竹内敏晴さんを偲んで

 「スタタリング・ナウ」2009.10.25 NO.182 に掲載の、竹内敏晴さんを悼む、社会学者の見田宗介さんと谷川俊太郎さん、おふたりのメッセージを紹介します。また、10年間、僕たちが事務局だった大阪の定例レッスンの参加者が集まって、「竹内敏晴さんを偲ぶ会」を行いました。同じ日、東京でも、東京の定例レッスンの参加者による偲ぶ会が開かれていました。

 祝祭としての生命探求 竹内敏晴氏を悼む
                            見田宗介 社会学者

 竹内敏晴は1925年の生まれ、吉本隆明や谷川雁、石牟礼道子たちの同世代者である。
わたしが竹内と初めて会った時、竹内は「ぶどうの会」という、木下順二を中心とする劇団の演出助手をしていた。一人一人の俳優をとても愛して、大切にする演出家という印象だった。
竹内は演出家であり、生涯にわたって演劇の人だった。けれども竹内の名が広く知られているのは、『ことばが劈かれるとき』をはじめ、言語論、身体論、教育論、思想論、近代社会論、などの領野を一気に貫通する、独自の具体的な人間論においてであった。とりわけ教育の世界に竹内の愛読者は多い。〈祝祭としての授業〉という竹内のキー・コンセプトは、多くの教育者たちに新鮮な視界を開いた。
 演出と人間学という竹内の二つの焦点は、どう関わっているのだろうか。小さい集まりの後の雑談みたいな時間に、竹内さんにとって最終、演出のための方法としての人間論なのか、人間論のための方法としての演出なのか、竹内さんの究極にめざすところは何か、と問うてみたことがある。
 「実は」と竹内は分厚い未発表の原稿の束を取り出してきた。表紙には力のこもった太い肉筆で、『演技者は詩人たりうるか』と書かれてあった。
 演技者は詩人たりうるか、という意表をつく表題にわたしが目をみはっていると、「詩人ということは、表現者とか創造者という方が分かりやすいかもしれないけれど」と言って、このような話をぽつりぽつりと語った。
 近代演劇では、俳優のからだは作者の創造と表現のための素材です。「どんな役でもこなせる」ということが、まあ、究極の理想です。けれども俳優自身のからだが、その存在の核の真実の噴出のように動き出すとき、まったく異質の感動が舞台に現出することがある。このある種原的な美学のようなものを、徹底して追求してみたい。いろんなからだたち、ゆがみをもち、ゆがみをはねかえそうとするからだたちが、作者のためでなく、脚本のためでなく、演出のためでもなくて、自分自身の存在の真実を解き放つことをとおして、そこで荘厳されればいい。荘厳とは仏教のことばの展開で、存在するもの(死者と生者)の尊厳と美しさとを、目に見えるような仕方で現出することである。こういう仕方で、俳優たちのからだが舞台の上で、生活者たちの存在が舞台の外で、花咲けばいいじゃないかと。
 竹内敏晴の仕事の独創の核は、この夢を実現する方法論の、おどろくべき現実性、具体性の内にこそあった。「竹内レッスン」の柱となるいくつかの技法、「砂浜」や「出会いのレッスン」、「仮面のレッスン」とその展開形はすべて、近代や前近代の「市民社会」や「共同体」の強いる幾重もの自己拘束、自己隠蔽の無意識の硬皮の層を、ていねいに解除してゆく装置として設定された。
 わたしが竹内と集中して関わったのは一年間だけなのだけれども、この短い時日の間にも、人間が〈真実〉である時にその身体の動きがどのように鮮烈なものでありうるかということの、生涯忘れることのできないシーンのいくつかと立ち会うことがあった。
 神のためでなく、国家のためでなく、経済成長のためでなく、人間の一人一人の有限の生が、他の有限の生たちと呼応することをとおして、現出する豊穣な時の持続を享受するという、人間の歴史の新しく未踏のステージのとば口に立って竹内敏晴は、ただ存在の〈真実〉を解き放つことをとおしてそこに生命の祝祭を現出してしまうという、単純な、けれど困難な、方法論をその生涯をかけて探求し、わたしたちの世界に残した。   2009年9月16日朝日新聞

  声 とどいていますか?
        竹内敏晴さんに
                    谷川俊太郎
あなたが行ってしまった
あなたの声と一緒に
あなたの眼差しと一緒に
あなたの手足と一緒に
あなたは行ってしまった

あなたは今どこにいるのか
あなたがどこにいようとも
今そこにいるあなたに向かって
私たちは呼びかける
声 とどいていますか?

あなたの書いた言葉は残っている
あなたの動く姿の記録も
あなたの叫ぶ声歌う声も
でもあなたは行ってしまった
私たちここに置き去りにして

だが声は生まれる
途絶えずに声は生まれる
ときに堪えきれない鳴咽のように
ときに幼子の笑いのように
あなたが無言で呼びかけるから

あなたは行ってしまった
行ってしまったのに あなたはいる
私たちひとりひとりのからだに
思い出よりも生々しくたくましく
あなたはいる 今ここに

《竹内敏晴さんを偲んで》

 10月18日(日)午後1時、10年間、竹内レッスンの会場だった大阪市天王寺区の應典院に、21名が集まった。ちょうどこの日は、東京・立川で、賢治の学校主催の「竹内敏晴さんを偲ぶ会」が開催されていた。偶然同じ日に、これまで竹内さんにレッスンを受けていた者が東京と大阪に集まったことになる。
 應典院のB研修室に、いっものように床にカーペットを敷き、丸くなって座る。今にも「息を入れて」という竹内さんの声が聞こえてきそうだった。集まった21人ひとりひとりが、竹内さんについて、竹内レッスンについて語ることから始まった。訃報に接したときの驚き、喪失感、存在の大きさ、今後のことなど、何を語ってもいい。次に、亡くなるときに身近にいた者から、竹内さんの最後の様子が話される。大好きだった、♪ぎんぎんぎらぎら 夕日が沈む♪の歌声に囲まれながら幕を下ろした竹内さんの姿が目に浮かぶ。大きな拍手をして火葬に送られたという。
 この應典院の集まりの時、上に紹介した谷川俊太郎さんの詩が配られた。立川での偲ぶ会に参加できない谷川さんが作り、贈られたものだ。
 1998年、私たちの吃音ショートコースの特別ゲストは、谷川さんと竹内さんだった。「こんなにしゃべったのは初めて」と竹内さんご自身が驚かれていた。谷川さんとの対談がなつかしい。

竹内敏晴さんの最新刊『「出会う」ということ』(藤原書店)、10月末発刊予定!!

 ”人に出会う”とは何か? 
 社会的な・日常的な・表面的な付き合いよりもっと深いところで、「なま」で「じか」な”あなた”と出会いたい―。自分のからだの中で本当に動いているものを見つめながら、相手の存在を受け止めようとする「出会いのレッスン」の場から。
 ”あなた”に出会うためのバイエル。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/02/23

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