吃音を知る。自分を知る。2

 2007年8月1・2・3日、国立オリンピック記念青少年総合センターで開催された、第36回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会全国大会東京大会の第8分科会〈吃音〉での、楠雅代さんの実践発表を紹介しました。
 
 どもる子どもたちのグループ学習をしていることばの教室が増えてきたなあと実感していますが、楠さんが、1ヶ月に1回の活動でも、ずいぶんいろいろなことができたと振り返っています。楠さんは、次のように言います。
 『私は、どもる子どもたちに対して、「指導をする」という感覚や思いはもっていない。強いて言えば、自分の悩みにどう向き合って生きていくかを共に考えようというスタンスだ。だから、子どもと大人とか、教えられる側と教える側という意識もない。言葉にすると、ちょっと格好良くなりすぎて恥ずかしいのだが、結局、その子との関わり全てにおいて、自分がどう生きるかが問われているのだと思う』
子どもと対等に向き合う、このブレない姿勢が、子どもにも保護者にも、そして担当者にも、意味のある活動になったのだろうと思います。

今日は、その実践発表のまとめと、その後の質疑応答を紹介します。

◇まとめ
 この一年間は、子ども達に、吃音だけに目を向けず、もっと自分の素敵なところに気づいてほしい、自分の中にある強さや力を知ってほしいという願いから、様々な表現活動に取り組んできた。途中からは、きりなしうたの創作と演技が中心になったが、子ども達に体験してほしかったことは、演技そのものではない。その取り組みを通して、吃音があっても逞しく生き続けている自分を発見してほしかったのだ。
 最後は、お母さんたちから、このグループ学習のおかげで、初めて子どもとひとつのことを作り上げる体験ができましたという嬉しい感想も出された。子ども達、お母さん達一人一人の変化、さらに親子の関わりの変化を目の当たりに見せていただき、人が成長するのも、変わるのも、人の中にあってこそということを改めて実感した。
 吃音の学習や様々な表現活動を通して、自分自身の魅力や力に気づき、吃音があっても、吃音に飲み込まれることなく、サバイバルしていることを実感してほしいと願って取り組んできた。振り返ってみると、わずか1ヶ月に1回の活動でも、随分といろいろなことができたと思う。これも、子ども達に導かれたからこそできたという思いがしてならない。
 吃音を受け止めるための指導は、きっかけにしかすぎないと思っている。私は、どもる子どもたちに対して、「指導をする」という感覚や思いはもっていない。強いて言えば、自分の悩みにどう向き合って生きていくかを共に考えようというスタンスだ。だから、子どもと大人とか、教えられる側と教える側という意識もない。言葉にすると、ちょっと格好良くなりすぎて恥ずかしいのだが、結局、その子との関わり全てにおいて、自分がどう生きるかが問われているのだと思う。
 だから、担当者自身が、自分のネガティブな問題に触れることができないままでいると、子どもと吃音のことを真正面から話し合っていくことはとても辛いことになるのではないだろうか。
 これに対しては、賛否両論あると思うし、正論だと声高に主張するつもりもない。ただ、自分自身の実感として、そのように感じている。今回、全国大会の発表に当たって、昨年度のグループ学習だけでなく、今までの吃音の子どもたちや保護者との出会いを振り返ることができた。
 その中で、私自身が、「あなたはあなたのままでいい」「あなたはひとりではない」「あなたには力がある」を実感できた。親子一緒のグループ学習の最大のメリットは、そこに参加する全ての人間がこのことを実感できることだと思う。

