吃音の予期不安と恐れに対する対処の仕方
2008年10月3日の大阪吃音教室の講座「吃音の予期不安と恐れに対する対処の仕方」は、「スタタリング・ナウ」2号分にわたって掲載していました。今日は、その続きです。
2時間半くらいの講座の時間ですが、次々と話題が広がり、話し合いの中で深まっていくのが分かります。参加者の発言で僕自身が活性化され、いろいろな問いかけをしています。そして、ひとりひとりがそれについて自分の考えを話しています。「どもりたくない場面でひどくどもってしまった。だから…に続く選択肢を考えてみよう」には、たくさんの選択肢が出てきました。ひとりで考えていたときには、きっと思いつかないことでしょう。セルフヘルプグループならではの語り合いになっています。
《大阪吃音教室2008.10.3》
吃音の予期不安と恐れに対する対処の仕方 3
担当:伊藤伸二
他の人と同じことができない
伊藤 どもることへの不安や恐れとして出された、他の人と同じことができないことが恥ずかしいについて考えてみよう。
L できることはみんな別々でみんな違うから、ほかの人って誰のこと?
伊藤 大抵の人かな。大抵の人が何の苦もなくできることができない恥ずかしさは分かるね。みんなは当たり前のようにできることが自分にはできないこと、どもること以外で何かないかな?
T ものすごく運動神経が悪いこと。大人になってから、コンプレックスではなくなったけど、小・中学の頃は、すごいコンプレックスでした。
K ゴルフの関係の仕事だが、自分はゴルフができない。
伊藤 大学や専門学校の講義で板書をする時、漢字が書けず、ごまかして書いていた。板書の文字が読めないとよく言われ、劣等感になっていた。字が汚いからと言っていたけれど、最近は、漢字が書けないと言えるようになった。
H 階段を手すりを持たずに降りられない。足がどもるというか。体が不自由でもなく、癖みたいなもんですが、みんなが、さっと階段を降りていくのに自分でもかっこ悪いし、不便です。
伊藤 誰でもができることで、できないことってあり得る。だから、ほかのことをがんばろうと切り替えられたらいいよね。ほかの人にはできないことだけど、自分にはできることはないですか。
L 済んだことは忘れる。
K 楽器の演奏。
伊藤 他の人と同じことができないことがあるから、何か一個でもいいから、ほかの人にできないけれども、私にはできるものを持てればいいね。
ばれたらどうしようという不安
伊藤 どもることがばれるのは当たり前だから、最初から自分からばらさないといけない。予期不安は、どもったらどうしよいう不安だから、最初から、「どどどど」とどもってしまえばいい。最初にどもること。何かの拍子にうまくどもらずにできたというのはくせものです。最初に失敗をするに限る。最初につまずいて、最初に赤っ恥をかいてしまえば楽だよね。
何事が起こったか、びっくりする
伊藤 吃音については、最初に説明することが大事。僕たちは、吃音について、これだけは知ってもらいたいということを書いてコピーして10枚くらい持っておく。そして、この人とは仕事上どうしてもつきあわなければならないとか、自分を知ってもらいたい人に読んでもらう。理解を求めるにはそれなりの努力をする必要がある。そういうのを作るのが面倒な人は、「どもる君へいま伝えたいこと」を10冊買って、常に鞄に1冊か2冊しのばせておいて、「これ、読んで」と渡せばいい。
不安や恐怖をもっている場面でひどくどもった。だから…
伊藤 みんながちゃんちゃんとやっていく場面で、私はひどくどもってしまった。今までの僕たちは、だからみじめだ、だから最悪だというマイナスの考え方を後に続く文章にもってきて悩んできた。考え方の練習をしてみよう。ほんとはどもりたくない場面でひどくどもってしまった。だから、に続く選択肢を考えてほしい。思いついた人、どうぞ。
T 自分の吃音を知ってもらうチャンスになった。
C 印象に残って、人から覚えてもらえた。
A おもしろい奴だと思われた。
伊藤 このおもしろいというのはすごく大事だと思う。逆手にとっていいと思う。映画や芝居で演出家は、どういう人物を描写するために、役者にどもらせるか、考えて下さい。
H あわてもんでおっちょこちょい。「たたたたいへんだー」というキャラクター。
P 誠実で純朴な人を設定するときに。
Q 陰気な人もあるかな。
T 感受性の豊かな芸術家を演じさせるとき。
H お人好しで、引っ込み思案。
伊藤 大体そんなもんかな。「カッコーの巣の上で」という映画ではすごく神経質な人、「今を生きる」という映画では、誠実な生徒がどもっていた。昔の映画の「森の石松」は、おっちょこちょいでとてもユーモラスにどもっていた。どもる人のイメージは、陰気で暗くて神経質というものだけではなく、ユーモラス、おもしろいもある。おもしろいと思われることはいいですねそのためには、条件がある。暗いどもり方ではおもしろい人間には見られない。堂々と明るくどもっていたら、おもしろいなと印象づけられる。どっちみちどもるなら、明るくどもるというのも、ひとつのどもり方としてあっていい。
どもりは治らないけれど、どもり方を工夫して、イメージアップする。セールスマンは、絶対どもる人は有利だ。本当は誠実でなくても、どもりながら、とつとつと説明すると、誠実でいい印象を与えてしまうこともある。ほかにありますか。
