どもる子どもへの支援 2

 2008年11月28日、愛知県名古屋市立牧野小学校で開催された、愛知県言語・聴覚障害児教育研究会の研究大会での僕の講演を紹介しています。昨日の、伝統的な治療法に続いて、今日は、僕自身の体験を紹介しています。そして、その体験に基づいて吃音へのアプローチを提案しています。最後に、ことばの教室はどんな所か挙げました。子どもたちの生きる力を育むために、するべきことはたくさんあります。楽しく取り組んでいただければと願っています。
 では、「スタタリング・ナウ」2009.5.24 NO.177 から紹介します。

伊藤伸二の体験

 僕とライパーの違いは、セラピー体験にあります。僕は、吃音治療の限界に早く気づき、「どもりながら日常生活を生きる」中で、吃音そのものも吃音に対する考え方も変わってきました。自分が大きく変わったのを、自分の自己変化力によるものだと考える僕に対して、ライパーは、自分が変わったのは、アイオワ大学で受けたセラピーのおかげだと信じていたのでしょう。

人との出会い

 話すことから逃げて21歳まで消極的に生きてき僕が変わる出発となったのが、人との出会いでした。1965年、21歳の時に東京正生学院という吃音矯正所で初めて大勢のどもる人に出会いました。同じように吃音に悩む人との出会いはとても大きいことでした。さらに初恋の人との出会いによって、僕は大きく変わりました。吃音を否定し、自分を否定し、自分が大嫌いな僕に友達ができるはずがない。まして、女性から好かれるはずがない、愛されるはずがない。そう信じていた僕を、彼女が愛してくれていると実感できたとき、「どもっていても生きていけるかもしれない」と思えました。このことは、僕にとって、とても大事なことでした。
 東京正生学院で、4ヶ月間、必死で訓練をしました。上野の西郷隆盛の銅像の前、山手線の電車の中、毎日毎日訓練に明け暮れました。
 最初に出会ったのが東京正生学院だったことは、僕にとって大きな意味を持ちました。二つの流派の両方を同時に教えてもらったからです。
 梅田薫院長が「み~な~さ~ん~」という、ゆっくりとどもらないで話すことを教え、息子さんの英彦副院長がアメリカの言語病理学を勉強し、「随意吃音」を教えてくれました。アメリカでその後激しく対立した、二つの全く違った方法を同時に教えてもらったのはラッキーでした。両方に一所懸命取り組みましたが、僕だけでなく、300人の全員が治らなかった。そこで僕はあきらめがついたんです。伝統的な方法と最新の方法の両方を4ヶ月間必死に取り組んだけれど効果がなかったということは、吃音そのものが簡単に治るものではないということです。吃音が治ることをあきらめたら、どもりながら生きていくしかない。どもる不安や恐れを持ちながら、どもりを隠さず、話すことから逃げない生活をしようと覚悟ができました。

貧乏だったがゆえにアルバイト生活

 僕の家はとても貧しかったので、東京での大学生活、授業料など全てを、親の仕送り無しでしなければなりません。どもるからと、アルバイトをやめるわけにはいかない。アルバイトにひとつのルールを決めました。どんなに苦しくても、1ヶ月は働く。どんなに快適な場でも1ヶ月で辞める。次から次へと仕事を変え、たくさん嫌なことを経験し、どもりながらもしゃべりました。キャバレーのボーイが、僕の一番苦しかったバイトでした。
 「鶏の唐揚げ2人前」を調理場に通す。僕の苦手なタ行です。忙しいときに「ととととととりのかかかからあげ…」ともがいていると、「忙しいのに、何やっとるんだ!」と何度も怒られた。本当に辞めたかった。主任と優しいウエイトレスの支えがあって何とか1ヶ月やりました。学習研究社のこども百科事典のセールスも苦しかった。
 ありとあらゆる種類のアルバイトをどもりながら必死でやる中で、吃音に対する僕の考え方が思いこみであったことに気づきました。「どもっていたら人は話を聞いてくれない」「どもっていたら何もできない」と、全て吃音のせいにして逃げてきたが、実際にどもりながら生活していたら、どもりながらできないことなんて何一つなかった。どんな仕事にも就けるという自信がそのとき僕に生まれました。
 僕が持っていた吃音に対する否定的な考え方は、思い込みだったことに気づくのです。吃音を隠さずにどんどんしゃべれば、行動に問題はない。吃音に対する思考も変わった。どもった後の嫌な惨めさである感情も、少しずつ和らいでいった。どもる状態はほとんど変わらないのに、シーアンの言う「氷山の隠れた部分」が解決されたわけです。

