「吃音と闘う」から「吃音と和解し、吃音と共生する」へ   ~42年のセルフヘルプグループの活動から~

 10月の初めに、「スタタリング・ナウ」2007.7.28 NO.155 の巻頭言を紹介してから、2週間が過ぎてしまいました。その号に掲載の、クロアチアで開かれた第8回世界大会での僕の基調講演を紹介します。

 第8回吃音国際連盟・世界大会・クロアチア大会 基調講演 2007年 
「吃音と闘う」から「吃音と和解し、吃音と共生する」へ
~42年のセルフヘルプグループの活動から~
               日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 私のこれまでの吃音の歩みと活動を整理し、(略)専門家の「治療モデル」に対して、セルフヘルプグループの「サバイバルモデル」を提案した。

確認したい3つの事実
 どもる人のすべてが悩んでいるわけではない。吃音の治療や指導を受けた経験がなく、また受けようとも考えず、どもりながら明るく積極的に生きている人は少なくない。ひどくどもっていても、自己を主張し、吃音のために自分の行動や人生を左右されずに生きている人がいる。その一方、どもることを嘆き、恐れ、自らの殻の中に閉じこもり、不本意な生活を送る人がいる。どもる事実はあっても、吃音に強く影響を受ける人とそうでない人がいる。このことが、吃音問題を混乱させてきたひとつの要因であろうと私は思う。
 吃音に影響されない人と接する機会の多い人は、どもる人の問題を軽くとらえる。反対に、吃音に深く悩む人の話を聞く機会の多い人は、吃音さえ治ればと必要以上に吃音を意識する。吃音の問題軽視と過度な吃音への拘泥の中で、吃音に悩む人は吃音とどう向き合い、対処すればいいか、吃音臨床家はどもる人にどう向き合い、援助すればいいか迷ってきたのではないだろうか。
 しかし、この、吃音がその人に与える影響に大きな差があるということは、吃音症状の治療、改善を目指さなくても、どもる人の問題は解決できるという根拠になる。吃音症状への治療法として、40年以上も前からメトロノームやホワイトノイズやDAFなどを使っての治療が提案されたが、ただ、ゆっくり話すきっかけになったにすぎない。これら器具を使わなくても、自分なりのゆっくりとした話し方を身につけることができることを考えれば、これらが治療法だというのには私は疑問をもっている。
 これらの治療法の後も、有効な治療法は開発されていないのが吃音治療の現状である。吃音の臨床は、そろそろ「治療モデル」から「サバイバルモデル」に転換する時期にきているのではないだろうか。吃音の症状の消失や改善に焦点を当てた取り組みから、吃音の真の大きな問題といえる「行動、思考、感情」に焦点を当てた取り組みへの転換である。
 実際私たちが第一回世界大会後から20年間、取り組んできたことでもある。セルフヘルプグループの成果とも言える「サバイバルモデル」に転換するためには次の3つの事実を確認する必要がある。

1.吃音を完全に治す治療法は現在確立されていない。
2.治療を受ける、受けないに関わらず、吃音が治っていない人は多い。
3.吃音に強い影響を受ける人と、あまり受けない人との間には大きな個人差がある。

吃音の問題とは何か
 セルフヘルプグループの活動を始めて5年ほどたった頃、吃音はほとんど変化がないにもかかわらず、明るく、自分らしく生きる人々が育ってきたことから私は、吃音はどもる症状の問題ではないことに確信をもつようになった。
 アメリカの言語病理学でも同じようなことを指摘していた。
 私の最初の著作になったのは、Speech Foundation of Americaから出された『To The Stutterer』の翻訳だった。この本を翻訳したのは、私たちの吃音のとらえ方に共通することが多かったからだ。1975年に翻訳して大手の出版社から出版したこの本は、8000人の人々に読まれた。24人の言語病理学者の「吃音を受け入れ、素直に生きよう」というメッセージは、日本の吃音に悩む人々に大きな勇気を与えた。
吃音の問題は、吃音の症状だけにあるのではないと、ウェンデル・ジョンソンは言語関係図で、ジョゼフ・G・シーアンは、吃音を氷山に例えて強調している。
表面に見える海面の上に浮かんでいる周りから見える吃音症状は、吃音のごく一部であり、海面下の「吃音を隠す、話す場を避けるなどの行動や、恐ろしい、情けないなどの感情こそが、吃音の大きな問題」だという説に共感した。私たちがアプローチしてきたのも、それらのことについてだったからだ。海面下に隠れた部分を私は次のように整理し、それぞれにアプローチしてきた。

行動…吃音を隠し、話すことから逃げ、全ての日常生活の場面で消極的になってしまう行動。
思考…吃音は悪いもの、劣ったもの、恥ずかしいものだ。吃音であれば、決して有意義な人生は送れない。吃音は治る、治さなければならない。これらの自分自身を縛る非論理的思考。
感情…どもることへの不安、恐怖、どもったあとの恥ずかしさ、惨めさ。吃音をマイナスのものとする自己否定感情。

