吃音キャスター

 この年末、僕でも知っている著名な人の訃報が続きます。
 今朝、アナウンサーの小倉智昭さんが亡くなられたことを知りました。あんなによどみなく喋るアナウンサーの小倉さんでも、それはマイクの前でのこと、マイクを離れたら今でもどもるとお話されていました。自分のことを「吃音キャスター」とも。
 2007年の日本心理学会発行の『心理学ワールド』から、「吃音キャスター」とのタイトルがつけられた、小倉智昭さんの記事を紹介します。
 小学校2年生の学芸会の話、偶然ですが、僕も同じ小学2年生の学芸会でした。せりふのある役を外されて、僕は、吃音を劣ったものと劣等感を持ち、どもる自分を否定し、つまらない学童期・思春期を生きました。その後、小倉さんは、転校した学校でも、劇のせりふが言えず、挫折感を覚え、そして、吃音克服の旅へと進んでいきました。どもっているけれど、しゃべる商売であるアナウンサーになるとの目標をもった小倉さん。小倉さんと僕とは、ずいぶん違う道を歩いてきたようです。でも、最後にみつけたのは、「どもりは治らない」、「どもりが治らなくても生きていける」です。小倉さんの生き方が、きっと多くのどもる人を励まし、勇気づけたことでしょう。
 では、日本心理学会発行『心理学ワールド』36号 2007年1月15日発行 ことばの森 から、小倉さんの文章を紹介します。
 
 吃音キャスター
                            小倉智昭

 吃音が治らない。「ども金」と馬鹿にされた小学生時代。以来、50年間はずっとどもっている。マイクの前だとなぜどもらないのか。よく人に尋ねられる。「お金をもらうとどもらない」と、必ず答えるようにしている。
 秋田で小学校に入学した私は、本当にひどい吃音だった。親には「もっと落ち着いて話せ」だの「ゆっくり話せ」だのと注文をつけられたものだ。だが、一向に良くならない。かといって無口だったかというと、それがおしゃべりだから周囲はたまったものではなかっただろう。べらべらしゃべるどもりはうるさいに決まっている。
 2年生の学芸会で初舞台を踏んだとき、両親は私の台詞が心配だったのか、2人揃って見学にきた。ところが、私のクラスの出し物が終わっても、息子の出演に気づかずじまい。決して親に観察力がなかったわけではなく、吃音を心配した担任が台詞をくれなかっただけのこと。加えて、美術の木が倒れないよう、後ろで支える役だったから姿も見えなかったのだ。
 その担任は授業参観でも余計な配慮をしてくれた。多くの父兄の前で絶対に私を指名しない。答える私がどもったら気の毒と思ってのことだろう。ようすを眺めていた父が手を挙げて、「うちの息子にもあててくれ」と先生にクレームをつけた。顔を真っ赤にした私は、先生の質問に答えられなかったことを覚えている。
 3年生で東京新宿の小学校に転校。秋田弁のなまりと、吃音、どんぐり眼から、出目金ならぬ「ども金」なる不名誉なあだ名で呼ばれるようになった。さすがの私も口数は少なくなる。そんな折、クラス全員が参加する昼休みの放送劇の順番が回ってきた。『マッチ売りの少女』をやることになり、私はもっとも台詞の少ない客の役になった。「このマッチいくらですか?」と、たったそれだけの台詞を、何度も何度も練習したものである。
 本番の日。緊張のあまり、喉が渇き、小便が近くなり、体が震える。やっとの思いでブースに入った私に台詞の箇所が近づいてきた。「このマッチいくらですか?」と言うはずなのに言葉が出ない。「……」と息を荒げていると、少女が気を利かせて言った。「このマッチ10円です。いかが?」
 私は初めて挫折感を覚えた。泣きながら家に帰る。心配した母は、どもりや赤面対人恐怖症を治す学校に行こう、と私を説得した。「嫌だ。絶対に自分で治す」。頑固な私は、何の当てもないのに答えてしまった。
 それから、私の吃音克服のための長い旅は始まったのである。犬を散歩に連れ出すと、何度も犬に話しかける。犬は何も言わないが、少なくとも犬に尋ねる私はどもらない。独り言を大きな声で言ってみる。歌を唄ってみる。相手がいないと決してどもらないことに注目した。声を思い切り出したり、リズムに乗って話したり、呼吸を整えながら話すとどもらない。頭の中で作文をし、きちっと話すときも大丈夫だ。
 しかし、学校に行って同級生と会話したり、親兄弟と話すと、またどもってしまう。子ども心に、絶望したことも数え切れない。どうやったら治るのか。苦し紛れに、七夕の短冊に神頼みをする。「どもりが治りますように」。3年続けて願い事を書いても、神は聞いてくれない。私は父に、夢を書いても実らないのは何故かと尋ねた。
 「智昭、夢はもつな。夢は夢で終わることが多い。目標をもちなさい。目標は手が届かなければ下げられる」。5年生に父親が言う言葉ではなかったかもしれない。だが、私には伝わるものがあった。「声を出して本をうまく読む」という新たな目標が生まれたきっかけとなった。
 私の朗読はそこから急に成長した。演劇部にも入り、誰よりも台詞が良くなった。弁論大会には積極的に参加し、優秀賞をもらうようになる。「普段はどもりでも、あいつは人前に立つと凄い」。周囲の見る目は明らかに変わっていた。小中高を通じて、将来の目標を聞かれ、常に『しゃべる商売』と答えていた私に、ようやく希望の光が見えてきたころである。
 大学を出てアナウンサーになると言う私に、いちばん反対したのは親兄弟だった。マイクの前ではどもらずとも、家族との会話では相変わらずどもりまくっていたのだから、当然の反対である。隠し立てをしても始まらないので、アナウンサー試験の面接では「どもりなのでアナウンサーになりたい」と言い続けた。ただ、マイクの前では大丈夫だと主張し、馬鹿にした人を見返したい、と訴えた。「僕の音声テストの結果はどうだったのでしょう。良かったのであれば採用してください」という生意気な発言を受け止めてくれたのは東京12チャンネル(現テレビ東京)だったのだ。
 アナウンサーになっても吃音は治らなかった。時期によって、どもる言葉が変わるというのが私の持論で、ア行が駄目、力行が駄目と、周期的なものがあるように思う。タ行がどもりやすいときに田中角栄が首相でつらい思いをしたり、力行の馬名が言えずに、競馬実況では苦労したこともある。それでも、緊張感をもっていれば絶対にどもらない、という自信が私を育ててくれた。『世界まるごとHOWマッチ』のナレーションで、1秒間に18文字しゃべる男と絶賛されたこともある。『どもりのキャスター』が1人ぐらいいてもいいだろう。一生、吃音が治らなくても生きていけるのだから……。

小倉智昭(おぐらともあき)
タレント。
獨協大学仏語科を卒業後、アナウンサーを経てフリーになる。
現在はフジテレビの情報番組『とくダネ!』『知的冒険ハッケン!!』、テレビ朝日『いまどき!ごはん』、日本テレビ『嵐の宿題くん』の司会を担当。
またラジオでは日本放送『小倉智昭のラジオサーキット』のパーソナリティーもつとめる。
主な著書は、『飼ってはいけない!』(講談社)など。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/12/10

Follow me!