自分を活かし社会に生きる
僕の人生の節目節目で、大変お世話になっている村山正治先生について、昨日、紹介しました。そのときの「スタタリング・ナウ」2007.8.26 NO.156 では、村山先生の講演の記録を紹介しています。金沢市で行われた精神保健関係者への講演の記録です。これを読むと、僕たちのセルフヘルプグループの活動を高く評価していただいていた理由がわかります。そして、ある出来事を思い出しました。日本人間性心理学会の会誌への投稿のいきさつです。村山先生からすすめていただき、がんばって書いた「セルフ・ヘルプ・グループ言友会の27年の軌跡」(1993 第11巻第1号)を学会の査読で3名の内1人は高く評価し、2人は個人的すぎると不採用になりました。それを村山先生に報告すると、それはおかしいと言われ、村山先生と野島一彦先生が編集委員会に掛け合って、再度検討してもらった結果、無事掲載されました。
それだけ僕の活動を評価し、後押ししていただいていたのだと、とてもうれしかった出来事でした。
【講演会】「自分を活かし社会に生きる」
~セルフヘルプグループの思想と豊かな可能性~
九州大学教育学部教授 村山正治(当時)
現代の状況とセルフヘルプグループの意義
セルフヘルプグループが最近注目を浴びています。アメリカの学会で私たちの福岡人間関係研究会のことを発表して、ロスアンゼルスのグッドマンという精神衛生の教授とディスカッションしたときに、21世紀の精神衛生関係の仕事はほとんどセルフヘルプグループになるのではないかと言っていたぐらいです。アメリカではとても盛んな、新しい相互に援助していく形態で、精神衛生と大変関係があると思います。
セルフヘルプグループは、日本では、アルコール依存症、神経症、吃音のグループなどがあり、自分たちの課題のためにあまり専門家の力を借りないで、自分たちで相互に理解し支え合っていこうと、さまざまにそれぞれにつくられています。
セルフヘルプグループは世の中の転換期に多く生まれます。21世紀は人間にとって大変な大転換期だとは、皆さんもお感じでしょう。私たちの福岡人間関係研究会もそうですが、日本の多くのグループは、1970年ごろにできています。あの頃の日本は大学紛争など、価値観の一つの転換の時期です。セルフヘルプグループは、既成の枠組み、既成の機関では満たされない部分を補ったり、人間がそれぞれ新しく何かをつくり出してくるという性質のものであろうと思います。
転換期と言えば、例えば政治の世界でも、ソ連の社会主義の体制が壊れ、冷戦の構造が崩れるなど非常に大きな転換が起こっています。
臨床心理の分野の、不登校の問題でも、昭和30年ごろの子どもの臨床像と現在では大きく違っています。以前は、学校に行かなければいけないと、行きたいが行けないという葛藤を中心としたパターンが明確にありました。このごろは、学校に行かなければとは、必ずしも思っていない。不登校一つ取り上げても、日本の社会の価値観が非常に変わってきています。
私たちが子どものころは、学校の先生に叱られると、先生に叱られるなんてと、家でまた親から叱られた。今は、学校の先生が怒ると父母が怒鳴ってきて、先生の指導が悪い、体罰をしたと先生が怒られたりする。学校を絶対視するような感覚や認識はだんだん少なくなってきている。
私は現在、文部省のプロジェクトの責任者として、各県の学校に学校臨床心理士を配置しようと一生懸命努力していますが、大局的に見て不登校の子どもの数がすぐに減るものではない。子どもにとって学校を魅力あるものに変えていくという発想が必要です。不登校は学校に行かないから悪いんだという感覚だけでは、とても処理できない状態です。我々の臨床心理学の世界でも随分大きな考え方の違いが起こってきています。
ニュートン・デカルト・パラダイムというのが有効性に限界があることがわかってきました。物事を因果論でとらえることに限界がある。人間の心は、因果論では理解しにくいことがいろんな領域で起こっています。象徴的な言葉として、鶴見和子さんがオランダの学者のことばを紹介しています。「ドリオ・エルゴ・スム」doleoergosum、ラテン語で、デカルト時代の「我思うゆえに我あり」から、「我感ずるゆえに我あり」と、私たちは人間の見方を変えていかないといけない。知性や、考えることだけじゃなくて、感ずることも含めて、全体として人間を理解していく必要がある。人間についての考え方、人間観も随分改革を迫られている状況にあると私は考えています。
これらの状況を主題のセルフヘルプグループに近づけて考えますと、家族について我々が伝統的に受け継いできた考え方、与えられた社会的基準が揺らいできている中で、私たちが自分の考えなり、自分の選択や自分の基準を自分でつくっていかなければいけない時代に私たちは生きている。自分の外にある基準をあてにできないから、自分の中の基準、自分の内面の声を聞いて判断していかなければならない。この状況は、昔と比べて自由が多く与えられている一方で、大変難しい時代だと言えます。
