どもりに向き合える自分になりたい―ゆうちゃんを支えた人―

 初めて、巻頭言から伊藤伸二の名前が消えた「スタタリング・ナウ」2008.6.22 NO.166 を紹介しています。一面に掲載したゆうちゃん、そのゆうちゃんを支えた人の文章を紹介します。今日は、ことばの教室の担当者です。担当者の実践報告も、明日紹介予定のお母さんの体験も、丁寧に詳しく書かれていました。かなりカットを了解していただき、大幅に編集をしました。カットをしたために、文のつながりが悪いところがあるかもしれません。責任は編集部にあります。

  ゆうちゃんありがとう
               岡山市立石井小学校 ことばの教室担当者 

1 はじめに
 私は、一般の小学校に3年間勤めた後、県立聾学校に11年間在籍した。その間の発音指導の経験が活かせるようにとの配慮からか、通級指導教室、通称「ことばの教室」へ転勤した。
 初めての経験の連続だった。中でも、どもる子どもたちとの出会いは、私の十数年の教職生活の中でも、全く経験がない。
 学生の頃、不思議な話し方をする教授の授業を、半年間受けたことがあった。その話し方が「連発・伸発・難発」の全てを含む吃音だと今は分かる。当時吃音について全く無知だった私は、教授を揶揄するような態度を示す学生に反感を持ったり、なぜ、この先生は、『大学教授』の仕事を選択したのだろうと疑問に思ったりした。
 私は、ことばの教室のおかげで、数々の素晴らしい出会いに恵まれた。迷い、悩んだ分だけ、ご褒美のように子どもたちやご家族の「成長」という素晴らしい場面に立ち会えた。私に「吃音」について、一緒に考える楽しさを学ばせてくれた「ゆうちゃん」との4年間をふりかえりながら、私の「学び」の記録として書き留めておきたい。

2 出会いととまどい
 赴任して1ヵ月が過ぎ、どもる子どもたちとの初対面の日。ドキドキしながら過ごした40分ほどを全く憶えていない。記録によると、インタビュー形式でゆうちゃんの好きなものをいろいろ尋ねたとある。「とりあえず出会ってみてから」と言い訳のように自分に言いきかせ、どんな指導方針を立て、どんな活動内容を考え関わっていくか、考えようと思ったのだが、全く思い浮かばない。
 発音指導を受けたと記録にあったので、まず、その状態を確認してみた。「キ・ケ」の音が歪んでいる。おかあさんにそのことを伝え、さらに今後の関わり方として、「ゆうちゃんの吃音のことを、ことばの教室で話題にしていってもいいですか?」そう尋ねてみた。お母さんはこう答えた。
 「吃音は、吃音が始まった頃や幼稚園の一時期はとてもひどく、本人も『どうしてこんなふうになってしまうん?』と泣いて訴えることもあったが、今はほとんどなくなっている。このまま自然に消えることを願っているので意識させない方がいいと思う。家族でも、話題に取りあげたことはない。とりあえず、発音指導をしてもらいたい。吃音のことでことばの教室に通っているのは、何かのための『保険』だ考えている」

3 きっかけとなった「本読み」と「計算カード」
 一年生になったら、宿題が出るようになる。「本読み」と「計算カード」。たいていの場合、その評価基準に「すらすらと」「つまらないように」という項目がある。その頃、「最近症状がひどくなってきているんです」と、相談を受けることになった。
 「吃音」を「話題」にしたことのない家族にとって、大きな転機の訪れだった。そのとき、他の担当者から、どもる女児のグループ指導に、「ゆうちゃんも参加してみてはどう?」と誘いを受けた。
 「吃音のことにふれないでほしい」と希望していた年度当初なら「ノー」だっただろうが、「ゆうちゃん自身がそう望むんだったら参加させてやりたい」に、お母さんの考え方の変化が現れている。
 「本読み」「計算カード」の課題が解決しないまま、初回のグループ指導の日を迎えた。
 普段、自分よりも年上の家族と暮らしている彼女にとって、年長の3人との会話は、抵抗なく受け入れられるだろうと担当者は予測し、不安はなかったが、お母さんと、偶然同行した姉の2人には、ドキドキの時間になっていたらしい。
 4人の小学生が初めて顔を合わせ、会話が始まる前に、担当者から「4人はみんな『吃音』があるお友達なんだよ」と、ゆうちゃん以外はそれまでに数回のセッションを繰り返していたメンバーだったので、主に彼女に向けての紹介をした。
 ゆうちゃんはいつもと変わらない表情で話したいときに話し、笑いたいときに笑っていた。
 翌週の指導日、お母さんとの懇談の時間に、「先週のグループはいかがでしたか?ゆうちゃん、何か言ってました?」と水を向けてみると、お母さんは、多少興奮気味に話し始めて下さった。
 「先週、帰りの車の中で、『今だ!』って思ったので、『今日の女の子たちなあ、みんなゆうちゃんみたいな話し方になる人ばっかりだったんよ』と話しかけたらケロッとした顔をして『うん、知ってる。だって最初に先生がそう言うとったもん』ですって。一緒に乗ってたお姉ちゃんも、真剣な顔して聞いてたのに、二人して拍子抜けしましたが、なんかすっきりしました」
 この家族にとって、大きな一山を越えた瞬間だったと感じた。その後は、堰き止められていたものが一気に流れ出るようにどんどん変化し始めた。
 まず、「本読み」と「計算カード」。
 一旦、「吃音」を話題にできた一家にとって、それらはどうってことのない問題になっていた。
 お母さんは、吃音でつまったのか、練習不足でつまったのか、見分けがつくようなので、「練習不足だから△、吃音でつまった場合は◎だね」と話し合いながら評価することを提案した。
 家族がこのルールの適用ができ、ゆうちゃんは納得のいく宿題の評価を受けられるようになった。その後は、来室されるたびに、お母さんから様々なエピソードを聞き、家族の中で、ゆうちゃん自身もお母さんもどんどん変化していった。

