第14回吃音ショートコース~発表の広場~

 吃音ショートコースという、2泊3日の体験型のワークショップを21年続けました。迎えた講師のジャンルは幅広く、僕たちの学びの場でした。交流分析、論理療法、認知行動療法、アサーション、アドラー心理学、笑いとユーモア、表現など、その分野の第一人者を迎えてのワークショップは、楽しい時間でした。今、その吃音ショートコースは、新・吃音ショートコースと名前を変えて続いています。
 今日は、第14回吃音ショートコースの「発表の広場」というプログラムの報告です。「スタタリング・ナウ」2008.12.23NO.172 より紹介します。

 
 どもる子ども、どもる人のためのことばのレッスンをテーマに開かれた今年の吃音ショートコース。テーマについては、詳しく年報などで紹介するが、プログラムの中には恒例の「発表の広場」がある。どもる人、どもる子どもの親、どもる子どもを支援する臨床家、それぞれの発表は毎年とても充実し、新しい発見や感動がある。
 吃音ショートコースの報告は、今年はこの発表の広場の一部を紹介する。紙面の都合で8人の発表の中から、はじめの4人を紹介する。参加者の中で最年少と最年長が続いたのはおもしろかった。
 当日の発表のテープ起こしに少し手を加え、再現しました。文責は、編集部にあります。

  僕が、今考えていること
                        佐々木大輔 浜田市立小学校6年生

 僕が思う本当に暮らしやすい社会は、弱い立場の人たちがのびのびと生きられる社会です。これを自分なりにどもりに例えると、どもる人がのびのびとどもることができる社会だと僕は思います。そのためには、二つやり方があると思います。
 一つ目は、その人なりの考えをもって、他の人の視線を気にしないこと。二つ目は、他の周りの人がその相手の人に対して自分と違う考え方を、その人らしさとして認めてあげることだと思います。
 一つ目の、その人なりの考えをもっというのは、一言で言えば、自分のどもりについて知ることだと思います。そのために、何をすればよいかを、僕の好きな福沢諭吉さんが『学問のすすめ』の「まんが版」の中で、書いていたのを紹介します。
 まず観察、それから推論、この間に読書が入って、知識を増やします。それから、議論をします。他の人と情報交換をし、発表する。
 自分の意見を大勢の前で発表するというのは、かなり自分の考えがはっきりしていないとできないことだと思うので、大事なことだなと思います。
 僕は、このサイクルのできるのが、大阪吃音教室や、ことばの教室だと思います。最初の観察とか推論は、一人でできることだけど、議論や発表は、同じような仲間がいないとできません。そのためにも大阪吃音教室が大事になってくると思います。仲間がいるからこそ、このサイクルが回るのだと思います。
 僕自身、ことばの教室には通っていませんし、大阪吃音教室みたいなのも島根にはありません。そう考えると、いろんな意味でもこのサイクルを実行できる場というのは大事だなあと思います。
 例えば、僕の場合は、吃音親子サマーキャンプや島根スタタリングフォーラムという集まりのときでは、人の目を気にせずにどもれるというか、話せます。そのサマーキャンプで、「あっ、自分、今どもってるなあ」と気づき出したのが、キャンプに参加して、3、4回目くらいのときだったんです。
 サマーキャンプは高校3年生で卒業式があります。でも、3回以上サマキャンに参加しないと卒業生資格はありません。その理由はサマキャンの味というか、体に染みこむのは最低でも3回は必要だということらしいです。偶然なことに、そのことと合わさって、「あっ、僕もサマキャンの味がからだにしみこんだから、分かったのかなあ」と思いました。だから、毎回発見があるサマキャンは、大事だと思います。
 友だちとのつながりも大事だと思います。