そういう時代状況の潮流から、「セルフヘルプグループ」が必要性から必然的に生まれてきているわけで、私たちがつくったというよりは、今私たちがぶつかっている心の問題あるいは社会の問題を解決するために、いわば自然に生み出されてきている。たまたま我々がそういう潮流にセルフヘルプグループという名前を後から与えているのであって、既に我々も含めて人間みんなそういうことをつくりながら現代の社会に自分を活かしていこうとしているわけです。セルフヘルプグループはいわば現代の慣習になってきているととらえることができます。さまざまな変化を可能にする、いわば草の根型の組織、ヒューマンネットワークです。現代に我々が生きていく上で、我々にとってどうしても必要なものとして生まれてきている新しい人間と人間とのつながりを中心にしたシステムと私は考えています。
1)開かれたシステム
2)開かれたネットワーク
3)メンバーの一人ひとりが中心
4)相互関係の強い、縦より横型の組織
5)その中で自分自身をつくっていったり、自分を組織したり、お互いにサポートしていく過程
具体例としての福岡人間関係研究会
「福岡人間関係研究会」ができる経過
私は32歳くらのころ、大学のキャンパスのカウンセラーと心理学の教官として九州大学に赴任しました。ちょうど大学紛争があり、一つの日本の転換期で、学問についての考え方、カウンセリングについての考え方も、今までの考え方が行き詰まってきました。セルフヘルプグループは、ある既成の考え方が行き詰まったときに、あるいは変わるときに起こってくると話しましたが、当時がまさにそうでした。当時大学では「専門ばか」という言葉がはやりました。専門家は自分の決められた細かい枠の中で仕事をし、世の中は全然見えていないと、随分学生諸君からも吊るし上げられました。私は若かったし、紛争で授業もなかったので、学生たちと十分つき合う時間がありました。闘争している学生諸君がカウンセリングルームに押しかけてきて、「おまえはカウンセリングをやっているけれども、受験戦争で傷ついた学生たちを治療して、またもとの受験戦争に戻すだけじゃないか。そんなことをやっていて、恥ずかしくないのか」と問いかけてきました。この考え方は、ある意味では今日で言う「修理工場のモデル」への批判です。治療室でその子どもをよくしても、それが生まれてくる背景をもっと問題にしないとだめだということだと思います。
私はその当時、「社会を変えなければいけないといったところで、現に自殺しかねない学生が援助を求めてくる。社会が変わるまで待てるか。おまえたちの言っていることは間違っている」と学生を追い返す一方、心の中でどうも彼らの言うことにもかなりの分があるとも感じておりました。
もともと私がアメリカ留学で学んだカウンセリングで有名なロジャーズ博士は、「治療」とは何かをいつも問題にし、「もともと人間は自分で治る力を持っているが、いろんな社会的な条件で発揮できなくなってくる。こちらがいろんなことをやって治してやるのではなく、もともと持っている人間の成長力を発揮するための触媒の役がカウンセラーであり、それが一番大事なんだ」と言っていました。この考え方は、ロジャーズのカウンセリングの理論の中心であったわけです。
従来の狭い意味の適応主義、与えられたものに順応する考え方にはかなり批判的でした。カウンセリングのパラダイムの転換が叫ばれた時期で、私の中ではそれが大変印象に残っていて、学生の問題提起をどう自分の中で温めていったらいいかは、なかなか分かりませんでした。学生は、若いセンスで鋭い質問や、問題堤起をし、随分鍛えられて来ました。大学紛争の時は、いろんな学生がたくさんいました。その当時、山田宗良氏がまとめているように2つの方向があったと思います。
1つは、社会とか政治のあり方そのものを問題にするという、戦後の民主主義とか管理社会に対する根本的な疑問、問いかけです。
もう1つは、社会とか政治にそういう問い方をする自分自身の姿勢そのものへの問いかけです。
私のゼミや、周囲の一生懸命つき合った人たちは後者の考え方で、社会への詰問より、その社会の中にいる自分自身のあり方を問いかけました。
人間が一種の極限状態にいますと、平常と違ってさまざまな姿を見せます。革命を口にしながら、やっていることは全然そうじゃなくて、自分が権力を握るためだけに動いている人。権力を握れば、たちまち我々を抑圧する人。自分がリーダーシップをとれるときだけ現れて、あとは全く関係ないリーダーになりたいだけの人。建前は立派なことを言っても、現実の問題になるとさっぱりやらなかったり、実行の段階では全く反対の行動をする人。総論賛成、各論反対というパターンです。目的が正しければ、手段を問わないという人など、多くの人を見てきました。
その中で、私たちはカウンセリングの考え方にのっとりながら、自分のあり方を中心に考えて、どんなことができるか、3つのことを考えました。
①自分自身も含めて、人の違いをきちっと受けとめ、一人ひとりの意見が尊重されて活かされる組織がつくれないか。いろんな形で一人ひとりの意見が無視される体験を身近に見たからです。
