吃音治療における最近の動向 2

 昨日の続きです。この論文が、1987年に発表されたものであることに驚きます。バリーギターの統合的アプローチが『吃音の基礎と臨床』(学苑社)として翻訳出版されたのが、2007年なので、それよりも20年も前に水町さんは僕たちに教えてくれていたことになります。こつこつと、地道に、海外の文献を読み込んで、僕たちに伝えてくださったこと、本当にありがたいことでした。それにしても、この統合的アプローチ、つくづく役に立たないものだと思います。
                        
吃音治療における最近の動向 2
                        水町俊郎・愛媛大学教授
〔4〕クライエントに応じた治療法の選択

 吃音の臨床は、特徴を念頭に、個々の吃音者の個性に応じた治療法の選択が行われなければならない。治療法を選択する基準を考えてみたい。

1)治療法選択の一般的な基準
 チーズマンは、二つのアプローチのうちのどれを選択するかを決定する場合の基準を挙げている。
①吃音に対する態度
 吃音に強いネガティブな態度や、複雑な回避行動のある人は、楽にどもるアプローチの方が適当だろう。吃音にオープンな態度をとり、殆ど回避しない人は、どもらずに話すアプローチが適当である。
②以前に受けた治療
 どちらか一方のアプローチで長い間治療を受けて殆ど効果がなかった場合には、もう一方のアプローチを採用する必要があるだろう。一週間に一回の割合で成功しなくても、その治療を集中的に、合宿形式の場合には成功することがある。
③吃音の性質
 吃音頻度は高くないが、中~重度の吃音と考えられるクライエントは、楽にどもるアプローチが適当と思われる。彼はそう多くどもっていないので、スピーチの大部分を変えようとは願っていない。彼は予期不安が増していて、恐らく自分の吃音に対して恐怖や回避を示しがちであろうから。
④クライエントの希望
 クライエントによっては、あらかじめ自分の治療プランを念頭において来談しており、違った治療を望まないことがある。しかし多くの場合、セラピストに薦められたコースに喜んで参加する。

2)治療法選択のための診断手続き
 ギターとピーターズも、治療法選択の具体的な診断手続きを述べている。クライエントの気持ちや態度、スピーチ行動および試験治療の3つに分けて、診断の在り方を示す。高校生以上の年令段階の吃音者の場合を中心に取り上げて見ていく。

①感情や態度の診断
 基本的にはインタビューで情報を集めるが、いくつかの態度スケールを実施することもある。
 インタビューでは、次のことを明らかにする。
・吃音がいつごろから始まり、どのように変化してきたか、吃音についての気持ちはどうか。
・話している最中に、吃音者がやっている姿勢、視線、顔の表情などの非言語的手がかりから、自分自身をどう感じているか評価する。
・吃音がどれだけ吃音者の社会的、学業的あるいは職業的適応を妨げているか。吃音者に「もし流暢になったら、あなたの人生はどう変わると思うか」と尋ねることで明らかにされることも多い。
・吃音者が、治療によりもたらすことができること以上のものを期待しているかどうか。

②スピーチ行動
 仕事や学校といった話題の会話を5分間、音読も5分間収録し、吃音頻度と速さを測定する。これでは、吃音頻度は少ないがひどいブロックのある吃音者を適切に評価することができない。そこで、吃音の重症度の測定が必要になる。
 スピーチ行動には、他に重要な臨床的な手がかりがある。会話の場合より音読で多くどもる場合は、会話時にどもりそうなことばを言い換えている可能性がある。どの程度吃音を回避しているか、トリックを使っていないかも評価する。どのアプローチを採用するかを決定する際に参考になる。

③試験治療
 アセスメントが終わると、クリニシャンはいくつかの試験的な治療を導入しなければならない。
 まず、楽にどもるアプローチにどう反応するかをみるために、文章の一節を、できるだけオープンにどもるよう求める。次に、もっとオープンにどもり続けるように指示し、もっと楽に、緊張やもがきを少なくするよう求める。読んでいくにつれて吃音が軽くなっていくか見極めなければならない。
 どもらずに話すアプローチにどう反応するかをみるために、ゆっくりと引き延ばす話し方を実施する。その際、DAFと共に実施する場合もある。
 試験治療は次のような手順で行われる。
(イ)語頭にアルファベットの全ての文字を含む単語をゆっくりと引き延ばすして発語する。どもればその単語をもっとゆっくり(特に語頭音を)発するように再度指示される。
(ロ)26の単語すべてが流暢に言えたら、ゆっくりと引き延ばす話し方で文の一節を読む。
(ハ)ゆっくりと引き延ばす話し方で、簡単な質問に完結した文章で答えなければならない。