◇質疑応答
伊藤:親子で活動する中で気をつけていたことは、何ですか。

楠:通級歴が長くて、非常に話し込んでいて、ことばの教室に通うことにも抵抗がないし、自分の子どもがどもる姿もそれほど動揺せず見ることのできる親もいれば、やはり、治ってほしい、できるならば吃音が消えてほしいと思っている親も、いる。また、自分があのような発表活動をすることに非常に抵抗感がある方もいる。だから、子どもも親も、活動したことが、失敗体験とかマイナス体験にならないようにということは心がけた。
 嫌だな、こんなのやりたくないなというのも、OKにした。たとえば、最初「きりなしうた」をした時には、発表をパスした親子もいた。最後の作文に、「途中胃が痛くなった」と書いた人もいたが、胃が痛くなる思いをしつつも、やっぱり来て良かったという体験に、親子双方がなるように心がけて取り組んだ。

伊藤:ことばの教室でグループ学習をすることの大切さについて発表していただいたが、僕たちもグループ活動といえるものをしている。
 それは、2泊3日の吃音親子サマーキャンプだ。ことばの教室でのグループ学習と大きく違うのは、1回切りの出会いだということ。もちろん、次の年にまた出会うことはあるけれど、一年間は出会うことはない。ところが、ことばの教室で行っている場合は、グループで起こったことを個別指導で後付けすることができたり、整理できたりする。もしそのグループの活動の中で、とても嫌な経験をしたとしても、それを個別指導でサポートすることもできる。そんな辺りで何かありますか。

楠:個別の時に、前のグループ活動がどうだったかと聞いて、本当はあれは嫌だったとか、我慢してやったとか、そんな話が出る時もあった。とにかくそういうものは全部出してOKなんだというメッセージを伝えていた。
 私たち教師が提示したものは必ずしなければならないということではなく、してほしいという希望はあるけれども、それに対して、ちょっと今日はしんどいからやりたくないなということを一応出していいんだ。それを出したところでもう1回話して、じゃあ、どうしていくのか考えようねというスタンスをもって対応してきた。

伊藤:嫌だったらパスはいつでもいいんですね。

楠:はい、せせらぎの吃音グループには、パス有りだということは、年度の始めに宣言しています。

伊藤:このパス有りということは、とても大事なことだと思う。個別では何とかできるけれども、どうしてもグループの中に入るのは嫌だと言って馴染めない子はいる。そういう時に「パスしてもいいんだよ」という前提があると楽になる。パスがあると、グループ活動の中でパスするつもりだったけれども、やってみようかなというふうに心が動いていくことがある。これはとても大事なことだろうと思う。また、こんなことをしたら子どもが傷つくんじゃないか、帰ってから何かあるんじゃないか、と担当者が恐れを持つことがあるかもしれないが、それはあまり持たない方がいいと思う。結果として傷つくこともあり、失敗することもOKだ。
 傷ついた時にどう立て直していくのか、失敗したときにどう対応していくのか、僕はそれがサバイバルしていく力だと思う。失敗するもよし、傷つくのもよし、傷つかないもよし、なんでもありだ。吃音の指導に、明確なものはないのだから、担当者が信じたことをやればいい。自信を持って実践されたらいいと思う。

伊藤:グループ学習に入る前に、自分の話し方が吃音だと受けとめるためにどのような指導や経緯がありますか。

楠:初回相談では、親と子どもを分ける。子どもの方は、通常するような発音の検査をしている。その中で、自己紹介をしてもらったり、学校のことや家族構成の話を聞いたりするが、そのとき子ども自身に来室理由を必ず聞いている。親は、「子どもには吃音ということは言っていないんです」とか「吃音の相談に行くと言って連れてくると、もっと吃音がひどくなるかもしれないので、まず親だけで相談したい」とか、「どう言って連れてくればいいんでしょうか」と言う。
 これは、私の少ない経験だが、親が吃音ということばを家庭で一切使っていなかったり、あるいはそのことに全く触れていないで過ごしていても、私が出会った子ども達は、それが幼児であっても、みんな自分はどもっていると、ちゃんと自覚していた。だから、最初の相談の時点で、そのことをダイレクトに話す。もちろん、それも子どもの様子によってだが、あまりにそのことが辛そうな感じの時には、辛いかどうか確かめてから、このお話は終わりにするからねと言う。
 実際に入級すれば、「せせらぎ」では個別指導を開始することになる。それは個々の担当者の個性によって違いはあるが、どの担当者も最初に大体吃音のアンケートをとる。
 最初に、「あなたは吃音のことで通って来ているんだ。私たちは、治してあげることはできないけれども、困ったり辛かったりすることを一緒に考えていく教室なんだ」と、ことばの教室の役割を話してスタートしている。