吃音は自然に変化するもの

 僕は吃音にとらわれていたために、全然勉強をしなかったので2浪をしてやっと大学に入りました。大学に4年間、別の学部に3年間、二つの学部を卒業したのは、28歳の時でした。
 その後、大阪教育大学の言語障害児教育課程に行きました。興味のある吃音なので、今まで勉強しなかった分、一所懸命勉強したし、とてもおもしろかった。恩師である主任教授から推薦され、大阪教育大学の教員になりました。これは大変ありがたいことでした。
 音読を免除してもらってやっと高校を卒業した人間が大学の教員になり、講義をしたり講演をする仕事に就けるなんて思いもよらないことでした。自分の伝えたいことを、学生や大勢の人の前で丁寧に話していく中で、吃音そのものも変わっていきました。僕だけでなく、セルフヘルプグループの仲間たち、吃音親子サマーキャンプの子どもたちの多くが変わっていきました。多くの人の経験の中から、吃音は治そうとしても変わらないけれど、どもる事実を認めて、話していけば自然に変わるものだと考えるようになりました。
 「吃音は変わるものだ」と断言できるようになったのは、僕が再びどもり始めたからです。僕は、人前ではあまりどもらなくなりましたが、10年ほど前から、再び人前でもどもり始めました。やっぱり吃音は変化するものだと、つくづく思いました。僕があまりどもらなくなったとき、吃音は変化するものだと言ったら、「吃音は自然に軽くなる」とみられてしまう。再び自分がどもるようになったことで、どもるようにも変化すると分かりました。
 「吃音は自然に変わる。変わるのはその人の持っている自己変化力によるものだ」
 今は、はっきりとこう言えるようになりました。
 セラピーによって変わったと考え、セラピーの有効性を信じたライパーと、日常生活の中で自然に変わり、セラピーの有効性を過大視しない僕との違いは、この経験の違いにあるのでしょう。

(統合的アプローチなどの紹介は省略しました。詳細は、『スタタリング・ナウ』NO.161 NO.164 NO.169をお読み下さい)

どもる子ども、どもる人の言語訓練

1.情報伝達のことばと表現のことば

 仮に、統合的アプローチの練習の成果が上がり、「コントロールされ流暢性」が獲得されたとしても、それが果たして人間のことばなのかと僕は思います。例えば子どもが、学校で楽しくておもしろいことがあって、お母さんに早く話したいと思って帰ってきたとします。「楽しいことは、すごくどもりながら一所懸命話します」とは保護者からよく聞きます。バリー・ギターの、4つの技法を身につけて、話そうとしたらどうなるか。
 弾んだ気持ちで家に帰ってきて、「おおおおかあちゃん、きょきょきょうねえ、ががががっこうで、ここここんなことがあああああってね」と、一所懸命言おうとした時に、ふと4つの技法が浮かぶ。「(だめだ。言い直そう)お~か~あ~さ~ん、きょ~う~ね~」と、どもらないように気をつけて言ったらどうでしょう。楽しい気持ちも一瞬で萎えるし、それを聞くお母さんも何か切ない。そういう、勢いのない、いわば「死んだことば」を、言語の臨床家である私たちが子どもたちに教えていいのか、というのが僕の持つとても強い疑問です。
 私たちが使うことばには、意味・内容を伝える「情報伝達のことば」があります。これが、学校でも社会でも全ての一般人間社会の中で使われていることばです。文字の音声化と言っていいでしよう。「今日の会議は、第3会議室で行われます」は、Aさんが言ってもBさんが言っても同じです。情報伝達としての言語を、効率よく正確にちゃんと伝えることが、学校教育の中でも重要視され、一般企業もこのことばを使える人を求めます。この情報伝達のことばは、とても大事なのですが、僕たちはこのようなことばだけで生きているわけではありません。
もうひとつ、表現としてのことばがあります。さきほどの学校での楽しいできごとをお母さんに話すときのことばです。これを、僕は「自分を表現する、自分を語ることば」と言っています。
 「コントロールされた流暢性」を身につけよというアメリカの言語病理学は、情報伝達のことばばかりを目指そうとすることです。自分の気持ちなんかはお構いなしです。どもらないでうまくごまかせて、相手から「この人、どもらないね」と思われたら、それはそれでいいのだという発想です。

