DCモデルによる吃音児指導の概要 2
昨日のつづきを紹介します。論文の最後に、水町さんは、僕の言葉を紹介してくれています。
吃音をオープンに、と言われますが、何のためにオープンにするのか、吃音の何をオープンにするのか、どのようにオープンにするのかということが大事です。
また、親の吃音に対する態度や否定的な反応を改善するためには、そのような態度や反応の根底にあるものへのアプローチが必要だとして、僕が提案する交流分析の「脚本分析」を使うアプローチを紹介してくれています。水町さんが、僕たちの考え方を真に理解してくれていることの現れです。ありがたい存在だったなあと、改めて感謝します。
「スタタリング・ナウ」2009.7.21 NO.179 より紹介します。
DCモデルによる吃音児指導の概要
~アメリカ・テンプル大学吃音予防クリニックの実践を中心に~
愛媛大学 水町俊郎
Ⅲ 指導終結の基準と指導結果
指導終結を決定する際には、親の変化と子どもの流暢性という二つの変数を考慮に入れる。
親の変化
◇親の話す速さが子どもよりも若干速い程度。
◇親の言語レベルが子どもよりほんの少し高い。
◇子どもに自発的に話す機会が与えられ、限られた狭い話題のみ語り、多くの質問に答えることを求められることが決してない。
◇子どもの非流暢性に対して冷静でいられる。
理想的には、これらの最適なコミュニケーション環境が整えられていることである。
しかし現実的には、家族のメンバーがDCモデルによる指導プログラムを十分に理解しており、コミュニケーションの雰囲気もすでに本質的には変化してきている場合には、理想的な基準が達成されていなくても指導を終結する。その家族は残存している問題を自分たちの力で解決できるだろうと思われるからである。ただ、親の心配がまだ十分には軽減されておらず、終結することに不安を抱いている場合には、指導は継続される。
子どもの流暢性
理想的には、子どもが流暢に話し、吃音がないことだが、やや異常な非流暢性が時おり含まれていても、そのうちにそれも改善の方向に向かうと思われる場合には指導を終結する。
指導結果
吃音予防クリニックでは、1981年以来、55のケースが取り扱われた。年齢は2~3歳から7~12歳だが、大部分は3~5歳の就学前の幼児であった。約90%の子どもが発吃して指導を開始するまでに6~12カ月も経過していた。
16人 短期間の親のカウンセリングで終了
29人 診断、指導の上、指導完了
3人 指導継続中
7人 転居や指導方針になじまないなどで中止
指導期間
指導を完了し、流暢に話せるようになった29のケースの平均指導期間はケースにより非常に異なり、30~40セッションを要する場合もあったが、大部分のケースでは6~8セッションで終了。
フォローアップの方法
少なくとも24カ月の間、電話で子どもや家族のその後の様子をチェックする。最初の3カ月は月に1度、その後は3カ月に1度の間隔。電話連絡の度に、心配があればいつでもクリニックへ来るように告げる。最近では、経過の観察を、親からの電話による情報だけに頼るのではなく、客観的にも評価するために、親子が遊んでいる場面のテープを指導終結後3カ月、6カ月、12カ月、24カ月の時点でクリニックへ送るよう求めている。
Ⅳ 考察
《DCモデルについての理論的検討》
吃音の発生に関して、当人の能力Capacitiesを超えたDemandsが加えられることを問題にし、異常性の存在をその絶対的な前提条件とはしないDCモデルは、吃音の臨床に新たな視点を提供したものとして高く評価できる。しかし、理論的には未だ不備な点があり、検討の余地が残されている。この点に関してAdams(1990)は、DCモデルをさらに展開していくためには3つの問題点があると述べ、具体的に問題点を提示すると共に、それぞれに暫定的な回答を試みている。
①流暢性が破壊されるためには、DemandsがCapacitiesをどの程度越えている必要があるのか。
答え:ケースによって異なる。微細な脳障害、行動がまとまりを欠きやすいという強い生来的傾向など、すでにCapacitiesそのものに問題を持っている子どもの流暢性は、DemandsがCapacitiesをわずかに越えただけでも破壊されるだろう。Capacitiesが明らかに正常範囲内にあったり、優れている場合には、流暢性が破壊されるためにはかなり強力なDemandsが加わる必要があるだろう。
②流暢性が破壊されるためには、DemandsがCapacitiesを慢性的に越えている必要があるのか。
それとも、突然に大きなDemandsが加わっただけでも、流暢性は破壊されるのか。
答え:DemandsがCapacitiesを慢性的に越えている場合には流暢性が破壊される確率は有意に高くなるだろう。Demandsの突然で劇的な増大は流暢性を破壊させるかも知れないが、一時的な場合には、流暢性は間もなく回復してくるであろう。
③DemandsがCapacitiesを越えた場合、なぜ、言語行動のその他の次元、あるいは非言語行動が破壊されるのではなく流暢性が破壊されるのか。
