ある弁護士の回想 「どもりでよかった」…かな!? ~NHK『きらっといきる』 第377回 2008年11月7日放送~
少し不本意だった番組でしたが、反響は少なからずありました。この番組を見て、吃音親子サマーキャンプに参加するようになり、今はスタッフとしてがんばってくれている青年もいます。また、今日、紹介する坂本弁護士のように、自分を振り返り、お手紙をくださった方もいました。坂本さんとは以前、熊本での講演会で初めてお会いしたようです。坂本さんの話に出てくる、佐和正亮弁護士とも会ったことがあり、いい人でした。「どもっていても弁護士になれる」の話をするときは、紹介していた人です。もうひとり長崎にいろいろと相談にのってもらっていた弁護士がいましたが、お名前を忘れました。今回、坂本さんの体験を読んで、いろんな人に出会ってきたのだなあと改めて感じました。長くやりとりのあった坂本さんですが、がんのため数年前に亡くなりました。もう一度会いたかった人のひとりです。
番組を見て吃音について振り返った坂本さんからの手紙を紹介します。
伊藤伸二様
以前、伊藤さんの熊本での講演会の際にお会いした坂本です。突然の連絡で失礼致します。
実は、先日、NHK教育テレビの吃音の番組で、久し振りに伊藤さんの姿を拝見して、ああ伊藤さんは志を忘れずに、いつもどもる人たちのために頑張っていらっしゃるんだなあ、と感心し、翻って我が身を反省した次第です。
私は現在ではすっかりどもる人の会の活動から遠ざかってしまいましたが、当時の会の考え方や伊藤さんの『吃音者宣言』(たいまつ社)などの本に出会っていなかったら、きっと今の自分はなかったんだろうなと思います。私はそんな大切なご恩も普段は忘れてしまっていたようです。
心のどこかでは、自分がそうであったように今大きな不安を抱えているであろう小・中・高生の子ども達のために何かをしたいとの気持ちはありますが、残念ながら仕事の忙しさにかまけて実行できていないのが実情です。
私は数年前に大病を経験して、もうアウトだと覚悟した際に、自分の一生を総括する意味で、どもりについても、「結局どもりとは自分にとって何だったのだろうか」について考えて、文章にしたことがあります。これは、自分のどもりを総括するとともに、今不安を抱えている小・中・高・大学生の子どもたちへのエール趣旨で、どもりでも大丈夫だよと書いたものです。
私の個人的な体験にもとづく全く個人的な考えにすぎませんが、こんなどもる人間もいたのかと、伊藤さんのご活動での何らかの材料にでもして頂ければ幸いです。
誠に勝手なことで申し訳ございません。今の私には自分の体験と考えを伝えること以外には、どもる人達に役立てそうなことはないので。
坂本秀徳
「どもりでよかった」…かな!?
坂本秀徳
私は現在仕事の忙しさを言い訳にして吃音関係の活動からはすっかり遠ざかってしまいましたが、あらためて自分の人生にとって「どもり」はどんな意味があったのだろうかと、振り返ってみました。とりとめもない内容のものですが、今どもりで不安を抱えておられる方々に、特に中学生や高校生の方々に、こんな人生もあったのかとお読み頂けたら幸いに思います。
1 高校生の頃まで
私は、幼稚園の頃からどもっていた記憶があります。小・中・高と一貫して難発性の重いどもりでした。性格的には負けず嫌いなので学校の成績はまあまあ良かったのですが、授業中は殆ど話せず、毎日の学校生活自体は授業中に今日は当てられはしないかと不安な毎日の連続でした。言葉が自由に出ない苦しみ。それは自分ではどうしようもない苦しみでした。
高校の時には、課外授業で先生から指されても全く何も答えず黙り込んでいたため、「おまえは○○か!」と言われたりして、悔しくて教室を飛び出し、離れた空いた教室で一人泣いていたこともありました。この場面は、今でもありありと鮮明に思い出すことができます。
今となっては、そんな全てのどもりの体験も「懐かしい」ものとして受け容れることができますが、多感な年頃の当時は非常に辛く、また何よりも自分はどもりで将来一体どうなるんだろうという押し潰されそうな大きな不安を抱えていました。
2 大学時代など
私は大学進学のために上京すると、期待に胸膨らませて東京言友会に入会しました。それは、その年のNHKの青年の主張コンクールで優勝した人がどもりの人で、朝日新聞の読者欄に投稿して言友会の活動を素晴らしいものとして紹介し、どもりは克服できるみたいな考えを述べていたからでした。学生で時間はあるし、私も入会して何とか頑張ればどもりも良くなって明るい未来が開けると考えていました。
