『どもる君へいま伝えたいこと』感想特集 2
昨日、『どもる君へ いま伝えたいこと』を読んだ感想を、ひとり紹介しました。今日は、その続きです。
『どもる君へいま伝えたいこと』は、小学校3年生くらいの子どもが手に取り、自分で読めるようにと、難しい漢字にはふりがなをつけました。でも、子ども向けと、限定しているわけではありません。どもる大人にも充分読んでいただけるものになっていると確信しています。そして、どもる子どもやどもる大人などの当事者だけでなく、どもる子どもとかかわることばの教室担当者や言語聴覚士の方にも、ぜひ、読んでいただきたいと思っています。
是非、どもる君に読んでほしい
堤野瑛一(大阪スタタリングプロジェクト)
と言っても、この本が、ただちに君を、どもりの苦労や悩みのすべてから、開放してくれるわけではない。つまりこの本には、どもりの治し方やどもりを軽くする方法や、効果的な訓練法が書かれているわけでは決してない。むしろ、まず基本的なこととして、100年間研究がなされてきたにも関わらず、いまだにどもりの原因は分からず、効果的な治療法や訓練法はまったくないことが、はっきりと書かれている。
それが本当のこと、事実なのだから仕方がない。でも、伊藤さんはこの本の一番最後に、その事実を認めて生きていくことは、”易しい道”だと書いている。つまり、どもりは訓練すれば改善するもの、改善すべきものとして、どもりが消えることを期待して生きてくことは、実はとても苦しく難しいことで、おそらく永遠に救われない。なぜなら、そういった期待の裏側には、どもりは悪いもの、どもっていてはいい人生は送れないといった、強い思いこみがあり、しかも、どもりは誰も治っていないのが事実なのだから、これは救われない。
それよりも、伊藤さんは、どもりは治らない、どもるのが自分だと認めることを”ゼロの地点”と呼び、まずゼロの地点に立つことが、この先の豊かな人生への可能性を開くことであり、そうすることのほうが、ずっと易しい道だと言っている。
ゼロの地点に立ったからといって、みんながただちに、何も悩まなくなるわけではない。どもる人間として生きていくのには、やはり、それなりの苦労があったり、悩みがあったりする。僕も今でもそうだ。だけど、ひとりぼっちで悩んでいるのは、とてもしんどい。
そこで伊藤さんは、どもりの大先輩として、自分のこれまでの人生や体験をふり返り、君がこれから色々と苦労したり悩んだりしていくうえでの、すなわち生きていくうえでの、たくさんの豊かなヒントを、この本に書いてくれた。
短い言葉でうまく説明するのは難しいけれど、同じ苦労したり悩んだりするのでも、上手な悩み方、意味のある悩み方というのがあると思う。伊藤さんが示してくれた、たくさんのヒントをたよりにすることで、ひとり暗闇のなかで悶々と悩むのではなく、君を前進させてくれるような、上手な悩み方ができるのではないかと思う。
君がいつか本当に困りはてて、ひとりではどうしようもなくなったときに、この本を開けば、きっと何か大きなヒントが書かれてあると思う。
それに実は、悩まなくてもすむことだって、たくさんある。もしも子どものころに、こんなことをちゃんと知っていれば、余計なことを悩まずにすんだのではないかと思えるようなことも、今知っておいたほうがいい知識として、この本は教えてくれる。
僕はもう30歳に近い大人だけれど、それでも、この本を読んで元気になれたことが、たくさんあった。どもりであること、苦労すること、悩みながら生きていくことは、決して不幸なことではない、悩んできたことが、僕の人生に、どれだけ豊かないろどりを与えてくれて、僕を大きくさせてくれたことかと、思わせてくれる。
まだまだこれからも、色々と悩んだり苦労することが、僕にもあるだろうけれど、それでも、この本に書かれてあることを思い出しながら、なんとかやっていけると思えるし、どもりでも生きていけると、元気にさせてくれる。
この本のなかに、”自信”について書かれた箇所がある。伊藤さんは、他人と比較して得られるような相対的な自信ではなく、自分は自分でいいと思えるような、自分特有の絶対的な自信をもてることが、本当の自信だと書いている。
僕はこうやって、文章を書くことが好きだけれど、決してプロの作家さんのような、巧みな文章が書けるわけではないし、特別上手でもない。それでも僕は、自分の文章にはとても自信がある。
僕は大阪スタタリングプロジェクトが年に一度主催する「ことば文学賞」に、毎年応募しているけれど、べつに上手な文章を書くことにはこだわらずに、これまで悩んで必死に生きてきた人生をふり返り、自分固有の体験を、自分の体からしぼり出したことばで、ただ一生懸命に書いている。
