ひとつのきっかけにすぎないけれど
新しい年が始まりました。今年も、これまでの「スタタリング・ナウ」を紹介していきます。できるだけ早く最新号に近づきたいと思っているのですが、なかなか追いつきません。今、編集中の最新号は、NO.365で、今日、紹介するのがNO.170です。
今日は、第19回吃音親子サマーキャンプの報告特集です。どもる子どもの保護者から「親として、何ができますか」とよく質問を受けます。僕は「サマーキャンプに連れてきてくれさえすれば…」と答えます。吃音親子サマーキャンプというあの空間は、きっと何らかのきっかけを与えてくれると信じているからです。
2025年の吃音親子サマーキャンプは、34回目、日程は8月22・23・24日、場所はいつもの滋賀県彦根市の荒神山自然の家です。
では、「スタタリング・ナウ」2008.10.21 NO.170 の巻頭言を紹介します。
ひとつのきっかけにすぎないけれど
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
「新学期に学校へ行く準備もあるし、行っても何も変わらないだろうから」
吃音親子サマーキャンプを直前にキャンセルした中学1年生の男子と両親と、キャンプの一ヶ月後に会った。彼はかたくなにキャンプへの参加を拒んだ。説得し切れなかった父親は、直前に子どもの言う理由を書いて、キャンセルのファックスをしてきたのだ。4人で話し合う中で、思春期のどもる子どもへの支援の難しさを改めて思った。
彼は中学校に入学してまもなく、発表や音読などでどもりたくなくて、学校を休んでいる。本人も学校へは行きたいし、吃音についてもなんとかしなければ、とは思っている。それなのに、吃音親子サマーキャンプには絶対に行きたくないと言う。
この強い拒絶は、私の経験から想像すると、自分と、吃音と向き合うことへの不安や怖さがあったのだろうと思う。これまで向き合ってこなかった問題に向き合うことは誰もが恐いことだろう。ただ嵐が通り去るのを待つ、吃音に閉じこもっていた方が楽なのだ。私がそうだった。
21歳の夏、「どもりを必ず治します」と宣伝していた民間吃音矯正所の門を前にしても、私のからだはこわばり動けなかった。言いようのない不安と、恐ろしさと、どもる自分への嫌悪感が広がった。「ボクは自分がどもることを認めたくない」と、だだっ子のように、駅と公園とその矯正所を行ったり来たりしていた。この門をくぐると、自分のどもりを認めることになる。この不思議な感覚を私は今でも鮮明に覚えている。
彼の言うように、キャンプで「何も変わらない」かもしれない。しかし、「何かが変わる」かもしれないのに、参加する意欲がわかない。同様の経験をした私は、彼に昔の私をだぶらせていた。
私の開設する電話相談「吃音ホットライン」は親からの相談が大半だ。吃音親子サマーキャンプを紹介することは多いが、タイミングによっては強く薦める。小学校高学年になって、中学に入学して、高校に入学して、学校へ行けなくなったり、吃音が大きな問題になる子どもは少なくない。良い友だちや先生に恵まれたこれまでの生活環境が一変し、自分ひとりで吃音と向き合うことはとても難しいことになってくるのだ。
今年も親からの電話相談の後、子どもや親の体験文などを添えて、キャンプの案内を送った。その数は多いが、特にこの人には参加して欲しいと思った6名には、電話や手紙などで強く薦めた。
子どもの強い抵抗にたじろぎ、子どもの意志を尊重しすぎるあまり、参加を断念した親は少なくないだろう。一方で、子どもの気持ちは理解できても、キャンプに行けば子どもは変わると、変わる力を信じて、信念をもってキャンプへの参加を促して、子どもを強引に連れてきた親も少なくない。
今年も、子ども自身は行きたくないと意思表示をしていた、小学6年生と、高等専門学校生が親の粘り強い誘いによって参加した。事前の電話の感触で、私は恐らくこの二人も参加しないのではないかと予想していた。だから、この親子が参加してくれたことは、私にとって今回のキャンプの大きな喜びのひとつだった。
行きたくないと言う子どもをキャンプに連れてくるのはとても難しい。「連れてきてくれるだけでいい」という私のことばを信じて、場に連れてきた親に、私は心からの敬意の念をもつ。事実、二人とも当初は浮かぬ顔をしていた。「今、90パーセント帰りたい」と言っていた子も、時間がたつにつれてどんどん変わっていった。
大きな抵抗を示し、不本意な気持ちで参加した子どもに、特別なプログラムがあるわけではない。
安心して語れる、聞いてもらえる場に身を置き、他人が語る姿をモデルにして、おずおずと自分を語り始める。苦手な表現活動にみんなで取り組む中で、何かが変わり始める。キャンプはひとつのきっかけにすぎないのだけれど、それは、子どもの変わる力を耕し、育むきっかけとなっている。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/01/02