2.仮面としてのことば

 これは人間のことばではなくて、単なる文字の音声化で、「仮面のことば」だと思います。
 僕は世界大会を最初に開催しましたが、その後3年ごとに世界大会が開かれています。昨年5月はクロアチアでした。その3年前のオーストラリア大会を開催したのが、ジョン・ステグルスです。彼は「流暢性」を追い求め、どもらないことだけを意識した訓練をずっと受けてきました。すごく、ゆっくりと、抑揚のない話し方です。彼は会計事務所に勤めているのですが、自宅から出るときに、どもらないために仮面をかぶり、家に帰ってきたら、その仮面を外して「どどど…」という彼本来の話し方に戻るのだそうです。仮面をつけたり外したりという生活をしているわけです。
 「その生活、しんどいんじゃないの」と聞いたら、「しんどいけれど、仮面をはずすと、自分がガタガタになるからやめられない」と言うのです。まったりした、抑揚のない話し方を、外では今更変えられないのだそうです。そんな、偽りの「仮面のことば」を子どもたちに教えていいのか。私は、どもる人間として、悔しいし、悲しいです。

ことばの教室とはどんなところか

 時間がなくなりました。学童期の吃音の子どもにとって、何が大事かの話でしめくくります。

1.吃音について話せる場
 幼児吃音の指導は環境調整が大事だと今でも言われていますが、その元になっているのが、ジョンソンの言語関係図のY軸へのアプローチです。そこから、吃音を意識させてはいけない、聞き手が吃音を意識しないことで、子どもも意識しないで済むからと、吃音について話題にしないことがずっと続いてきました。子どもたちは、家庭でほとんど吃音について話していません。この「意識させてはいけない」は吃音の指導にとって大きな弊害です。幼稚園の時代から十分に吃音を意識している子どもは少なくありません。それを、意識させないようにと話題にしないのは、吃音をマイナスに意識することにつながります。悪いのは、吃音を意識することではなくて、吃音をマイナスのものと意識することです。
 ことばの教室へ入級されるときに、なぜ入級するのか、吃音について話しておくことが大切だと思います。

2.吃音について役に立つ知識・情報を得る場
 ことばの教室は、担当者と子どもが一緒に吃音について勉強する場だと言えます。吃音は治療法が確立していない現在、治すことにこだわらず、吃音をマイナスのものと考えないで、吃音とどう向き合い、どうつき合うかを考えることが大切です。つき合うためには、つき合う相手の吃音について知る必要があります。吃音とはどのようなものなのか、原因としてどんなことが考えられてきたか、どんな指導法があってどんな効果があったのか、どもる人はどんな仕事に就いているのかなど、子どもが知っておくといい大切なことがたくさんあります。私は吃音についてひとりで悩んでいたけれど、吃音について何一つ知りませんでした。だから将来にとても不安をもったのです。

3.どもることのできる場
 吃音親子サマーキャンプでは、子どもたちはすごく嬉しそうにいっぱい話します。平気でどもっています。学校ではあまりどもれないのです。でもキャンプではみんながどもっているから、安心して、心置きなくどもってしゃべっています。どもれるということが実はとてもありがたいことなんです。

4.楽しく基礎的なことに取り組む場
 ことばにとって大事なのは、息です。吐く息が深くなることです。皆さんはあまり意識しないで子どもと相撲を取ったり、ドッジボールやキャッチボールをして、思い切り体を動かして遊んでいますね。その時、息が深くなっています。発音発声にとって大事な吐く息が深くなっているのです。腹式呼吸法だと言って大げさな練習をする必要はなく、力いっぱい遊ぶことに意味があります。

