吃音に関する「Demands and Capacities Model」について
吃音の研究臨床は世界中で精力的に続けられています。「吃音治療・改善」にこだわる世界の吃音研究臨床には、納得できない部分もありますが、役に立つものもあります。役立つものは、何でも活用したい、と、故愛媛大学水町俊郎教授も、常にそのような視点で、世界の吃音研究・臨床に目を光らせてこられました。その目で、紹介して下さったのが「DCモデル」です。 「スタタリング・ナウ」2009.6.22 NO.178 に掲載された、愛媛大学・水町俊郎さんの、
吃音に関する「Demands and Capacities Model」について の論文を紹介します。これは、愛媛大学教育学部障害児教育研究室研究紀要第16号に掲載された論文を、「スタタリング・ナウ」読者のために一部省略・編集したものです。
掲載にあたっては、ご遺族に、掲載の許可をいただきました。
吃音に関する「Demands and Capacities Model」について
―吃音児指導のあり方の検討―
愛媛大学 水町俊郎
愛媛大学教育学部障害児教育研究室研究紀要第16号、1992年
Ⅰ 問題と目的
吃音は有史以前より人類を悩ませ続けてきたにもかかわらず、原因は未だに解明されていない。最近では、吃音の原因追求よりも、吃音の発生や進展に寄与していると思われる多くの変数を吃音者と環境の双方から抽出しようとする研究や臨床的な試みが行われ始めている。
原因論の歴史的な流れの中から必然的に出てきたのが”Demands and Capacities Model”(DCモデル)である。吃音者あるいは環境の側に吃音の原因となる何か異常な点があるとの立証が、容易ではないという状況から生まれてきた。
「流暢性(fluency)は、環境の側からの、あるいは話し手自身が自らに課した、流暢にしゃべるようにという、Demands(要求、期待、指示、命令、プレッシャー)が、話し手の認知的、言語学的、運動的あるいは情緒的なCapacities(能力)をある程度以上越えた時に崩壊する」
これが基本的な前提である。
DCモデルは、従来の諸研究間の矛盾した結果の解釈を可能にすると共に、臨床的にも貴重な示唆を数多く提供している。モデルの理論的な根拠と、それに基づいた診断法や指導法を具体的に明らかにし、それを基にして吃音児指導のあり方を模索していきたい。
Starkweather、Gottwald and Halfond(1990)らの研究を中心に紹介する。
Ⅱ DCモデルの理論的根拠
1)DemandsとCapacitiesの関係
このモデルでは、吃音者側、環境側を含めて、異常の存在を必ずしも吃音発生の絶対的な前提条件にはしていない。
Adams(1990)は、「ここで必要なことの全ては、DemandsがCapacitiesを越えているということである」と述べ、図1のように、吃音発生との関連でDemandsとCapacitiesの間の仮説的な関係を提示している。
それによると、DemandsとCapacitiesとの8通りの組み合わせのうち、共に異常なのは1と5のみであり、その他は正常と異常の組み合わせか、あるいは準正常どうしの組み合わせとなっている。
吃音児は集団としてはやや言語発達が遅れぎみであり、実際、言語指導を受けている間にしばしば発吃がみられることがある。その反面、言語発達が優れている子どもにもあり、吃音と言語発達との関係は矛盾する報告がみられる。
しかしそれぞれのケースをDCモデルの見地から検討すると、どちらのケースも、周囲からのDemandsが異常に高いという点で一致しているという。
前者の場合は、言語指導によって、普通の子ども以上により慎重で統制されたことば使いに注意を集中させられる結果となる。
後者の言語発達が優れた子どもの場合には、往々にして親自身も言語面で優れており、親は、子どもが高いレベルの言葉を使うと殊のほか喜び、知らず知らずのうちに異常に強い言語刺激を子どもに与えがちである。そのために、その子にとっては強いプレッシャーとなる。
このように、言語発達が遅れているか優れているかに関係なく、子ども達に対して過重な言葉を求めることは、言語学的だけではなくて言語運動的にも高いDemandsとなり、吃音を誘発する結果となるというのである。
DCモデルでは、吃音の発生を、異常の有無より、どれだけDemandsがCapacitiesを越えているかという観点から見ていこうとするところに基本的な特徴がある。
(図1)
吃音の発生と関連すると思われるDemandsとCapacitiesの仮説的な関係(Adams,1990)
1 環境からの異常に高いDemandsが、個人の劣ったCapacitiesを越えている
2 環境からの異常に高いDemandsが、個人の正常なCapacitiesを越えている
3 環境からの正常なDemandsが、個人の劣ったCapacitiesを越えている
4 環境からの準正常なDemandsが、個人の準正常なCapacitiesを越えている
5 自分に課した異常に高いDemandsが、個人の劣ったCapacitiesを越えている
6 自分に課した異常に高いDemandsが、個人の正常なCapacitiesを越えている
7 自分に課した正常なDemandsが、個人の劣ったCapacitiesを越えている
