世界を変えるためには ~第11回ことば文学賞~
今日は、1月17日。阪神淡路大震災から30年経ちました。あの日、僕たちの住む大阪もかなり揺れました。神戸が大変なことになっているとニュースで知り、兵庫県在住の何人もの顔が浮かんだことを覚えています。紹介している、ことば文学賞の選考をしてくださっていた元朝日新聞記者の髙橋徹さんの避難先にお見舞いに行き、神戸の街に入りました。変わってしまった神戸の街の情景と、「本棚の本が襲ってきた」と恐怖を語った髙橋さんのことばと、忘れることができません。
あれから30年、今も自然災害があちこちで起きています。どれほどの教訓を得、学んできたのかと、今日一日、静かに考えたいです。
昨日のつづき、第11回ことば文学賞の受賞作品を紹介します。
「自分を磨かずに、吃音が理解されない不満ばかりを言っていた。自分が変われば、世界が少しずつ変わっていった。世界が変わってほしいと思うなら、自分を変えなければならなかったのだ」の鋭い洞察が、心に響きます。
世界を変えるためには
木村 葵(大学院生24歳)
就職先なんて見つからないんじゃないかと本気で思っていた。私は来年3月で大学院を卒業する。卒業するからには就職活動をしなければいけない。しかし、いつになったら内定という言葉に出会えるのか、不安でしょうがなかった。内定なんて自分はもらえないんじゃないかと本当に思っていた。
私が大学院に進んだのは、勉強が好きだからと人には言っていたが、実は就職するのが嫌だったからだ。就職の前の就職活動が、怖くて仕方なかった。大学4回生の春から秋にほんの数回した就職活動でも、集団面接が怖くて無断欠席したことがある。それぐらい就職活動に恐怖を感じていた。
恐怖の中心にあったのは、「どもる」ということだった。大阪吃音教室に参加して、自分がどもるという事実を認めてはいたけれど、人の反応が怖かった。どもると変な目で見られるから絶対に落とされるし、集団面接で一緒に受ける学生にも変に思われる。そう考えると、どもるのが怖くて、恥ずかしくて、どもりを人に知られたくなかった。
就職活動が怖かったからか、就職活動自体にやる気を出せなかった。自己分析も会社研究も筆記試験対策もほとんどしていなかった。面接対策については全くしていなかったので、マナーからひどかった。スーツも大学入学時に買ったもので、ぶかぶかで全く似合っていなかった。受けた会社は全て落ちた。今考えると当然のことだと思えるが、当時の私は、自分が何もできていないことをわかっていなかった。「怖い」と思うのに、何も努力をしていなかった。
その後、私は大学院に進むことを決めた。研究したいことがあったからでもあるが、私は逃げたのだ。そして私は別のことからも逃げていた。それは、話すことだ。
しばらくしてから、大阪吃音教室で伊藤伸二さんに叱られたことがある。「木村は下を向いて小さな声で一人で喋っている、どもる態度は変えられることだ」と。少しずつ変えていけばいいかと思いつつも、何もしないで逃げて怠けていたことをズバリと言われた。2年半吃音のことで毎日泣いていた頃に比べたら格段に吃音を受け入れられるようにはなっていたけれど、吃音は受け入れるだけじゃ駄目なことに気付かされた。一人で喋っているような人間を雇おうとする会社がなかったのも、当然のことだった。
4月、私は大学院に入学し、自己紹介で初めて吃音のことを言った。怖かったが、言った後は楽になった。院生協議会という生徒会にも立候補した。今まで吃音があるからと言って逃げてきたことをしてみたいと思ったからだ。勇気の面で、私は変化していた。けれども、話すことへの自信がなかった。そんな中、2007年の吃音ショートコースで発表することになった。発表当日は、とても怖かったし、心臓の音も緊張もものすごかった。それでも、ちゃんと発表ができた。人前で話すことに自信がついた。
年が明けた1月から、就職活動を始めた。今回の就職活動は、4回生の時とは違って、やる気があった。前に進んでいく勇気もあるし、人前で話すことも怖くない。堂々とどもって、どもりを前面に押し出した就職活動をしようと思っていた。どもる自分を見てもらうんだ、堂々とどもっていれば大丈夫だ、と。