②一人ひとりの可能性を発展させるような組織がつくれないか。
③カウンセリングのような学問は専門家だけが占有するものではなく、草の根運動として一般の市民とともにやっていくことが大事ではないか。
固まってきた運営の原則
こういう考え方で何かやってみようとできたのが福岡人間関係研究会です。研究会という名前ですが、研究はしていなくって、生活様式としてのグループです。カウンセリングの考え方、特にロジャーズのカウンセリングの考え方を中心にした組織で、お互いの相互啓発をやってきたわけですが、私は一つのセルフヘルプグループに首を突っ込んでいたことになるわけです。今日の話は、後から理屈論や各論をつけていることが多く、実際に生きているグループですから、分からないことがたくさんあり、迷いもたくさんあったりの連続なので、すっきりした形で話すことが難しいのですが、3つを大事にしていく中で、原則みたいなものが7つぐらいに固まってきました。初めから目的があってのものではないので、都合が悪くなれば変えていく性質のものだと思います。活動の中でだんだん生まれてきた原則みたいなものです。
(1)参加するネットワーク
これまでの研究会や講演会は、お客さんと講演する人が分かれている。私たちの会は、お客さんをつくらない。だれでもがみんな主役だから、参加すれば自分の持っているものを何か提供する。例えばギターが上手ならギターを、ダンスが上手ならダンスを教える。そのかわり、ほかの人も何かやる。与える方と与えられる方の区別を固定しない。伝統的な心理療法の、専門家がクライアントに一方的に教えるという治療の基本的な構造の枠を外そうとする。
(2)固定したリーダーを置かない
固定したリーダーを置かないことを大事にしていたのですが、組織は生きもので、年をとってきた私が最近代表におさまらざるを得なくなってきて、あまりいいとも思っていないんです。ゲリラ型の組織みたいなもので、自分のしたいことをする。指揮者のリードに従って動くオーケストラ型の組織ではなくて、ジャズバンド型の組織と言いますか、打ち合わせなしに、急に気の合った人が演奏をする。混然とした活力、エネルギーや雰囲気を大切にしました。
(3)会則も会費もない
途中でいつでも嫌になったらやめる会ですから、会則はつくらない。事務局長と「エンカウンター通信」の編集者だけを役職にして、メンバーの活動を縛る構造をなるべくつくらない。
(4)参加する義務を課さない
関心のある人が企画をして、興味のある人が参加する。強制参加ではないので、連絡だけはちゃんとする意味で通信がとても大事です。例えば、私どもが夫婦で夫婦のためのグループのプログラムを出したが、だれも参加しないでそれで終わりというときもあります。ほかの人が関心を持てなければしようがない。全員が参加する義務をなるべく課さない。規則で縛るより、グループのつながりをできるだけ信頼関係、人間関係だけにウエートを置く。本人がやりたいことをやり、それに興味がない人は参加しなくても構わない。自分の責任がはっきりするという意味ではとても厳しい組織であります。
(5)できるだけ小規模の人数にする
大体常時集まる人は50人内外で、「顔の見える組織」です。つながりが大事ですから、お互いに顔を知っている人という意味で、宣伝そのほか一切しない。会員を増やすということは意味がない。ある程度の少ない人数で親密な関係をつくっている中でいろんなことが生まれてくる。
(6)違った考えを認める忍耐力、寛容さ
違った考え方と共存するのは、口ほどには楽じゃない。長年していると、若い人と我々の世代の考え方の違い、在日韓国人の方と僕らとの例えば戦争の問題についての考え方の違いとか、いろんなことがあります。それをお互いに認め、どっちが正しいか性急に決めないで、お互いに一緒にやっていくのはなかなかエネルギーが要る仕事です。
(7)エンカウンターグループが会の中心
規則を置かないかわりに、人間関係というきずな、出会い、人との触れ合いを大事にしていく。それがみんなをつないでいくきずなになっている。
メンバー構成
参加資格はありません。年齢は10代から80代ぐらいまでで、男女大体半々ぐらい、女性が多いですかね。職業も全くばらばらです。新聞記者、医師、サイコロジスト、ソーシャルワーカー、会社員、主婦や学生、フリーターと言われる人たち。
実際の活動
セルフヘルプグループを維持していく要は月例会や毎週の集まりです。メンバー自身の相互作用を一番テコにしている。その相互作用は、ヘルパー・セラピー・プリンシプルと言われますが、そこに参加して自分が相手に対して役に立つことは同時に自分が救われるという原理が働くのです。参加することで相互にメリットがあることが大事なので月例会が一番エネルギーが要ります。その持ち方によって、それぞれのセルフヘルプグループのあり方が違ってくると思います。
