吃音の予期不安に対する対処の仕方 2
2008年10月3日の大阪吃音教室の様子を掲載しています。その日の講座は、僕の担当で、「吃音の予期不安に対する対処の仕方」でした。不安や恐れに対処する前提は、どもる事実を認めているということを、参加者みんなで確認してから、話は進んでいきました。
どもって立ち往生したとき、どうするか、恥ずかしいとはどういうことか、参加者の発言が白熱していくのが紙面からも伝わってくるようです。
《大阪吃音教室2008.10.3》 吃音の予期不安に対する対処の仕方 2
担当:伊藤伸二
どもって立ち往生したときの対処
伊藤 この前提で、立ち往生したときの対処は、考えた方がいいね。どもる事実を認めている人が、立ち往生したときにどう切り抜けるか。
N たとえば、「今、どうしてもうまく読めません」と言う。「調子が悪いです」とか。
伊藤 立ち往生しているということを言語化する。僕の昔の文章に、「どもっているならどもっていると言わねばならない」と、とても難しいことを言っています。たとえば、順番が回ってくると、「…」と、話す努力はしないでただ黙っている。黙っていたら通り過ぎていく。どもっているふりをしてその場をしのごうとした経験のある人、いないですか?(ふたり手を挙げる)。あっ、いますか。順番が通り過ぎて、くやしいと思うけれど、一方ではほっとしたりする。
I そんなん、ずっこい。
伊藤 ずっこいけど、それもひとつのサバイバルですよね。立ち往生しているときは、立ち往生しているとほんとは言いたいんだけど、それもどもって言えないときは、どうする?
J ひどくどもっていたら、社長さんがメモ帳を貸してくれて、ここに書けと言われて書いたことがあった。
伊藤 いやな人は必要はないけれど、立ち往生したときの対処のひとつとして、書くのもいいね。病気や障害のある人が、「私は何々ができません」とカードを持ち歩いている。僕も糖尿病だから、発作を起こしたときに頼むという糖尿病カードを持っている。それと同じように、「今、私はどもって言えません」とか持っておくというのはどう?
T 前もって、自分がどもって立ち往生したときのことを周りの人に頼んでおく。立ち往生したら合図するから出てきてと言っておく。
伊藤 それもいいね。僕が現実に経験したことでいうと、中学校の教員から、卒業式で生徒の名前が言えないとき、どうしたらいいかという相談を受けた。校長、教頭、同僚、生徒にもどもる事実を話して、どもって言えない生徒のときに、教頭に代わりに言ってもらうことを提案した。彼の場合は、実際、立ち往生して教頭が代わりに言ったけれど、あらかじめ計画していたことだから、あまり落ち込まなかったと報告してくれた。準備しておくと、安心感で、言える場合もある。
今のAさんの例で言えば、40人の中の1人か2人と、仲良くなっておく。普段から大事にして、お酒を飲みに行ったら、ときどきおごる。そういう出費は必要経費ですよ。何かのときに、ぱっと手を挙げて、「今、Aさん、すごくどもって苦しいので、僕が代わりに読みます」と言ってくれる人間がいてくれると、楽だよね。僕はそれがサバイバルだと思う。全部自分の力だけで乗り越えようとすると、やっぱり難しい。限界がある。
立ち往生したときに、誰でもできるのは、竹内敏晴さんのレッスンで僕たちが学んできた、息を吐いて、一音一拍で母音をつけて言うこと。最後は、吃音矯正所の、極端に母音を伸ばしてゆっくり言うこともあっていい。社訓を読むのに、2分以内というルールがあったとしてもそれは無視するしかない。5分かけて読む。すると、Aさんに読ませると、時間がかかるから、あいつはパスしよう。そうなったら、ラッキーだよね。
A ラッキーです。
伊藤 だから、そういう場面をできるだけ早く作ってしまう。早く立ち往生してしまうというのもひとつの手だと思うよ。僕たちの苦しみは、常に「普通にする」ことを要求され、自分もそうしなければいけないと思うことです。例えば、足が不自由な人に走れとは周りの人は言わない。ところが、僕たちは、悲しいかな、ありがたいというべきか、どもってもしゃべれるから、周りの人たちから、周りと同じことを要求されて、それを果たさなければならないと思う。それをもうやめたい。
「私は、みんなのように、時間内に社訓を読むことはできませんが、時間がかかっていいですか」と言えるくらいになったらいい。同じように何かをしようという思いを捨てる。その代わり、ほかの、吃音とは関係ない部分で、一生懸命がんばる。そのがんばりは、どこかで評価されると思う。
「どもりたくない」というのは無理な注文だね。どもりたくないのは分かるけれど、どもって当たり前。どもって当たり前というのを徹底して、頭にたたきこんでおく必要がある。
恥ずかしいとか、嫌だとかという気持ちに関しては、どうだろう。
A それは、自分の中で考え方を変えていけば、結果として、変わってくるのではないでしょうか。
伊藤 どもると、恥ずかしいという考え方の奥にある考え方を、自己概念とか、スキーマという。恥ずかしいの背景にある自分の持っている考え方にはどんなものがあるだろうか。さっき、誰かが言ったのがそれに近いかもしれないね。
T 社訓も読めないなんて、決まり切ったことも読めないなんて、自分はなんて劣った人間なんだろう。
伊藤 劣った人間だという考え方。ほかには?