 例えば、浜田市の陸上大会があって、そこで島根スタタリングフォーラムで出会った他の学校の友だちがいて、待ち時間、ちょっとどもりながらしゃべってたんです。しゃべりながら、どもり仲間っていいなあと思いました。なぜなら、どもりながらしゃべるという、自分の本当のしゃべり方で相手としゃべれるからです。そのときの様子を、周りから見れば、かなりおもしろかったと思うんです。同じ、つっかえるような者同士がすごい大きな声で笑いながらしゃべってるというのは、周りが見てもちょっと、これ、笑えるかなあと自分なりに思いました。
 僕は、そのときに、やっと自分のことを正しく理解してくれている人と話せるなあ、他の人も多分理解してくれているだろうけど、やっぱり同じような悩みというか、症状ということをもつ人と話せるという、わくわくした気持ちで、その友だちと話していました。
 このサイクルの話に戻りますけれど、このサイクルを使って、自分のどもりについて知れば、もっと自分のどもりの知識も、判断力もついてくると思います。今の世の中、判断力がすごく大事だと思うのです。このネット社会で、世の中にはほんとかウソか分からないようなことがいっぱいあって、ネットで調べ学習をしても区別がつきません。そういう意味で判断力を高めれば、信じるものは信じて、疑わしいものは捨てて、どれを取り入れてどれを捨てるのかという判断を正しくできるので、判断力は大事だと思います。
 二つ目の相手を正しく理解するということも、判断力とからんでいて、今こそ吃音は治らないという、ちゃんと情報があるのだから、ことばの教室の先生やどもる子どもをもつ親の人が、悩んでいる子どもの良き頼れる正しい相談者になれば、もっと子どももよい解決の方に向いていくんじゃないかなあと思います。
 僕自身、お母さんが通級指導教室の先生で、いつも、治らないよとか、いろいろいいアドバイスをしてくれたので、そこまで悩むということはありませんでした。先生や親が「どもりは治るよ」と、アメリカの吃音学者のバリー・ギターみたいな考え方をすると、子どもも親も、どもりは治ると思ってしまいます。だけど、どもりは完全には治らないという現実にぶち当たって、それから、今度はなんで治らないの、なんで、なんでという行き止まりにぶつかると、あり地獄みたいにぐるぐるぐるぐるはまっていってしまうんだなあと僕は思います。
 周りの理解というのは、違いを認めることだと思います。その人の苦手なこと、僕の場合、体育が全くだめなんですけど、その苦手なことがあっても、この人はこのままでいい、みんなと一緒でなくてもいいと思えることがすごく大事になってくると思います。同じそうじの班に、A君という、みんなと一緒に行動することがちょっと難しい男の子がいるんですけど、そのA君は、彼のことを理解してくれる人たちが周りにいると、にこにこと笑顔なんです。だけど、なんかなかなか理解してもらえない人の周りだと、ちょっと眉間にしわがよっているという感じで、やっぱりA君も自分に対する視線や雰囲気を感じるのだなあと見ていて思いました。
 あともうひとり、僕と同じ6年生の友だちから、ちょっとキモイとか言われているB君という友だちもいて、態度も、理解してくれる人と理解してくれない人では、全く違うんですね。理解してくれる人には、明るくて楽しくてやさしい。僕の場合、その彼はチロルチョコが好きだから、あげるよとか言って、修学旅行とかでももらったりとか、バレンタイン、男同士でしたり、すごくおかしいんです。理解してくれる人には、明るく楽しいB君なんだけど、理解してくれない人にはぶつぶつ不平とか不満を言ったり、態度が違います。
 僕は、人間は誰ひとりとして、自分の思い通りになる人は絶対いないと思います。そう思って、弱い立場の人として、僕は接しています。弱い立場の人と話していて、なんでこんなに光るものがあるのに弱い立場にあるんだろうなあということを考えます。僕は、同じクラスとか学年にいる何人とかがグループで集まって、差別したりとか、おかしいと思って、同じ目標に向かってがんばろうというときに、やっぱり差別をするのは、クラスとか学年とかのまとまる雰囲気もガラッと乱すし、集団とかその場の空気も弱い立場の人に対して悪い空気になっていくからです。
