どもる私がどもる翔くんと向き合って学んだこと
臨床家は、同行者であってほしい。これは、どもりながら生きてきて、多くのどもる子どもやどもる人に出会い、ことばの教室の担当者や言語聴覚士と研修などで学び合ってきた僕の心からの願いです。
今日は、昨日の巻頭言につづき、「スタタリング・ナウ」2008.7.22 NO.167 に掲載している、ことばの教室の、どもる子どもとのつきあい方の記録を紹介します。佐々木和子さんは、どもる子どもと過ごす時間の中で、自分の吃音とのつきあい方を、正直に誠実に振り返っています。
大阪教育大学に僕に会いたいと入学してきた佐々木さん。こんなにどもる女性に会ったことがないというほどにどもっていました。教員になった彼女、それは数知れないほどの苦労を重ねながらも教員生活を続けたことでしょう。その中で、僕の提案する「自覚的に、吃音と共に生きる」を貫き、ことばの教室で出会った翔くんとの取り組みの中で、再び「吃音と向き合う」作業を余儀なくされ、どもりとは一筋縄ではいかない、なんとやっかいなものなのだろう、と振り返っています。
どもる私がどもる翔くんと向き合って学んだこと
佐々木和子 島根県立浜田ろう学校(2008年当時)
〈背景〉
私は3歳でどもり始めて現在に至るまで、どもりと共に歩んでいる。大学を卒業してろう学校の教員になり、現在は通級指導教室を担当している。
私と翔君との出会いは2年前の秋だ。1年生になった翔君のどもりを心配されたご両親が相談に来られた。初めて会った日、私は彼がやりたいと言ったサッカーゲームをして遊んだ。
彼は自分の言いにくさをしっかりと意識しているようで、自分から話しかけてくることはなく、私が問いかけたことのみに最小限のことばで答え、言いにくい時は、身体を持ち上げるような動作をしてその勢いでことばを発していた。ことばを発することに渾身のエネルギーを使う彼の姿やその時の彼の表情から、親しくなろうと思って私があれこれ話しかけることは彼には迷惑なことではないかと感じた。そこで私は答える必要のない、聞き流せるようなことばかけをしていった。
通級指導を希望する両親に、「私はどもりを治すことはできないけれど、どもりと共に生きる彼が暮らしやすくなるお手伝いをすることはできる」と話した。どもりを治して欲しいと願う両親が、治すことはできないと言った私のことばを失望せず受け止めてくださった背景には、子どもの時からどもり、今もどもっておられる彼の伯父(母親の兄)を母親が尊敬していることが大いに関係していると思われた。
2学期から通級による指導を始めるに当たって、私はひどくどもる彼が通常学級でどのような生活を送っているのか知りたくて、授業を参観させてもらった。彼は背筋をまっすぐ伸ばし、担任の先生をみつめ、積極的に手を挙げ、堂々と音読や発表をしていた。どもっている姿を人に見られたくなくて発表する勇気などなかった私とは違う姿に、何て強い子なのだろうと感じると同時に、自分で自分の道を切り開いている彼に、私は必要なのだろうかと思った。
毎週火曜日の放課後、私が彼の在籍する小学校に巡回するという形で指導が始まった。通級指導の初日。なぜ彼が放課後、私と過ごすのかを尋ねた。すると彼は「話す時つっかえるから」と答えた。私は、これから二人でどもりについて学び、彼が小学校生活をサバイバルしていく方策を考えていくための時間であることを伝えた。
エピソード1 「どもりは笑われるから嫌だ」
ある日私は彼に「どもって嫌なことは?」と、尋ねた。彼はきっぱりと「笑われることが嫌!」と答え、「どもると友だちに笑われる。笑われると嫌な気持ちになる」と説明してくれた。彼のことばを聞いて、私もかつて経験した記憶が鮮やかによみがえり、「そうだよね、何とか声を出そうと、もがきながら一所懸命に話しているのに、その陰の努力を知りもしないで笑うなんて失礼だよね」と、話した。
