吃音の問題とは何か どもる当事者からのメッセージ
当時、ISA(国際吃音連盟)会長、マーク・アーウィン(オーストラリア)は、吃音を真に社会が理解するためには、どもる当事者が吃音を定義する必要があると考え、ISA理事会に、動議21を提案しました。吃音の定義は、専門家の間でも様々な議論があり、定まったものがありません。クロアチアで開催された第8回世界大会で、ISAとしての「吃音定義」を正式に採択しようとした一連の論議は、吃音の問題とは何か、どもる人のセルフヘルプグループの役割とは何かについて整理しておく意味で大切なことだと考え、「スタタリング・ナウ」編集部で特集しました。
この論議を受けて、当初、第8回世界大会で「東洋思想とセルフヘルプグループに学ぶ吃音臨床」と題した基調講演を予定していた僕は、「吃音サバイバル」に変更して講演しました。動議の紹介の後、この講演の一部を紹介します。(「スタタリング・ナウ」2007.7.28 NO.155)
ISA 動議 21 マーク・アーウィン
ISA(国際吃音連盟)は吃音に対する理解を一般に広めるために次のメッセージを伝えていく。
「吃音は原因が明らかではない言語障害であり、人口のおよそ1%の人たちに見られる。両親、教師、友人そして親戚などの人たちが耳にするどもって話される言葉というのは、問題のごく小さな部分であるという認識を持つことが重要である。どもっている人は隠された吃音に苦しんだり、新たに吃音症候群と称せられる症状に苦しんでいる場合もある。隠された吃音というのは、どもらないために言葉の回避、置き換え、言い換えなどの方法を用いることである。
吃音症候群というのは、自分の吃音を否定的にとらえることによって経験する様々な症状のことである。これらには吃音がさらに重くなる、自分の話し方をコントロールできなくなる、その結果パニック状態や不安状態に陥り、自尊心は損なわれ、対人恐怖や自己のアイデンティティに混乱をきたす、などの症状が含まれる」
この動議に、ISAのオブザーバーの言語病理学者から当事者が吃音を定義することへの疑問が出され、吃音臨床家と深いつきあいのあるグループからは、吃音症状に対してセラピーをしてきた臨床家を排除することにつながると、反対意見が出された。しかし、流れは動議が採択されようとしていた時、わたしたちがこの吃音定義には否定的な側面ばかりが強調されすぎていると反対して流れが変わり、動議は否決された。
しかし、マーク会長は一般社会の吃音理解には、「吃音症候群」と「隠された吃音」の概念を使って説明する必要があると、クロアチア大会での採択を目指して、動議22を提出してきた。
ISA 動議 22 マーク・アーウィン
吃音とは何か?
吃音とは、言葉を思いのままに流暢に発することが困難な障害である。吃音は一般的には音節が不随意に反復されるのだが、単語や語句の繰り返し、音の引き延ばし、さらには言葉を発する前や発している間に異常に長い間があくなどして、程度の差はあれ、その間言葉や音を発することが出来ないブロック(難発)と呼ばれる症状がある。
ISAは、吃音を完壁に理解するためには、聞き手の視点について考える前に、どもる人自身の経験について解説する必要があることを強調したい。ISAの理事会は、吃音症候群(否定的な感情や態度や行動)と、隠された吃音(言葉の回避、言い換え、まわりくどい言い方)などの用語を用いて、吃音と吃音がもたらす影響について論点を明らかにする。
吃音の原因
吃音は家系的に見られることがあり遺伝的要因も特定されている。しかし、はっきりとした原因はわかっていない。吃音は一般的には器質的な問題ではない。吃音は知的能力に影響があると一般的に考えられているがそうではない。言語障害を除けば、他のあらゆる点において正常である。従って、不安症状や自信が持てない、神経質であるとかストレスが吃音の原因になっているのではない。ただスティグマになりやすい障害であるため、結果として不安状態などになることはよくある。
吃音がもたらす様々な影響
