ふたつの方法

 「スタタリング・ナウ」 2007.9.18 NO.157 の巻頭言を紹介します。この文章などを読み返してみると、どもる子どもたちの賢さを思います。子どもたちは、言語訓練を受けていないのですが、どもる事実を認め、日常生活を丁寧に生きることで、変わってきています。

 ふたつの方法
                 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「この5月、クロアチアという国で、どもる人の世界大会がありました。世界中でどもりの研究は長い間続けられ、どもりを軽くしたり、治す方法もたくさん考えられました。でも、どれもうまくいかなくて消えてしまいましたが、ふたつの方法が残って今でも使われています。その方法が世界大会で紹介されていました。教えてあげようか」
 この夏開かれた、どもる子どもの話し合いのふたつのグループで、世界大会のことを紹介して、こう問いかけ、実際にみんなで試みてみた。
 岡山県のことばの教室の教師が企画・運営し、私も毎回参加し5回目となった「ちびっ子吃音キャンプ・OKAYAMA」の小学校中学年から中学生までの子どもたちと、「第18回吃音親子サマーキャンプ」の小学校6年生の子どもたちだ。
 「わーたーしーはーいーとーうーしーんーじーです」
 まず、オーストラリアの大学で実際に取り組まれているスムーズ・スピーチを実際に順番に子どもたちにしてもらった。子どもたちはあまりゆっくりとは話せないし、あまりの不自然さに笑いが起こった。このように話す練習をして、少しずつ、変に感じない程度にしていくんだよと説明し、「これで軽くなったり、治ったりすると思うか?」と聞くと、「そんなん無理や、そんなにゆっくり話せないし、こんな話し方なら、今のようにどもっている方がいい」と子どもたちは口を揃えた。
 次にアメリカの大学の方法を紹介した。(スタタリング・ナウNo.147号参照)
 「わわわわわたしは、いいいいいとう、しし」
 最初はわざとどもり、だんだんと軽くどもるようにするんだよと説明し、わざとどもって自己紹介をしていった。吃音親子サマーキャンプでは、どっちも嫌だという子どもが多かったが、どちらかを選ばなければならないとしたら、どっちがいいかの質問には、全員がアメリカの方法がいいと答えた。
 吃音臨床研究の論文や実践報告では、流暢性の促進や獲得ということばが出てくる。流暢性といわれても、具体的にどのようなものかはイメージできない。オーストラリアの流暢性の獲得に有効だとするスムーズ・スピーチは、1965年、私が吃音矯正所・東京正生学院で教わった方法とほとんど同じで、全く役に立たないと私たちはとっくに決別したものだ。
 また、アメリカの吃音臨床は、「流暢にどもらずに話す」派と、「楽にどもる」派の論争が長年続き、現在は統合に向かっていると聞くが、結局子どもたちと経験した2つの方法と大差はないだろう。
 1972年、私が「吃音を治す努力の否定」を提起した時、様々な誤解や批判があった。なぜ否定しなければならないのか。吃音受容と言語訓練は車の両輪で、吃音受容をしつつ言語訓練は可能だとの主張だった。この主張が根強いのも、言語訓練が流暢性の獲得に効果があるという幻想があるからだろう。
 アメリカの臨床家の多くが吃音治療のプロセスの中での「吃音受容」の必要性を説いてもいる。
 「わーたーしーはー」でも「わわわわたしは」でも、限界と効果を知った上で、本人が選択し、訓練したいのなら、それはそれでいい。一方、これらの訓練を否定し、このままでいいというどもる人やどもる子どもがいてもいいと思う。
 ただ、どもりながら現実の社会生活の中でサバイバルしていくために、ふたつの方法があることを知っておくことは有益だろう。進学や就職の際の、面接が恐いという人にわざとどもってみようとすすめることもあるし、どうしてもある音が出ない時、緊急避難の方法として、「わーたーしーはー」を紹介する場合もある。
 サマーキャンプでは、2つの方法のような言語訓練はしていないが、5年10年とつきあってきた子どもたちの吃音は、確かに変化している。
 第7回オーストラリア大会でも今回のクロアチア大会でも、この変化は、言語訓練によるものではなく、どもる事実を認め、日常生活を丁寧に生きることによって、本人の自己変化力によって起こるものだと主張し、治療モデルからサバイバルモデルへの転換を訴えた。確かに伝わったという手応えと、まだまだだという思いが残っている。(2007.9.18 NO.157)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/11/04

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