答え:Demandsがとくにスピーチに関するものであるために、結局、スピーチの流暢性が破壊されることになるのではないか。流暢性は、その他の発達途上にあるスキルに比べてとくに脆弱であるために、過重なDemandsが加わると容易に破壊される。この流暢性は、子どもが流暢にしゃべるのに必要な言語学的あるいは運動的行動をどのように構成し、遂行するかについて学びつつある丁度その時に、DemandsがCapacitiesを越えたという、タイミングの関数として捉えることもできる。
DCモデルは現時点においては、Adamsがあげたような問題点に対して的確に回答することは不可能である。Adamsはそれぞれの問題点に暫定的な回答を試みてはいるが、実証的な検討の結果、導き出されたものではない。今後は、臨床的実践を積み重ねていく中で、これらの問題点を実証的に解明していく必要があるだろう。
《DCモデルが指摘している基本的なポイント》
吃音の早期発見、早期指導の必要性
DCモデルが直接的に指摘していることは、吃音は当人と環境との相互作用によって発生するもので、どちらか一方、あるいは両方に異常なところがあるとは限らない。しかし、DCモデルが強調している基本的なポイントは、吃音の早期発見、早期指導の必要性ということであろう。
吃音の研究や臨床における先進国である欧米諸国でも、幼い吃音児や、吃音になる危険性のある子どもを取り扱うことには消極的であった。
その背景には、ウェンデル・ジョンソンの「診断起因論」の影響、公立学校では学齢児しか対象としないという制度上の問題、吃音児のうちの約80%は、そのうちに治っていくらしいという自然治癒への期待感などがあるであろう。しかし近年、言語学や音声学など、吃音の問題と隣接している学問的諸領域の発展や、吃音そのものに対する理論的、実践的な知見の集積の結果として、吃音への早期介入の必要性が強調されるようになってきている。そのような主張や提言の中で、DCモデルほど、理論と実践とを包含し、かつ具体的なものは他にない。
なお、ここでとくに注意しておきたいのは、吃音への「早期介入」あるいは「早期指導」というと、すぐに、吃音児の吃音そのものを直接的に指導することととられやすいが、決してそうではないということである。本稿で詳細に紹介しているように、吃音児のスピーチに直接ふれる前にやるべきことが実に沢山あるのである。
家族への介入を中心とした指導法の重要性
子どもの吃音の問題には、子ども本人へよりも親を中心とした家族への働きかけが中心となるべきだということは、従来より強調されてきている。しかし、実際の臨床の場で具体的にどのような指導するかについては必ずしも明白ではなかった。とくにわが国では、「環境調整」の名の下に母親指導が行われているが、「子どもがどもっていても注意したり、言い直しをさせないように」、「よい聞き手になりましょう」、「子どもにとって安全基地になるような家庭をつくりましょう」と、ごく一般的な指導の域を出ていないように思われる。
DCモデルでは、個々の子どもの実態に応じて、親がどう対応したらよいのかが具体的に提示されている。親への指導が一般的、抽象的ではなくて、あくまでも個別的、具体的なのである。また、それぞれの親に対する個人的な指導にとどまらず、グループセッションも取り入れて、同じ悩みを持つ他の親たちと学び合い、支え合う機会も設けている。まさに、吃音児を持つ家族への家族療法の典型例が示されているのである。
以上のような徹底した親の指導は、テンプル大学吃音予防クリニックのように、スピーチセラピストの養成も兼ねたスタッフの豊富なところで始めて可能なのであって、すべてのところにこのレベルの親の指導を求めることはできない。
ただアメリカでは、新たな法律の制定により、指導プログラムの中に、親を指導する期間を一定期間、組み込むことが義務づけられている。しかし現実には、親の協力の問題、学校側の受け入れ姿勢の問題などが絡んで、吃音の研究と臨床における先進国であるアメリカにおいてさえ、学校というセッティングにおける親の指導のあり方については手探りの状態にあるらしい。
《DCモデルによる実践の若干の問題点》
DCモデルに基づく実践は、吃音になる危険性のある子どもが吃音にならないように、すでに吃音の域に達している子どもがより重度にならないように予防することを目的として、実に多方面からのアプローチが試みられている。これらは、今後の吃音児指導のあり方を考えていくにあたって我々に非常に多くの示唆を与えてくれた。しかし、実践上、若干の問題点を指摘しておきたい。
従来、子どもには極力吃音を意識させないようにとの配慮から、吃音を話題にすることをタブー視するのが一般的な傾向であった。吃音予防クリニックではそのような考え方とは反対に、沈黙の申し合わせを打破し、できるだけ早く子どもの前で吃音のことをオープンに話題にするように努めた。