私は、彼に笑う立場になってもらい、その時の自分の気持ちを振り返ることで、相手は悪意があって笑っているのではなく、ただ面白いから笑っていることに気づいて欲しいと思い、「翔君はどんな時笑うの?」と尋ねた。
「…間違えた時」「えっ?面白い時、笑わない?」「・・うん笑う」「そうだよね、きっと、どもりって人には面白く見えるんだよ」
私は彼の前でどもりながら話して見せた。
私の話し方を見て笑う彼に、「ねっ、面白いでしょ。友だちはきっと、君の話し方が自分と違うしゃべり方だからびっくりして、自分とは違っておもしろいと感じるから笑っちゃうんじゃないかな。君も一緒に笑っちゃうといいね」と話した。私は笑われることイコール馬鹿にされることではないという私の伝えたかった思いを彼が受け取ってくれたような気持ちになっていた。
考察1
話の中で、生真面目でプライドの高い彼が、人から笑われることに許せない思いを抱いていることが彼の表情や口調から伝わってきた。
かつて、私も笑われることが嫌だった。しかし、本当に辛いのは笑われなくなった時であり、笑われるどもりはその場が和んで救われるものであること、笑われることはそんなに悪いものではなく、積極的に笑いを認めて共に笑い飛ばすことで、自分自身が救われることを経験してきた。私は笑われることで悩んでいる彼に、その解決策として、自分の経験から導いた方法を押しつけて、彼の悩みに応えた気持ちになっていた。
彼と別れて指導記録をまとめながら、私は彼が「間違えた時」と答えていることに気づいた。その答えから考えると、どもりは「間違った話し方」をしていることになる。翔君は運動や勉強もよくできる優等生だ。勉強で間違うことはあまりない。間違える人をちょっと馬鹿にする気持ちがないとは言えない翔君は、間違った話し方をしている自分を馬鹿にされたと感じていたのだろうか。
流暢に話すのが正しい話し方で、どもりは間違った話し方だと考えているのだろうか。私は、翔君が投げかけてくれたこの疑問をその場で取り上げ、彼と共に考えることが必要だったのだ。私がどもる当事者であるが故に、彼の気持ちを自分の気持ちの中に取り込んでしまい、彼の気持ちをそのまま受け止めることを難しくし、結局、独りよがりの指導に終わってしまったことになる。
エピソード2 「僕はどもらないように工夫している」
学習発表会に向けての呼びかけ劇の練習が始まり、自分のセリフ練習に励んでいる彼に「調子はどう?」と、聞いてみた。
すると、彼は「僕、セリフを言う時、どもらないように工夫している」と言う。私は彼がどんな技を考えたのかワクワクして、「どんな工夫?」と尋ねました。「えーと、何だったけな。わざと息を吸って話すと言いやすいから、息を大きく吸って言うようにしている」「身体に力を入れて、それをきっかけに声を出すようにしている」「小さくジャンプして言うと言いやすい」「小さな声でしゃべるとどもらない。とにかく2回連続して言わないようにしている」と、流暢にしゃべれない自分と向き合い、どもらずに言えるように自分で編み出した方法を一つ一つ思い出すように話してくれた。
私は彼の工夫を聞いて、暗い気持ちになった。よりにもよって、全てどもりを重くさせる結果をもたらす取り組みをしているように思えたからだ。彼が一所懸命に考えた秘策を「それはいい考えだね」と賛同することはできなかった。
「その工夫は、翔君を余計に言いにくくさせるんじゃない?」と言った私の言葉は暗に、「そんな工夫はダメだ」と彼の工夫する気持ちを否定するものだ。発表会の場で絶対にどもりたくないと願う彼に、納得できる策を授けることができないまま、私は「やっぱり、どもったらいけないのかな」と、話題をすり替えてしまった。
考察2
私は彼が「どもらない工夫」と言っているにもかかわらず、「話す工夫」と勝手に思い、彼がどもる場面から逃げることを考えるのではなく、自分のどもりと向き合い、前向きに困難な状況を打開しようとしていると感じ、嬉しく思ったのだ。しかし、その彼の工夫が、どもらないようにするためのものであり、どもりを隠すためのものだったので、落胆したのだ。
