「治す」という前提

 「普通」とは違うことに悩む人々、何らかの生きづらさを抱えている人々が、その状態からなんとか抜け出したいと思うのは自然なこと、「治したい、治りたい」と思うのは当然のことだと言えます。小学校2年生の秋から、吃音に悩んでいた僕が、「治したい、治りたい」と思ったのは、何の不思議なことでもありませんでした。社会にも、「治す、治せる」という前提がありました。疑問、異論をはさむ余地はなかったのです。でも、その前提によって、悩みはより深くなりました。世の中には、治らないものも少なくないからです。
 その前提を、本当にそうだろうかと立ち止まり考えることから、新しい生き方が見えてきました。
 2008年の夏、「べてるの家」の研修・見学に出かけた報告から、「スタタリング・ナウ」2008.9.22 NO.169 の巻頭言は始まっています。

  「治す」という前提
                      日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 この夏、つき合いのある精神障害者の家族会に同行させてもらい、精神障害者の作業所、北海道浦河の「べてるの家」を研修・見学をした。
 いくつかの書籍やビデオによって文字や映像では理解していたが、「治せない、治さない」実践がどのようになされているか、実際に生活する人々に、じかに出会いたかった。
 年間2500人ほどの人が、交通の便の悪い、北海道・襟裳岬の近くの浦河を訪れる。その日も、私たち家族会だけでなく、医師、医療従事者、研究者のグループが研修に来ていた。当事者の声を聞き、当事者の姿から学ぼうとするその姿勢がうらやましい。どもる当事者の声がなかなか吃音研究者・臨床家に届かないことを経験しているからだ。
 べてるの家が制作している製品を販売するショップが、浦河のメインストリートにある。まだ持っていなかった書籍もあったので買った。書籍を買った人だけにプレゼントされるという、当事者直筆のしおりがかごにいっぱい入っていた。しおりをくじのように一枚引き出した。私が手にしたしおりには、「勝手になおすな自分の病気」と書かれてあった。胸が熱くなり、何度も口ずさんだ。
 誰がどのような思いでこれ書いたのか。その人のべてるにたどり着くまでの人生、その後の人生へと、いろいろな思いが巡る。これを受け取る人の受け止め方は様々だろう。たくさんの種類のメッセージが書かれたしおりから、このしおりを私が手にしたのは、何か意味があるような気がした。
 病気や障害のある人々、いわゆる「普通」から逸脱していることに悩む人々、何らかの生きづらさを抱えている人々が、この状態からなんとか抜け出したいと思うのは自然なことだ。「治したい、治りたい」と思うのは当然のことだろう。
 治したい、変えたいと願って、実際に治るもの、変えられるものなら、そうなることがいいのは当たり前のことだ。しかし、現実の問題として治せない、治らないものは少なくない。自分の力ではどうしても変えられないものはある。その場合、治らなくても、その状況が変わらなくても、その場に踏みとどまって、自分で自分を助けながら生きていくしかない。べてるの人たちもそうだろう。
 小学2年生からの私の吃音の苦しみ、悩みは相当に深かった。生きている実感がもてないほどに、吃音にがんじがらめになった、無気力な、孤独な生活だった。その私をかろうじて支えていたのは「いつか治る」という期待だった。それだけ「治る」ことへの願いは切実で巨大だった。
 21歳の時、「治る」と宣伝する民間吃音矯正所で必死に努力したにもかかわらず、私の吃音は治らなかった。そこで私は治ることへのあきらめがつき、どもりながら生きる覚悟ができた。
 私と同じように努力したが治らなかった人々は膨大な数になる。いやほとんどの人が治らなかっただろう。しかし、「治る」ことにあきらめがつかない人は少なくない。何度もその矯正所を訪れたり、他の治療法を求めるのはそのためだ。
 世界も日本も依然として「吃音を治す」ことにこだわっている中で、私だけがなぜ「治す努力の否定」を提起し、34年まったくぶれることなく「治す前提」を取り去ろうと言い続けるのだろう。不思議な思いで改めて考えてみた。
 それは私が人一倍吃音に悩み、治すこと治ることにこだわったからではないか。そして、そのこだわりが悩みを深めたという強い認識があるからだろう。その後多くの人と一緒にした、べてるの家の言う「当事者研究」によって、どもる人の悩みの源泉は「治る・治せる」との前提を持ち続けることだと確信をもったからだろうと改めて思った。
 21歳という若さではあったけれども、私は十分すぎるほど深刻に吃音に悩み、「悩むことに飽きた」からだ。その結果、新しい方向に歩み出す決意を固めたのだ。その後、多くの人と出会い、吃音を学び、私の提案は、吃音の悩む人の一つの選択肢になり得ることを確信したのだった。
 べてるの家の存在は、「治す前提」に抵抗し続ける私への応援のような気がする。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/12/28

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