4 ことばの教室でできること
 最初、何をしていいのかわからなかった、教室での子どもたちとの時間。この頃になると、ゆうちゃん親子を始め、どもる子どもたちや家族がくる日を心待ちにするようになっていった。
 「ことばの教室でできること。それは、吃音のある暮らしをともに考えること」
 担当者になってすぐに教わったこのことばの意味が、この頃の私には、なんとなくわかりかけてきたような気がしていた。吃音に関する基本的な知識を勉強し、それらに関する情報を収集する。その中からそれぞれの親子にとって必要と思われる「情報」を選択して、適切な時期に提供する。
 大切に考えていきたいのは、子どもが「自分のことが好き」と思えるような時間の過ごし方、人間関係づくりをいつも心がけて関わっていくことだ。
 その上で、それぞれの親子にとって、話題を共有できる、ともに考えることのできる時期が来るまで、「機が熟すのを待つ」ということを、ゆうちやんやさまざまな親子との出会いの中で学んだ。

5 内面の成長
 3年目の指導が始まった。中学年になったゆうちゃんの心の中に、それまでとは違った気持ちが表れるようになっていった。

・どもることを恥ずかしいと思う気持ち
・誰にも知られたくないという気持ち
・失敗したらどうしようと恐れる気持ち

 本読みの宿題や、翌日発表することが決まっている課題など、家で何度も繰り返し練習に励むのに対して、「どうしてそんなに何回も読むの?」とお母さんが尋ねると、「読んでいないと不安」だと言う。それまでのゆうちゃんは、発表したいときにはし、当てられたときには答える。構えている様子はなく、本読みも特に苦手意識を持っているようではなかったが、3つの気持ちが芽生えるとともに、たちまち発表できなくなった。
 手が挙げられない。当てられても思い通りのことばを口にできずに、ゆうちゃんは悩んでいた。
 しかし、「吃音」の話題を共有できる関係になっており、ゆうちゃんは毎日、学校での様子をお母さんに相談した。「今日はどうだった?」と尋ね、「今日もダメだった」のやりとりが何日も続く。ある日、お母さんは「毎日毎日確認するの、しんどくない?やめようか?」と聞くと「言えるようになるまで毎日聞いて」と答えた。
 「わかった。それじゃ毎日確認するからね」
 この会話にも、この親子の優しさと強さが表れていると思った。
 その後も、ゆうちゃんにはつらい日々が続いた。
 「サ行」がうまく言えないゆうちゃんが、国語の時間に説明文として書いたのは、お母さんの得意料理「ささみのしそ妙め」だった。ゆうちゃんの不安は的中し、「ささみ」も「しそ妙め」も、思い通りに言えなかった。それを大きな声で真似をする子がいて、ゆうちゃんはみんなの前で号泣してしまった。そのとき、クラス全員の前で、担任の先生はすぐに話をしてくださった。
 ゆうちゃんのことばは、自分の思い通りにならないけれど、勇気を出して発表していることを。
 担任の先生は、その夜の電話で、「私のせいでゆうちゃんを傷つけてしまいました」とお母さんに泣きながら謝った。
 お母さんは、「いつか必ず、娘が通る道だったのだと思っています。それが、たまたま今日になっただけのことです。その日が、今日でよかった、先生のクラスでよかったってそう思います。みんなの前で説明して下さって、本当にありがとうございました」と先生を慰めたのだそうだ。
 でも、「本当はね、悔しくて悔しくてたまりませんでした」と、お母さんは後になって本音を明かして下さった。