L これは私のことですが、がんばって仕事をしているんやなと思われました。
伊藤 ほかの人やったら、何気なくやってしまうことを、どもってするわけだから、がんばり屋さんだなと見てもらうことができる可能性がある。
H これで隠す必要がなくなった。
伊藤 今までは、なんとか隠そうと、ごまかしてきたけれど、これだけひどくどもったら、もう隠す必要はない。隠すことに疲れた。もうこれでいいと、ひとつの踏ん切りがつく。
K 自然と自己開示できているわけで、相手も急に親しくしてくれる。
伊藤 僕たちが親しくしたいと思う人はどんな人だろう。完壁で、何事もそつなくこなす人間かなあ。ちょっとちぐはぐで、欠点がある人間に共感したり、親しみをもつということだってあり得る。
僕たちがどもりながら生活していることは、ひょっとしたら周りの人に勇気を与えているかもしれない。どもりながらがんばってるんやなあ、自分もやらなきゃなあとなる可能性はないことはない。
K それと似ていて、人に信頼される。どもってしやべったら、相手は、自分のことも言っていいなあと思ってくれる。こちらが自己開示してるわけだから、急に関係が深くなった。
伊藤 かっこよく見せようとして、隠す。でも、それがみえみえになって、この人、何を考えているのやろとなる。ちょっと近づきがたいよね。ところが、どもっているのをさらけ出してもらえると、近づこう、仲良くなりたい、となる。
K ええ人やと思われる。
N うん、ただどもっているだけやのにね。
伊藤 誠実に思われたり、がんばっていると思われたり、おもしろい人に思われたりする。
H 人から同情される。
自慢せず、謙虚に生きる
伊藤 同情の反対は妬みですが、今日の読売新聞の人生案内の「大学の同級生で同じ仕事につき、とても仲のよかった友だちが、私が先に昇進したために、すごくねたみ、仕事がやりにくい」に小説家が回答したが、皆さんだったら、どんな回答をしますか?また、自分が人からねたまれている、うらやましがられていると感じ、その人との関係を良好なものにしたいと思ったら、どうする?
N 仕事の相談を、その同僚にもちかける。
G 仕事以外の時間に二人で会う時間をつくる。
L 仕方がないから離れる。だんだん疎遠になる。
T 自分はねたまれるべき存在だと認める。
伊藤 この世の中に、ねたみがないという世界はない。ねたみはあり得るというのが前提で、「お芝居でもいいから、自分の弱みとか、弱点とか、自分のしょうもなさを言いなさい、演技しなさい」と小説家は回答していた。良い回答とは僕は思わないけれど、劣等感と思われているものを素直に出していくと、周りの人から、ねたまれることは少なくなる。弱みを素直に出して生きている人とは、つきあいやすい。少し脱線しましたが。
どもりたくない場面でひどくどもってしまった。だから、人生の最大の危機、最悪のことだと思ったとしても、実は選択肢はいっぱいある。できるだけ、奇想天外なこと、そんなことあり得ないだろうということを含めて、だからの後に続くことばを常に考える習慣をつけておいた方がいい。
G さっきの人生相談で、伊藤さんなら、どう回答されますか。気になっていたので聞きたい。
伊藤 うそでもいいから、お芝居でもいいから、というのが嫌ですね。そんなのはばれてしまって、かえって関係が悪化する。
僕は、ありがたいことに欠点や弱点がいっぱいある。わざとらしく言う必要がない。心臓病の薬、糖尿病の薬などたくさんの薬を持たないといけない、長期の旅行は不便です。列車に乗り遅れそうになっても走れない。僕には欠点や弱点、できないことが山ほどある。挫折をたくさん経験している。それを素直に話すだけです。
G そう回答するということですか。
伊藤 小説家の回答に真似て言えばですよ。優れていること、できることなど、人にねたまれるようなことはあまり言わない。自慢や自己PRをできるだけ普段からしないことでしょうね。就職活動なんかでも、「自己PR」が強調されすぎます。自己PRコンテストのサイトもあるくらいで、自慢合戦になっている。こういう時代だと、つい自慢したくなる。褒めてもらいたくなる。謙虚さが失われていきます。ねたまれそうなら、また劣等感の強そうな人の前では自慢話をしない。この質問者は、なにげないつもりでも自慢話のようなことをしていたように思います。
幸か不幸かどもる私たちは、芝居ではなく本当にできないことがある。謙虚になれる。これは有利なことでもあると思います。
予期不安や恐れに関することで、現在進行形の人、何かありますか。Mさん、新郎の父親としての挨拶、すごく不安じゃなかった?
M 不安じゃなかったんですけど、意外と本番ではどもりました。まさかあそこでどもるとは思わないところでつっかえました。
伊藤 で、その結果、
M 別に普通の評価でしょうね。両家を代表して、ということばから始まるんですけど、そこは言えると思っていたのに、言えなかった。最初からことばが出なかった。後で、ビデオを見たけど、それほど気になるほどの難発ではなかったです。
伊藤 すごくどもっているように自分では思えるけど、実際はそれほどでもないんだよね。
予期不安や恐怖ということで、何かありますか。これまでの話は、吃音の予期不安や恐れの対処に多少は参考になったでしょうか。質問はないですか。じゃ、一人ずつ、感想をどうぞ。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/02/17