『どもる君へ いま伝えたいこと』(解放出版社) 北海道新聞で紹介される
『どもる君へ いま伝えたいこと』を発刊したとき、新聞がいくつか取り上げてくれました。今日は、その中でも、珍しい北海道新聞の記事を紹介します。なぜ、北海道新聞が取り上げてくれたかですが、2008年の夏、僕は北海道を車で旅行していて、友人を訪ねました。その友人は、大阪で教員をしていた人です。定年を機に、故郷の北海道に戻り、士別に移住していました。そこで、いろいろ話しているとき、僕が最近出版した本のことが話題になり、その友人が北海道新聞の記者を知っているということで、連絡をとってくれ、その記者の取材を受けて、記事を書いてもらいました。
〈「ありのままの君で君は価値のある存在だ」とメッセージを送る伊藤さん〉と題した写真入りの記事でした。記事の文字データを紹介します。
また、『どもる君へ いま伝えたいこと』の感想特集として、ひとりの感想を紹介します。つづきは、明日、紹介します。
吃音に悩む子供へ
大阪教育大講師 伊藤さん本出版
日本吃音臨床研究会会長で、大阪教育大非常勤講師の伊藤伸二さん(大阪府在住)が、吃音の子供たちへのメッセージを、本「どもる君へいま伝えたいこと」にまとめた。
伊藤さんは、小2のころから吃音に悩み、矯正のための教室にも通った。そこで仲間と出会い、ありのままの自分を受け入れ、積極的に人生を楽しむことで悩みを乗り越えた。現在は、電話相談や「吃音親子サマーキャンプ」を開催し、子供たちを支えている。
本は、多く寄せられる質問に答える形になっている。「私のどもりは治りますか」との質問には、「どもりながら、楽しい人生を送っている人は、たくさんいるんだよ。(中略)『どもっても大丈夫、何の問題もない』と思えるようになればいいね」とアドバイスしている。
伊藤さんは、「周囲に『いつか治る』と言われ、話題にしないようにしている親も多いが、この本が一緒に考えるきっかけになれば」と話している。
A5判95ページ。購入希望者は1200円分の切手を同封し、伊藤さん(〒572・0850 大阪府寝屋川市打上高塚町1の2の1526)へ申し込むとよい。問い合わせは、伊藤さん☎072・820・8244(ファクス兼用)へ。
北海道新聞 2008年(平成20年)8月11日(月曜日)
『どもる君へいま伝えたいこと』感想特集
謙虚に生きることのすばらしさ
掛田力哉(大阪府立八尾支援学校所属)
『ぼくと同じで、人間は弱くて、失敗するものだ…。(中略)
生きていくうえでの悲しみや苦しみは当然ある。それにちょっと距離をおいて、ユーモアで眺めて、困難や逆境を笑い飛ばせたらいいね…(Q17)』この文章を読んだとき、私は忘れかけていた大切なものをやっと取り戻したような不思議な安堵感に包まれ、一人電車の中で泣けてきました。「弱くて、ちっぽけな」ありのままの自分を見つめる「謙虚さ」こそが、しなやかに生きる人間の知恵であるという、この伊藤さんや大阪吃音教室の皆さんの考え方が大好きだったのに、私はすっかりそれを忘れたままに半年ほどを鬱々と過ごしていました。本を開くたび、一つの言葉、一つの文章に、忘れていた懐かしい「温もり」を感じ、その度、笑ったり涙がこぼれそうになったりしました。
伊藤さんから一通の緊迫した雰囲気の手紙が届いたのは、今年の2月頃。手紙には、アメリカのバリー・ギター博士による吃音治療に関する本が翻訳されたこと、医療や教育の現場が一気にその流れに組み込まれはしないかという強い危機感などが書かれてありました。「今こそ、悩む子どもたちのために、本物の吃音の本が必要だ」という伊藤さんの思いに賛同した「ことばの教室」の教師たちが集まり、なぜか私もそこへ誘って頂いて『どもる君へ』(当初はもちろんこの書名も決まっていませんでしたが)の出版へ向けた話し合いが始まりました。ギター博士の論に対抗するためには、「吃音の治療」にっいてどう考えるのか、また「どもる私たちにとって、『言葉にこだわる』とは何を意味するのか」など、様々な根源的問いに対して、改めて自分たちの考えを明確にする必要がありました。 (Ql1)の「どもりが変わる」という事についても、「”変わる”と”治る”の違いをどう理解してもらうのか」など、激論が交わされました。そんな話を聞きながら、私が強く思ったのは、やはり「弱さも悩みも持ちながらも、吃音と上手につき合い、吃音と共に豊かな人生をゆっくりと歩み、歩もうとしている大阪吃音教室のみんなのことを、もっと知ってほしい」という事でした。
この本が完成した一番の原動力は、大阪吃音教室や吃音親子サマーキャンプで吃音と向き合い、変わり、今も悩みながら成長し続けている、私たちどもる当事者の事実を「知っている」という伊藤さんの確固たる自信だと私は思います。アメリカ言語病理学のバリー・ギター博士は、きっとそんな吃音の当事者を知らないのです。
そんなどもる人たちの姿を。吃音が、人生そのものを生きていく「テーマ」になることも。