どもりを隠したい気持ちは彼に限らず私を含めて多くのどもる人が強く抱いている感情だ。私はこの感情に支配されて、学生の頃は話す場面から徹底的に逃げていた。どもりは話をしないと、その症状が表れない。隠そうと思えば、話すことを止めてしまえばいいのだ。
学生時代、私は自分に課された学習や仕事など、やるべきことを全てどもりを言い訳にして、その責任を果たさなかった。自分の人生を逃げていた。当時を振り返ると、そうせざるを得なかった自分に納得しながらも、「どもりにとらわれて、もったいない生き方をしていたのだろう」と、後悔する気持ちも起こってくる。
彼には私と同じ後悔はさせたくない、今を精一杯生きて欲しいという思いから、「どもりたくない」と正直に自分の気持ちを伝えてくれた彼に、「どもりを隠すと却ってどもりにとらわれる、だからどもりを隠す気持ちを持つことは良くないことである」と私の勝手な理論を押しつけてしまったのだ。私が彼と同じ年齢の頃、生活の全てを支配していた「どもりたくない思い」は、長い月日を経て、どんどん小さくなっていき、今ではわずかなものになっている。
経験者であるが故に、切羽詰った彼の気持ちに鈍感になり、彼の「どもりたくない」思いに寄り添うことができなかったように思う。
私自身、未だに正々堂々と自分のどもりを口にすることはできない。どもりが目立たないよう、うまくコントロールしながら話している。どもりたくない思いの中で、自分のどもりと向き合い、どもらないように話す工夫をしていくことで、自分なりの話し方を身につけてきたように思う。そんな私が彼の工夫を認めず、彼には正々堂々とどもって欲しいと、自分にできない理想を押しつけていたのだ。
これからも彼はどもりたくない、隠したい思いと日々向き合っていくことだろう。私にできることは、彼の思いを認め、本音でぶつかり合える存在として彼のそばにいることだと考えた。
エピソード3 「えっ、何で?」
学級での終礼を終えて、いつものように彼が巡回指導の教室に入ってきた。制帽を取って、ランドセルを降ろして椅子に腰掛け、私と話をしているところに、一人の男の子が「失礼します」と教室に入り、「これっ」と言って彼にノートを手渡した。ノートを受け取った彼は、それが自分の連絡帳だとわかると「なんで?」とつぶやいた。なぜ連絡帳が自分のランドセルの中ではなく、友だちが持っているのかに納得できない彼は、目の前の友だちにお礼を言う気持ちより先に、頭の中は記憶を辿ってどうしてこのような状況になったのかを解明することで一杯の様子だった。彼から、何のことばかけも無いので、その子はこのまま帰っていいものかどうか判断しかねている。
私は見かねて「わざわざ持って来てくれたんだね。ありがとう」とことばをかけた。すると彼は「僕は忘れるはずがない。なんでかな?」と、つぶやいた。「どうしてなのか考える前に、君のノートをわざわざ届けに来てくれた友だちに先ずお礼を言わなくっちゃ」と私が言うと、あらぬ方向を向いて「ありがと」とつぶやいた。そのことばを聞いて友だちは頭を下げて出ていった。
考察3
私はノートを届けてくれた友だちに、自分からお礼を言わない彼に違和感をもった。彼の日ごろの言動から、彼が自分に対して絶対的な自信(失敗はしない、間違ったことはしない)を持っていることは感じていたが、自分の問題解決を優先し、目の前の友達に対してあまりにも無頓着な態度に私は驚いた。「これで、友だちとうまくつき合っているのだろうか」と不安になり、天才肌の彼には、ことば以前に、人との気持ちのやりとりを耕すことが必要なのではないかと余計な心配をした。
また、私は、彼と友達とのやりとりを客観的に見ていて、彼のことばが人に届かないものであることを感じた。私は彼とのおしゃべりの中で、彼のことばが聞こえなくて、何を言っているのかよくわからないことがよくあった。
「えっ?」と、何度も聞き返したり、「もう少し大きな声で話してよ」とお願いし、何とか彼の話を分かろうと身を乗り出して聞いてた。私が身を乗り出せば出すほど彼のことばは遠ざかっていく。