 僕は、みんな同じ人間なんだから、差別しても特別意味があるわけでもないし、差別されている人を見ると、かわいそうだなあと思って、ちょっと胸が苦しくなります。一番最悪のパターンは、正しく理解しようとする努力もしないで相手の悪口、陰口を言うパターンだと思います。このパターンだけはやめてほしいです。僕が感心したのは、前に話した陸上大会の友だちで、その友だちがむちゃくちゃどもりながら、友だちの、前田君の名前を、呼んだんですね。そしたら、前田君は、「なに?」と、他の学校の人がいる前で、むちゃくちゃどもって名前を呼ばれたのに、「なに?」と普通に、聞き返していて、このやりとりを見ていて、このどもっている友だちのことを、ちゃんと前田君は理解しているんだなあと、そして周りの人も前田君みたいにその友だちのことを理解してるんだろうなと思いました。
 僕も、自分のどもりについて理解してもらってる人はたくさんいるけど、この友だちは僕よりも激しくどもるので、もっと感心しました。これまでのことをみてきて、相手に対して正しい理解をするというのは、簡単そうに見えて、実は難しいものだというのが分かりました。理解するということから、よいコミュニケーションを作る上で、非常に大事な第一歩だと思います。
☆知るための(知り)のサイクル☆
  推論(リーズニング) ← 観察(オブザベイション)
   ↓       読書 ↑
  議論(ディスカッション) → 発表(スピーチ)

質問 昔から、どもりは治らないという情報を持っていたけれど、治らないと自分が判断した根拠というか実感というか、あったら教えて下さい。
回答 特にはない。どもっているという意識がまだ自分にないとき、周りの大人の人にやさしく接してもらったり、伊藤伸二さんの本をよんだり、お母さんの話から、どれだけがんばっても、軽くはなっても、完全には治らないということを教えてもらったので、じゃあ、努力してもだめなんだと知っていたので、最初からがんばろうとか治すぞという気持ちはありませんでした。

  会社の朝礼16年間をふりかえって
                    徳田和史 大阪スタタリングプロジェクト

 最年少の発表の次には最年長で、あれだけ堂々とやられたらとてもやりにくいのですが。
 私は、吃音ショートコースの第一回、1995年からずっと参加してるんですけど、この発表の広場が非常に楽しみで、いつも前で坐ってじーっと聞いているんです。けれども、今日はスピーカーになって、ちょっとそわそわして、柄にもなく緊張してます。
 私は、大阪吃音教室の金曜例会に参加し始めて20年ですけれど、例会に初めて来られる社会人男性に吃音教室に参加された理由は何ですかと聞いたら、いろいろな理由があるんですけど、「実は職場の朝礼で困ってるんだ」という方がかなり多いんです。私ももちろん同感なんですが、私は同感どころか、会社の朝礼の朝礼担当を16年間やってまして、いろんなことがあったので、今日はそのことを話させてもらおうと思ってるんです。
 普通、週1回とか月1回、輪番でスピーチをしますが、私の場合は朝礼担当者だったので、16年間、毎日なんです。出張とか有給休暇をとったときだけは代わりの人にやってもらいましたが。
 忘れもしない1981年、今から27年くらい前のことです。私はその当時、貸し切りバスの営業所の運行課にいたんですが、人事異動が出まして、本社管理課勤務を命じられ大ショックでした。なぜ大ショックかというと、入社した当時から本社管理課というのは、朝礼とか会社の式典を担当している部署で、ここだけは何があっても行きたくないと思っていたところだったんです。ところが、突然きて、これは宿命、運命だと思って、仕方なく赴任しました。赴任したはいいが、3、4年たって、よりにもよって朝礼担当に任命されました。それからが地獄の朝を毎日迎えることになるんです。