子どもは予想以上に早くから自分のことばの問題に気づいているにもかかわらず、子どもがどもる時の家族の非言語的な否定的反応は、「どもることは悪いことだ」ということを、ことばでいう以上にはっきりとその子に伝えていることになる。クリニックでは、子どもとの個人的なセッションの時に意図的に吃音のことを話題にしてみたり、親にどのように吃音を話題にしたらよいか指導している。しかしそこにおいては、子どもが幼いために、子どものしゃべり方を「どもる」という表現で話題にしても理解されにくいので、たとえば、「デコボコのある」あるいは「ネバネバする」という言い方をするというように、吃音を子どもの前で話題にする時の表現方法の検討に主たるポイントが置かれているようにしか思えない。
これに対して、わが国における吃音者の自助グループの伊藤伸二は、吃音に関する月刊の情報誌において、吃音のことをオープンにすることを「吃音児の生き方教育」の一環として捉えることを提唱し、次のように述べている:
「自分らしくよりよく生きるためには、吃音を持っている自己を肯定して生きることが大切だが、自己肯定する態度の育成はできるだけ早期に始めた方が効果がある。どもっている子どものそのままを本音で受け入れ。どもりのことをオープンに話していくことを早期にする必要がある。
子どもの頃、母親にも先生にも友達にもどもりのことを話題にできず一人悩んでいたが、誰かに話したかったという成人吃音者は多い。吃音をできるだけ意識させない接し方ではなく、どもりをオープンに話すことで、自覚をうながすことがむしろ必要なのではないだろうか。…自己概念の確立、コミュニケーション能力の開発、アサーション、感情の表現、自己開示、ユーモアセンス。成人吃音者である私たちが今学び、トレーニングしているこれらを学童用にプログラム化できれば、言語障害児の生き方教育のすすめとすることができよう」(「吃音とコミュニケーション」1991年)
伊藤の主張のように、吃音をオープンにしていくことは、それ自体が目的ではなく、たとえ吃音を持ちながらの生涯を送ることになったとしても、自分らしくよりよく生きていけることを目指したものだろう。そのような究極的な目標に向かって、吃音児をどのように指導していけばいいのか。指導プログラム化の問題もさることながら、吃音観、人間観、人生観などを含む指導者自身の人間的力量が問われているように思われる。
親の否定的反応の取り扱いに関して
吃音予防クリニックでは、アセスメントの段階から子どもの吃音についての親の不安を問題にしてきた。実際の臨床においても吃音に対する親の否定的な反応を除去することに力を入れ、これが予想以上に有効に作用したということである。
そこで実践された基本的なことは、親子のかかわりの場面のビデオを見ながら、親が示している否定的な非言語的反応(目を逸らす、硬くなってじっと見つめるなど)を具体的に指摘し、そのような反応をしないよう実際的に指導する行動の次元からの指導であった。このような指導法は、親への指導が抽象的でなくて具体的であるという点では、確かにある意味では有効であるかも知れないが、いかにも表面的な指導という印象を免れない。
Leith(1984)は、「スクールクリニシャンのための吃音治療ハンドブック」という著書の中で、吃音児の親の吃音に対する否定的な態度を変えるには、吃音についての的確な情報を与えることと、吃音に対する懸念や不安などを率直に吐露する機会を十分に与えることであると述べている。吃音予防クリニックにおける行動の次元からの親の指導が吃音に対する否定的な反応の除去に著効があったのは、それまでの親とのかかわりの中で、Leithが指摘したような指導が十分になされていたという下地があったからではないかと筆者は考えている。
また、親の吃音に対する態度や否定的な反応を改善するためには、そのような態度や反応の根底にあるものへのアプローチが不可欠であろう。
そのことに関連して、吃音者の自助グループの伊藤は、「吃音児を持つ両親のための吃音教室」において、交流分析の中の「脚本分析」に基づいた親の指導を試みている。親は知らず知らずのうちに子どもに対して「完全であれ!」「もっと努力しろ!」といったドライバー(駆り立てるもの)を与えていて、子どもに対して親が作った人生脚本を押しつけているところがある。
そこで、「ドライバー・チェックリスト」によって、親がどのようなドライバーを子どもに対して課しているかに気づかせ、その「ドライバー」(駆り立てるもの)を「アローワー」(許すもの)、つまり、「ありのままの自分でいいんだよ」、「~してもいいんだよ」というように、子どもに許しを与えるように親を指導していくのである。このような親の指導の究極的なねらいは、自分の吃音に対する親の否定的な反応などから、「どもる子は悪い子だ」という自己否定の気持ちを持っている子どもに、自己肯定の道を歩ませるようにすることである。
親の否定的な反応を除去するために、吃音予防クリニックが実施している行動の次元からの親の指導は、以上のような脚本分析的な指導が背景にあって始めて、より多くの成果を上げるのではないかと思われる。
親の吃音に対する態度や否定的な反応を改善するために、交流分析の中の「人生脚本」に基づいた指導とあるが、交流分析に関して、日本吃音臨床研究会は、下記の冊子を発行している。
ただし、現在、吃音臨床研究誌「実践的交流分析入門」は、絶版です。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/02/11