6 「発表をほめてくれる友達」との出会い
 ゆうちゃんは、新学期の自己紹介が苦手だ。4年生の新年度。緊張感と「あきらめ」にも似た気持ちでの新クラスでの自己紹介、一生懸命に話し終え、腰を下ろそうとしたゆうちゃんに、クラスメートが何気なく、「それほどつっかえてなかったじゃん」「上手に言えとったが」と言った。
 前年度味わった「不安」「悲しみ」「悔しさ」を抱えて迎えた新年度、不意にかけられた声のあたたかさ。ゆうちゃんはとても嬉しかったのだろう。その喜びを勇気を出して文章に書き綴った。
 前担任の先生より、丁寧な引き継ぎを受けていた担任は、ゆうちゃんの思いをクラスメートに伝える機会を待っていた。ゆうちゃんにもお母さんにも、「みんなの前で読んでもいいか?」と了解を取った上で、学級全体の前で、あくまでも「さりげなく」読み聞かせて下さった担任の先生の配慮に、私は本当に頭が下がる思いだった。
 その後も、自己評価では「めちゃくちゃどもってる」発表の直後に「そんなにつまってなかったが」という声がかけられることが何度も続く。「自分で思っているよりも周囲は気にしていないのかもしれない」。家族や担当者が声をかけても、不安に苛まれている最中には心に届かなかったことばが、ストンストンとゆうちゃんの心の中に落ちていく。

7 憧れの存在
 ゆうちゃんの同じ学校の3学年上の男の子と、同じ曜日の同じ時間に指導枠を組んだ。待合室で指導終了を待つ間の時間に、お母さん同士が自然に会話を交わすようになっていった。先輩のお母さんとの待ち時間はとても有意義なものだったようだが、ゆうちゃんにとっても大きく、3歳年上のお兄ちゃんの具体的な姿に、「しんちゃんって、運動会のときに、マイクで話す役に立候補したんだって!」と、憧れるようになっていった。
 ちょうど中学年になって、「友達と違ってうまく話せない自分」を強く意識し始め、コンプレックスを持ち始めていたゆうちゃんの目に、しんちゃんは「すごい人」「かっこいい人」に映ったようだ。
 お母さんの「伝え方」もうまかったと思う。
 「しんちゃんはすごいけど、あなたはダメよね」というメッセージが伝わってしまっていたら、ゆうちゃんにとって、しんちゃんは、「目標」にはなり得なかったのではないかと思う。こういう思いが、「キャンプ」へ一歩踏み出す行為につながった。

8 姉の成長
 ゆうちゃんには、4歳年上の姉がいる。クラスの中にどもる子がいて、5年生のとき。「何それ、変な話し方」と近くの男子たちが数人笑い声を上げた。「それ、吃音なんだから笑ったらだめ」と言いかけたことばを飲み込んだ。当事者の男児自身が一緒に笑っていたから、今は言わない方がいいと判断できる思慮深さが彼女にはあった。
 中学生になってからも、級友の話し方に気づく。
 「ときどき語頭が出にくそう。難発かも。でも、たぶん他の人は全然気づいてないよ。その子ね、話しにくくなったら、指を喉のところに持って行ってる。そんな癖になってるみたい」
 その出来事も、母親に対してのみ、オープンに話す。学校では誰にも話さない。「ゆうちゃんを支える存在は、ここにもいてくれるんだな」とうれしく思った。そして、それだけの配慮ができる彼女に、年齢の違いを超えて尊敬の念を持った。

