高倉健に、なる

 千葉での吃音親子キャンプを終え、東京で1泊して、大阪に帰る予定でした。東京駅に着くと、「高倉健に、なる」という大きなポスターが目に入りました。
 高倉健さんは、僕の大好きな俳優です。健さんがデビューしたときから、映画はほとんど観ています。若い頃の青年役、我慢に我慢を重ねてついに斬り込んでいくヤクザ映画の健さん、「幸せの黄色いハンカチ」以降、無骨で一本筋の通った静かな男を演じてきた健さん、すべて大好きでした。その健さんが亡くなってからちょうど10年になろうとしています。11月10日が命日です。読売新聞ビルで展示されているとのこと、翌日、寄ってみることにしました。
 読売新聞ビルの3階にある、よみうりギャラリー。大きな健さんのポスターが迎えてくれました。無料の展示なので、展示されているのは、ほんのちょっとですが、何人もの人が静かに見入っていました。「幸せの黄色いハンカチ」の、黄色いハンカチが風にはためいているあのシーンの映像が流れていました。
 展示の中に珍しいものをみつけました。政治のこと、教育のことについて健さんが語っていました。これまでそのようなものをあまり見たことはありませんでした。読売新聞の企画だったようですが、「新世紀の担い手 教育」か何かで語っている文章だったように記憶しています。撮影が許可されていないものなので、出典がはっきりしませんが、書かれている文章を読み上げ、スマホに録音して、文字起こしをしました。一部ですが、紹介します。
 さすが、僕の大好きな健さん、僕の言いたいことを言ってくれています。ますます、健さんが近いものになりました。

 『政治家が歴史に語りつがれるとはどういうことなのか。アジアだけでなく、中東でも言いたいことを言い放題。お互いに無駄な流血を続けている指導者たちのニュースが情けなくなります。戦後55年間、経済的な豊かさばかりを追い続ける風潮や学ぶ楽しみを置き去りにし、たとえば、ことばを学ぶ楽しみは、その先にある経済のためでなく、まずその言葉の持つ文化を学び、感じることにあるでしょう。成績を数字でしか評価してこなかった教育は、先人たちのもっていた心意気を失わせ、有り余る商品に囲まれながらもなお不安を拭えずに暮らす貧しさをもたらせたのではないでしょうか。
だがやっと金儲けの上手さだけでは心の豊かさを生み出さないことに少しずつ気づき始めたのではないでしょうか。ブラウン管に映るお金を操り、また操り損なった人たちの表情、あまりにも情けなく思えてくるのは僕だけでしょうか。含羞という言葉の意味をとっても深く考えさせられます。
 「辛抱ばい」』

 しばらく、健さんと共にいる時間を過ごしました。
 ちば・吃音親子キャンプのおまけのような、ご褒美のような、いい時間でした。
 
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/10/15

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