どもりに向き合える自分になりたい
「スタタリング・ナウ」2008.6.22 NO.166 に、僕の書いた巻頭言はありません。それ以前にも、そしてそれ以後も、一度もないことです。僕の代わりに一面で紹介するのは、岡山県のことばの教室に通っている5年生の女の子でした。ことばの教室の実践報告、母親の体験、私への手紙は、2回に分けて掲載しないと収まらない長文でした。それを掲載したくて、初めて、巻頭言から伊藤伸二の文章が消えました。3人の文章を一度に掲載したかったためです。 あるひとりのどもる女の子の物語です。
あれから16年。ゆうちゃんは、どんな女性になっているのでしょう。どもりながら、どもりと向き合い続けていてくれると信じています。
どもりに向き合える自分になりたい
岡山市立石井小学校5年 ゆう
伊藤伸二さんへ
私は、石井小学校のことばの教室へ通っています。幼稚園の頃から通い出して、今は5年生です。
幼稚園の頃の事はあまり覚えてないけれど、年長さんのクリスマス会の時のことは、5年生になった今でもよく覚えています。それは、劇の練習の時の事でした。セリフを言うのに、いつもどもっていました。だからいつも、練習の時間はとてもつらかったです。
小学生になってからは、「どうしてそんな話し方するの?」と、聞かれる事がよくありました。でも、私は答えられなくて、ごまかしていました。そんな時、私を助けてくれたのがママでした。ママは、「私の癖みたいなものだから、気にしないで。って答えたら?」と、言ってくれました。すぐには言う勇気がなくて、ほんの少しの間はごまかしていました。でも、少しずつ、少しずつ、言う勇気が出てきて、気がついたら、聞かれるとすぐ答えることができるようになっていたのです。
でも、そんな私を変えてしまったのが3年生のある出来事です。3年生になった私は、国語の勉強で説明文として書いた、ママがよく作ってくれる「ささみのしそ妙め」の作り方を、みんなの前で読んだ時がありました。この頃の私は、自分がどもりやすい言葉がわかっていました。予想通り、サ行がうまく言えませんでした。自分の発表が終わり、机に戻っていると、私がどもっていた言葉の部分を真似していた人がいました。
私はこうなるとは思っていなかったので、すごく泣いてしまいました。真似していたのが聞こえたのか、担任の先生が発表を途中でやめて、真似していた人を注意して、みんなに私の話し方について説明してくれました。どもる事をみんなに知ってもらったので、少しは安心したのかもしれないけど、私の心の傷は深くて、その日から、本読みが出来なくなり、発表が出来なくなりました。
4年生になった私は、やっぱり自己紹介がうまく出来ませんでした。でも、隣の席の男の子が、「少しつまったけどいいじゃん」と、言ってくれました。参観日の日には、「すごく緊張してつまったけどまあいいじゃん」と、言ってくれました。
その日から私は、その男の子の事が好きになりました。
その年の夏休みに、ママと二人で、「岡山ちびっ子吃音キャンプ」に参加しました。とっても会いたかった伊藤伸二さんに会えて、感動しました。自己紹介はうまく言えなかったけど、最後まで言いきった自分に感動しました。
5年生になって、2回目のキャンプに、パパと二人で参加しました。今回の自己紹介は余裕でクリアしました。次に、吃音に関わるクイズをしたりしました。いつもは、わかっていても手をあげて発表出来ないのに、進んで手をあげて発表することが出来たのです。また自分に感動してしまいました。今回は泊まりで参加したので、夜の部では、伊藤さんとたくさんお話をしました。
「吃音は病気だ」と言う人と、「吃音は障害だ」と言う私がいました。その答えに伊藤さんは、「みんないろいろな考え方があるから、別にちがっていいよ」と、言ったのを覚えています。また、夜の部が終わろうとする時に、伊藤さんが、「ぼくなんか60年以上もどもりとつき合っているのだから、君たちも治ることはあきらめなさい」と、言ったのを覚えています。この伊藤さんの言葉に、まだ、治したいという気持ちもあるけど、治す事にこだわらないというのもいいと思う気持ちも出てきました。
私の周りには、私を支えてくれる「先生」「友達」「家族」がいる。つらい思いも、くやしい思いもしたけれど、それはきっと私を成長させてくれたと思います。これからも、少しずつ、少しずつ、どもりと向き合える自分になりたいです。
また、伊藤さんに会える日を楽しみにしています。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/12/15