第19回吃音親子サマーキャンプ~表現活動~

 「スタタリング・ナウ」2008.10.21 NO.170 では、2008年の第19回吃音親子サマーキャンプの報告をしています。この年のサマーキャンプの日程は、8月29・30・31日でした。夏休みの最後の最後でした。こんな日程なのにたくさん参加してくださったこと、覚えています。
 今日は、サマーキャンプのプログラムの中の表現活動にしぼって報告している文章を紹介します。単なる付き添いではない親たちの表現と、子どもたちの演劇活動です。

第19回吃音親子サマーキャンプ
 今年のキャンプの日程は、8月29・30・31日。夏休みの本当の最終に当たる。キャンプが終わった翌日から2学期が始まる学校が多い。こんな日程で果たして参加があるだろうか、少し心配だった。予想どおり、日程的に厳しいので、今年は残念ながら涙をのんで参加を見合わせます、というハガキをもらったりすると、申し訳ないなあという気になってくる。それでも、申し込みは、130名を越えた。
 今回は、表現活動にしぼって紹介しよう。(報告:溝口稚佳子)

親たちの表現活動~意義~
 親は、子どもの付き添いではない。キャンプでは親自体がひとりの参加者なのだ。親のプログラムは子どもと同様ハードなものだ。
 親の話し合い、作文、吃音学習会が子どもの活動に平行して行われる。そして、子どもの演劇の代わりとなるものとして、親の表現活動がある。子どもたちの劇の上演前に、親の表現活動を取り入れて10年になる。
 きっかけは、子どものことばや声にとって何かレッスンのようなものはないだろうかという母親の素朴な問いかけからだった。声を出すには、からだが大事だということで、子どもが劇の練習で使っていない集会室を利用して、からだの揺らしをしたり、歌を歌ったりする「からだとことばのレッスン」が始まった。せっかく練習したのだから、子どもたちの前で披露しようと、子どもたちの劇の上演の前座を務めることになったのが始まりである。
 今ではキャンプのひとつの名物となり、重要なプログラムで、大きな相乗効果を生み出している。

◇親たちのがんばりは、子どもたちへの励まし
 どきどきしながら、もうすぐ始まる劇を待っている子どもたちの前で繰り広げられる親の、詩をことばとからだで表現するパフォーマンス。人前で飛んだり跳ねたりする、日頃見慣れていない親の姿に、初めて接する子は、驚き、そしてはっとして大きな拍手をする。お父さんやお母さんもがんばっているのだから、と劇の上演前の緊張した子どもへの大きな励ましになっている。「がんばれ」と言われるのとは違う、実際にからだで示してくれる応援となる。吃音について一緒に取り組んでいるという一体感が、親と子どもに生まれる。
◇子どもたちの劇上演に対する見方の変化
 大勢の前に立ち、ひとりで自分を支える、引き返すことのできない場に立つ、そんな子どもの気持ちがよく分かるという親は少なくない。自分も味わったあのどきどき感を胸いっぱいに感じながら、みんなの前で演じる子どもたちを見ることができるだろう。
◇スタッフに与える大きな影響
 初参加のスタッフにとって、親の表現活動は大きなインパクトを与えるようである。ここまでするのか?というくらいのはじけた親の姿に感動した、勇気をもらったという感想をよく聞く。

 これまで、谷川俊太郎の「生きる」、北原白秋の「祭り」、草野心平の「誕生祭」などの詩を使ってきた。最近は、「荒神山ののはらうた」。工藤直子の「のはらうた」を題材にして構成している。はじめのころは見本を見せて、このようにしたらと提案もしたが、最近は親が話し合い、ふりつけをし、練習をして見事な舞台を作り上げる。
 キャンプ最終日、上演前の90分が練習時間だ。親たちが集会室に集まってくる。初めて参加した親は、一体何が始まるのだろうかと、不安げだ。何度も参加している親でもそれぞれに表情が違う。この表現活動を楽しみにしている親もいるが、嫌だという親もいる。それは子どもも同じだ。劇を楽しみにしている子どもも多いが、これさえなければもっと楽しいのにと思っている子どももいるだろう。苦手なことに挑戦するのは親も子どもも同じなのだ。そう覚悟を決めて練習する親の姿を見て、毎回感動する。
 みんなで声出しのための歌を歌って、表現活動に入るための準備をする。その後は、話し合いの時の4つのグループに分かれ、練習が始まる。相談して、やってみて、また相談して、という繰り返しだ。あちこちで笑い声が起きている。真剣に、まじめに話し合いを続けてきたメンバーによるこの練習のもつ意味は大きい。話し合いで泣き、笑い、しんみりとした親同士の連帯感、仲間意識がさらに深まっていく。