吃音が個人に与える影響が様々であることは明らかである。人によっては、不安が高まると難発や引き延ばしをしたりするが、滑らかに話せる時には、吃音がさほど問題にならない。しかし完全なブロック状態の人もいる。ブロックには、ブロックをはずそうとする随伴行動が伴うことが多い。吃音に苦しめられている人たちは、他者との対話に大きな障害であると実感するだけではなく、彼らの人生に影響を与えるとして考えることがある。
どもる人は人口の約1パーセントと言われているが、人によっては言葉や状況の回避やことばの言い換えでブロックを隠している。これらは、意図的に隠すという性質から「隠された吃音(コヴァート)」と呼ばれている。この隠された吃音の最大の恐怖は、もし話している間にコントロールを失いブロックしてしまった場合に、周囲は自分のことをどう思うかということである。多くの人は自分の吃音を誰にも知られたくないと思っている。
吃音に対する情動反応はこの障害の最も重要な部分である。家族、友人、親戚、同僚そして一般の人たちが吃音とはどういうものか、とりわけブロックは聞き手が耳にする非流暢な話し方よりもさらに深い問題があることを理解しなければならない。たとえば、どもる言葉に対する恐怖、どもる場面への不安や周囲の自分に対する否定的な評価に対する恐怖心などで、「吃音症候群」とも呼ばれるものにつながっていく。さらに流暢性を失い、言語のコントロール力を失い、それに伴う不安状態、パニック、うつ、自尊心の喪失、対人恐怖や自己のアイデンティティの混乱などの症状に至る。
吃音の程度は様々である
吃音の程度は個人によって大きく異なる。ブロックが電話での会話、レストランでの注文、権威のある人に話す場合、自己紹介で自分の名前を言うなど、特定の言葉や場面に限定されることがある。一方、ほとんどの言葉にひどくブロックしてしまう人もその割合は少ないがいる。これらの人たちは、ブロックがひどくない人たちに比べるとあまり不安を感じていないことがよくある。それはブロックがひどくない人たちは、いつどもるかも知れないという不安があるからである。このような現象から、吃音の重さと吃音症候群の重さとは必ずしも連動しないと考えるべきである。明らかに吃音の軽い人が吃音症候群に大きく影響を受ける場合がある。その逆も然りである。
セラピー
吃音には多くの治療法や器具や言語療法のテクニックがある。これらは、吃音やそれに対する否定的な反応を程度の差はあるものの、コントロールしたり、軽減するために役立っている。ISAはそのようなプロセスにおけるセルフヘルプグループやサポートグループの重要な役割を強調したい。
動議 22の問題点 伊藤伸二
この動議が、吃音の問題を吃音症状にだけあるのではないと強調したことは、高く評価できる。しかし、吃音の当事者のメッセージとするには、もっと丁寧な議論が必要である。
1.吃音の原因について
吃音の原因が解明されておらず、吃音の定義も定まっていない現在、当事者が詳しく言及する必要はない。原因は、世界各国で膨大な研究が続けられながら、未だに解明されていない事実を言うだけでいい。吃音の定義は吃音研究者に委ねたい。私たちが説明するにしても、完壁な理解は難しいので、できるだけシンプルにする必要がある。
しかし、吃音に悩み、生活や人生に大きな影響を受けてきたどもる当事者として、吃音の本当の問題とは何かについては、丁寧に説明することができるし、必要なことだと思う。
2.「吃音症候群」や「隠された吃音」
このような用語は、吃音の研究者や臨床家が問題を説明するのに便利な側面があるかもしれないが、当事者が安易に使うべきではない。この用語を使わずとも、吃音の問題について、私たちが、吃音を隠し、話すことから逃げることで経験したことを率直にそのまま具体的に表現すればいい。
このような用語が定着すると、吃音症候群や、隠された吃音を治療しなければならないになる。
3.動議自体がもつ否定的な要素