3)楽にどもるアプローチ適用の指標
 ギターとピターズに基づいて見ていく。
①感情や態度
 どもることで人生をとてもみじめに感じたり、吃音のために自分のやりたいことが妨げられていると考えている吃音者。また、親、友人、教師などが彼の吃音をあまり受け入れていない場合。
②スピーチ行動
 重度も軽度に関係なく、どれだけ自分の吃音を回避、隠蔽しようとしているかだ。吃音を隠すのに多大のエネルギーを費やしていれば、このアプローチからより多くの恩恵を受けるだろう。
③試験治療
 試験治療の間に吃音の重症度やもがき行動が軽減されてくれば、このアプローチが適用される。吃音回避の減少と、吃音の恐怖との対面が可能になってきているからた。どもらずに話すアプローチの試験治療でどもらない話し方が困難な場合や、流暢性が生じても、そのゆっくりと引き延ばす話し方を吃音者が心地よく感じない場合である。

4)どもらずに話すアプローチ適用の指標
①感情や態度
 吃音に強いネガティブな感情をもたず、インタビューの際に多弁な人。吃音に悩み、人生を少しは妨げているかも知れないが、大きなハンディーとはなっていない。親や友人も彼を受容している。
②スピーチ行動
 自分の吃音を隠そうと必死になることがない。彼の吃音はすぐに聞き手に気づかれる。
③試験治療
 試験治療中にゆっくりと引き延ばす話し方に違和感を感じず、そのスピーチを用いることにより会話さえも容易に流暢になると感じるだろう。

〔5〕二つを結合したアプローチの試み

 最近、二つのアプローチを結合して、今までのやり方では治療効果がなかった吃音者にも適用していこうとする新しい試みがなされ始めている。
 チーズマンは、「多くのクライエントは、二つのアプローチの何れかで治療効果をあげることができるだろう。しかし重要なのは、どちらによっても効果のない残りの者に、いかに最適な治療プログラムを正確に提示できるかということである」とし、二つのアプローチは両立し得るのであり、クライエントによっては統合したアプローチで最も恩恵を受けるだろうことを示唆している。
 統合したアプローチ導入の必要性は、吃音臨床に精力的に取り組んできた他の研究者たちも気づいてきている。自分たちが統合したアプローチを導入するに至った経過を次のように説明する。
 ギターとピーターズは、「われわれは、最初は楽にどもるアプローチでトレーニングを受け、職歴の初めの頃はこのアプローチを実施していた。しかし、後には2人ともどもらずに話すアプローチにも精通するようになり、実施してきたし、また二つの治療法を結合することを試みてきた」と言う。
 ハムは、「私は楽にどもるアプローチで訓練を受け、当初はその立場をとらない人を拒否していた。経験と学習が、どもらずに話すアプローチの方が楽にどもるアプローチよりも適切な場合があるということを私に納得させた。しかし、どもらずに話すアプローチそれ自体は、クライエントのスピーチと個人的なニーズに合致しない事例を知っている。二つのアプローチをミックスしたものが私にとって役立つ時が来た」と、ケースにより柔軟な対応が必要と、統合したアプローチへの期待を表明する。

1)統合したアプローチ適用の指標
 ギターとピーターズの適用の指標をあげる。
①感情や態度
 吃音に恐怖心はあるが、人からの拒否やペナルティーをひどく気にするほど病的ではない。
②スピーチ行動
 随伴症状があり、遠回しの言い方を何度もくりかえす、回避の形跡がみられる。音読と会話を比較して、吃音を隠そうとする形跡があるか探る。
③試験治療
 どちらのアプローチにもポジティブに反応する吃音者が、この治療法の適用にふさわしい。