8 自分に課した準正常なDemandsが、個人の準正常なCapacitiesを越えている
2)DCモデルにおける「時間」の役割
子どもも親も刻々と変わり、両者の相互影響のあり方も力動的に変化していく。子どもの重要な変化のひとつは、親の価値感、態度、期待などを内面化するようになることであろう。
例えば2歳児であれば、周囲の環境に対してただ情緒的に反応しているに過ぎないだろうが、4~5歳にもなると、親の価値感、期待などを自分の中に取り込み、自分自身のものを持ち始める。そうすると、大なり小なり、自分自身にDemandsを課することができるようになってくる。
吃音との関連でいうと、子ども自身も親の期待どおりに流暢にしゃべろうという課題を自らに課すようになる。DCモデルではDemandsを、周囲から与えられるものだけに限定せず、子どもが自分自身に課したものをも含めて捉える。
子どもは、成長するにつれて流暢にしゃべるのに必要なCapacitiesを少しずつ発達させていく。一方、親の方では、子どもの成長と共にもっと流暢にしゃべるようにというDemandsを強めていく。多くの子どもは、Capacitiesの発達がDemandsの増大よりも先行し続けているために、周囲、あるいは自分自身のDemandsに応じた行動を起こすことが可能である。
しかし一部の子ども達は、増大していくDemandsに追いつくだけの速さでCapacitiesが発達していかない。そのために流暢性が破壊され、吃音を生じさせる結果となる。
「吃音児は丁度、定期券利用者が走り出した列車のあとを追いかけているようなもので、列車(Demandsに相当する)がスピードを落とさない限り、彼は負け戦を戦い続けなければならない」
Starkweather、Gottwald and Halfond(1990)は、こう表現し、吃音児あるいは吃音になる危険性のある子どもに対して、Demandsを軽減させることを含む具体的な指導を、出来るだけ早急に導入するよう主張する。
3)吃音の仮説的な進展過程
近い将来、原因の究明が可能になる保証がない現況の中で我々が取りうる最善の手段は、子ども自身から得られた情報を、流暢性の発達や吃音の進展に関する諸事実と関連させながら詳細に分析し、その子どもがなぜどもるようになったのかという「説明理論」を仮説的にうちたて、それに基づいた指導を試みることだろう。
もちろん「説明理論」はあくまでも「仮説的」なものであり、具体的な指導の過程で修正され、再構築されていく性質のものである。DCモデルは以上の立場に立つ考え方である。
Starkweather等は、吃音の進展過程についての仮説的なモデルをいくつか提示している。
運動的、言語学的、情緒的、認知的の4つの次元において両親と子どもが、時間経過と共に子どもの流暢性に影響を与えるようなやり方で自分たちの行動を変えていく。親の行動は、子どもが流暢に話すことをますます難しくするような親の子どもへのDemandsであり、一方子どもの行動は、そのDemandsに対応する子どものCapacitiesを反映しているものと考えられる。
ケース1
先ず、子どもが異常な非流暢性を示し始める結果、親の側に次の2つの変化が起きる。親が子どもと話す時に以前よりも速い速度で話し始めるようになる。そうすると、子どももそうすべきだとのプレッシャーとなって、子ども自身も速い速度で話そうとして、話す際にもがきをみせるようになってくる。
もうひとつは、子どもがどもるたびに親が「息を凝らす」、「目を逸らす」、「話を終わらせようとする」などの非言語的な反応を示すようになる。
この親の非言語的反応は、子どもにネガティブな情緒的反応を引き起こし、これもまた、子どものもがき行動を増大させる結果となる。このようにして、吃音の問題は進展を続けていくであろう。
ケース2
親が、長く複雑な文章や、あまり使われない単語、その子にとってレベルが高すぎることばを用いている。そうすると子どもは、長い文章を含むもっとレベルの高いことばを使うようにというプレッシャーを受ける。そのために、速い速度で話すと同時に、発語のための複雑な運動プランを求められることになる。この2つが同時に求められると、子どもの非流暢性は増大してくる。これに対して親は、子どもの話を遮ろうとしたり、非言語的な反応を示してくる。そうすると子どもは、ネガティブな情緒的反応を示し始め、ついにはどもる際にもがいたり、話すことを避けたりするようになってくる。
ケース3
まず親が子どもに対してdemand speechを求めている。子どもに多くの質問をしていちいち応答を求めたり、詩の暗唱やどこかへ行ったことについての話を強制するなどである。親からのこのようなDemandsは、言語学的にも認知的にも子どもにとっては大変な重荷となる。その結果、子どもの非流暢性の頻度は、そのようなDemandsがない場合よりずっと高くなる。
この3つの仮説的な吃音進展のモデル以外に無数の進展過程が想定されるだろう。あくまでもすべて仮説的なものであり、その後の指導のプロセスで修正され、再構築されていくものであることは言うまでもない。(つづく)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/02/06
