人と人とが出会うこと
「吃音の秋」と呼ぶにふさわしい10月が、嵐のように駆け抜けていきました。千葉のキャンプに始まり、新・吃音ショートコース、島根のキャンプと、気がつけば、今日で10月は終わりです。明日から11月、今年も2ヶ月となりました。
昔の「スタタリング・ナウ」紹介が完全にストップしていましたが、再開します。
今日は、「スタタリング・ナウ」2007.8.26 NO.156 の巻頭言です。
人と人とが出会うこと
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
「夢の世界にいるようだ。こんなに楽しい、浮き浮きした体験をしたのは初めてだ」
参加した400人の多くが、特に海外からの参加者が口々にこのような感想を言っていた。この人と人とが出会う感動が、今年5月に開かれた、第7回のクロアチア・世界大会に結びついて、今後も続く原動力になっているのだろうと、私は思う。
21年前の、第一回世界大会。実行委員会を立ち上げるまでがまず大変だったが、実際に動き始めてからも、財政面や会場の設定や海外からの参加者の有無など全てが不安だった。基調講演にはアメリカの言語病理学者ヒューゴー・グレゴリー博士が決まり、シンポジウムなどの形が徐々に整い始めても、世界の人々が母言語の違いを超えて、出会うことができるか、楽しいリラックスした雰囲気で大会が運営できるかが、世界大会の成功の鍵を握っていると漠然と思っていた。
福岡の仲間と交流のあった、九州大学の村山正治先生が、世界大会の開催を知り、「世界大会では、最初の出会いが大切だろうね」と言っておられることを知った。漠然としてもっていた不安が明確になった。すぐに、世界大会成功のために、是非協力していただけないかと手紙を差し上げた。私の熱意が通じ、また、ご自分の発言に責任をとって下さったのか、予定のスケジュールを変更し、オープニングの「出会いのひろば」を担当して下さった。
福岡の内野敏彦さんの紹介で、村山先生がマイクを握り、世界大会がスタートしたのだった。
ひとりひとりが握手をし、グループで身振り手振りで自己紹介をし、からだを支え合ったり、踊ったり、ことばを越える人と人との出会いがそこにあった。記録のビデオを見ると、うれしそうな、楽しい笑顔と、からだがはじけていた。
世界大会は私たちの予想をはるかに超えて大成功だった。国際大会は何度も経験しているが、こんな素晴らしい会議は初めてだとスウェーデンの研究者が何度も言っていた。海外からの参加者は、大会成功の大きな要因として、「出会いの広場」のプログラムを挙げた。あのプログラムがなかったら、ここまで友好的に、楽しく、リラックスして難しいが意味ある論議もできなかっただろうとの指摘だった。私にとって生涯最大のイベントは、村山先生の支えで成功したのだった。その後も私の人生の節目節目で大変お世話になっている。
35年ほど前にカウンセリングに興味をもち、当時カウンセリングワークショップといわれたものに何度か参加したが、いい経験ができずに、グループに出ることに抵抗を感じて、長く遠ざかっていた私に再びグループのよさを味あわせて下さったのも村山先生だ。10年間経営したカレー専門店を閉鎖し、新たな人生を踏み出すための整理に、福岡人間関係研究会のエンカウンターグループに参加した。これまでのことを人生を整理できただけでなく、カウンセリングのグループへの不信がいっぺんに吹き飛んだ。笑い、泣き、自分の人生を見つめるいい経験をした。それから毎年九州の山奥まで出かけることにした。その3年目、思いがけずにファシリテーターをしないかと誘っていただいた。臨床心理学の専門的な知識も経験もなく、尻込みする私に「伊藤さんの人生が、エンカウンターそのものなのだから、そのままの伊藤さんでいればいい」と言って下さり、その後も、九重や湯布院でのエンカウンターグループでのファシリテーターを長くさせていただいた。この経験は私にとって、セルフヘルプグループの活動だけでなく、吃音の臨床、吃音親子サマーキャンプの実践にどれだけ役に立ったか計り知れない。
また、NHK放送大学講座や大学の授業の中での対談、日本人間性心理学会での発表や自主シンポジウム、人間性心理学会誌の投稿など常に私を引っ張り出して下さった。
また、私の人生の最大の危機ともいえるグループの組織問題で窮地に陥ったとき、東京への出張の途中新大阪で途中下車をし、相談に乗って下さった。とてもありがたい時間だった。これまでのことが整理され、ふんぎりがつき、日本吃音臨床研究会の活動が生まれたのだった。
村山先生との出会いは、私にとってとても大きな意味があった。改めて深く感謝するとともに、今年の吃音ショートコースでまた出会える幸せを思う。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/10/31