谷川俊太郎さんの訃報に接して

 今朝、起きてすぐ、谷川俊太郎さんが亡くなったという速報が飛び込んできました。
 谷川さんは92歳、大往生といえるのかもしれないと思いながら、谷川さんのしなやかな姿やことばから、まだまだ僕たちの前にいて、新鮮なことばを紡いでくださるような気がしていました。
 谷川さんとは、たくさんの思い出があります。直接の出会いは、竹内敏晴さんと一緒に講師として来てくださった1998年の第4回吃音ショートコースでした。そのとき、谷川さんは66歳でした。そしてその2年後の2000年、第29回全難言大会山形大会での記念対談で、谷川さんから指名してもらって、聴衆600名の前で、「内なることば、外なることば」の演題で対談したことです。

 今日は、懐かしい写真とともに、吃音ショートコースでの思い出を振り返ってみます。
 1998年初秋、奈良・大和路で、《表現としてのことば》をテーマに、谷川俊太郎さんと竹内敏晴さんをゲストに、第4回吃音ショートコースを開催しました。
 《表現としてのことば》をテーマにした、谷川さんと竹内さんの3時間の対談、突っ込んだ質問に丁寧にユーモアをもって、谷川さんがご自分の詩と人生を語ってくださった時間、そして最後に谷川さんが自作の詩を2時間、解説しながら朗読された詩のライブなど、吃音ショートコースは、本当に贅沢な時間でした。
 吃音ショートコースの帰り、厚かましくも谷川さんにお願いした僕たちへのメッセージが、すぐ送られてきました。《内的などもり》と題された文章を紹介します。谷川さんの父君の谷川徹三さんのことから、その文章は始まっています。

 内的などもり
 父がどもりだったので、吃音に私は違和感なく育ちました。父は大学教師でしたが、講義や講演などはどもらずにしていたようです。しかしうちではときにどもることがあって、ふだんは少々もったいぶって喋る美男子の父がどもると、私はどこか安心したものでした。英国の上流階級の喋り方を映画などで聞くと、ときどきどもっているように聞こえますが、あれは一種の気取りでしょう。どもることで誠実さを仮装する習慣のようにも思えます。
 どもるとき、父の言葉はどもらないときよりも、感情がこもっているように聞こえましたが、それはどもらない人間の錯覚かもしれません。しかし私にはあまりになめらかに喋る人に対する不信感があるのも事実で、これは自分自身に対する疑いと切り離せません。私もいわゆるsmooth-tonguedの一人なのです。
 でも私だって自分の気持ちの中では、しょっちゅうどもっています。それは生理的なものではないので、吃音とは違うものですが、考えや感じは、内的などもりなしでは言葉にならないと私は思っています。言葉にならない意識下のもやもやは、行ったり来たりしながら、ゴツゴツと現実にぶつかりながら、少しずつ言葉になって行くものではないでしょうか。
 そうだとすれば、どもりではない人々と、どもる人々との間には、そんなに大きな隔たりがあるとも思えません。せっかちに聞くのではなく、ゆっくり時間をかけて聞けば、吃音は大きな問題ではないはずです。ビジネスの多忙な会話の世界ではハンディになることが、人と人の気持ちの交流の場ではかえって有利に働くこともあると思います。こんなせわしない時代であるからこそ、話すにも聞くにも、ゆったりした時間がほしい。
 先日、日本吃音臨床研究会の活動の一端に触れて、私は言葉についての自分の考えを訂正する必要がないことを確認できましたが、それが吃音のかかえる苦しみや悩みを軽視することにはならないと信じています。

 谷川さんの詩「生きる」をもじって、僕たちは「どもる」という詩を作りました。谷川さんは、その詩を、『これはもうパロディーなんてもんじゃなくて、立派な替え歌ですね。「替え歌」というのはものすごくエネルギーがあるもので、我々も子どもの頃、軍歌の替え歌なんかやっていましたけれど。この替え歌は歴史に残るのではないでしょうか。』と言ってくださいました。「生きる」と「どもる」を並べて紹介します。

  生きる
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ.
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ

  どもる
どもるということ
今 どもるということ
それは
喉が乾くということ
周りの目がまぶしいということ
ふっとイヤな出来事を思い出すということ
まばたきすること
一人で手を振ること

どもるということ
今 どもるということ
それは 自己紹介
それは デートの誘い
それは 羽仁進
それは マリリン・モンロー
それは 谷川徹三
それは 全ての個性的な者に出会うということ
そして 効率優先の現代社会を注意深く拒むこと

どもるということ
今 どもるということ
つまるということ
隠すということ
逃げるということ
不自由ということ

どもるということ
今 どもるということ
今 ハンドルを切り損ねるということ
今 切符を買えず遠くへ行けないということ
今 衆人の注目を浴びるということ
今 とっさに言い訳が出来ないということ
今 いたずら電話と間違えられるということ
今 今が過ぎてゆくこと

どもるということ
今 どもるということ
人は 注目するということ
人は 笑うということ
雰囲気が和むということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ

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