 ギターらの経験によると、大部分の吃音者がこの条件に当てはまるので、多くの吃音者が結合したアプローチに適しているということになる。
 ロンドンのCity Literary Instituteでは、成人吃音者に4週間の集中的な治療を行っている。
最初の3日間にインタビューや検査を受け、吃音の外に現れたな面と隠された面とを確認させられる。同時に試験治療を受ける。スピーチの速度を意識的に緩めることができるか、どもり方を変えることができるか、随意吃にどう反応するか。この結果を総合的に判断してどのタイプの治療をするか決定する。チーズマンの記述の中には、統合したアプローチの適用の指標は明記されていない。
 二つのアプローチは両立し、統合的アプローチで最も恩恵を受け、多くの吃音者が統合したアプローチに適しているというが、吃音が複雑な現象である以上、ある一つの立場からだけでなくいろんな観点から総合的に考えていくというのは当然のことである。従来の二つのアプローチをどのように結合するかが問題となってくる。

2)統合したアプローチ適用上の問題点
 アプローチ適用の指標が、従来からの二つのアプローチほどには明確でない。その指標をより明確にする努力が今後なされていく必要はあろうが、必要な場合にはタイミングよく別のアプローチへ移行できるというクリニシャンの柔軟性が重要となる。チーズマンが指摘するように、「吃音者を取り扱うセラピストは、いろんな治療戦略に通じている義務がある」ということであろう。
 もう一つの問題点は、従来の二つのアプローチをどういう順序で適用すれば効果的かは、ギターらも、いろんな組み合わせを模索している。チーズマンは、いろんな組み合わせをした経験から、流暢に話すテクニックを指導する前に、恐怖の脱感作がなされる必要があると言う。有効な治療実施には、順序の問題が明確にされる必要がある。
 三つ目の最も重要な問題点は、比較的短い治療期間中に楽にどもるアプローチをどう組み入れていくかである。統合したアプローチは、一般に数週間の治療期間を設定し、その間に集中的に従来の二つのアプローチを組み合わせて治療する。極端なものになると3日間位しか日数をとっていない。ところが、楽にどもるアプローチではどの段階一つをとってみても相当の日数を要する。従来のような短期間の時間設定では、統合したアプローチの妥当性の検討は出来ないであろう。