5.表現としてのことばを育てる場
 吃音に限らず、自分自身を語れる場があることはとても大事です。自分の悲しいこと、うれしいこと、腹が立ったことなどをいっぱいしゃべれる場、それがことばの教室ではないかと思います。僕は、これらができていれば、それだけで十分だと思うのです。それ以上のことはないだろうと思います。これで十分、吃音の臨床になっています。
 だけど、「随意吃音」を教えなければいけないとか、軟起声とか構音器官の軽い接触をとか、そういう提案をする動きが出てくると、ことばの教室で言語指導をしなければと思われるかもしれません。そう思われたら、吃音の言語指導ではなくて、日本語を話す人、誰にとっても必要な「日本語のレッスン」をして下さい。今日はレッスンの時間がありませんが、少しだけ説明します。

6.日本語のレッスンをする場
 「からだとことばのレッスン」の竹内敏晴さんは、ことばを「アクション」としてとらえようと私たちに提案しています。ことばを口先だけのものとしてとらえるのではなく、アクションとしてとらえるということは、相手に全身で関わっていこうとすることです。全身で相手に触れよう、関わろうとするときの音声的な部分がことばなのだ、ということです。だから、相手に対して向かっていくからだを作ってほしい。話すことに不安があると、どうしても緊張して、身を固め、身構えたり、引いてしまうからだがあります。だから、ことばの教室の中で、からだほぐしをしたり、安らいだりして、声が出るからだ、相手に関わろうと、相手に向かうからだを育ててほしいのです。
 「ことばの教室」というと、どうしても「ことば」を重視して、「からだ」を重視しているところはあまり聞きません。
 今日はこれくらいしか話ができませんが、先週は島根県の言語障害児教育の2日間の宿泊研修会があり、1日目は吃音の講義をして、2日目は体をほぐしたり、声を出すという演習をしました。今日は時間がないので、『どもる君へいま伝えたいこと』の本の中で、竹内敏晴さんがどもる子どものために、ことばのレッスンについて書いて下さっていますので、是非読んでみて下さい。
 日本語は全ての音に母音がついている。これがとても特徴的なんです。ひとつだけ具体例を話します。
 普段かなりどもる静岡の男の子が、吃音親子サマーキャンプに参加しました。どもりながらもよく発言する子です。キャンプの演劇の稽古の時、ナレーターをしたいと立候補し、長い文を読み始めたけれども、「次の日…」の「つ」の音が出ない。みんなが、あれこれアドバイスするのに腹を立てて泣き出した。アメリカの言語病理学の「随意吃音」だと、「つつつつつぎのひ」とまず練習をさせることになる。こんなことをすると、今の僕でも「つつ」と止まらなくなってしまう。これをやられたら、どもる子は悲鳴を上げます。
 彼に、日本語には母音がついていて、「つ」の母音は「う」で、「ぎ」の母音は「い」です。全部母音で「ういおい」と言わせた。その子は母音が言える子だったので、しばらく、自分の分担するナレーションの部分を、全部母音にして言っていました。「次に『ういおい』にちょっとだけ子音をつける。でも『ういおい』を意識して言うんだよ」と言うと、「次の日」と言えたんです。
 最終日の劇の上演で、彼はものの見事にナレーターをやり遂げました。「次の日」と、いっぺんに言おうとしないで、母音を意識して、1音1音同じ長さで言っていく。これは、どもる、どもらないにかかわらず、日本語の発音の基本です。それを一緒に勉強をしていくのです。そのためには、谷川俊太郎さんのことば遊びの詩を一緒に読んでみたり、童謡、唱歌を一緒に大きな声で歌う。そういうことができていったらいいなあと思います。

おわりに

 最後に一番言いたいのは、吃音をマイナスのものと思わないでほしいということです。どもりながら豊かに自分の人生を生きている人はいっぱいいる。どもっても自分の人生は生きられるのです。
 子どもは、自分の力で困難に立ち向かっていかないといけない。どんなに大変であったとしても、いつまでもお手伝いはできません。子どもが自分の力で未来を切り開いていくために、生きる力、サバイバル力というか、生き延びる力を身につけるために、皆さんの力を貸してほしいのです。(「スタタリング・ナウ」2009.5.24 NO.177)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/02/04

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