親たちの表現活動~上演~
 最終日、午前10時。全員が集まり、さあ開演。こんなナレーションから、それは始まった。

 「今年もここ荒神山少年自然の家に、のはらうたのメンバーがやってきました。荒神山の一日が始まります。朝、おなじみのかまきりりゅうじ君がやってきました」

きまったぜ
かまきりりゅうじ
さっと ひとふり カマを ふったら
あさひ ぐんぐん のぼってくるぜ
ぐいっと もひとつ カマを ふったら
ことり ピーチク うたいだすぜ
きらりと おまけに カマを ふったら
ちょうちょ はたはた おどりだすぜ 
カマの タクトで あさを よぶ
おれは のはらの コンダクター
いえぃ きまったぜ 

 この後、いのししぶんた、こぎつねしゅうじ、あなぐまこうじ、と続く。4つのグループがそれぞれ、子どもたちがびっくりするような、見事な演技を披露する。動きも、声も、ダイナミックで素晴らしい。ユーモアも効いている。
 最後の4番目のグループが終わると、親は手をつなぎ、子どもたちを囲んだ。そして、最後は親全員の温かい大きな声が会場に響き渡り、子どもたちを包み込んだ。

だいちのねがい
だいちさくのすけ
う~~~~~~んと てを ひろげ
し~~~~~~っかり みんなを だきしめる
それが われら だいちの やくめ
それが われら だいちの ねがい

う~~~~~~んと てを ひろげ
し~~~~~~っかり みんなを だきしめる
それが われら 親の やくめ 
それが われら 親の ねがい

 スタッフの一人がこんな感想を寄せている。「子どもにとって普段絶対に見ることのない親の姿。1時間半の練習でよくここまでまとめたものだと感心する。最後に親全員が部屋を取り囲んで一斉に詩を朗読した時は、すごい迫力で感動した」

子どもの表現活動~劇の稽古と上演~
 子どもたちによる劇についてもほんの少し触れておく。今年の劇は、トラバース原作、竹内敏晴さんの構成・演出・脚本の『王さまを見たネコ』。
 スタッフの報告を紹介しよう。

 『サマキャンの劇の特徴は、上手に演技することに重点を置くのではなく、それよりもその子どもの声に注目する。本番の出来不出来よりも、練習中にどれだけしっかりと相手に届く声を出すことが出来るかに時間とエネルギーをかける。
 僕たちの劇の練習は、この劇のテーマソングをみんなで歌うことから始めた。でも思っていたとおり、子ども一人一人の声がよく聞こえない。声はその子どもの周囲にとどまり、広がらない。そこで毎年僕のグループの恒例で、楽しく大きな声を出すゲームをした。子どもとスタッフが混じって二手に分かれて肩を組み、一方が「ライオンだー、ライオンだー!」、もう一方が「ゾウだー、ゾウだー!」と交互に大きな声を出す競争をする。最初躊躇していた子どもたちもみんなと一緒だと思いきって大きな声が出せる。きっと、ふだん滅多に出すことのない大きな声だろう。そのうちに大きな声を出す気持ちよさが分かってきて、だんだんと笑顔が増えてくる。メンバーチェンジをしたり子どもたちだけで競争したりと、子どもたちは楽しみながらどんどん大きな声を出していく。
 大きな声を出して心地よく疲れてから、いよいよ台本読みに入った。一回目からみんな意外とうまく読めたが、サマキャンの劇はそれでOKではない。子どもたちを3つのグループに分けて、それぞれに竹内さんのレッスンを受けたスタッフがついて個別練習をした。子どもの中にはどもらない子どももいたが、日本語の特徴である母音が出ていない。どもるどもらないに関わらず、しっかり息を吐く、一音一音母音を押す(一音一拍)、相手に届く声を意識して何度も練習した。今回の劇は場面転換がなく動作も複雑ではないので、いつもより一人一人の声にじっくりと取り組むことが出来た』

 上演が始まると、緊張気味だった子どもたちも、驚くほど堂々とセリフを言い演技する。話し合いでは一言も言葉を発しなかった高等専門学校の学生が、王様役で真ん中で、長いセリフを読んでいる。これには本当に驚いた。話し合いと、劇の稽古と上演の二つのプログラムが有効に機能している。表現することは自分らしく生きること、人間にとって大切な営みであることを改めて思う。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/01/03

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