しかし、最初に行った会社説明会の受付で名前を言う時に、激しくどもった。「堂々と」とは程遠かった。緊張が勝ってしまっていた。人事の人が言う。「そんなに緊張しなくていいですよ」。確かに緊張もしていたが、緊張していたからだけじゃない。なんでどもる人の存在を知らないんだ。悲しくて悔しくて、帰りの電車の中で涙が出てきた。
しかし、落ち込んでいる場合じゃない。今回はなんとしてでも就職しなければ。色々な説明会に行き、選考を受けた。4回生の時より筆記試験対策をしたので、筆記試験で落ちることはなくなった。しかし、面接で落ちる。一次面接やグループワークを受かっても、別の担当者による面接で落ちる。選考の一つで店舗でのインターンシップをした時も、「どもるのがなかったらいけてる」と言われた。どもる人じゃ駄目なのか?なんで世の中にはスラスラしゃべる人しかいないと思っているんだ?「劣っていると思わなくていい」などの「励まし」を言う人も、どもる姿に不快な表情を浮かべる人もいる。どの面接でも、最初にどもることを伝えているのに、落ちる。だんだんと、どもることが嫌になってきた。
何度も「どもるの嫌や」と泣いた。自分がどもりであることが嫌なのではなく、吃音への理解がないことが嫌だった。「どもります」「吃音者です」と言って、理解できる人がなんでこんなに少ないんだ。本当に、どもる人を採用してくれる会社なんてあるのか?みんな吃音を隠して受かったんじゃないのか?私も今までのアルバイトは隠して受かってきた。私は今真剣になっているから緊張している。だから隠せなくなってひどくどもる。けれども、こんなにどもる私を、どこが採用してくれるというのか。どこも採用してくれないんじゃないか。どもることが、本当に嫌になった。
もう6月になっていた。ある就職イベントの相談コーナーに相談をしてみた。私にはそこへ行くにも勇気のいることだった。私は相談しながら涙が止まらなくなった。それぐらい苦しかったのに、担当者は何一つ救ってくれなかった。「会社としても、どもる人をお客さんに近い所に置きたくないのでしょう」「向き不向きがあるんだからどもる人に向いている仕事を探せばいい」。どもりだからしてはいけない仕事があると言われているようだった。しかも、相談に乗るどころか、学校の就職課に聞けと突き放す。悲しくて悔しくて、その後は1時間トイレから出られなかった。しかし、このことから、普通の人にとっては吃音なんてどうでもいいことなんだ、と力が抜けた。必死になって吃音のことを理解してもらおうとしている自分が馬鹿らしく思えた。
それ以来、力を抜いて挑むようになった。面接もだんだんと慣れてきた。どもり方もマシになってきた。院生協議会での仕事も、問題を解決していくことで自信がつき、履歴書に書いたり面接で話したりする良いエピソードになった。
どもることの公表も、明るく言えるようになった。以前の公表は、自分がつっかえつっかえで話していることの言い訳をしているようだったと今思う。「吃音」という言葉を知っている人は本当に少ないし、「どもります」と言っても、ただ緊張してどもるのだと勘違いされる。だから私は「障害」だと言っていくことにした。私は吃音は障害だと思って楽になれた。だから、人にもこれは障害だと伝えた方が楽になる。それに「障害」は言いやすいサ行だ。言いやすいからもっと楽に言える。力を抜くと、楽な方を選ぼうと思える余裕も出てきた。
公表したことで得た印象深い経験がある。それはグループ内で自己紹介をし、互いに印象を書くグループワークだった。私は吃音があることを伝えた。書かれた印象は「真面目」「緊張してそう」がほとんどだった。次に再び一分間ずつ話す。私は、昔は悩んで人前では喋れなかったが、大阪吃音教室と出会って考え方が変わり、今では営業の仕事をしたいと思っているという話をした。すると印象が「前向き」「タフ」「話に共感を持てる」に変わった。周りの人がどういう反応や評価をするのかが、言葉にされてよくわかった。変に思われるどころか、逆に評価が上がった。でも、下を向いて小さな声で喋っていたら、きっと同じ評価はもらえなかっただろう。私は、ちゃんと顔を上げて話さなきゃいけない。それに、吃音や障害があるという事実だけでは理解されにくいこともわかった。自分が隠さずに顔を上げて明るく話をすれば、ちゃんと聞いてくれる、見てくれる。