 朝礼というのは大体最初は定例文句から始まるんです。「○月○日○曜日、今日は○○課からの連絡です」日にち、これだけはもうごまかすわけにはいかないし、言い換えするわけにもいきません。最後は「以上です。今日も元気にがんばりましょう」とタイミングを見計らってバッと言って終わりになるわけです。私はア行、力行が苦手なもので、以上ですの「い」や5月15日火曜日なんてことになると、大変です。それとタイミングよく「以上」と言わなければいかんのです。別に「以上です」ということばを使わなくてもいいんですけど、大体歴代の人がそのことばを使ってきているから、それでないといけないのかなあと思って、そうしてたんです。毎日定型文句を言わなくちゃいけない。生身の人間ですから、調子のいいときもあれば、悪いときもある。睡眠不足の日の朝もあれば、風邪をひいて声が出にくい日もある。もうその日、その日によって、自分の声というのは違う。朝目が覚めたら、今日は○月○日○曜日だなあ、言いにくい日だなあとか言いながら、憂鬱な朝を毎日迎えていました。
 その当時、車でずっと通勤してたもんですから、朝通勤の間ずっと憂鬱な気持ちで、今日はうまくいくかなあ、声が出るかなあと思っていました。私の場合、どもりですから、もちろんどもっても構わないんですけど、声が出るかどうかが問題です。朝、初っぱなの、会社の出発点ですから、どもっていては気の毒です。そんなことばかり気にして、朝、車で通勤してたんです。
 毎日こんな恐怖に怯えて、通勤していました。ましてや車を運転していますから、事故を起こしてはいけない、なんとかしなくちゃいけない。この先、このままじゃ自分はつぶれてしまうぞと思って、何か行動に移して、自分を変えたいなと思ってたんです。目を覚まして、今まで休んでいたのどを急に使って、「○月○日○曜日です」と言うよりも、ちょっと準備運動でもして、ならして、本番に臨んだ方が言いやすいだろうし、また皆さんにも自分が言いたいことが伝わるだろうと思いました。そこで、ちょっと声のトレーニングみたいなことをやってから、本番に臨もうかなと思ってました。
 さて、何がいいだろうか。車を運転してますから、本を読んで声を出すわけにもいかないし。そこで思い出したのが、芝居のセリフです。私は、それ以前に、大阪吃音教室の有志と一緒に竹内敏晴先生のレッスンを受けてました。札幌で開かれた全国大会で、「夕鶴」という木下順二さんの劇を発表することになり、特訓がずっと続いていたんです。芝居の特訓ですからセリフを覚えなくちゃいけない。ああ、そうか。あのセリフを車の中で思い出して、毎日大きな声でやってました。多少は準備運動になるだろうなと思ったりして。「与ひょうの奴、近頃は、炉端で寝てばかり…」とやってました。ただ、声を出すトレーニングといっても、やみくもに声だけ出していたってしょうがないから、自分でマニュアルを作りました。
 「喉開けて、母音の流れを感じつつ、ソフトにめりはり、一音一拍」
 このスローガンを作って、これを朝車に乗ったとき、頭にたたきつけて、3回くらい唱えて、それからやるわけです。「あの女房、決して織っとるとこを見ちゃならんちゅうて機やに入るげな。そこで与ひょうの奴、正直にのぞきもせずに朝起きると、立派な布ができあがっとる」というセリフをずっと何回も何回も繰り返して言いました。
 セリフだけじゃなく、般若心経も以前から覚えてましたので、それをやったりして、本番に臨んでました。それをやったからといって、うまくいくわけじゃないですけども、やるだけのことはやって、臨みました。心が安らぐというほどではないですけども、一応自分でやるだけのことはやってみようと思って、ずっとやってました。
 こんなどもる私が朝礼をやってたら、いずれ人事異動が出てどこかに飛ばされるんじゃないかと思ってましたけども、これがまた不思議に飛ばされずに永遠と続いて、結局は16年間やってしまったんです。
 16年間もやって、何か自分に得るものがあったかなあと思って、振り返ってみますと、はっきり言って、16年間自分でもよくやったなと思いますし、おかげでその間のストレスとプレッシャーで、頭の髪の毛が真っ白になりました。今、多少黒いですけど、これは染めてるんです。私、後ろまで全部真っ白なんです。心理的なストレスがあったのかなと思って、自分でよくやったなと思いました。そのほかに感じたことは、自分がどもりや朝礼について悩んでいるほど、聞いている人はそんなに思ってないんだということです。だって、16年間、どもりながらでもさせられてきたというか、やってきたんですから、あかんなと思ったら、途中で代えられたでしょう。一度、朝礼が終わった後、社長から「君、もうちょっと発音の練習したまえ」と、みんなの前で言われたことがあるんです。強行突破してバーッと言ったときなどは、その当時の私の上司が、朝礼が終わった後、首をかしげて、「あかん」とか言うのが、見えるんです。落ち込みました。