私たちの月例会などの活動も、自分が進んでやりたいプロジェクトをそれぞれが出しますので、それを連絡しないといけない。連絡を受けて行かないのは本人の勝手だけど、連絡なしに会合をやると、結構クレームがつく。仲間には必ず連絡する意味で、「エンカウンター通信」というニュースレター(B5版で12~3ページ)を毎月出しています。この種の通信は、会を維持していくために不可欠で、メンバー相互の交流の意味でも大事です。もう一つ大事なのは、自分が表現すること。「自分の書いたところをまず読む」など、自分の名前が出るとうれしいもので、何でもいいから書くことを通じて参加、自分を表現することが重要です。だから表紙も全部投稿で作成していきます。
ワープロなどコミュニケーション手段の発達は、世界の中をすごく変えているように思います。だれでもが発信できるという意味で、自己表現の大切なチャンスです。だれでも自分の思いを自分から発信できる。もともとセルフヘルプグループとかネットワークの大事な点は、一人ひとりが中心で、それから自分で発信するというのが一番のポイントです。現代の電気通信技術が発展することで、人間が自分を表現する機会がとても増えてきている。「エンカウンター通信」は、仲間の連絡という意味だけじゃなくて、自分が発信するメディアとして大事なんです。自分が主人公になって発信する。そこにすごい大事な意味があるわけです。
エンカウンターグループの開催
私たちの仲間でずっとしつこく毎年開催してきました。全国ネットで皆さんに公募して、全国から来ていただく。全国から来ていただくというのは、やっぱり知らない人同士が触れ合うというので、これまたとっても大事なことなんです。
福岡人間関係研究会コミュニティの特徴
こういう活動を通じてできてきた福岡人間関係研究会は、参加者にとってどんな心理的な場なのか。結果というよりはプロセスとして生まれてくると言った方がよいでしょう。グループ活動は生きたもので、どんどん変化し、つかまえにくいところがある。そこがおもしろい。9つ挙げます。
第1番目は、ここが私の所属するところだという感じをメンバーが心理的に持つということです。我々現代人は、カウンセリングでお目にかかる学生も、不登校の子どもたちも、心理的な居場所をなかなか持てない。学校も家庭も自分の居場所ではない。研究会が心理的な居場所になっている。
第2番目は、自分の地金でいられる。格好をつけなくても飾らなくていい。無理に役割をとらなくてもいい場所。しゃべりたくなければしゃべらないで、その人のいたいようにいることができる。
第3番目は、この人たちが私の仲間であって、みんな私のことを大切に思ってくれるし、私もみんなのことを大切にしているという感じを持つ。
第4番目は、ここへ来ればだれかに自分のことを聞いてもらえるという安心感。自分のことを聞いてもらえる。グループの大事な要素です。
第5番目は、日常性です。普通エンカウンターグループは合宿とか日常性を離れますが、我々の月例会は、マンションの一室を借りて、できるだけ我々日常の生活に密着した場所を持ちます。
第6番目は、できるだけ緩やかな構造を持っているということ。ジャズバンド型ですから、特別にだれかの指揮下に置かれるということはない。
第7番目は、参加と脱退の自由の保障です。セルフヘルプグループが出てくるのは転換期で、既成の価値観がだんだん緩み、揺らぎますから、自分探しがとっても大事になってくる。すぐに黒白つけないといけないという強迫的な世界で私たちは仕事をしているわけですから、下手をすると、自分の本当の内面の選択は何かと問わないで、周りの情報だけで動かされてしまう。ですから、安心して揺らぎのできる場所がとても必要な気がします。迷いにおぼれてしまうと大変ですから、それはサポートが要りますが、自分の内面が固まってくるまで安心して、変な言い方ですが迷っていられる場。揺れることを許容できる場は、現代社会では少なくなっている。
第8番目は、特定の宗教的価値観などを強制しない。ある一つの価値観を強制しないという価値観、多元的価値観はとても大事です。もちろん会をつくった思想的背景にはロジャーズの考え方がありますが、僕たちのグループに来て、ロジャーリアンか、ロジャーズの考え方に従っているかと聞くと、多くの人が違うと答えると思います。
第9番目は、エンカウンターグループの雰囲気が大事にしていることですが、帰属する意識と連帯感を生み出すような雰囲気を大事にしている。
そのためには、必ず固定した場所と時間をある期間セットしておくことです。昔のことを思い出したり、また話してみたくなったとか、また聞いてもらいたくなったときに、ある場所と時間を固定しておくことは、とても大事なように思います。心の居場所の一つのあり方だからです。
これらが私たちが活動経験から生み出した原則です。こういうものを一つのコミュニティと考えると、どんなコミュニティ意識を持っているのかというのを少し整理してみました。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/11/01