その時は、どもりの症状が重いからわかりづらいのだろうと思っていたが、彼の話がわかりづらいのは、つっかえが多くて、ことばがバラバラになっているからではなく、ことば自体が私に届かないためであることに気づいた。
私も、どもっている時は、自分の身体の中で渦巻いているエネルギーに気をとられ、相手の存在は私の意識から消えてしまう。どもるだろうという予期不安を抱いた途端に、相手は見えなくなり、相手を置き去りにして、自分だけが異空間にワープし、自分一人でどもりと格闘している状態になる。どもった声を聞かれたくないという気持ちが、本来相手に向かって発せられることばを、自分の空間内に留めてしまうのだ。
彼がお礼を言う時、相手を見ずにそっぽを向いたのも、相手にどもる自分の声を聞かれたくない思いが潜んでいたからだと思う。彼がどもりながら言った「ありがと」とは、本来友達に向かって発せられる筈なのに、友達とは逆方向の床に向かって出ていった。
どもりと格闘している彼のおしゃべりは独り言の域を越えていない。あの時、友達は彼のことばを受け止めてくれただろうか。せっかく誠実に一所懸命にどもりながら話しているのだから、努力のたまものであることばが相手に届かなくては何のためにエネルギーを使ってことばを出しているのかわからない。これから彼と、相手に向かって声を届ける練習をしていきたいと思う。
エピソード4 「今、どもったでしょ」
彼が昨年から参加している島根スタタリングフォーラムの日が近づいてきた。今年の参加に向けて気持ちを高めていこうと思い、昨年のまとめと感想文集を見ながら活動内容や話し合ったことを振り返っている時、突然「今、どもったでしょ」と、彼がニタッと笑って言った。
私は話すことに一所懸命になっていたので、自分がどもったのかどうか、全く気にとめていない。彼の突然の脈絡のない突っ込みに内心ムカッとしながら、「えっ?そうかな。話すことに一所懸命で気がつかなかったけど」と答えると、これを曖昧にされては困ると思ったのか「ことばとことばの間でかっかって、つまったよ」と主張した。
「私はどもりだからどもるよ。これが私のどもり方なんよ。ことばとことばの間に不自然な間ができるでしょ。それが私のしゃべり方なんよ」
力でねじ伏せるように、自分のどもったことを正統化する説明をした。
考察4
私は、彼から「どもり」を指摘されたことに対して、腹立たしさを感じた。「今は私のどもりの話なんかどうでもいい。よけいなお世話」という気持ちと、「あなたは、私のどもりを見つけようと思って話を聞いていたのか。ことばの表面にばかり気を取られて、話の内容はどうでも良かったのか」という怒りがあったように思う。
何の脈絡もない場面でどもりを指摘した彼の無神経さに腹が立つとともに、彼の表情を見て、一瞬だが、弱みを握られてしまったという思いが頭をかすめた。
うまくごまかす技を身につけ、どもりが表面上目立たなくなった私だが、私が電話をしている姿を見ている息子から、「母さんは電話で話す時、足をどんどん床に打ちつけながら話すよね。どうして?」と言われることがよくある。「そうなんよ、電話は苦手なんよ。言いにくいわ。きっと、足で声を出すきっかけを作っているんだと思うわ」と、返す私のことばに怒りの気持ちはない。
彼にどもりを指摘されて、怒りの感情がわき起こったのは、私は彼の前ではどもりたくないという思いをもっていたからであることに気づいた。彼との通級指導を始めるにあたって、私はどもる先輩として、ありのままの自分で彼とつき合っていきたいと考えていた。しかし、いざ指導が始まると、心のどこかに通級指導の教員として立派な指導者、吃音の専門家として臨まなくてはならないという気持ちが出てきたように思う。立派な指導者はどもっていてはいけないという思いを抱いた私の意識の中には、やはりどもりは劣っているという価値観が潜んでいたのだ。
