少数派であることを恐れない
メディアは死んだ、と語ったのは、確かTBSの「ニュース23」のキャスター筑紫哲也さんだったと記憶しています。今から何年も前のことでした。そのことばどおり、ますます僕たちを取り巻くメディアの劣化がすすんでいます。本来、少数派の擁護の立場に立たなければならない大手メディアは、大きな権力には逆らえず、社会風潮は、少数派に属する人たちにとって、生きづらさを感じるものになっています。日本だけでなく、世界中でその傾向にあるようです。
吃音の世界も例外ではなく、「治す、治せる」から、治っていない現実に向き合い、一旦は「吃音とともに生きる」に傾きかけたかになりましたが、やはりどもる人を弱い存在とし、支援を受ける対象として生きるの声が大きくなっているように思います。吃音で支援が必要な人はいます。支援によって生きやすくなるのは喜ばしいことです。それでもあえて吃音に限っては、自分の力で生きることをまず一番に考えたいと思うのです。
そんな僕を支えてくれていたのが、筑紫哲也さんであり、ニュース23の元ディレクターの斉藤道雄さんです。「少数派であることを恐れない」、これを支えに、ブレずに僕の信じる道を歩いていきます。
「スタタリング・ナウ」2008.11.23 NO.171 の巻頭言「少数派であることを恐れない」
を紹介します。
少数派であることを恐れない
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
「変わらないもの。それは、力の強いもの、大きな権力に対する監視の役を果たそうとすること。とかくひとつの方向に流れやすいこの国の中で、少数派であることを恐れないこと。多様な意見や立場を登場させることで、この社会に自由な気風を保つこと」
筑紫哲也さんは、TBSの《ニュース23》の、今年3月23日、最後となった「変わらないもの」と題したニュース・コラム『多事争論』でこう発言した。この番組が18年間生き残れた一番の理由は、視聴者の信頼感という支えがあったからだと感謝し、次のキャスターに引き継いで、テレビの画面から去った。
そして、この11月7日、テレビだけでなく、私たちの生きているこの世界から、穏やかな笑顔の映像を残して去った。
筑紫さんがお亡くなりになったニュースに接し、生前の映像が映し出されたとき、涙があふれてきた。大事な戦友が突然いなくなったような、いいようのない寂しさが胸を突いた。
どんどん壊れ、おかしくなっていく日本。その日本にあって言論の軸足が全くぶれず、一貫して少数派といわれる人々への優しいまなざしを持ち続け、聴覚障害や精神障害のある人たちのことを紹介した。戦争の愚かさと平和の尊さを語り、ヒロシマ、オキナワにこだわり、平和を脅かす存在には厳しく切り込んだ。
優しさと、厳しさを併せ持つジャーナリストは、筑紫さん以外にはあまりいないだろう。
私も常に吃音に限らず、少数派と言われる意見を持ち続けているが、ともすれば大きな流れに押しつぶされそうになるときもある。そんなとき、「これでいいのだ」と支えていて下さっていたような気がする。ひとつの座標軸のような存在だった。
私は言語聴覚士養成の専門学校で吃音の講義をする時、その前に必ずこう言う。
「私の、吃音に対する考え方、取り組みは、日本でも世界でもきわめて少数派だ。私に反対し、批判的な意見もできるだけ紹介する。両方を知った上で、最終的にはあなた方が判断して欲しい」
最初は、これまでの吃音の講義と全く違うことにとまどいながら、最後には、多くの学生が、私の考えが少数派であることが不思議だとさえ言ってくれる。また、それほど少数派なのに、なぜ、こんなにがんばれるのですかとの質問も受ける。
その時は、『スタタリング・ナウ』を購読して下さる人たちをはじめ、私を信頼し、私もその人たちを信頼する大勢の仲間がいるからだと答える。
島根の専門学校での講義に合わせて、その前の2日間、島根県のことばの教室の担当者の宿泊研修会が計画された。1日目は講義で、2日目は演習。2日間たっぷりと、吃音について語り合った。島根を離れる夜には、仲間9人と鍋を囲んだ。
また、専門学校の講義が終わった次の日は、北九州市立障害福祉センターの古くからの友人である二人の言語聴覚士が、相談・講演会を企画してくれた。50名ほどが参加して私の話に耳を傾けてくれた。このような人たちの信頼感の支えによって、私も40年、ぶれることなく、私の主張を語り続けることができ、実践できるのだと思う。
筑紫さんの番組《ニュース23》の元ディレクターで、今は私立ろう学校の校長である斉藤道雄さんから夏にこんなメールをいただいていた。
「治すということにこだわるのではなく、『それ』をいかに生きるかを考えようというのは、ぼくがいま関わっている明晴学園も、浦河べてるの家もピタッと共通しているところです。それはまた、べてるの家で大切にしている『他人の価値観に生きない』ということ、当事者が当事者性を取りもどすのとおなじことだと思います。そういう意味では、ぼくは伊藤さんのことを勝手に『同志』だと思っています」
勝手に戦友と思っていた筑紫さん、さようなら。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/01/06