スティグマや一般の吃音の否定的な評価を問題にしながら、この動議自体が否定的な評価を促進する恐れがある。この文章を読んだどもる子どもの親は、吃音とは大変深刻な問題で、早く治してあげなければとあせるだろう。セルフヘルプグループの中で、どもりながらも豊かに生きてきた人たちがいることをもっと強調すべきだろう。
チャールズ・ヴァン・ライパーは、私たちが発行した、吃音の理解のためのパンフレットの巻頭に次のメッセージを寄せてくれていた。
「どもりにとらわれるあまり、犯してきた私たちの失敗を、どもる子どもたちが繰り返さないように、また、私たち成人吃音者の仲間が、自分を無価値な人間であると思いこんで卑下することのないように、私たちは自身を変えていかねばなりません。また、社会を啓発していかなくてはなりません。どもるからといってそれにとらわれ、自分の人生を台無しにするのではなく、輝きのある人生を共に送っていきましょう」
このようなメッセージこそ、どもる人のセルフヘルプグループの私たちならではのものだろう。
吃音の正しい情報や知識がなく、周りの吃音への無理解もあって、吃音に大きな影響を受けている人々は少なくない。社会一般には、「吃音は簡単に治るものだ」や、「たかがどもるくらいで」と吃音の問題を軽く見る傾向がある。その一方で、吃音に対する否定的な評価も根強くある。この社会の吃音に対する無理解が、吃音の問題解決に大きな障害となっている。
完全な治療法がなく、世界のすべての国々に十分な専門家がいるとは限らない現状では、セルフヘルプグループとしてなすべきことを、できることを明らかにしなければならない。専門家の力を借りながら、正しい吃音の知識や情報を共有し、セルフヘルプグループで蓄積してきた「吃音と共に生きる」ための工夫を共有し、発信することである。社会の吃音に対する無理解に対して、吃音の正しい理解のためのメッセージを送り続けていくことが大切だ。
ISA総会で動議22取り下げ
クロアチアに出発の前に、伊藤伸二は理事会に反対の理由を前述の文書で出しておいたために、何人かはマークの動議に反対する意向を表明していた。しかし、ISA総会で会長のマーク・アーウィンは、動議22の採択の必要性を、基調講演のために用意したスライドを使って強く訴えた。動議の説明の後、一人が反対を表明し、伊藤の反対理由が読み上げられたことで、マークは論議をしても採択の可能性が低くなったと考えたのか、論議をしないまま動議を取り下げてしまった。
マークは基調講演で、吃音症候群、隠された吃音について説明している。彼の講演レジメの一部を紹介する。
吃音には3つの大きな特徴がある。
◇オヴァート吃音
繰り返し、引き伸ばし、ブロック
◇コヴァート吃音(隠された吃音)
言い換え、話すのを止める、回りくどい言い方
◇吃音症シンドローム(吃音症候群)
言語をコントロールできないという感情や、それに伴って生じるパニック、不安、フラストレーション、怒り、当惑、自信や自尊心の喪失、自己のアイデンティティの混乱などによって、吃症状がさらに重くなる。
吃音を改善するための4つの方法
1.言語病理学のセラピーを受ける
2.ゆっくり話す
3.ゆっくり呼吸する
4.言葉をリンクさせる
吃音症候群を改善するための10の方法
1.アサーティヴになる。アサーティブな人を観察したり一緒に過ごしたりする。
2.自尊心や自信を高める。知識を増やし、多くの本を読み、講座などに参加する。
3.成功体験に焦点を当てる。笑顔を忘れず、リラックスし、人の話をよく聞き、ゆっくり呼吸する。
4.対人関係での不安レベルを測定する。情緒的反応をコントロールする。
5.ネガティブな連想を断ち切る。成功体験を再生する。
6.休息時の不安レベルを下げる。瞑想や自己催眠。
7.成功体験と成功感覚を実践する。成功できそうな状況で実践する。
8.経過を記録する。サポートグループに参加。
9.話し手としてのセルフイメージを変える。日記をつけて成功体験を記録する。
10.ユーモアのセンスと現実的な展望を持つ。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/10/03