6月の就職イベントの翌目から、落ちてもいいやと思いながら、業界もバラバラに受けてきた。そして7月、8月、ついに内定をもらった。しかも3社からだ。そのうち2つは営業の仕事だ。どもるのに、営業で採用された。
1つ目の会社は、一次面接では、初めにどもることを言わないでいたら少し馬鹿にされていたが、障害だと言った途端、面接官の表情が変わった。最終面接はほとんど吃音に関わる話ばかりだった。ペラペラ喋る営業じゃなく、気持ちを伝える営業をしたいこと、そして自分がそうだったように、どもる営業ウーマンになって、これから就職するどもりの人に勇気を与えたいことを伝えたことが、合格になったと思う。
2つ目の会社は、話を聞く態度と、見た目が「できそうな人」ということで、雰囲気からほとんど受からせてくれたんじゃないかと思っている。相槌と笑顔の、話を聞く態度は、大阪吃音教室で学んだ。また、就職活動中、自分に合うスーツで髪もビシッとまとめて眼鏡もかけていたら、複数の人に「できそうな人」「キャリアウーマン」と言われた。老けたとも言われたが、以前就職活動をしていた4回生の時には、新入生と間違われてサークル勧誘されていたぐらいだ。見た目から変えることも大事だったのだ。
3つ目の会社は、面接は無しに、19日間のインターンシップで、課題に対する能力や姿勢を見てくれた。発表の時にひどくどもっても、ちゃんと中身を評価してくれた。
私は、就職活動中、たくさんのことを吃音のせいにした。「吃音があるから落ちたんじゃないか」「どもる自分なんかどこが採用してくれるのか」。しかし今振り返ると、一度目の就職活動では根本的な対策が、そして二度目は面接で話した内容がかなりひどいものだったと気付く。自分が受かることにも必死だった。受かるために本当は思ってもいないことを言ったし、どこかから盗んできた言い回しも使った。自分の言葉を伝えていなかった。自信もなかった。
私は自分を磨かずに、吃音が理解されない不満ばかりを言っていた。自分がいかに間違っていたか、今気付く。面接を何度も受け、落ちては悩む中で、私は変わっていった。自分が変われば、世界が少しずつ変わっていった。世界が変わってほしいと思うなら、自分を変えなければならなかったのだ。
就職先は、尊敬できる経営陣がいて、インターン中、日々自分を成長させ、自分がどういう仕事をしたかったのかを思い出させてくれた、最後に内定をもらった会社に決めた。就職活動の中で学んだこと。それは、就職には努力や対策が必要で、落ちたことを吃音のせいだと思える間は受からないということ、そして、どもっていても就職できるということ。この言葉は、長い就職活動を終えた今、本当に、心の底から言える。
選者コメント
就職活動というテーマに絞り込んで、大学4回生のときと大学院を終えたときの自分の変化、どもりについてのとらえ方、向き合い方の違いについて、実に細やかにその軌跡を追っている。
大学院に進んだのは、就職活動が怖かったからだという自己分析に始まり、一般社会は、吃音なんてどうでもいいことで、理解してもらおうと必死になっている自分が馬鹿らしくなったこと、どもることを公表し隠さず顔を上げて話をすればちゃんと自分の話を聞いてもらえるということを、作者は実感していく。「自分を磨かずに、吃音が理解されない不満ばかりを言っていた。自分が変われば、世界が少しずつ変わっていった。世界が変わってほしいと思うなら、自分を変えなければならなかったのだ」の洞察に作者の成長がある。(「スタタリング・ナウ」2009.1.20 NO.173)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/01/17