セルフヘルプグループ
 私は、自分自身のどもる人のセルフヘルプグループだけでなく、セルフヘルプグループそのものを研究する研究者や、医療や福祉の専門職者、セルフヘルプグループのリーダーたちと、セルフヘルプグループの活動を支援する、大阪セルフヘルプ支援センターの活動も続けてきた。そこで、様々な種類のグループと出会い、そのリーダーと専門職者とともに、セルフヘルプグループの機能や意義について、専門職者との関係にっいて議論してきた。
 専門職者にも様々な考え方があり、またセルフヘルプグループにも違ったスタイルがある。こうだとは言い切れないが、両者の基本的な機能の違いは「治療モデル」と「サバイバルモデル」の違いだろうと話し合っていた。

「治療モデル」と「サバイバルモデル」
 病気になると病院で診察を受け、診断がなされ、投薬や手術などの治療がなされる。身体であれ精神的なものであれ、専門家の治療は、症状や状態の効率のよい改善を目指す。「治療モデル」は、改善しやすい症状には有効である。治るもの、改善しやすいものならセルフヘルプグループは必要ない。治療法がなく、改善しにくい問題だからこそセルフヘルプグループが必要なのである。
 病気や障害、様々な生きづらさを抱えた人たちのセルフヘルプグループの多くは、当初、治癒・改善を目指して専門家や民間治療に頼った。しかし、改善できずにさらに悩みを深めた。そして、「治せないものを治すことにこだわらず、それとどうつきあうか」に変わっていく。
 私たちも「吃音を治す、改善する」から、「吃音克服」「吃音とつきあう」と変遷した。「どもっていても大丈夫」と積極的に吃音を肯定し、吃音と共に生きる道へと変わった。
 「治療モデル」は、今ある症状や状態を治療・改善しなければならないと、現在を否定する。
 「サバイバルモデル」は、直面する様々な問題に悩みながらも、これまでよく生き延びてきたと現状を肯定した上で、変えたいことがあれば変えていけばいいと考える。次の、神学者ニーバーのことばを、匿名性のセルフヘルプグループが大切にしているのは意味のあることだろう。

変えることができるなら 変えていく勇気を
変えることができないなら 受け入れる冷静さを
変えることができるか出来ないか 見分ける智恵を

 私は「吃音を受容すべきだ」と言った憶えはないのだが、そう受け取る人もいた。私たちは、吃音を受容できずにいる状態をも肯定する。どもる事実を認めて、サバイバルしていけば、人は変わると信じているからだ。その変化を共に歩むのが、セルフヘルプグループだろうと思う。私たちは、セルフヘルプグループのメンバーにこう伝えてきた。

①「あなたはあなたのままでいい」
 どもっているあなたは、今のままでも十分生きていける。どもりながら日常生活を大切に丁寧に生きていこう。変えたいと思うことは変えてもいいが、吃音や自分を否定しないでおこう。
②「あなたは一人ではない」
 吃音の問題は、吃音症状にだけあるのではない。吃音を隠したり、話すことから逃げる行動。どもることは劣った、恥ずかしいものと考えることや、どもることへの不安や恐怖などだ。これらを変えることができるのは、あなた自身にしかない。同じように吃音に悩みながら、サバイバルしてきた仲間がいる。あなたは一人ではない。また、あなたの問題を一緒に考えてくれる親や専門家もいる。それらの人と一緒に取り組もう。
③「あなたには力がある」
 あなたは困難な状態の中でも、あなたの工夫や努力で、生き延びてきた。これは、困難な状況に向き合う力を持っていたということだ。決して無力な弱い存在ではない。これからもなんとかやっていけるだろう。

 「治療モデル」と「サバイバルモデル」は対立しないで、お互いの機能の違いを認めて協力し合い、お互いに尊重し合いたい。どもる人が自らの問題に気づき、サバイバルしていくには、専門家の知識と情報、援助が効果的な場合がある。また、専門家の援助が必要な場合もある。
 しかし、専門家は吃音症状を少しコントロールすることを教えられても、その人の生き方については踏み込めない。生き方については、生き方の具体的モデルを示し、共に考えられる、セルフヘルプグループの「サバイバルモデル」が有効だ。