9 伊藤伸二さんとの出会い
 石井ことばの教室親の会主催で、伊藤伸二さんの講演会をしたのは平成15年11月のことだ。
それまではキャンプの話を話題にしても、「いつか都合が合えば」と積極的に参加したいとは口にしなかったお母さん。講演会終了後、他の吃音のお母さんとともに「キャンプ、一緒に行こうな!」そう誘い合う姿が見られた。
 お母さんの話を伝え聞いたゆうちゃんも、「伊藤伸二さんに会ってみたい。話してみたい」
 そう口にするようになっていった。
 4年生の夏、その願いが叶い、岡山ちびっこ吃音キャンプに日帰りでの参加が可能になった。最初の「自己紹介」の時間。同じ学校の先輩でもある1人の男児が、堂々とマイクを持って自己紹介をした。前述した「しんちゃん」である。
 ゆうちゃんの中に、「自分で話さなきゃ」ではなく「自分で話したい!」という思いがつのってきたらしい。まわってきたマイクを躊躇なく手に取り、4年生らしく落ち着いて話すことができた。
 お母さんに「自己紹介がんばったね」と話しかけると、事情を話してくれた。「自己紹介がある」とわかったとたんに「お母さんが言うてよ」と言っていたゆうちゃん。お母さんは、無理だったら私がと思いながらも「あなたが言いなさいよ」と突き放したそうだ。
 話し終えて、次の家族にマイクを回した後、大粒の涙をポロポロこぼしたゆうちゃん。それを見て一緒に涙ぐんでしまったお母さん。その話を聞きながら、私も涙ぐんでしまった。
 また、一歩この親子は前に進んでいる。
 憧れの伊藤伸二さんともペアを組んでゲームをすることができた。その後のグループでの話し合いで、「何でそんな話し方になるん?」と尋ねられたときの対応の仕方について担当者が話題をふってみた。ゆうちゃんは、自ら挙手して話す。
 「2年生のときにママに教えてもらって、『癖みたいなものだから気にせんとって』って言いました。そうしたら、しっこく聞かれなくなった」
 他の友達の前で、自分が経験したことを進んで話すことができていた。
 私は、その頃のことがすぐに口をついて出てくるほど、彼女の中に印象深く残っていることにも驚いた。2年生の頃、「何度も聞いてくる人がいて、いつもは無視してるんだけど、ママから聞いたように言ってみたち、そのあとしっこく言ってこなくなった」と驚いたように報告してくれたことがあった。
 幼稚園の頃から、何度も尋ねられるたびに、どう答えていいかわからず、適当にごまかしてきたことも聞いていた。相手の質問に、逃げないで答えられたこと。その相手を納得させることができたことで、すっきりしたのだろう。だからこそ、グループ討議の場面ですんなり発言ができたのではないだろうか。そう思った。
 「吃音について知っていることは?」の問いに対しても、「3種類ある!」「波がある」「大きくなっていろんな仕事に就いている人がいる」など、いつもグループ指導でコンビを組んでいる3年生の児童と競うように次々と口にするゆうちゃんを見て、「今日、『吃音キャンプ』の場に参加させてあげられてほんとによかった」と心から思った。
 キャンプ2回目の夏、ゆうちゃんは5年生になっていた。ちびっ子吃音キャンプには「夜の部」がある。5年生以上の子どもたちは、中・高校生のお兄ちゃんお姉ちゃんたちと一緒に、伊藤さんや岡山言友会の成人の方たちと同じ場にいて話の輪に加わることができる。
 今年のゆうちゃんは、その「おしゃべりTime」の開始が待ちきれず、部屋の入口の柱に、蝉のようにくっついて、目を輝かせて待っていた。
 その場には、憧れの「しんちゃん」も、伊藤さんもいる。私は、一泊での参加が難しかったお母さんの代わりに仕事の都合をつけて一緒にやってきて下さったお父さんに、感謝せずにはいられなかった。

10 これからのゆうちゃん
 「本読み」と「発表」が苦手なのは高学年になった今も続いている。4年生のときには、授業中「ここはどう?」と、ゆうちゃんの言いにくそうな表現が続く場面で、担任の先生が尋ねてくれた。
 「う~ん…無理!」と答えるゆうちゃん。「そっか。それじゃ次の人に読んでもらおう」
 そういった担任の先生の配慮もあったそうだ。
 その話を自宅に戻っておかあさんに話すと、お母さんは「それじゃずっと読めるようにならないが」と次のステップをめざして厳しく求める。
 また、5年生になったときに、「一人で読むのはしんどいから、全員で読む機会を増やして欲しいって、担任の先生に頼みに行こうか?」と相談したゆうちゃんに、お母さんはこう返した。
 「あなたのわがままで、他の人の学ぶ機会を奪ってしまうことになるんよ。」
 つい甘えがちになるゆうちゃんを、今までと変わらずに「叱咤激励」し続けられるお母さん。
 大きな山をいくつも越えてこられたゆうちゃん親子にとって、「ことばの教室」はもうその役目を終えたのかもしれないとも思っている。
 来年度以降も、この親子から学んでいきたいことはたくさんある。けれども、年々ニーズの高まっている通級指導教室で6年生になったゆうちゃん親子に通ってきてもらえるかどうかは、まだわからない。
 「一期一会」。通級指導教室での親子との関わりには、このことばがぴったりだなあと思ったことが何度もある。
 今年度が終わるまで後数か月。もしも、来年度も通ってきてもらえることになったとしても、一緒に過ごせるのはそれプラス1年間のみ。
 多くのことを学ばせてもらったゆうちゃんとそのご家族に感謝しながら、残された大切な時間を有意義に過ごしたいと願っている。
 ゆうちゃん、本当にありがとう。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/12/16

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