ところが、会に入会してみると、当時の会を動かしていた主流の考え方は「治す努力の否定」、すなわち森田療法的な考え方を基礎として、自分をあるがままに受け容れること、どもりをどもりとして受け容れ、治す努力を否定し、目的本位に行動するというものでした。私は、ここで初めて「どもりは努力しても一生治らない、データ的にも治らない人が殆どだ。だったら、治すことにとらわれ、治った時のことを夢見て治すための無用な努力をすることをやめて、どもりを受け容れ、本当に自分がやりたいことに全力を尽くそうじゃないか」というような考え方があることを知って、「えっ!」と非常に衝撃を覚えた記憶があります。
このような考え方の代表は伊藤伸二さんの『吃音者宣言』(たいまつ社)という本でした。「どもりさえ治ったら」と思っていたのに、「どもりは治らない!」なんて!私はショックでした。
でも、「そーか、確かにそうかもしれないなー」とも思う反面、また考えがぶれ戻して、「いやいやそうは言っても自分はやはり本当の正直な気持ちはどもりを治したいし、何とかなるんじゃないか」という反発する気持ちとが拮抗し、私の考え方は揺れていました。
私の会の活動は、本当に短いものでしたが、この活動の中で、私は、①どもりを受け容れどもりと一緒に生きて行くという考え方があることを知り、②どもりと一口に言っても、色々などもりのタイプの色々な考え方の人がいて、それぞれ違った人生を生きていることを知り、③脳性麻痺など他の障害を持った人と実際に触れ合う中で、世の中には色々な障害をもちながらも前向きにたくましく生きている人が大勢いることを知りました。この活動を通して、私の狭く閉ざされていた心が、ほんの少しだけだけど開きました。
私は当時は「どもりが治らないなら、会の活動をしても仕方ないのかなあ」と短絡的に考え、大学は法学部に在籍しており、できれば司法試験を受験したいと考えていたこともあって、会の活動はやめて、取り敢えずは専門の法律の勉強をすることにしました。しかし、やはり将来の就職等でどもりであることの不安は解消されず、不安は大きいままの状態でした。
そんな中、4年生の6月ころになり、いよいよ最終的な進路を決定しなければならない時期がやって来ました。私は入学時から東京で就職する気持ちはなく、地元の熊本に帰って働くつもりでいましたが、熊本で就職するとなると一応県庁や銀行、マスコミ等になり、しかし元来が組織向きの性格ではないし、一生出世等を気にして生きるのは嫌だったので、せっかく法学部で勉強して来たので弁護士になって活動してみたいとの思いがありました。
しかし、「重いどもりの自分が弁護士なんてできる訳もないしなー」と悩んでいた時、東京言友会の先輩の方でどもりで弁護士をされている佐和正亮弁護士という方がおられると聞き、驚くとともに、事務所に電話を入れて事情を話すと、佐和さんは快く会って下さいました。事務所にお邪魔して、「どもりでも弁護士ができますでしょうか」と正直な相談をしました。佐和さんはどもりでも大学時代には演劇をされていたとのことで、私とはどもりの状況も全く違ったのですが、「いやいや、どもりでも大丈夫。仕事の7割位は書面で、刑事の弁論など以外は人前で話すことは少ないから。どもりでも、要は情熱ですよ」などとアドバイスして下さったのです。
自分が実際弁護士になってみるとやはり「話す」ということは仕事の重要部分な訳で、佐和さんのこの説明は事実とは違う面がありましたが、佐和さんとしては私のことを考えて頂いて、「本当にやりたいのならどもりでも諦めるな」ということを言うための励ましの説明だったのだと思います。
この言葉を「そうかー」と単純に受取った私は、大きな不安はあるし、正直言ってどうなるかは分からないけれども、弁護士を目指して司法試験を受けることを決意し、就職しないことにしました。「不安はあるけれど、とにかく飛び出してみよう」。この決意は私の人生の大きな転機でした。
その後、大学卒業後はアルバイトをしながら司法試験の勉強をしていましたが、アルバイトの人間関係以外では他人とあまり話す機会もなかったため、どもり的には不安の少ない平穏な日々が続きました。しかし、「最終的に自分は弁護士になって、どもりでもやっていけるのかなー」という大きな不安は依然としてありました。
3 弁護士になって
やがて司法試験に合格し、最高裁司法研修所に入所し研修を受け、また熊本に実務修習で配属されて、「半々人前」の社会人として活動することになりましたが、やはりどもりということで不安の連続でした。当時はどもりたくないから、逃げた(回避した)場面も多かったように思います。
しかしながら、実際に弁護士になると「どもりだから」なんて悠長なことは言ってはいられなくなりました。たくさんの依頼者の方々から相談を受け、事情を聴取し、組み立てをしてアドバイスをし、信頼を得、相手方と交渉をし説得をし、裁判所で尋問し、色々なところで大勢の人を前にして講義や講演等々の様々の活動をやっていく中では、活動目的の達成こそが第一義、「目的本位」であって、どもりの不安はあっても、逃げずに、不安は不安としてそのまま抱えて、やるべきことを一生懸命やらざるをえませんでした。自分はどもりだからなんて言っている暇はありません。