「サバイバルモデル」を担うのはセルフヘルプグループ
 吃音に悩んでいた時、吃音を隠し、話すことから逃げたことが人生に大きなマイナスになったという当事者の体験は、同じように悩んできた人にとって説得力があるだろう。また、その人が、どのようなきっかけで変わっていったか、知恵や工夫はセルフヘルプグループには蓄積されている。
 行動のブレーキになり、悩みのもとになる、吃音に対する否定的な考え方も、論理療法や認知療法を使って、グループで話し合うことができる。「恐ろしい、不安、みじめ」などの感情も、行動し、考え方が変わることで変化していく。
 「行動、思考、感情」の変容は、セルフヘルプグループの仲間の支えの中で、行われていく。
 「サバイバルモデル」とは、吃音を受け入れ、ことばの言い換えやごまかしたりは決してしないで吃音と向き合う、ということではない。時には悩み、落ち込む自分、ことばを言い換えたり、話すことを避けたりする自分、吃音を否定したくなる自分も認めつつ、それでも基本的には、どもる事実を認めて、現実の社会で、自分の人生を大切にして生き延びることだ。
 従来の吃音治療法や器具も、吃音を改善するためにでなく、「サバイバル」していくための緊急避難の対策としては、使える人は使えばいい。どうしてもことばが出ないとき、ことばを言い換えたり、別の言いやすいことばをつけ加えたり、不自然でもリズムやゆっくり言ったりしてでも言っていく。言い換えたりした自分を責めないことだ。どんな手段を使ってでも、日常生活の自分がしたいこと、しなければならないことは、できるだけ逃げないことが、「サバイバルモデル」の核心だ。
 「サバイバルモデル」は、自分の世界を豊かにもっていることが支えになる。どもることがその人のすべてではない。私が吃音に深く悩む中でも、生き延びたのは、映画と文学のおかげだった。どんなにどもっても、苦しくても、映画館に行くことはできたし、ひとり孤独で文学を読むことはできた。その他、絵を描く、音楽を聴いたり演奏する、何かを収集したり何かの研究に打ち込む、これらはいくらどもっていてもできることだ。どもることを嘆くより、自分の人生を楽しく豊かにするものを早く見つけ出し、どもっていても人生を楽しむ。オリジナルの自分の世界をもつことができれば、「サバイバルモデル」で生き延びることができる。

スティグマをはがすこと
 私たちどもる人間は、治療され、改善されるべき弱い存在としてあり続ける必要はあるのか。私たちは、一時期は非常に深く悩んだとしても、また専門家の力を少し借りたとしても、自分の力で吃音に向き合い、吃音とともに生きてきた。
 私たちの吃音の苦悩は「どもることはだめなこと」だという、吃音を否定的にとらえることによって、「どもってはいけない」が「どもりたくない」になり、吃音を隠したり、ごまかしたり、消極的になっていくことだ。それがさらに行動や思考や感情に影響を与える悪循環に陥っていく。
 吃音を否定的にとらえることを、セルフヘルプグループの私たちはしてはいけないことだ。私たちが吃音の治療、改善を強く求めることは、現にどもっている人を否定することにつながる。吃音の理解のためだと、吃音の悲劇性、悩みの深さを強調することは、「やはり吃音は治し、改善しなければならない問題だ」との吃音のマイナスの意識を強めることになるだろう。
 私が30年以上取り組んできたのは、どもる人本人や親、周りの人々のもつ、「吃音は悪いもの、劣ったもの、恥ずかしいもの」と考え、「吃音は治すべき、改善すべきもの」だとする吃音に対する否定的なとらえ方に対してだった。
 どもるから人は悩むのではない。どもることを周りはどのように考えているのか、かわいそうな存在、劣った者として見ているのではないかと、周りの目が気になるからである。どもる人が、吃音をどう受け止めているかによって人は悩むのだ。どもる人が悩み始めるのは、どもることをマイナスのものと受け止めるからであり、多くの場合周りの人々によって意識させられる。吃音の苦しみは、他者から与えられたスティグマなのだ。周りの人の影響を受け、他人から、また自ら貼ったスティグマをはがしていかなくてはならない。これが、私たちセルフヘルプグループの活動の一番の意義だ。
 どもっていても大丈夫。私たちはどもっていても自分らしく豊かに生きることができるということを社会に、今吃音に悩んでいる人や、どもる子どもの親に伝えていくのが、セルフヘルプグループの最大の使命だろう。また、いろんな顔、肌の色、言語があるように、いろんな話し方があってもいい。どもる話し方だってあっていい。あえて言うと、私たちは、「どもることばを話す、少数派」だと考えることができる。吃音のために人生を大きく影響を受けて悩んでいる人にこそ、セルフヘルプグループの「サバイバルモデル」で共に歩きたい。

まとめ
 敬愛するアメリカの言語病理学者、ジョゼフ・G・シーアン博士が、私たちの考えに賛同して寄せて下さった手紙の一部を紹介して締めくくる。

 「確かに吃音は治らないかもしれませんが、私は吃音の問題に対して悲観的ではありません。一生どもることになるかもしれませんが、どもるがゆえに自分を卑下して生きる必要は少しもないのです。吃音が治らないからといって、自分のすべてをあきらめることはないのです。楽などもり方で、明るく生きる吃音者になることは誰にもできることです。そのためには、どもる人が自分の問題に正面から向き合い、吃音である自分を素直に受け入れることが大切です。話したい、話さなければならない場面から逃げないで、話し続けていくとき、吃音の問題の解決に明るい展望が得られるのです。それは、これまでの私たちの研究が立派に証明してくれています。がんばりましょう」(「スタタリング・ナウ」2007.7.28 NO.155)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/10/16

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