 そんなこともいろいろありました。もうひとつ、毎日やってましたけど、予期不安というのは何回やってもとれなかったし、今でも皆さんの前で話すときは緊張しますし、予期不安、緊張というものはとれないものだなということが分かりました。
 それと、あと良かったことは、自分の声にこれだけこだわり続けることができたことです。声というものはいつも同じような声を出しているのかなと思ったけれど、毎日車の中で発声、トレーニングしていると、その日の温度とか湿度とかあるいはからだの調子とか、そういうのによってからだの響きというのが多少違うんです。特に私の場合は、睡眠不足の場合は、胸が上がってきて、呼吸が乱れて声が非常に出にくいし、調子のいいときは、声帯の振動とからだとの共鳴でいい響きが出るんです。そういうのを感じとれるようになった。そういうことで、自分の声の調子や響きなんかも感じとれるようになったのも、やっぱり毎朝やってたからかなあと思って、今はよかったかなあと思っています。
 今は、朝礼担当から外れたんです。というのは、7年前にメール送信システムができて、ひとりひとりパソコンが与えられて、連絡事項も全部メールですることになったんです。僕らは1分間スピーチで肝にして要、5W1H、てにをはチェック、バーンとやると、ばーっといっちゃうし、しゃべらなくてもいいんです。非常に楽で、正確で、自分の悩みだった朝礼がなくなって、清々しい朝を毎日迎えて、通勤してるんです。
 でも、私は朝礼がなくなっても、毎朝車の中でのトレーニングはまだやってます。というのは、高齢化して、ときどき70歳くらいの人のことばを聞いていますと、声がかすれて、よく聞き取れなかったりしていますけど、僕はあんなことにはなりたくないなあと思って、今もやってるんです。昨日も交流会で藤岡さんに「徳田さん、いい声してますね」なんて言われて、うれしかったんですが、やっぱりトレーニングのおかげだったんだなと思ってます。

  サマキャンは変わらない
     ~高校生の参加者として、スタッフとして~
                   井上詠治 大阪スタタリングプロジェクト

 吃音親子サマーキャンプに子どもとして参加して感じたことと、後はスタッフとして参加して感じたことをお話しようと思います。
 高校2年生のとき、どもりでは就職もできない、生きていけないと将来を悲観し、たまたま雑誌でみつけた横隔膜バンドで、これで治ると、パンフレットを取り寄せて、親に買ってくれと30万円なので、30万で治るのなら安いものだと言って、懇願したことからスタートしました。当然、親からは、そんなものはだめだときっぱり否定されて、その後、児童相談所に行って、京都の福祉センターに行って、そこからサマーキャンプのことを知って参加するようになりました。
 最初は、自分が一番醜いどもり、嫌などもりのことを赤の他人の前でしゃべるのは絶対嫌だと思ってまして、参加したくなかったんですけども、電話や手紙で説得されて、参加するようになりました。私が初めて参加したのが、キャンプが始まって3回目でした。当時は、ふれあいスクールという名前で呼ばれてまして、参加人数は子ども7名ということもあり、今では考えられない規模だったなと思います。
 僕は、どもりを治しにいくという意気込みで参加しまして、話し合いの場に横隔膜バンドのパンフレットをもっていきました。伊藤伸二さんに「これ、どうや」と渡して、「そんなもの、だめだ」と即答されたのがすごく印象に残ってます。