伊藤:呼吸の訓練について、子どもの変化や感想があれば聞かせて欲しいのですが。

楠:呼吸の学習では、深呼吸をしてみて息を止めるとか、深呼吸なしで息を止めるとかをして、止める時間の長さが変わることや、一気に息を「ハーッ」と吐いたり、息をゆっくり長く出したりして、何秒で肺の息が出てしまうか計ってみたりしている。
 息は多少コントロールできるという体験を子ども達にさせた後に、吃音はコントロールできなくても、しゃべっていることは、とりもなおさず呼吸をしているわけだから、呼吸は多少コントロールできるかもしれないという仮説のもとにやってみようとした。
 子ども達が、どもるけれど何としてもこれは言いたいと思っている時に、ふと、呼吸はコントロールできたなということが頭をかすめたら、その時自分で呼吸を整えたり、呼吸のことをちょっと考えたりできる。そうできたらいいなと思ってやっただけのことで、別に訓練をしようと思ったわけではない。ただ、子どもも親も、ぎゅーっと力を入れたら息ができなかったとか、スーハー、スーハーと早く息を吸ったら苦しかったとか、多分日常的にしていることだけれど、改めてその時、体がどうなっているのかということを取り出してやったことで、呼吸がコントロールできるかもしれないと思ってくれたみたいだ。

伊藤:吃音は軽くしたり、治したりすることはできないけれども、声や呼吸に対しては取り組むことができる。僕は、自民党の幹事長時代の田中角栄元首相に会ったが、彼は浪曲で吃音がずいぶん軽くなったと言っていたし、講談や謡曲などはとても役に立つと思う。
 僕自身、21歳までかなりどもっていたし、悩んでいた。また、声も小さくか細くて、できるだけ早く言おうと思って早口になってしまっていた。ところが、大学で詩吟部に入り、詩吟をやり始めて声が大きくなって、自分の声に自信がもてた。それは、僕にとって、とても大きなことだった。子どもに浪曲や謡曲は難しいので、簡単にできるお経を今日は紹介する。
 町田宗鳳という宗教学者が全国に広めようとしている「感謝念仏」だ。「あ・り・が・と」の4文字で、「う」は言わない。ちょっと一緒にやってみよう。できるだけゆっくりと、自分の息が続く限り「あー」と言い続ける。そしてまた息を入れて、「りー」と続ける。それをグループ指導の中でみんなとやってみると、音が混ざり合って、音楽のようになり心地よい。また自分が息を長く出していることも体感できる。自分のペースで良い。
 この「感謝念仏」は、他者信頼というキーワードとつながる。僕は、アドラー心理学でいう自己肯定、他者信頼、他者貢献がグループ活動をする上での、有効なキーワードだと思っている。
 どもる子どもたちの中には、程度の差はあれ、からかわれたり、いじめられたり、とても嫌な経験をしてきている子がいる。でも、クラスにはその子のことを考えてくれる子どももいるし、親も一生懸命子どものことを考えてくれている。
 マイナスだ、マイナスだと思っていた子どもに、この「感謝念仏」で、「ありがと」と言っている時に、ふとお母さんのことが思い浮かんだり、お友だちのことが浮かんだりしたら、とても素敵だなと思う。簡単なので、ぜひ「感謝念仏」を使ってみて欲しい。

 この後、伊藤伸二がアサーション・トレーニングについてや、最近の吃音事情について40分ほど話をする。100人以上が参加した活気ある分科会となった。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/11/28

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