私は3月までの支援学校勤務から、4月、初めて小学校の担任になり、これまで経験したことのない苦しい毎日を送ってきました。教育の世界はシビアです。自分の言動の一つひとつ、授業内容、指導力、人間性等々が子どもからも教員からもすぐに評価され、はねかえってきます。悩んでいる間も、毎日授業はやってくるので、眠る間もないほどに準備や予習に追われます。顔もいつか引きつるようになりました。自分の弱さやダメさを痛感しながらも、「こんなはずじゃない」「自分はこんな嫌なことを言う先生よりももっと…」などといった、ひねくれた自尊心が胸にうずまき、益々自分を硬直させました。いつしか、子どもたちが自分から離れていっているように感じ始めました。否、離れようとしていたのは、自分の方かも知れません。どもりに悩み、閉じこもっていた頃の自分がよみがえったかのようでした。
(Q14)の「私には友だちがいません」の項には、そんな私を優しく強く叱ってくれる言葉が溢れていました。『自分のことが大嫌いな子と友だちになりたいとは思わない』という言葉は、身勝手な劣等感に苛まれ、殻に閉じこもっていた私の姿を暴いているかのようでした。『人に好きになってもらうのは難しいけど、自分が人を好きになることはできる。相手のいいところを捜そう。そして、その子を好きになろう』とも、本は語りかけます。孤独の悲しさを痛いほど知っている吃音に悩む子どもたちに、伊藤のおじさんは「相手を変えることは難しいよ。でも、自分が変わることはできるんだよ」という事実を優しく、厳しく伝えるのです。私にも、胸に突き刺さる言葉でした。
「教師」として子どもたちを「変えよう、変えよう」と焦り、一方では自分を認めようとしない同僚教員の言動に対して、一人傷つき胸の中で舌打ちばかりしていた自分。『君には、人の話をよく聞けるようになってほしい』『ちょっと勇気を出して』など、かつて様々な失敗を重ねたからこそ語られる伊藤さんの言葉が、人の中で、人と共に生きることに未だ四苦八苦している私の心に、ピリピリと沁みました。
『君は、どもることで、ことばに自信がなくなったんだから、ことばにこだわるといい』(Q16)これも、かつて「ことばやコミュニケーションにこだわりたい」と教師を目指しながら、実際の日々の中では、早口で子どもをまくしたてていた自分には顔が赤くなるような一言でした。「声を豊かに」しながら、『スピードや効率ばかり求める世の中だから、世間の流れにまどわされることなく、どもるぼくたちは、話しやすい、少しだけゆっくりめの話し方を身につけ、スピード時代に対抗しようよ。(中略)特別の練習をしても意味がない。少し心がけるだけでいんだ。(中略)今は、スローライフが少しずつ見直されてきている。ぼくたちのスロースピーチが、世の中を穏やかにさせるかもしれない』という語りかけは、むしろ私には「悩み戸惑いながら、ゆっくり人生にこだわって」誠実に生きている大阪吃音教室の皆さんの「生き方」そのもののことを指しているように思われました。
この本から私が一番感じたことは、「謙虚に生きることの素晴らしさ」です。ありのままの自分を受け入れ、自他に誠実に生きる「謙虚さ」は、かつて私のことを評してそう言ってくれた人が何人もいたにも関わらず、この何年か、私が最も失いかけていたものでした。今、この本に出会えたことが、本当にありがたいです。その出会いをくれたものは、他でもない吃音なのです。『新しいことへの挑戦には、失敗がつきものだ。(中略)壁を前にして立ち往生し、引き返してしまうと、何も始まらない。登ってもいいし、回り道をしてもいい。壁の向こうに進んでいこう。疲れたら休んでもいい。大きな失敗で落ち込んでも、立ち直ってまたもう一度歩み始めよう。きっと新しい道が見えてくる』(Ql9)この本は、私にとってのまさに「応援歌だ!」と思うようになっています。ほとんど何もできていないのに、巻末には小さく自分の名前まで載せて頂きました。苦しい最中に頂いた、伊藤さんのサイン入りの一冊は、私にとって半年間なんとか自分なりに奮闘してきたことへの「ごほうび」に思えました。
本の完成披露パーティの翌日、「ことばの教室」の先生たちと一緒に、次の「教材づくり」に向けての話し合いがありました。話し合い終了後、他の「ことばの教室」の方たちは、研修会などで紹介するために、50冊、100冊と本を買っていきます。私には、そんなあてもないので、家族に送る分5冊を買いました。持って帰った翌日、ふと私は「職場に本を紹介してみようか」と思い立ちました。まだ、職場の人には自分の吃音のこともしっかりと伝えていません。子どもたちにもです。職員会議の最後、勇気を出して手をあげました。「1260円の所、今だと1000円」の紹介に、笑い声も起こりました。そして、何と4人の先生が、喜んで本を買ってくれたのです。私は、半年間、やはり大切な大切なことを見失いながら生きてきたんだと、痛感させられました。吃音は、私の大事な大事な一部であり、根幹なのに、吃音にすまないことをしたと感じました。吃音のことを、これから少しずつ子どもたちにも知らせていきたいと思っています。研究授業で、吃音のことを何か生かす方法はないかと、今から考え始めたりもしています。もちろん、語るだけでなく、もっともっと子どもたちの話を聞きたいと思っています。
「勇気をだして」「心を開き」、謙虚に素直に…。「どもるぼくへ」、頑張れ、がんばれ!
(「スタタリング・ナウ」2008.8.24 NO.168)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/12/26