 初めて参加して、ひとつ衝撃的だったのは、大人の人のどもりに出会ったことです。参加したときは高校生で、それまでの10何年間、大人のどもりに出会うことはなかった。スタッフの人がどもっているのを見て、あっ、大人になっても治らないんだと思いました。子ども心に大人になったらみんな治るものかなというふうに思っていたんですが、大人の人が前で一生懸命どもっているのを見て、ああやっぱり治らないものなのかなとがっかりした記憶があります。
 もうひとつ、同世代の仲間との出会いが一番大きかったです。夜、部屋で話をするんですけど、他愛ない話をするんですが、普段はやっぱり言い換えとかどんな仲のいい友だちでも吃音ということをどこかに、頭の片隅に置いてしゃべってたけど、その空間だけは言い換えとかどもることを気にせずにしゃべることができ、すごく居心地がよかったなと思いました。そんなこんなで、それから連続5年間参加しまして、第7回で、僕は卒業となりました。
 それから、就職して、9年間の年月が流れまして、だんだんキャンプの記憶も薄れていったんですが、たまたま大阪吃音教室に参加するようになって、そこで今度はスタッフとして参加してみないかと誘われて、それがきっかけで、今度はスタッフとしてキャンプに参加することになりました。
 参加人数は150名近くということで、僕が参加したころは多いときでも100人もいなかったと思うんですけど、すごくびっくりしました。もうひとつびっくりしたのは、キャンプのメニューが10年前と全然変わっていないこと。出会いの広場をして、話し合いをして、作文を書いて、劇をして、というのが全然変わってなくて、これが伝統みたいなものになっていっているのかなあと思って、ちょっとうれしく思いました。
 子どもたちと接することになるんですけれど、今度は大人として子どもたちに接するわけです。小学生などを見ていると、ものすごく無邪気でやんちゃでうるさいんですけども、ふとその裏側には、かつての僕がそうだったように、キャンプが終わって学校生活に戻ると、また吃音と闘うという表現はちょっとまずいかもしれないですけど、また向き合わなければいけないんだなと思いました。僕も中学校と高校とものすごく苦労したので、今小学生の子がこれから同じような苦労をしていかなきゃいけないのかなと思うと、ちょっと胸が痛い思いがありました。
 劇を指導する立場になりました。僕がやったころは、何も考えずに脳天気に演技していたんですけど、いざ人に教えるというのは、難しかったです。見よう見まねでやってたんですけども、子どもによっては、練習のときに一言も発音できない子どももいました。一生懸命教えて、いざ本番になって、なんとか自分のことばでせりふを言おうとする姿を見て、なんかジーンときました。
 僕が参加者として演技をしていた頃、劇を見ている大人がよく泣くんですね。なんで泣いているのか、全然分からなかったんですけど、大人になって、指導する立場になると、なんとなくその気持ちが分かるような気がしました。
 キャンプでは夜にフリータイムがあって、スタッフと親との交流の場が設けられています。私は母親や父親の中に入っていって、話を聞いたりしてました。僕は何もアドバイスとかもちろんできないんですけども、ひとつそのときに思ったのが、自分の両親はどうだったのかなあということです。僕の親は、知る人ぞ知る、「どもらずにしゃべれ」というのを広告の裏に書いてふすまに貼るような親で、全く無理解な親だったので、ずっと僕は恨んでました。なんでどもりなんかに産んでくれたんだ、とずっと恨んでたんですが、キャンプで親の話を聞くようになって、うちの親も多分悩んでたのかな、うちの親なりに子どもの将来を案じてそういう行動をとってたのかなと、今となってはそういうふうに思えるようになりました。今は、もちろん恨んではいないです。
 親子で参加している子どもたちや親を見ていて、僕はとても幸せなことだなあと思いました。子どもにとって、自分が一番しんどいと思っている吃音に対して、親が理解しようとしているという姿勢を見せるということはものすごく心強いことです。別に何かをしてほしいというわけではないんですけど、そういう姿勢を見せてくれるだけで、子どもは前向きに生きていけるのではないかと思いました。このキャンプが親子で参加するということにこだわる理由というのが少し分かりました。
