どもっても言いたいことをあきらめたくない

 「スタタリング・ナウ」2008.7.22 NO.167に掲載したもう一人の同行者の記録を紹介します。自分の耳のことを正直に自己開示したことで、展開していったどもる子どもとのつきあい、その様子が詳しく書かれています。尾谷さんは、島根の吃音キャンプの時、僕を広島駅まで車で送ってくれたことがあり、車の中で、いろんな事を話したことが懐かしく思い出されます。島根の人たちには、本当にお世話になっています。

  どもっても言いたいことをあきらめたくない
     Mさんと私の1年 ~通級指導教室の初任担当者として~
         尾谷昌子 島根県邑智郡 瑞穂小学校通級指導教室(2008年当時) 

 はじめに 私自身のことについて
 私は大学時代、声楽を専攻した。オペラのアリアを歌ったり合唱したり、いろいろな演奏会に出演していた。卒業して教員になってからは音楽の授業を担当し、子どもたちを指導して、コンクールに出たり、音楽会で発表したり、時には頼まれてステージに上がったりもしていた。
 ところが9年前のある日、突発性難聴により、文字通り突然に片方の聴力を完全に失った。以来、音のひずみと絶え間ない耳鳴りにより、音が聞きづらく、複数の音を聞き分けることが出来なくなった。人前での演奏はもちろん、教員になって以来続けてきた合唱指導にも自信をなくしていった。
 それがひょんなことから「愛と地球と競売人」というミュージカルのバックコーラス隊の一員としてステージに立つことになった。たくさんの人に混ざって支えられながらであれば歌えるかも、と思い、練習に参加したのだが、ソロで歌うことになっていたキャストの降板により急遽私に役が回ってきた。
 「お願いしますよ」とみんなの前で言われ、「実は耳が…」と言えずにもじもじしているうちに周りから拍手が起き、歌うことが決まってしまった。そう長いフレーズでもなかったので、そのときは半ば焼けくそで「やったるわい」そして、「もしかしてできるかも」とも思ったのですが、演奏会が近づくにつれ、心配でたまらなくなりました。ひとりで練習しているときはできるのに、楽団と合わせるとずれてしまう。ちょうど学校では、学習発表会の時期だったので、自分の状況が劇の発表をすることになっていたMとダブり、気になりました。あの日、暗いステージ裏で、Mを思い出したときの目の前がぱあっと開けるような奮い立つような気持ちがなかったら、たぶん人目を気にし、自分を疑いながらの演奏になっていたと思う。
 そのMとの関わりをふりかえる。

初めてどもる子どもと出会う
 M(小学5年生・女子)は、3年生の終わりに母親と教室を訪れた。4年生の初めから毎週1回の通級をしてちょうど1年になる。
 これまでの教師経験の中で「吃音」に関わったことのなかった私は、Mを担当することになり大いに戸惑った。まず「吃音とは何か」から始まり、ことばの教室担当としてどんな「役割り」があるのか、どうつきあえばよいのか・・等々テキストを次々読んではみたものの、実際のMを目の前にすると「どもる」という言葉を出すことさえも、いつ、どんな風に、とためらうばかり。

どもりを話題に話したい
 担当者仲間に「いつも遊んでばかりでいいのかなあ」と愚痴ると、「まずは人間関係を作ってから」と言われ、ちょっと救われたような気がした。
 何も話せぬまま日は過ぎてく。「今週こそは」と思いつつMと向き合うことを怖れている情けない自分がいた。「もういいのかな?」と窺う私にとって、彼女との遊びは吃音を語るための手段であり、どんなに楽しく遊んでも、吃音に結びつかない時間を評価はできない私だった。
 求められるままにトランポリンの遊びを毎週続け、手を振って帰っていく後ろ姿を見送っては、無力感を噛み締めていた。
 ある日、決死の思いで出た言葉は「最近つまることある?」これだけ。でも「この頃は、・・」とぽつりぽつり答えてくれ、ことばについて話したいと言うと、あっけないほどにあっさりと頷いてくれた。もしかして聞いてくれるのを待っていたのかもしれないとも思ったほどだ。
 この日の会話を頼りに、「言い換え」などについて少しずつ話を出すようになったが、Mはいつも質問に答える形だ。やっとどもることを話題に出せるようになっても、義務感で交わす会話に楽しさはない。私は自分の語ることばが本や先輩からの受け売りであることを感じていた。

あきらめない
 そんなある日、Mが国語の学習で書いた『自分新聞』に、自身のどもりについて書いていることを担任の先生が知らせて下さった。
 大きな集団の中で、迷った末に思い切って手を上げ、みんなの前で意見を言えた時の嬉しかった体験をもとに書いた。題名は「あきらめない」。このことばの意味を知りたいと思った。担任の先生は、「やっぱりどもらないようになることを諦めたくないんですねえ」と仰っていたが、通級にやってきた本人に問いかけると、そうではなかった。少し考えてからはっきりと、「どもっても言いたいことをあきらめたくない」と言ったのだ。
 このエピソードは、その時のMの表情とともに強く私の胸に残った。
 学習発表会の時期になり、気になっていた台詞のことを話した。「つまることがあるけど、止まってもう一度言う」とMは言った。
 誰しも、みんなの前で格好良くやりたいと思うだろう。もし私だったらどう考えるだろうかと自問する毎日だった。ちょうどその頃が、突発性難聴で耳が聞こえなくなっていた時期だった。ある音楽会で歌うことになっていたが、人前で歌うことが怖くなっていた。思い切って出演することにしたものの、楽団の演奏がはっきり聞こえないために、うまく合わせられないまま本番を迎えようとしていた。知った人たちのたくさんいる地元で失敗したくない、格好良くやりたい、という思いがあり、「やめればよかった」と焦るばかりだった。当日、ステージ裏で出番を待つ私の胸に、なぜか突然Mのことが浮かんできた。
 「つまっても言いたいことを言う」というMのことば。「あきらめない」と言ったMの顔。
 見ている人みんなが「失敗なくよくできた」と褒めてくれることを「格好いい」と思っていた私だったが、「自分らしく堂々としていた」と自分自身に胸を張れることこそ本当の「かっこいい!」なのだと思いあたり、とてもすっきりした気持ちでスポットライトの中に飛び出すことができた。
 次の日、ステージ横でMのことを考えて励まされたこと、自分らしい納得のいく演奏ができたことを、感謝と共に伝えた。Mはじっと聞いてくれました。そして、少し考えてから「今日、つまったんですよ」と突然話し始めた。これまで、こちらから尋ねたことには答えても、自分から言い出すことはなかったMが、その日、音読中につまったこと、どうしても次のことばが出ずに泣いてしまったことをゆっくりと話してくれた。私はこの日、初めて自分のことばでMと気持ちを伝えあうことができたような気がする。Mは帰ってからこの日の音読で感じたことを日記に書いたそうだ。この日記をMと学級の友だちの前で読むことが本人の了解のもとにできたことを担任の先生から聞いた。
 この日からMと私の間の何かが少しずつ変わり始めたのかもしれないと思っている。どもるからこそいろいろなことにぶつかり、その度に自分を見つめなおして真剣に向き合おうとしているM。これから思春期に向かい、いろいろなことに気づいたり、揺らいだりしながら成長していくことだろう。会うたびに新しい表情を見せてくれるMと、自分自身丸ごとでつき合っていきたい、一緒に学んでいきたいと思っている今の私である。(「スタタリング・ナウ」2008.7.22 NO.167)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/12/20

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