もしも、僕よりもどんなに上手に文章を書く人が、隣にいたとしても、その人と僕の文章を比較することに、一体何の意味があるだろう。上手とか下手とかを比べてみたところで、僕の文章は僕にしか書けない、僕固有の体験であり、他の人のものとは差し替えようがない、僕だけのことばだ。
そうやって、僕はただ自分が一生懸命生きてきたことを、うそ偽りなく文章にして書いたら、2年も続けて最優秀賞をもらうことができた。そのことは、僕の大きな自信になっている。
伊藤さんは本のなかに、「君は、悩む力をもっている」と書いている。「考える力をもっている」とも、「変わる力をもっている」とも…。
もしも君が、どもりと向き合い生きていくなかで、一生懸命悩み、考え、そして、ほんの少しの勇気をもって少しずつ変わっていけば、君の人生は、きっと君だけの豊かな色彩をもったものになると思う。そうなれば必ず、そこから君特有の、他の誰とも比べようのない”自信”が生まれると思う。かけがえのない”君”に、気がつくと思う。
この『どもる君へ、いま伝えたいこと』はきっと、そんな君の人生や、これからの僕自身にとっても、大きな手助けとなってくれる。
何度でも読まれ、人生の友になる本
西田逸夫(大阪スタタリングプロジェクト)
伊藤さんの近刊『どもる君へ、いま伝えたいこと』は、何度でも読まれ、人生の友になる本だ。
「小学5年生から、中学生を頭において書いた」と、伊藤さんも「おわりに」で書く通り、全編、出来るだけ分かりやすいことば、分かりやすい言い回しが使われ、小学校高学年以上の漢字には振り仮名が振られている。小学生でも、吃音に深く悩み、正面から向き合おうとする子どもたちの中には、しっかりと考える力を持つ子どもが多い。本の大部分を読みこなしてくれるだろう。
とは言え、中に書かれていることのレベルの高さ、考え方の深さは、決して分かりやすいだけのものではない。吃音に関する知識について、例えば治療法について、アメリカの最新の情報が盛り込まれている。吃音とともに生きることについて、大阪吃音教室の仲間で話し合っていることや、吃音ショートコースで全国の仲間と話し合っていることのうち、一番深いところが、惜しげもなく書き込まれている。
言い換えれば、ことばの使い方、言い回しの選び方は配慮しているものの、伊藤さんは読者をまったく子ども扱いしていない。小学生に向け、中学生に向けて、真剣に、対等な人間として語りかけている。
この本は、多くの子どもたちにとって、一度出会い、一度読み込めば、その後の人生で何度でも再読されるような本になるだろう。吃音を巡るさまざまな波をかぶる度、波を乗り越える都度、本の中のあちこちが、その子どもたちの胸に思い浮かぶだろう。
変わっていく出発点になる本
久保健彦(麻生リハビリテーション専門学校言語聴覚学科)
『どもる君へいま伝えたいこと』は、子ども向けどころか、私にはこれまでの伊藤さんのご著書以上に出会えて良かった本となりました。これまでの伊藤さんの著作でも触れられてはいたのですが、この本では「自己変化力」「どもりは自然に変わる」ということが、丁寧にはっきりと書かれておりました。
40年ほど前の中学生の頃、相談したことばの教室の先生に「君のどもりは治らないと思いなさい。治すのでばなく、どもりを抱えながら生きていくこと、克服していくことを考えなさい」と言われたのが自分が変わっていく出発点になった私にとっては、伊藤さんの「どもりは治らない。そこから出発する」といった主張は実感としてよく分かりました。しかし、これまでの著書では、「どもりは治らない」にだけ反応してしまう人が多かったように思います。
「自然なものだから、変わる程度も違い、なかにはぜんぜん変わらない人もいる。だけど、考え方や行動が変わり、どもりにあまり悩まなくなり、どもりの問題が小さくなれば変わったことだね」ということばに、「そう、そうなんだよなあ。自分ではそこまで整理し切れていなかったなあ」と、頭と心にピタリとしたことばに出会った嬉しさとともに、言語聴覚士を養成する職にありながら、そこまで整理し切れていなかったことに自省の念を抱かされました。これは、幼児における環境調整などとも矛盾しません。せっかくの言語聴覚士の立場におりますので、宣伝させていただきます。(了 「スタタリング・ナウ」2008.8.24 NO.168)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/12/27