K 読めて当然だ。
伊藤 そんなもの、ほかの人なら何の苦もなく、読める。それを自分は読めない。読めて当然である。ほかには?
H 劣った人間に見られる。
T 自分が、どもらずにスマートにしゃべることに価値を置き過ぎている。
伊藤 流暢に話すことに価値を置く。価値の置き方やね。これが、その人が持つ自己概念、その人の考え方になる。どんな考え方をもつから、恥ずかしいとかになるんだろう。
E 私は教員ですが、教員になってから感じたことはないけれど、教員になる前は、どもっていてはしゃべる仕事のプロとしてはだめなんじゃないか、もっと訓練しないとだめなんじゃないかとか考えたことはある。
伊藤 教師になる前は、教師は、話す仕事のプロとして、ちゃんとしゃべれなければ失格だし、ちゃんとしゃべれなければならないというものをもっていたわけね。で、実際に仕事をやってみて、
E やってみると、どもってもなんとか通じるし、分かってもらえる。私は大した人間じゃないので、すごい仕事ができたかというと、そうじゃないけど、自分なりの仕事はやってきた。それは、大きな自信になった。
伊藤 ちゃんとしゃべらなければならないという不安が大きくて、教師にならなかったら、今のように、どもっていても教師はできるとは考えられなかったかもしれないね。
E ええ。でも、話を蒸し返すようですけど、恥ずかしい気持ちは今もあるんです。教員研修に行って、一緒に採用された人たちと会うと、みんな話がおもしろくて、すごい上手なんです。そういう人たちと一緒になると、やっぱり違うなあと。それはいつまでたってもなくならないです。恥ずかしい気持ちを全部なくそうと思ったら無理で、あっていいんじゃないかなと思う。
伊藤 そういうことだね。恥ずかしいという気持ちは、行動を制限したり、めちゃくちゃ落ち込んだりということがなければ、あっていい感情だよね。恥も何もなくやれるのは、日本の二世の国会議員だ。
恥ずかしいという思いがあるのが、真っ当な人間なんじゃないかな。無理をして、完全になくそうとしなくてもいい。いくら頭で恥ずかしくない、と思っても、感情は自然にもってしまうものだからね。それは、持ち続けることかもしれない。
どもると恥ずかしいことについて
伊藤 でも、ここで大事なことは、恥ずかしいとは何かについて考えることです。僕たち、吃音に悩んできたおかげで、このような論議ができるのだと思うけれど、「どもることは恥ずかしい」と思うのは何なんだろう。恥ずかしいというのはほんとはどういうことなんだろう。
ちょっと吃音から離れてみて、「恥ずかしい奴だなあ、恥を知れ」という、ほんとの意味での恥ずべき人間、恥ずかしい行動を思い浮かべてもらいたい。どういう場面で、あいつ恥ずかしい奴だなあと思う?
U ごみやタバコをポイ捨てする人。
N 自分が仕事ができていないのに、一向にそのことに気がつかない人。
E 無理矢理自分を強く見せている人。
K 自分のことしか頭にない人。
H 自己顕示欲の強い人。
M ずるい人。
C 本来自分がしなければならないことを人任せする人。
L 横入りとか、順番抜かしをする人。ルールやマナーを守らない人。
S 電車でお年寄りが来ているのに、居眠りをするふりをする人。
J 人に迷惑をかけていて、平気な人。
T 自分はえらいと思っている人。
P 平気でうそをつく人。
Q 約束を守らなくても平気な人
R ほかの人と同じことができない人。
伊藤 「同じことができない人」は、ちょっと違うので後から考えますが、今、うそをつく人とか、ルールを守らない人とか、いろんなことが出てきた。
どもるということは、ルールやマナーを守らないことだろうか。中には、迷惑を掛けていると言う人がいるが、どもると人に迷惑をかけていることになるのか。ちょっと違うよね。僕たちは、どもることを恥ずかしいと思うことをできたらやめたらいい。やめようと決心するだけでいい。そう決心しても、なかなかそうはいかないけど。たばこをやめようと決心してもなかなかやめられないように。恥ずかしさは、100%なくならないけれど、どもることを恥ずかしいと思うことをやめようと決めようよ。
ほんとは世の中には恥ずべきことはいっぱいある。僕たちは、人を蹴落としてたり、だましたりしているわけじゃない。だから、どもっていることを恥ずかしいと思う論理的根拠がない。そのことを頭で考えておく必要があると思う。《この講座の続きは、次号で収録します。》
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/02/15