〔6〕吃音治療の在り方と今後の課題

 特定の治療法を一方的に吃音者に当てはめるのではなく、個性に合致した治療を指向した点では評価できる。今後は更に進んで、どのようなクライエントに、どのようなセラピストが、どんなタイプの治療をするのが最も効果的かが明らかにされていかなければならない。吃音治療の領域では、筆者の知る限りこのような包括的な取り組みはなされていない。今後に残された大きな課題だ。
 次に、もうひとつの観点から最近の吃音治療の動向を見ることで、現時点における冶療の在り方を考える。吃音治療で最近注目されることの一つは、1960年代より隆盛をきわめていた行動療法的アプローチ(本稿でいうどもらずに話すアプローチ)に対し、いろんな形で批判が出ていることである。
 1979年にカナダのバンフで開かれた国際会議の出席者の大部分はどもらずに話すアプローチの立場に立つ者であり、吃音の維持と転移の問題が検討された。吃音は一時的には消失できるが、維持と転移はきわめて困難である。吃音者の態度や自己概念の適切な測定のみならず、維持の手続きの中に心理的な変化の側面も組み込む必要があることが指摘された。スピーチの流暢性だけを主たるターゲットにしてきた彼らの厳しい自己批判といえよう。また近年、吃音者のスピーチの自然さに関する研究が出現してきた。流暢性の達成を目指した治療を受けた吃音者は、確かにどもらない話し方だが、自然でなく、正常な話し手のスピーチとは異なることが聞き手に気づかれるという指摘に対応しようとする。いかにして自然さをより的確に測定するかが今のところ主なテーマになっているが、自然さの研究の出現の現状も、流暢性を主たる吃音治療のターゲットとする立場の限界を示すものと筆者は受け取っている。
 最近、医学界をはじめ、人の健康に関する職業に携わる者の間でホリスティックなアプローチが強調されてきている。主張されていることの一つは、従来の伝統的な治療法は、援助者がクライエントに治療を施すことであったが、真の治療、本当に相手のためになる援助となるためには、クライエントが治療の責任を分担しなければならないということである。この背景の基本的な考え方は、クライエントは専門家の意見を単に受動的に受け取る存在ではなくて、健康を探索するには能動的なパートナーであるということである。病気や障害を対象にした援助でなく、それを持った人間を相手にすることの必要性がうたわれている。
 この観点は、当然吃音治療にも適用されなければならない。しかしこの観点は、吃音の分野では目新しいことではなくて、楽にどもる派の代表であるシーアンやヴァン・ライパーが以前から一貫して主張してきたことにほかならない。彼らは、吃音とは、たまたま吃音者の身にふりかかってきたものではなく、吃音者自身が行っていることで、自分の吃音行動とその除去ないし改善に責任を持つべきであるとしている。楽にどもるアプローチは、今日主張されているホリスティックな観点を含んだ優れた吃音に対するアプローチの仕方といえる。
 ところが、楽にどもるアプローチに対して、認識不足による批判が依然としてある。その一つは、吃音を気にしなくなっても、吃音そのものは以前と少しも変わっていないアプローチは吃音の治療法とはいえないというものである。筆者には、これも吃音者の援助に十分なっているように思えるが、シーアンは、「吃音と共に生きるということは、セラピストが吃音者に対して何も出来ないとか、何もすべきでないということ以上のものを含んでいる」と反論し、手足を失った人などは根本的な状況を変えることが出来ないので自分の問題と共に生きていくことになるが、吃音の大部分は情動的にまた道具的に学習された行動であるので、治療により改善の方向へ向かい得ると主張している。
 同じ立場に立つヴァン・ライパーは、一連のプログラムの中にアイデンティフィケーション、脱感作に次いで修正の段階を設け、吃音そのものを流暢な方向へ導くための具体的な方法を数多く提示している。その事実をチーズマンは、「ヴァン・ライパーが最も創造的であるのは治療のこの段階で、彼のテクニックはあまりにも多過ぎてここでは説明しきれない」と表現している。楽にどもるアプローチへのもう一つの批判は、方法が余りにも抽象的で具体性に欠けるというものである。しかし、かれらのプログラムをよく見ると、シーアンもヴァン・ライパーも治療の手順をかなり具体的に明示している。吃音者に自分の吃音を直視させるアイデンティフィケーションの段階でヴァン・ライパーは、流暢に話していることばを確認させることから始め、短い楽な吃音、回避行動、喋るのを先に延ばすための行動など一連の外に現れた行動を順次確認させた後、フラストレーション、恥、敵意などの目に見えない隠れた行動を確認させる。吃音者の心理的な抵抗を少なくするための細かいヒエラルキーを具体的に明示している。詳細で具体的なケースの報告も随所になされている。筆者は、楽にどもるアプローチはどもらずに話すアプローチ的な要素も十分に加味されたきわめて包括的な吃音に対する治療法であると考えている。
 楽にどもるアプローチに対する誤解が何故生じるのか。その原因の一つはセラピスト養成にあるといえる。ハムは、大学の課程では吃音について概説すべき情報があまりにも多く、浅く広く触れるか、特定のトピックスだけに焦点を合わせる。現在の実習生の臨床指導のプログラムに問題があるとの指摘もある。臨床指導の実習生と吃音者の比率が、1対1の場合は極めて少なく、多くの場合、一人の吃音者を多くのクリニシャンが交替でみる。臨床実習を完全よりも速くするという結果になる。
 治療申し込みの段階から治療が終結するまでを一貫して担当した経験のある実習生は殆どない。このようなクリニシャン養成の現状なので、現場に出たアメリカのクリニシャンの多くは、吃音に対して次の構えのうちの何れか一つを持つに到るという。①経験が最善の教師だから自分が習得するまで、クライエントとなんとかやっていこうと考える。②学校で学んだ一つの方法を、年令、吃音の重症度、環境などの諸要因に関係なく全てのクライエントに適用しようとする。③不安を回避するために吃音者を相手にしないようにし、それ以外の問題の者を受け入れようと考える。
 アメリカではスピーチ・セラピストの養成制度も資格制度も確立し、研究者や実践家の質・量ともに日本とは比較にならないほどの豊富さであるにもかかわらず、吃音治療に関しては以上のような状況なのである。吃音問題の複雑さを思い知らされると同時に、我が国の全ての面での立ち遅れを今更の如く痛感する。
愛媛大学教育学部障害児教育研究室紀要
1987年第11号

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/12/07

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