牧口一二さんの訃報に接して
被災障害者支援NPO法人「ゆめ風基金」の元代表理事の牧口一二さんの訃報を、今、大阪吃音教室の例会会場として借りている、大阪ボランティア協会を通じて知りました。
牧口さんは、足に障害があり、僕が出会ったときは、松葉杖を使っておられました。その自分の体験から、「誰でも乗れる地下鉄を作る会」を作ったり、「そよ風のように街に出よう」とのキャッチフレーズで、障害をもちながら、豊かに生きることをめざした活動を精力的にしておられました。
牧口さんに初めてお会いしたのは、僕が大阪教育大学に勤めていたころでした。
「障害を持つために味わうことのできる人生があります。障害のプラス面による人生、五体満足な人々に嫉妬を感じさせるほどの人生です。私は今、この人生を集めて一冊の本にし、世に示したい、と考えています。私も書きます」
牧口さんのこの朝日新聞の「声」欄への投書に共感し、僕はすぐに牧口さんの仕事場に出かけました。そのとき、いろんなことを話し合い、内容は忘れましたが、とても幸せな気持ちになったことはよく覚えています。そして、全国の障害者に呼びかけ、集まった原稿を編集してできあがったのが、牧口さんの著書『われら何を掴むか』(編集工房ノア)です。
『われら何を掴むか』は、1976年1月に発行されました。そして、僕の著書『吃音者宣言』(たいまつ社)が発行されたのが、同じ年の11月でした。同じ年に発行された二つの本は、これまでの障害をマイナスのものとしてではなく、「障害のプラス面を考える」ことで共通するものがありました。お互いの本を読み比べて話したこともありました。
その後、僕たちの大阪吃音教室で話をしていただくなど、交流を続けていました。
僕たちの冊子に、「吃音者ならではの発言を期待する」というタイトルの文章を寄せてくださいました。また、牧口さんは、ご自分がレギュラーコメンテーターとして出演されていたNHK教育テレビの「きらっといきる」で、これまで吃音が取り上げられていないことに気づき、吃音を取り上げるよう、ディレクターに提案してくださって、2008年11月に、大阪吃音教室の仲間が登場する番組ができあがりました。牧口さんと直接会ったのは、これが最後になりました。最近は、年賀状のやりとりだけになってしまいましたが、長くおつきあいをさせていただきました。
これまでとは違う、障害者運動のひとつの大きな広がりをつくった人でした。
ご冥福を祈ります。
9月28日付けの毎日新聞には、次のような記事が掲載されていました。
被災障害者支援NPO法人「ゆめ風基金」元代表理事の牧口一二(まきぐち・いちじ)さんが26日、死去した。87歳。葬儀は30日午後1時、大阪市中央区糸屋町2の1の11の日本聖公会大阪聖ヨハネ教会。喪主は弟の明(あきら)さん。
幼少時にポリオ(小児まひ)にかかって足に障害があり、「誰でも乗れる地下鉄をつくる会」の活動などを通じてバリアフリーを呼びかけた。1995年の阪神大震災を受けて「ゆめ風基金」を設立し、2021年まで代表理事を務めた。著書に「ちがうことこそええこっちゃ」など。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/09/29