 最後になりましたが、そんなキャンプも来年で20周年を迎えることになります。僕は子どもとして、スタッフとして、その半分くらい携わることができました。僕がもしキャンプに参加してなかったら、多分この場に立つこともなかっただろうし、どもりを治すことに執着してもっと暗い人生を歩んでいたのではないかと思います。キャンプは、どもる子どもにとっての、その後の人生にものすごく影響を及ぼす大事なイベントだと思っています。そんなキャンプに微力ですけれども、今後もかかわっていけたらと思っています。

  変わっていく子どもたち
                       高木浩明 宇都宮市立雀宮中央小学校

 吃音ショートコースには何回か来ていますが、キャンプは初めての参加でした。行きたいなあとは思っていたのですが、栃木県では夏休みがちょっと短いため、全日程参加できないことと、もうひとつは自分たちもキャンプみたいなことをやっていたので、サマーキャンプでいろんなものをたくさんもらうと、自分たちのしていることに影響を受けるんじゃないかなと思ったこと、この2つで今まで参加できませんでした。自分たちがやろうとしていることと比べて、うらやましいなあと思いながら、なんとなく尻込みしているのも正直ありました。そろそろ行ってもいいかなあと感じ始めたのは、ショートコースに来て、いろんな人と話をして、キャンプの話を聞いたということもあったし、子どもたちとずっと積み重ねをやっていくと、やっぱり変わっていく子どもたちやおうちの人の様子も見ていたので、そろそろ大丈夫かなと思い、参加しました。
 キャンプから帰ってきて、次の日から仕事も始まりました。運動会の練習で忙しく過ごしていたんですが、ふっとメールを見たら、伊藤さんからキャンプの感想を書くようにというメールが来ていました。そういうときに限って、メールを開けるのが遅れ、送られてきた直後だったら、「だめです」と言えるけど、締め切りまであと2日となると、他の人に頼むこともできないんだろうなと思って、なんとか書きました。書き終わったら、今度発表するようにと言われて、「はい」と言って、またここへ来たんです。
 今回、6年生の話し合いの中にいたのですが、6年生の子たちが話し合いの時間の枠の中でも変化していくことに気づきました。
 もうひとつは、話し合いの後の劇の練習のときのことです。前の日の話し合いで、「僕はタイミングをとってるから、あまりどもらないんだ」と言っていた初参加の男の子が、練習を始めたときは、それなりに自分でペースをつかんでしゃべってたんですが、2日目の夜に小さな部屋から体育館みたいなところで通し稽古のようにやったら、ものすごくどもったんです。真っ青な顔をしているので、終わった後、その子と5分か10分くらいしゃべったんです。「明日どうする?」という話をしていて、「でもまあなんとかやります」という話をして、そのときは「どういうふうにやりたいの?」と言ったら、「やっぱりどもらないでやりたい」と言ってたんです。でも、みんなの様子を見ていると、「どもってもいいかなあともちょっとは思うんだけど」と言って揺れている状態だったようです。
 一晩経って、次の日また朝練習したんです。私は直接その様子を見てなかったんですけど、そのときにまたすごくどもったときに、中学生の男の子が「せりふを変える?」と言ったらしいのです。言いにくいことばを違うことばにしたらどうかなというようなことを言ってたみたいなんです。二人のやりとりを聞いていて、どういうふうに言かなと思ったら、「いや、そのままやります」と言いました。
 それを聞いたときに、ああ、一晩、彼はきっといろんなことを考えて、今日を迎えたんだろうなあと思いました。なんか舞台に立つというか、表に立つとき、度胸をつけたなあと思いながら、その様子を見ていました。本番になって、そんなにスラスラ言えたわけでもないけれども、でも、彼は舞台の袖から戻ってきたときに、すごくいい顔をしていました。終わったというのもあるんでしょうけれど、よかったという話をしてました。
