしかない。自分の予想したことが起こるかどうか試してみるのだ。そしてどもった後の不快感、みじめさ、嫌悪感などが、自分では耐えられないほどの感情なのかどうか、確かめてみる。仮につらい体験をしたとしても、不快な感情がわいたとしても、人間の自然治癒力ともいえる力によって、時間と共にやわらいでいく。それは、私をはじめ、多くの人が経験してきたことで、実験してみる価値があることだ。
 日常の生活の中で、本来、どもってはいけない場面などない。どもってはいけない場があるのなら、極端に言えば、どもる人間は生きてはいけないということになってしまうだろう。
 どもってもいい場面、どもってはいけないと思っている場面を書き出し、そのひとつひとつを本当にそうなのか考え直し、それをひとつひとつ消していく。考え直すと同時に、行動することが、自分の生きづらさを解放させていく近道だ。
 どもりたくない場面でどもらなくなるようにするのがこれまでの吃音治療・臨床だった。私たちは、本当にどもってはいけない場なのかを検討し、考え方を変え、どこでもどもっていくのだと覚悟をすることをすすめたい。いつでもどこでもどもってもいいと思えたとき、どもる状態は全く変わらなくても、自分の目の前の世界が大きく変わっているに違いない。現に私たちは変わっていた。
 どもりたくないという青年の気持ちは理解できるが、どもってはいけない場も仕事も、ないのだ。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/03/03

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