私はどもりであるということは弁護士の評価としてはプラスになることはないと考えていたので、できるだけどもらないような話し方をしていましたが、究極的なところでは、どもりなんだからどもっても当たり前、どもってもそれはそれで仕方ないと思っていましたので、迷いながらも、何事にも明るく体当たりで飛び込んで行きました。
そして、そんな一生懸命な日常を続けていると、弁護士を10年もする頃には、幸いにも仕事面でも多くの方々から信頼を得て、全体としてのトータルな自分自身にも自信がついて、どもりということで悩むことはなくなってしまいました。勿論、私は今でもどもる場合がありますし、不安を感じる場面はありますが、それは日常の中で淡々と流れて行ってしまうことで、どもりは大きな不安や悩みではなくなってしまいました。世の中には、もっともっと大事なものがあったのです。
4 どもりであることの意味
以上のような半生を経て、私は、私の人生にとって結局どもりとは何だったのか、どのような意味があったのだろうかと考えてみました。
どもりはその態様も考え方も個々人によって多様なものがありますから、勿論一般化して述べることはできませんが、私の場合に限って言えば、どもり問題の本質とは、自分の心が伸びやかでなく小さく閉ざされていて自分の殻を破ろうとしなかったこと、不安に捉われ恐がって問題場面を避けようとして行動をしなかったことだと思いまず。
だから、私にとってどもりとは、自分の殻を毎日少しずつでも破って行くこと、不安はあってもまず飛び出して行動すること、案ずるより産むが易し、飛び込めば道は開ける、長い時間をかけてのその学びのための試練の場だったように思います。ひと言で言ってしまえば、何と単純なことだったのでしょう。
確かに、経験的に言って、私が「どもり」でなくなることはありませんでした。私がどもりであることに1つも変わりはありません。今でもどもりと一緒です。結局、万事、変えようのないものは悩んでもしかたないことなので受け容れるしかなく、あとは、それを引き受けてどう生きて行くかという問題だったのだと思います。どもりの不安が完全に消えることはありません。不安や悩みはあっても、これを否定しないで、上手に付き合い、やりたいこととやるべきことに、この場面でのこの瞬間に、一生懸命に人事を尽くすことが大事で、そうしているうちに、何年かすれば違った自分が見えてくるのだと思います。
色々な経験をして、自分の人生を振り返るような年代になってくると、自分の人生において自分とどもりとは切り離すことはできないものだったんだと思いますし、何だか自分もよく頑張ってきたなあと、却ってどもりのことがいとおしくなってしまう思いもあります。昔あれだけ嫌で不安に思っていたどもりが、今ではいとおしくさえ思えるなんて、人生何という変わりようでしょう。その意味では、どもりの問題は「どもりである自分を自分が好きになって行く過程」と言ってもいいのかもしれません。
私は、今でも正直言って「どもりでよかった!」と100%全肯定するには至っていませんし、どもりでないにこしたことはないと思いますが、「まあ、どもりでもよかったかな!」くらいには思えるようになりました。大変なこともありましたが、どもりだったことで、人とは違って色々なことが経験できたし、違った感性を持てたし、たとえどもりでなくてもこんな自分ならばきっと別の問題で悩んでいただろうし、却ってどもりくらいの昇華できる試練でよかったかなと思えるようになりました。どもりは最愛ではないけれども、私の人生での大切なものだったのです。でも、こんなことも自分が色々な経験をして年を取ったからこそ言えることで、自分の学生時代には考えるはずもないことでした。
宇宙誕生137億年、地球誕生46億年、我々の人生はその中の僅か数10年です。あっという間の束の間の人生です。地球という星の、この時代に生まれた人間として、生命の存在の意味をかみしめて、一日一日活き活きとした人生を送りたいものです。そして、そのためには、自分なりの物語を作って、やりたいこととやるべきことに、この場面でのこの瞬間に、夢中になって生きることこそが大事であって、どもりでも全く大丈夫ですよ。
不安はあっても前に進んでみましょう、「不安は抱えたままで」まず「今、ここに」行動してみましょう。きっとあなたの人生の道は開け、いい人生になると思います。きっと。きっと。
(「スタタリング・ナウ」2009.2.22 NO.174)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/01/22