 もうひとつは、女の子なんですが、学校に行けないでいる子が、話し合いの中で、ふっとそのことを話し始めたこともありました。
 キャンプから帰ってきて、なんかうらやましいなあと思ったのは、同じことなんです。話し合いをすることだったり、作文を書くことだったり、劇だったり、していることは違っていても、いつも自分のどもるということと向き合っている。それが3日間のキャンプの中で、繰り返されている。さっきの井上さんの話で、キャンプのメニューが全然変わっていないというのは、そういうことだと思うんです。何度も何度も自分のどもりと向き合う場面が繰り返しある。3日間あるから、これだけ変わるんだなあというか、たまっていくんだなあというのをすごく感じました。それが、このキャンプの魅力なんだなあと思いました。
 私たちが学校で、あるいは地区で、キャンプではないけれど、スクールをやろうかというと、必ず、初めて会う子たち向士だから、よく担当者の方でゲームみたいなことをやりましょう、ということが出てくる。なんか、ただ出会っていればいいんじゃないか、というところにいってしまう。怒られるかもしれないけれど、ただ会えればいいんじゃないかというところにいっちゃうんですね。それが、いつも非常にくやしいなあと思っていました。そうじゃないよねということで、私たちは今、話し合いもやってるんです。初めて会う、しかもたかだか2時間くらいしかない、でも話し合いはしようということでやり始めたんです。自分と向き合うこと、他の人が向き合っている様子を見ること、そういうことを繰り返せるというのは、やっぱりすてきな時間なんだなあと感じています。
 19年間続いているということは、大きいなあと思いました。今の自分と先の自分というのは、見えているわけではないのかもしれないけれど、なんか感じているんだろうなという、そんな気がすごくしました。
 今年初めてキャンプに参加したんですが、スタッフの動き方が普通のキャンプと全然違うという話をしたら、そういうふうに感じた人が他にもいたんです。スタッフがスタッフらしくないというか、普通だと仕切る人がいて、その人がリーダーになって、次はこれですよ、次はこれですよと、どんどんやるんだけど、ここのキャンプはそういうことをしなくてもみんなが動いていく。それが全然違う。こんな話をしながら、このキャンプって、たくさんの年齢層の人がいるけれど、積み重ねで何度も何度も来ている人がいるから、なんか自然にそういうものを身につけている子たちがいて、初めて来た子もそれを見ながら動いているんだろうなと思いました。そうすると、学校の宿泊学習をやるみたいに、「早くしなさい。5分前ですよ」なんてことをいちいち言わなくても、自然と動けるんだろうなと思いました。そういうものも含めて、積み重ねてたくさんの人たちが関わり続けているということはすてきなことだなあ、いいことだなあと思いました。
 最近、うちの学校で事件を起こした子がいて、その子と担任の先生が時間を作ってしゃべろうという話をしてたんですね。そしたら、担任の先生が、しゃべる時間は作れるんだけど、何をしゃべっていいか分からないと言ったんです。その子のプライベートなことや育ってきた環境のことなど、たくさんあるけれど、どこまで踏み込んでいいのか分からないという話を聞いたときに、自分だったら、ポーンとぶっかっていっちゃうよなあと思いました。キャンプのときの様子を思い浮かべると、子どもと話し合うのもそうだし、子どもとほかでしゃべっていてもそうですけど、初めて会う子たちなんだけど、向こうからもいっぱい出してくれるし、それをこっちがすぐ投げ返せるような位置にいるんだなあと思いました。そういう経験をスタッフとしてたくさんやっていくことが、自分自身にとっても大切な時間だと感じています。
(「スタタリング・ナウ」2008.12.23 NO.172) 

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/01/09

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