当事者の思いとのズレ

 どもる人の悩みは、「どもれないこと」、この一見不思議なことばは、どもる人が言わない限り、どもらない人には分かりにくいことだろうと思います。吃音を否定していると、どもりたくないと思い、どもらないようにどもらないようにとしてしまいます。どもってもいい、吃音に悩んでもいい、そう思えると、どもれるようになり、楽に生きることができるようになるのです。吃音親子サマーキャンプや大阪吃音教室で、そんなどもる子どもやどもる人に、僕はたくさん出会っています。
 今日は、「スタタリング・ナウ」2008.2.18 NO.162 の巻頭言を紹介します。

  当事者の思いとのズレ
                      日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 どもる子どもの親や、どもる人を支援する臨床家が、どもる人や子どもの幸せを強く願っていることは疑いないことだろう。しかし、どもらない人が、どもる人を理解することは容易いことではない。どもる状態だけでなく、吃音に対してもつ意識や感情もひとりひとり違う。「どもる人」と、ひとくくりにすることもできない。ここに吃音の難しさがある。
 よく障害や病気の理解のために、聴覚を遮断したり、目隠しをして歩いたりする疑似体験をすることがある。この疑似体験をさせるために、道行く人にどもって話しかけたり、店で注文したりすることは、臨床家養成のプログラムとして今でも行われている。どもったときの周りの反応や、どもることで起こる不都合なことは、この疑似体験によってもある程度は想像がつくだろう。だから、何の意味もないとは言わないが、どもる人の苦悩や気持ちがそれで理解できるわけでは決してない。
 親や臨床家の善意や愛情が、かえって、子どもを追い込んだり、どもる人を悩ませることがある。この、当事者と、親や臨床家とのズレはなかなか埋まることはない。そのズレを埋めるためには、私たちが吃音体験の中での自分の思いを語り、文章として残していくしかない。この意味で、ことば文学賞の意味は大きく深い。
 第10回文学賞の最優秀作品、藤岡千恵さんの「一番伝えたいひと」には、一般常識と当事者の大きなズレが表現されていて興味深い。
 藤岡さんの親はスピーチセラピストではない。だが、親の子どもへの対処は、現在どもる子どもの指導法として欧米やオーストラリアでかなり行われているリッカムプログラムそのものだと言っていいだろう。どもると言い直しをさせられて、どもらなければ褒められた。そして、彼女は、吃音の緩和と流暢性の形成を身につけ、家族から治ったと思われるぐらいに吃音のコントロールができるようになった。藤岡さんが経験したこのようなことを、臨床家と一緒に取り組むのが、現在の最新の吃音治療だと言えるだろう。もし、吃音の専門家の指導を受けていたとしたら、藤岡さんは模範生として終了となったことだろう。
 吃音のコントロール法を身につけることが、どもる人の幸せにつながり吃音の問題は解決できたことになる。これがアメリカの言語病理学の中心的な考え方なのだろう。セラピーの中には、吃音受容も入れているのだろうが、親や臨床家の「治してあげたい」との期待に答えようと、どもらないように必死に工夫することで、吃音に対する否定的な感情を強める人はいる。ことばを言い換えたり、言いにくいことは時に言わずに済ませるなど、ごまかすすべを身につけたにすぎなくても、周りの人たちは、吃音が軽くなった、治ったと考えてしまう。するとどもる当事者は、吃音を話題にできにくくなり、吃音に悩んでいても、話せなくなり、ひとり吃音に悩むことになる場合があるのだ。
 セラピーを受ける受けないにかかわらず、どもらないように吃音をコントロールできるようになる人はいるが、吃音が治ったわけではない。吃音をコントロールできるようになっただけでは、吃音に対する否定的な思いは残る。吃音相談で、資料を送るとき個人名を希望する人がときどきいる。吃音に悩んでいることを家族に知られたくない、母親に心配かけたくないからだと言う。吃音をオープンにできず、悩んでいることを隠し、吃音の悩みを話さない。
 「どもりを治してあげたい」との自然な善意が、どもる人を結果として追い込むことになる。言語病理学者や臨床家の中には、どもる当事者が少なくないにもかかわらず、このズレが解消されないのは一体何故なのだろうと、不思議に思うことがある。
 どもらないように吃音をコントロールすることに疲れ、あるいは、コントロールが通じなくなった人が、大阪吃音教室の中ではどもることができ、吃音に悩んでもいいんだと思えるようになる。どもれることがうれしいとその人たちは言う。
 どもる人の悩みは、「どもれないことだ」というのは、どもる人が発言し続けないと理解されないのだろう。「スタタリング・ナウ」2008.2.18 NO.162 

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/11/18

Follow me!