長い月日を経て、私もようやくどもりを正しく認識することができるようになったと思っていたが、今なおどもりに劣等意識を抱いている自分に気づかされた。どもりとは一筋縄ではいかない、なんとやっかいなものなのだろう。
まとめ
私はどもる子どもとの出会いを求めて通級指導教室の担当になった。どもりは本人が努力すれば必ず治せると考えられている社会の中で、どもりと格闘している子ども達に、成人してもなおどもりを持ち続けている私の経験が生かせると思ったからだ。
私は「今のままの私でいい」というメッセージを送ってもらって、自分のどもりを認めることができるようになった。どもりがあるから自分にはできないと思っていた多くの事柄が実は私の思い込みに過ぎず、どもりがあっても世の中なんとかなる、恐れることはないことを、社会に出て生きていく中で実感することができた。どもりで悩んでいる子ども達に、今度は私が「今のままのあなたでいい」とのメッセージを送る役を担いたいと思ったのだ。
しかし、この記録をまとめてみて、私がどもる経験者であるが故に、自分の思いが先に立ち、彼が抱えている問題の解決を先取りしてしまい、彼の思いに添っていない場面が多くあることに気づいた。彼の悩みは、かつて私が経験したことであるだけにその苦しさは分かり過ぎるほど分かる。早くその苦しさから解放してやりたいと思うあまり、彼自身が試行錯誤しながら解決していく時間が待てず、「こうすればいい」と私が獲得した解決策を押しつけてしまっていたのだった。
私は彼に「今のままのあなたではいけない、もっとこうなって欲しい」というメッセージを送っていたことになる。彼が私に求めていたことは、彼が自分なりの解決策を見っけていく間「それでいいんだよ」と全面的に彼を認めるまなざしを送る人としての存在だったのだ。
私は中学3年生の時、どもりの呪縛にかかり、あまりに無気力な生活を送っていた私を心配した担任が、相談に行くきっかけを作ってくれ、ことばの教室に出会った。私は自分の居場所を見つけた。ことばの教室は、どもりがある、ありのままの自分で居られる場所だった。
ことばの教室の大石益男先生は、最初専門家として私に音読や伝言など、私が苦手とする話す場面に対する対処療法を試みられた。しかし、私が練習を拒否したので、その指導を実践することをあっさり諦めてくださった。
私たちは教室を飛び出していつもドライブをしていた。世の中から逃げて卑屈に生きていたどうしようもない私をありのまま受け止めて、いつかこの子もきっと自分の力で歩み出す時がくると、私の成長する力を信じて、横にいて待ってくださった。どもりに苦しむ私を目の前にして、自分の専門性を振りかざし、どもりの症状を改善することを強要されなかった大石先生の支援を受けて、私は「今のままの私でいいかもしれない」と自分を許す土台を作ることができたように思う。
自分の力で、この子を変えてやろう、救ってやろうという気負いを捨て、子どもの成長する力を信じて待つことが、通級指導教室の担当者としての私の役割であることを35年前の恩師の実践から、改めて確信することができた。
彼とどもりについて話すことは、私にとって、自分自身のどもりと向き合うことでもあった。
「どもりは笑われるから嫌」「恥ずかしい」「隠したい」という彼のキイワードは、形は非常に小さくなってはいるが、今なお私の中にも、突然現れる。私は身体の中に沸き起こるこの気持ちに耳を傾け、対話しながら、自分自身のどもりに対する価値観を明らかにしていく中で、どもることは良いことでも悪いことでもなく、どもる話し方に過ぎないこと、そしてどもりをあってはならないものとマイナスに価値づける自分の価値観が自己否定の連鎖を生み出し、自分を暮らしにくくさせているものであることに気づくことができ、どもりの囚われから解放された。
彼もきっとこのからくりに気がつくことと思う。私は彼の歩みを見続けていきたいと思う。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/12/19